第六章 女神の御業と無駄な努力
『もうすぐ交戦だと言うに、ご機嫌じゃの』
『試したい事があったしね』
あれから一週間。
私は大分前に鹵獲してまだ手を付けていなかった駆逐艦三隻で、交戦予定の宙域へと向かっていた。
出来れば戦艦を使いたかったのだが、もう動く状態では無かったのでやむなし。
駆逐艦にも戦闘機はそれなりに積んであるので、実践にはもってこいだ。
『それに、≪廃棄城≫の人口が減ってるのよ。電脳中毒者共が更生してるって思うと、嬉しくて』
ここのところ気分が良いのは、それが理由だ・
第十層なんて環境で、それでも電脳空間にしがみついていた人達が減っている。
それはつまり、ちゃんと現実に意識を向けるようになってくれたと言う事。
その事実に、達成感のような感情を抱いてしまうのも仕方ないと思う。
ちゃんと教育を施した結果が、ちゃんと数字で表れるんだから。
『頑張った甲斐があったわぁ』
『何をしてるんじゃお主は』
『まぁ頼まれて色々とね』
呆れ顔のお爺ちゃんに、私は苦笑を返した。
我ながら何をしてるんだかって感じだ。ただ、良い事をしているつもりなので、悪い気はしない。
ちなみに今は、駆逐艦のメインブリッジでお爺ちゃんと向き合っている。
そこそこスペックはあるので、スクリーンを二つ立ち上げるのもわけはない。
お爺ちゃん相手なら機械を通さずとも意識だけで会話ぐらいは出来るんだけど、やっぱ顔を付き合わせて話す方がいいのだ。
『で、任せて良いんじゃな?』
『勿論。最悪アクセスしてちょちょいのちょい、だしね』
『それはそんなんじゃが……なんと言ったか、ちーと? みたいじゃの』
『あ、お爺ちゃんそー言うの知ってるんだ』
『他人が読んどると気になるじゃろ? で、話を聞いたら無敵なのがチートだとかなんとか』
『まぁ、間違いなく無敵ではあるけど』
何せ本体が深淵領域にあるのだ。
宿っている機械が破壊された所で痛くも痒くも無いし、知識が無くても機械にアクセスできる。
まぁチートだ。
反面、今はユイちゃん絡みで色々必要だったりするけど、私達自身は何を得ても意味は無いので、チートを発揮する意味があんま無いんだけど。
『まぁ、それでも無理はする必要無いぞ。最悪破壊してしまっても構わん。機体完成まではまだまだかかるでの』
『つっても、お金は必要だしね。そこそこ程度でやるわよ』
『うむ。では後でな』
『うん。後でねー』
軽く手を振って、私はメインモニターへと顔を向けた。
最大望遠でも映らないほどに距離がある。想定より三十分は遅い速度で航行しているのは、単に低速艦が私の想定以上に加速しなかった事が原因だ。
『むぅ。誤差程度ではあるけど……まぁ大丈夫かな』
警察の現在地を確認して、そう独りごちる。
交戦宙域を選んだのは、気分では無い。
各地に配置された中継器の範囲外だからこそ選んだ宙域なのだ。
今相対しようとしている宙賊を最初に発見したソレド884とかがそれだ。電波の中継器であると同時に周辺宙域を確認するレーダーの役割も果たしているので、下手に介入されない為にもその範囲外である事が望ましい。
それとは別に、警察の巡回もある。
広大な宙海で出会う事はまず無いとは言え、交戦する以上バレてからの猶予も欲しい。
流れ弾とかがレーダーに拾われ警察が寄ってくるのは確定事項なのだ。相手は宙賊なのでこちらに非があるわけでは無いが、下手な警官ならゆすりたかりをしてくるし、まともな警官でも時間を取られる。
だから交戦予定宙域からあまり離れたくなかったんだけど……。
「ん?」
敵艦の位置はどうにか長距離レーダーの範囲内に入ったのだが、何故か動きを止めていた。
中継器のレーダー範囲外ではあるが、アクセスは出来る。宙賊旗艦のメインシステムにアクセスすると、そこのレーダーには宙賊とは別の艦隊が迫りつつあった。
「賞金稼ぎ……だけじゃない?」
