おしゃぶりを探せ
「とりあえずこれで良し、かな」
「うう……これ、似合ってます?」
「似合ってる似合ってる。多分、これで大丈夫。ママも愁が髪を引っ張るからってこうやってたの」
「女性のようですね。照れます」
恥ずかしそうにしているが、鏡に映った自身を見てシーマは満更でもなさそうだった。ぷちぷちと髪を引きちぎられるのが痛いだろうと、彼の髪を紐で結いでやったのだ。
ひっぱる部分が無くなって、愁は若干面白くなさそうだったが、今はマチルダが肩に載せる事で落ち着いてくれている。
「てゆーか、お腹空いたし喉乾いた。コーラが飲みたい」
無理もない、こちらに来てから叫びっぱなしなのだ。頭もフル回転しているのだからお腹も空く。
「コーラ、とはなんでしょう……?まあ、そろそろ我々もお腹が空きましたね。食事にしましょうか。お口に合うかわかりませんが」
コーラが通じ無くて驚いた。そうか、ここは私達がいた世界とは違うんだ。食べるものも違うかもしれない。どうしよう。
さあっと青ざめていく。何故なら私は好き嫌いが多いのだ。そして、愁も。
「とりあえず、移動しましょう」
「あ、ママが変な人でもかっこいい人でも知ってる人でもついてっちゃダメって言ってた」
差し出された手を取りかけた私がそう言うと、シーマは目を丸くした。
「しっかりしたお母様の教えですね!でも今言う事ですか?!」
華麗なツッコミを入れてきたシーマに連れられ、私達は先ほどいた建物から程近い、小さいが細工が美しい家の門の前についた。可愛らしい呼び鈴がついていたが、それを鳴らす前にドアが開いた。
「おかえりなさい、兄さま……ってあらぁ、綺麗になっちゃって」
出てきたのは、シーマと顔がそっくりな女の人だった。腕の中には愁より小さな赤ちゃんが抱かれている。
「詳しい説明は後でするが、異国の二人を預かることになった。この方々に食事を出してやってくれないか?」
「うふふ。あらぁ可愛らしいお客様ね。私は妹のサラよ。こっちはエミリオ。よろしくね」
私達に気付いたサラは、そう言って手を差し出してきた。自然と私はその手を取った。
「私は倫です。あれは弟の愁です。お邪魔します」
頭を下げ、そう挨拶するとサラはニコニコと笑顔を浮かべ、家の中へと招き入れてくれた。
この世界にも赤ん坊がいるんだなと、当たり前の事に衝撃を受ける。初めて見た大人以外の人間はエミリオだからだ。青い目をした可愛らしい赤ん坊は、本当に愛らしい。愁はすっきりとした可愛さがあるが、エミリオにはがっつりとした洋風な可愛さがある。
赤ん坊を見たことで、また少し倫の心が緩んだ。
何を隠そう、倫は小さな子が好きだった。将来の夢は保育士かパン屋さんなのだ。
家の中はウッド調の落ち着いた作りで、木製の椅子に座るよう促された倫達は素直にそれに従った。座るとキッチンの中が見えた。そこには見た事のある道具と見た事の無い道具が混在していた。果たして、出された料理を私は食べる事が出来るんだろうか。
「シュウ様にも食事を取らせたい。サラ、悪いんだが……」
「あら、もちろんよ。じゃあ兄さまエミリオをお願い」
エミリオと呼ばれたサラに抱かれていた赤ちゃんをシーマが慣れた様子で受け取ると、今度はマチルダがサラに愁を渡した。
サラは私の目の前の椅子に座ると、ぽろんと豊かな胸を出し、そのまま愁の顔の前に差し出した。ママくらい大きいおっぱいだ。
「んあ?!え?!ちょっ?!」
「あら、飲まないわね?」
愁はサラの胸にぺちんぺちんと手を当てて遊ぶばかりで、吸い付く事は無かった。だって、もう卒乳しているのだから当たり前だ。
「おや、まだ母乳がいるかと思ったからここに来たんだけどなあ。もう食事を取れるんですか?先に聞いておけば良かったですね」
「え?!あ、はい、もうおっぱいは飲まない……というか、なんで?!」
椅子から降りサラの胸元を隠すように手をぶんぶんと振る私を、シーマとマチルダは不思議そうに見ている。
「なんで、とはどういう意味です?」
「サラのお、おっぱい見たらだめでしょ?!」
年端もいかない私にこんな恥ずかしい単語を言わせるな!怒りを込めながらそういったが、二人どころかサラもきょとんとしている。
「だ、大事なところ人に見せないの!」
ぐいぐいとサラのずらした服を元に戻し、乳房を隠した。
「ああ、リン様達の故郷ではそういうしきたりなのですか?」
「ここではどうなの?!」
「赤ん坊の食事風景ですから、何も恥ずかしくありませんよ。もちろん、授乳以外で胸を見られるのは恥ずかしい事ですけれど」
