封印された声
マチルダは元来明るい性格だった。
鍛えれば鍛えるほどついた筋肉に惚れる男は多かったし、彼自身の真面目な人柄も人好きした。
大きな目に堀の深い顔立ちの彼が微笑めば、女たちも優しかった。男にも女にも信頼され、好かれる。そんな男だったのだ。
あの日までは。
「あの日に何があったの?!」
サラの家で、ジュースを飲みながらもったいぶるシーマの言葉に倫は身を乗り出した。マチルダの声を初めて聞いた倫達は、どうして今までしゃべらなかったのかと問い詰めたのだが、シーマが長くなるからとサラの家まで戻って来たのだ。
ちなみに、シュウはエミリオと共に昼寝についている。
「それはですねぇ、リン様……ふむ。説明するより実演しましょうか。マチルダ」
促されたマチルダの目には迷いが見えた。不安そうである。倫とユーリは話の続きが聞き手くて体が揺れている。
「リン様はしっかりしていますが、まだ幼い。ユーリも同姓ですし……まあ、少しくらい大丈夫でしょう」
こくり、と頷くとマチルダは倫の横に跪き、口を開いた。
「リン様、きちんと挨拶もせず申し訳ありません。ユーリも、今更だがあの時は手荒な事をして悪かった」
落ち着いた響きを持つ声は、ストン、と倫の体の中で響いた。なんとも心地の良い声に、目を閉じたくなる。そういえばママも、好きな音楽やラジオを聞くときに目を閉じていたっけ……。
「……様!リン様!」
「──はっ?!私、何して?!」
「眠っておられました」
倫を起すと、シーマは椅子に座りなおした。
「リン様の場合は心地よくて眠気を誘ったようですね。ですが、大抵の場合こうなるのです」
シーマが指さした先には、頬を紅潮させてぽーっとした表情を浮かべるユーリの顔があった。これはあれだ。
「こ、恋する乙女……?」
マチルダはユーリの肩を揺らし、覚醒させる。ユーリは、はっとした表情の後、恥ずかしそうに目を伏せた。
「そうなのです。なんやかんやありまして、マチルダの声には不思議な力が不随するようになってしまいました」
「なんやかんやが気になるんだけど」
「とても端的に申し上げますと、私子供の頃から女の子と見間違われるほど美しかったんですよ」
「は、はあ?」
突然始まった自分上げのシーマの言葉に、戸惑いながらも相槌を打つ。横にいるマチルダも、うんうんと頷いている。
「それでですね、サキュバスに気に入れらてしまいまして」
「サキュバス?」
「サキュバスは人を魅了するという特徴を持つモンスターです。知能が高く、見た目も人に寄せることが出来るため、人間社会に溶け込んでいる場合もあります。彼女はリリアと言いまして、とても美しかった。幼かった私の初恋でもあります」
「う、うん 」
「リリアは美しかった私を気に入り、連れ去ろうとしました。そこを助けてくれたのがマチルダです。その時に何故かリリアの魅了するという力がマチルダの声に宿ってしまいまして」
「ふむふむ」
「マチルダの声を聞くと、どうしてか皆メロメロになり、普通に生きる事が難しくなってしまった結果、彼は私以外とは極力話をしないようになったのです」
「なるほど!でも、じゃあシーマは何故大丈夫なの?私がならないのにユーリがあんな風になったのは何故?」
「私に関しては謎です。ユーリがああなってリン様がならないのはリン様がまだ幼くいらっしゃるからかと。ユーリにはわかりますね?」
「あ……まあ、はい」
ユーリはまた顔を真っ赤にして俯いてしまった。それ以上聞きにくい雰囲気だ。
「ようはイケボすぎて困ってるって事よね。うーん。出来るならマチルダともお話してみたいしなぁ……」
リンの言葉に、申し訳なさそうにマチルダは肩を竦める。
「声でメロメロ……メロメロ……」
音を聞かなくて言いようにするには、ヘッドフォンでもすればいいだろうか。そうすると肝心なマチルダの声が聞けなくなってしまう。
「うーん……」
考えながら倫は椅子の腕で足を組んだ。マチルダ、シーマ、ユーリが何かいい案があるのかと期待を込めた目で見てくるが、正直何も浮かばない。
「そういえば、そのリリアってどこで何してるの?」
「リリアはあれ以降姿を見ないですねぇ」
「そっかぁ」
「ふえぇえええん!」
「あ、愁が泣いちゃった。ごめん、話の続きはまた今度ね!」
慌てて倫がベッドルームに入ると、サラが愁を宥めるように抱いてくれていた。
「ねーねがいい!」
眠そうな目を擦って、愁が倫を求める。サラは笑いながら愁を倫へと手渡してくれた。
「お姉ちゃんが大好きね」
そう言われれば悪い気はしない。ぎゅうと首に巻き付いてくる愁の髪が鼻に当たってくすぐったいが、それすら愛おしい。
同時に、何か忘れている気がする。なんだったか。
「あれ、ちょーだい」
「ん?どれどれ?」
「あれー!ちょうちょ!」
「あ」
欲しがったのは壁に立てかけられた伝説の剣(仮)である。剣よりもマチルダのことがきになりすぎてすっかり存在を忘れていた。
倫に降ろしてもらうと、愁は大きな剣の柄を持った。もちろん重くて持ち上げられないから、ずるずると引き摺って歩く。
大きな剣と幼児という組み合わせ、正直めちゃくちゃ可愛いのである。
可愛いのだけれど、今はそれよりも剣をどうするかを考えなければならないだろう。
しかし今は、んしょんしょと剣を運ぶ愁を見て、どうしても頬が緩む倫なのであった。