それぞれに艦籍がある艦隊だ。
その中で賞金稼ぎとして登録しているのは二割程か。
他の艦籍はバラバラ。個人所有で保険に入っている機体が多く、三隻ある駆逐艦も個人。二隻ある輸送艦は運送業者として登録してあるし、三隻だけある戦艦はこの惑星系の軍に登録してある。
どんな組み合わせだ。
二機パトシップもあるし、普通に意味が分からない。
『我ら≪女神の箱庭≫の騎士なりっ!』
仰々(ぎょうぎょう)しい名前が出てきた。
ただ、調べてみても喫茶店の名前とかしか出てこない。
『聞くが良い悪漢共よっ! 現在の目標を放棄し、素直に引くというのならば見逃そうっ! だが、我らが姫に害為さんとするのならば、討つっ!』
何か嫌な単語が聞こえたんですけど。
宙賊のメインブリッジに響く音声は、聞き覚えのないもの。メインモニターに映し出された男の顔も、初めて見るものだ。
だがその目付きは———瞳孔に宿る危険な光には、見覚えがある。
嫌な予感がひしひしと。
『全ては姫様の御心のままにっ!』
『『『御心のままにっ!』』』
ゾワッとさぶいぼが立った。
今の私がそう感じるほどの寒気。身震いするような感覚で、ある意味それは恐怖だった。
宙賊から一条の光が放たれ、≪女神の箱庭≫を名乗った面々がいきり立つ。
『姫に徒なすテロリスト共がぁっ! 全砲門開けぇっ!』
『ンやめなさいよっ!』
私は慌ててその旗艦へと通信を繋ぎ、声を上げた。
『何考えてんのっ!? ……って、すんごい居るし』
メインモニター越しに眺めるメインブリッジには、三十人近くいた。
全員が席に着いているので役割はあるんだろうけど、普通は十人ぐらい。端的に言って異常だ。
「姫様っ!」
「姫様だ」
「やはり女神様はいつも我らを見てくれているのだ……」
『おいそこっ! 妙な事言うなっ!』
ドワーフ的な髭面のおっちゃんに怒鳴り、ざっと面々を見回す。
女性は五人。全員見覚えのある顔なのだが、残る二十四人の男は見覚えのある顔の方が少ない。ただ、見上げてくる眼差しだけで十層の奴らだと痛感できる。
『ねぇ。何を、考えてんの?』
面々を睨み、声を低く落として問いかける。
返事は無い。
怒ってるんだって事がちゃんと伝わっているだろう。
それだけでも幾分か溜飲は下がる。
こいつらの事だ。『怒ってても姫様は~』とか言い出しかねないのだから。
『あのね。ここは、現実なの。何を考えれば『宙賊に喧嘩を売ろう』なんて発想になるのよ』
「私が集めました」
艦長席の隣、副長席に座っていた長身の青年が席を立ち、何故か胸を張った。
どうもこいつら、反省する気が皆無らしい。
「姫様の敵足る存在が現われたのならば、どこであろうと駆けつけるのが臣下の努めですので」
『臣下って……もしかして、レグ?』
「はいっ!」
嬉しそうに頷くレグ。
私が知っているレグは、ガリガリの少年だった。≪廃棄城≫のレグも現実と同じ姿で、このままでは不味いと警察に相談するきっかけになったのが、他ならぬレグの存在があればこそ。
だが、だからこそ訝しげにその姿を眺めてしまう。
電脳世界のレグは、相変わらず少年のままだ。だと言うのに、何故現実のレグがこんなにも成長しているのか。
素材はいいと思っていたけど、とんでもないイケメンというのも胡散臭い。
誰かの身体を奪ったんだろうか。
「姫様。私も自己紹介をよろしいでしょうか」
艦長席を立ち、恭しく頭を垂れる青年もまた美形だった。
レグが『腹黒そうな』という形容詞がつく美形なのに対し、こちらは『幼さが残る』美形だ。
『うん。えっと……』
「クルレド・レビ・カムナ・ルビ・レイと申します。≪廃棄城≫では防衛大臣を務め、レビと名乗っていますのでお呼びの際は是非レビと」
『はぁ。レビね』
「ありがとうございますっ! 現実でもこうして拝謁する機会をいただき、あまつさえ名前を呼んでいただけるとは……」
