エピローグ
ユイちゃんの瞼が震えたのを目に、私はほっと胸を撫で下ろした。
コールドスリープを解除してから五日。スキャンした限りでは異常がみられなかったのだが、これだけ目覚めが遅いと不安にもなる。
脳波データで意識が戻ったのを確認して、私は薄目を開いたユイちゃんへと口を開いた。
『おはよう』
「……カナ、メ?」
『そ、カナメおねーさんよ。体調はどう?』
「……アニメの、続き」
『多分、もう見れないかな? おはよう。ユイちゃん』
苦笑しつつそう告げると、徐々(じょじょ)にユイちゃんは瞼を開き、顔を顰めた。
「身体、重い……」
『でしょうね。かなり時間かかっちゃったし。……指は動く?』
「……うん。でも、身体が……」
身体を起こそうとしているのか僅かに頭が揺れるが、それだけ。
理論上はすぐに歩けるはずだけど、元々が万全からはほど遠い状態からのコールドスリープだったのだ。その上五十年以上もその状態だったとなれば、神経や筋肉に異常がでてても不思議は無い。
まぁ、スキャンの結果正常と言う事は分かっているので、そこまで心配はしていないけど。
『多分、すぐ馴染むから大丈夫。そのままリラックスしてていいわよ』
「ここ、は?」
『新機体の中。今は人類生存圏に向かって航行中ね』
「じんるい、せいぞんけん……」
『銀河系とかの人が活動している場所ね。あ、お腹空いてない? オートミールあるわよ?』
この新機体、私みたいな存在でも自在に細かい場所が動かせるようになっている。
なので食料一つ取り出すのも楽々だ。最初≪可能性ノ柱≫の食料をぶちまけたのが懐かしい。
「……?」
『その糸を引いて。そしたら加温されて勝手に開くから。あ、食べ終わったら右手のダストに入れてね? 燃料の足しになるから』
パカパカとゴミ箱を開け閉めしてアピールし、私は一度モニターから姿を消した。
代わりに映し出すのは、この機体の説明書だ。
『ユイちゃん、ちゃんと共通語は読めるようになったわよね?』
「身体動かないし、眠くなってきた……」
『脳波は安定してるし、オートミールの紐もちゃんと引けたみたいだけど?』
「……アニメ見たい」
なんかこう、駄目な子供に授業をしている気分だ。
初期の≪廃棄城≫隔離者に比べれば、これでもぜんぜんマシだけど。
『一日の勉強がちゃんと終わったら良いけど、文字も読めないんじゃアニメ見つけられないかもね』
ユイちゃんの椅子を起こしながら、続ける。
『ネットは繋げるから、あっちで見てたアニメみたいに、探して視聴する事は可能なんじゃないかな?』
簡単に検索しただけでもヒットはする。
現代においては、古き良き時代の映像と言う奴だ。
ドラマもそうだが、基本的に電脳空間を利用した一体型が主流。アユちゃんが好きそうな私の時代のアニメとなると見つけるのが難しそうだけど……まぁ、これも勉強。
『まぁ兎に角。まずはこの機体の操縦を勉強するように。じゃないと座席のリクライニングや食事、トイレも無理だしね』
「うん……」
『どうしたの? 美味しくない?』
オートミールの時点で、私としては美味しいイメージは無いんだけど、≪廃棄城≫の人に聞いた美味しい携帯食料上位に入っていたメーカーの奴だ。
実際不味くはなかったようでアユちゃんは首を振ってくれたが、向けられた瞳には涙が溜まっていた。
「私、どうしたらいいの?」
『……何が?』
「こんなにして貰って……私、何も、返せない……」
ぽろぽろと涙を零すユイちゃん。
まぁ、うん。これも想定内だ。
恩には恩という考え方は好ましいけど、ユイちゃんはその意識が強すぎるのだ。なまじ苦労してきたばかりに物の価値がハッキリ分かるってのもその理由の一つだろう。
だから、ちゃんとした理由付けをして上げる事にする。
『返す必要なんて無いわよ。言ったでしょ? 私を起こしてくれた。それだけで十分すぎる恩なの』
「でも」
『だから。無料の奉仕はここまで。後はユイちゃん自身が頑張んないと駄目だからね?』
それだけで納得してくれないのは重々承知なので、モニターに顔を出して、ユイちゃんの目を見ながら言葉を続ける。
『恩を感じるのは良い事。それを返したいと願うのも。それがユイちゃんだから、私達は手を貸したの。けどね、なのにこれから生活できないんじゃお話にならない』
「……うん」
『だからまずは、収入を得る事。私達への恩を返す前に、ちゃんと生きていける環境を整えないとね?』
「はい」
しょぼんとしたまま頷くユイちゃんに、苦笑してからモニターの映像を変える。
『って事で、仕事に関して。すぐに問題なく就職って形が取れるのがこの三つね。まぁ、前二つに関しては資格って感じだけど』
「賞金稼ぎと、運送業?」
『この機体を使った仕事ね。で、最後の一個はちゃんとした就職。こっちは幾つか候補がある。一般的に言われる普通のお仕事で、もう宇宙にでなくて良くなるわよ?』