「そ、そうなの?!」
「そうなの 」
うふふ、と優しく笑うサラは嘘を付いているようには見えない。ママも家の中とか家族しかいない時は胸をほっぽりだして愁におっぱいをあげていたけれど、外に出るとケープを付けたりして人に見られないように配慮していたのだ。男に見られるなんてとんでも無い事だと思う。
理解しがたいが、そういう風習なのだろう。過剰反応した自分が恥ずかしい。
「じゃあ、ごはん作るわ。少し待っていてね」
ぽんぽんと私の頭を撫でると、サラは愁を私に預け、キッチンへと向かい調理を始めた。
鼻歌が聞こえてくると、すぐに美味しそうな匂いがしてきた。これなら食べられるかもしれない。
「はい、どうぞ」
マチルダも配膳を手伝って、テーブルの上には五つの椀が並べられた。中には見おぼえがありまくる料理が入っていた。
「こ、これはうどん……!」
鼻をくすぐるだしの香り、黄金色のスープ。白い麺の上に彩りのために置かれた緑の野菜は見慣れたネギでは無かったが、これは紛れもないうどんだ。
とても美味しそうだが、めちゃくちゃファンタジーな世界観にうどんなので違和感がすごい。
「そうよ。赤ちゃんでも食べやすいかなと思って」
「愁の好物です」
「それは良かったわぁ」
器のとなりに置かれたのはお箸とフォークで、これにも安心した。お箸は無いかもと覚悟していたからだ。
「頂きます」
手を合わせ、そう言うとお箸でうどんを一本取り、口に入れた。
「お、おいし~い!」
食べなれた味にかなり近い、紛れもないうどんに心底ほっとする。見た目詐欺で実はまずいという可能性が消えたのだ。嬉しいことに食文化は元いた世界とかなり近いらしい。
「うふふ。じゃあシュウくんもあーん」
「あーん」
サラの太ももに座った愁が、素直に口をあけ、麺をすすっている。飛び散ったつゆをサラが拭いてあげるのを見て、ママもこうやって食べさせてたなと心臓がきゅっとなった。いつになったらママに会えるんだろう。
でも食文化が合うと言う事は、私も愁もごはんが食べれずひもじい思いをしなくても良いという事だ。
ごはん、と言えば先ほどから気になっている事があった。
「そういえば、どうしてサラのをあげようとしたの?ミルクでいいのに」
「ミルク?牛のならあるわよ。ヤギのものも必要なら買ってきましょうか?」
「そうじゃなくて、赤ちゃんのミルクだよ」
私がそういうと、大人たち三人が目を見合わせた。話が伝わら無かったのだろう。こういう時はたとえ話を出すと良いとママに習っている。
「えーっと、例えば赤ちゃんを産んですぐに母親が亡くなってしまったりしたら、その赤ちゃんはどうやって生きるの?」
「そういう時は、基本的にはさっきみたいに赤ちゃんを産んだ女性の所に言って、お乳を貰うのよ。貰い乳って言うの」
「ええ?!」
カルチャーショックである。いやでもミルクが無いならそうするしか方法が無いのだろう。
「リン様の国では違うのですか?」
「うん、赤ちゃん用のミルクがあるの。母親のお乳を粉にしたやつで、お湯で溶かして飲ませるんだよ」
「それは便利な道具があるのですね。――あ、道具といえば、シュウ様を泣き止ませる――」
うどんを食べ終えたシーマが会話に入ってきたが、声を出されたことにうとうとし始めていた膝の上のエミリオがふえ、ふえ、とぐずり出してしまった。
「サラ、エミリオが――」
「そこにおしゃぶりがあるから、ちょっとあげて」
テーブルの上に置かれた籠の中に、倫が見た事の無い形状の【おしゃぶり】と呼ばれる物体が入っていた。木製の取っ手に布で何かを包んだようなボンボンが付いている。それを口元へと持っていくが、エミリオはいやいやと首を振っている。
「サラ、嫌がっている」
「もう、甘くないと嫌がるのよ。お砂糖か蜂蜜にでも浸けてあげてよ」
「おしゃぶり……はち、みつ?!ちょ、ちょーっと待った!」
蜂蜜が入っているであろう壺を、マチルダが棚から取り出した所で倫が待ったをかけた。
「エミリオは生まれて一歳過ぎてないよね?」
見た所首は座っているがお座りが一人で出来そうにもない、まだふにゃふにゃした赤ん坊だ。愁を間近で見ていたから倫には分かる。
「え、ええ……まだ半年よ」
「あのね、一歳未満に蜂蜜を与えたら駄目なんだよ。病気になって、最悪死んじゃうんだよ」
「え?」
「ええ?」
「ーーぇ?」
三者三様に声を上げたのが面白かったのか、エミリオも愁もケラケラ笑い声を上げた。正直マチルダの声はめちゃくちゃ小さくてほとんど聞こえなかったけど。