「……一番稼げるのは?」
『それはユイちゃん次第。どんな仕事だって能力次第で変わるもんよ』
そう答えつつも、最大値で見た儲かる順に並べる。
賞金稼ぎ>企業≧運送業
運送業も企業の一端なので、まぁこんな感じ。リスク順にしても運送業と企業の位置が変わるぐらいなものだ。
「賞金稼ぎになる」
『一応表示してただけなんだけど……普通の仕事じゃ嫌なの?』
「だって、私の頭だと、無理だから」
『……頭関係ない仕事もあるわよ?』
「賞金稼ぎがいい」
真っ直ぐ見つめてくるユイちゃんに、私は苦笑いを返した。
ユイちゃんは地頭は良いのだ。アニメを見る為とはいえ、すんなりとスマホ操作を覚えて、日本語すらも理解していたのだから。
なのに賞金稼ぎは、勿体ない。
『あのね、ちゃんと表示しておいたけど、賞金稼ぎはリスクが大きいの。正直、それだけじゃ食べていく事すら難しいかも』
「なら、運送業もやる」
『えぇ~……。いや、そのタイプの賞金稼ぎが多いのは確かだけど……ん~っと、はいこれ。必要な初期投資額ね』
表示した金額に、ユイちゃんは息を呑んだ。
何も所持していない状態から必要な金額と、この新機体を所持している状態からの必要な金額を表示したわけだが、賞金稼ぎを始める為の資金は群を抜いて高い。この機体があって尚、一般人の生涯年収を余裕で上回るほどだ。
最低限に留めるとしても、この機体に武装は必要になるし、ユイちゃん自身が使用する武器や拘束用の道具も必要になる。運送業にしても地上ならまだしも宙間運送となれば最低限の武装は必要なので、初期投資もそれなりにかかる。
『この機体を売っぱらっちゃえば、一式揃うとは思うけどね』
「やだっ!」
『あ、うん。……じゃあ、ちゃんと就職する?』
「……賞金稼ぎが良い」
『なんで?』
素朴な疑問に、ユイちゃんはオートミールを流し込んで空の袋をゴミ箱に捨てると、一度深呼吸をして私を見上げた。
「私は、何も出来ないから」
『その為の勉強でしょ? 普通の企業に入れば、ちゃんと教えてくれるし』
「……それだと、お金が稼げない」
『生きてく分には十分だって。上を目指せば収入だって増えるし』
「それじゃあ何も返せないっ!」
ユイちゃんの剣幕に押されて、思わず黙る。
返さなくて良いって言ってるのに……何故泣くし。
「私には、何も無いのっ! カナメだけが、救ってくれたっ! カナメだけが、生きていいって教えてくれたっ! だからっ、だから……私にも、何かさせてよ……」
泣きじゃくるユイちゃんは可愛いけど、どーしたもんやら。
この決意を折るのは無理っぽいし、これ以上普通の就職を勧めてもまた怒鳴られそうだ。
私は『仕方ない』という意味合いを大きく込めてため息を吐いて、言葉を発する。
『借金の当てならある。けど、返せないようならこの機体を売る事になるわよ?』
「……絶対、売らない」
『そう言っても、担保が無いとユイちゃんじゃお金借りれないしね。分かってると思うけど、現状だと賞金稼ぎにもなれないわよ?』
「それは……」
ズズッと鼻を啜って泣き止んだユイちゃんに、少し安堵しつつ言葉を続ける。
『賞金稼ぎギルドのギルマスに借金の相談をしなさい。私の名前を出せば会えるから』
「ぎるます?」
『ユイちゃんが寝ている間に色々あったからね。会えた後どうなるかは、ユイちゃんの交渉次第。この機体がどうなるかも、そのとき次第ね』
「……頑張る」
『後、この機体のメンテとか改良にもお金はかかるからね?』
「うん。ちゃんとやる」
決意だけは本物みたいなので、後はユイちゃん次第だ。
『じゃ、まずは勉強。常識すら知らないんじゃどうしようもないからね』
「カナメ」
『ん?』
「この機体の名前、何?」
『ユイちゃんが付けて良いわよ』
お爺ちゃんもログ爺も何も言わなかったし、実際機体名は空白のままだ。
「じゃあ、アマガサでっ」
『……えっと、私の名字って、分かってるわよね』
「うんっ!」
あー、良い笑顔だ。
まぁ、好きに付けていいって言ったのは私だけど。
「よろしくね、アマガサ」
どうにか身体を起こして、座席先のタッチマニューバーを愛おしそうに撫でるユイちゃん。
名字を呼ばれて何か凄く変な気分になるけど、口にはすまい。
ここからは、ユイちゃんとアマガサの物語。
死んで欲しくないから色々手は出すつもりだけど、基本は最小限に。賞金稼ぎとして登録できたなら、それ以降は呼ばれた時以外は干渉しないつもりだ。
だから、ただ願う。
ユイちゃんとアマガサに、幸多からんことを。
終わりです。
読んでくれてありがとございました。
あんまりにも誤字脱字報告が多いんで、一応見直しました。
修正報告下さった方々、ありがとうございす。
と思ったのに人名間違いしまくりじゃねーかっ!
ホントごめんなさい。
重ね重ね、修正報告ありがとうございます。