「私達と人間としての作りが違うから大丈夫なのかもしれないけど……」
威勢よく注意した直後、そういえばここは異世界だったと後悔して、私は自信無くそう付け加えた。
シーマは何やら思い当たる事があるようで、真剣な表情になっている。
「実は、医者でも原因がわからず、赤ちゃんが亡くなってしまう事故があるんです。もしかしたらリン様の言う蜂蜜のせいかもしれません。でも、一歳すぎれば大丈夫なのはどうしてですか?」
「それは……それはわかんない。でも、ママが、愁が生まれてすぐの頃に私に何度もそう言ってたの。死ぬこともあるから、一歳までは蜂蜜あげちゃ駄目だって」
「ふむ……これは、調べてみる価値がありそうな情報ですね」
「間違っていたらごめんなさい」
「いえいえ、アドバイス頂けて幸いですよ。私はここの医療向上の役割も担っているんですよ」
「……あれ、シーマってもしかして偉い人?」
「最初に説明しましたよね!? 」
「そういえば、そんな事を言っていたような……」
こちらに来たばかりでちゃんと聞いていなかったが、シーマは医療や生活をとりまとめる役職にもついている魔法師で、マチルダは警察のトップみたいな事を言っていた。……ような気がする。
「とりあえず、調べさせます」
そういうと、何やらメモにペンを走らせ、空中に指で魔方陣を浮かび上がらせた。最後にふぅ、と息を吹きかけるとメモが鳥へと変化して窓から飛んで行ってしまった。
「わあ!すごい!」
「兄さまはこう見えてなかなかやるのよ」
誇らしげにサラがウインクしてきたので、同調して頷いた。メモが鳥になるなんてなんてファンタジーなんだろう。チート機能は付いていなかったけど、練習すれば私にも使えるようになったりするのだろうか。
「ところで、チョウ様から言い使っているシュウ様を泣き止ませる道具の件ですが……おしゃぶり、はどうでしょう?リン様の故郷にもあるのでしょう?」
「あるけどかなり材料が違うような……」
「ちなみに、どんな材質ですか?」
「えーっと、プラスチックでぷにぷにしてるの」
「プラスチック……?」
「ゴムみたいな?」
「ゴム……?リン様は本当に聞いたことが無い言葉をよくご存知ですね」
「とりあえず、今つかってないおしゃぶりあるから、試してみる?」
ずらり、とテーブルの上に布製や木製のおしゃぶりらしきものが並べられている。片っ端から愁の前に置いてみるが、興味を示す様子が無かった。
「せめてぷにぷにしている何かがあればいいのに……」
「ぷにぷに……」
「ぷにぷに……」
「……」
「そう、エミリオや愁のほっぺみたいなぷにぷに!この青いぷにぷにみたいな!」
目の端に入ったぷにぷにした青い物体を指さした。
「ああ、スライムですね」
「え?!ちょっと待って異世界でスライムってもしかしてもしかしなくてもガチでモンスターのスライム?!」
「リン様の故郷にもスライムがいるんですね。共通項があって嬉しいです」
「いるというか、存在はあるというか……アニメで見る分には可愛かったけど、いざ目の前で立体になるとそんなに可愛く無い!」
ガチだ。マジもんのスライム。
「ねえ、どうして家の中にスライムがいるの?仮にもモンスターでしょう?」
「スライムは基本的に無害ですし、悪いモンスターが来た時に先に食べられてくれたりする益モンスターなのでその辺にいますよ」
「スライムを倒して強くなるんじゃないの?」
「その辺にいるスライム倒したくらいでそうそう強くはなれませんよ。強くなるには真面目な修行が大事です」
私達がわちゃわちゃとスライムについて語り合っていると、不思議な音が聞こえてきた。
ちゅぱちゅぱ……
不思議に思って音のした方を振り返ると、なんとそこには目の前で揺れていたスライムを両手で掴み、ご機嫌にちゅぱっている愁の姿があったのだ。
「しゅ、愁!?」
「ちゅぱちゅぱちゅぱちゅぱ!!!!!!!」
「ちょ、これ、毒とかないよね?!」
「ちゅぱちゅぱちゅぱちゅぱぱぱぱぱ!!!!!!!」
「愁、とりあえず一回口から離してー!」
「ちゅぱちゅぱちゅぱちゅぱちゅっぱー!!!!!!!」
よだれででろでろにされているスライムも、嫌そうかと思いきや表情を読み取るに気持ちよさそうである。
「ねえ兄さま、私一つお商売を思いついたのですが」
「奇遇だな妹よ、お前の言わんとする事わかったぞ」
端っこに吸い付く愁と、逆をひっぱる私を見ながらサラとシーマはスライムおしゃぶり商品化について話し合っていたのであった。
ちなみに無口すぎて存在感が無いマチルダだけれど、ちゃんとずっといるので安心してください。