レビとレグ。呼び名が似ているだけじゃなく、こいつら同類だ。
俯き涙を流すレビを目に私はドン引きだが、他の奴らは違う。
羨ましそうな視線を向けている者が半分に、分かると頷いている者が半分。
どいつもこいつも同類だ。ヤバい。
「姫様。今回戦艦を三隻も動員できたのはレビの尽力があっての事です」
「レグ。お前が我々に声をかけてくれたから、こうして行動する事が出来たのだ。卑下する必要は無い」
「何言ってんだよ。お前がいたから希望者全員ここに来れたんだ。でなけりゃお前に遠慮なんてしないで。今頃自己紹介の時間だ」
「ははっ。確かに、現実で姫様にお目通り願えるなんて栄誉にはそうそう預かれないか」
美形同士のイチャイチャは眼福だ。
けど、ちょっとぐらいは状況を考えて欲しいもんである。
宙賊からの砲撃が無いのは、私が干渉しているから。
動力を止めちゃった方が早いんだけど、今回は練習のつもりで来ているのだ。無力化するのはもったいない。
そんな事情もあって自業自得ではあるんだけど、敵艦隊と相対した状況でイケメン同士イチャイチャしないでほしい。
してほしいけど。
ちなみに、私が持ってきた駆逐艦三隻は全速で接近中だ。着いた時には出力が残念な事になっているだろうけど、そこはまぁ問題ない。
イチャイチャしている二人を眺めていたい、でもそう言う状況じゃ無い、なんて葛藤をしながらも、私は一つ柏手を打った。
『兎に角っ! すぐに撤退しなさい』
「お断りします」
『あ?』
「私達は、姫様の害となるモノを払う為に参じたのです」
『さっきも言ったけど、ここは現実なの。死んだら終わりなのよ?』
「承知の上です」
イカレたレグの発言を止める者はいない。
それどころから、決意を秘めた眼差しを向けてくる奴らばかり。
なんだろう。もう洗脳されちゃってるんだろうか。
「この命は姫様在ってのモノの。全ては、姫様の為に。全ては、姫様の御心のままに」
「「「「「御心のままに」」」」」
『望んでねーからっ!』
思わず怒鳴って、一息。
ホントにこいつらは駄目だ。ちゃんと現実を突きつけないと。
『……ここは現実。だから貴方達は普通に死ぬ。だけど私には、身体が存在しないの。例え全滅したとしても、私は何一つ代わらない。そんなのに命懸けてどうするの』
私の言葉に、返答は無い。
それを理解してくれたのだと受け取って、言葉を続ける。
『命は、一つだけ。それぞれに、一つしか無いの。だから、無駄に使おうとするのはやめなさい』
全員が、モニターに映った私をジッと見ている。
ちゃんと言葉を理解してくれたなら、撤退してくれるはずだ。と言うか、その辺りの教育を施した面々の筈なので、理解できない筈が無い。
幻想の姫を守って死ぬ。妄想のヒロインが死んだら自殺するのと同じで、まともな人がそんな選択を選ぶはずも無い。
「構いません」
だと言うのに、レグは真っ直ぐに私を見てそう言い切った。
他の者も頷いている。
これはもう本格的に頭の中身を調べて貰った方がいいかもしんない。
何か最近のお爺ちゃん、人体の構造やら組成やらに興味を持ち始めたみたいだし。
「私達は、姫様に救われたのです。≪廃棄城≫でも、現実でも。姫様に救われた命を姫様の為に使いたいと望むのは、間違った事でしょうか?」
『……だから、私は死なないんだって』
「それでも。どうか姫の為に戦う栄誉を私達に」
レグの言葉に続いて、全員が一斉に頭を下げた。
何が彼らをそうさせるのかは分からない。
ただ、何を言っても無駄って事は良く分かった。
『はぁ。……ならせめて、有効射程距離ギリギリからの射撃に留めるように。パイロット達に関しても同様、それだけは厳守させるように』
「拝命しました」
仕方ないので妥協して、他の船に最低限の通達だけはしてようやく交戦地域へと辿り着いた駆逐艦へと移動する。
驚くべき事に———と言うかドン引きしたのだが、たったこれだけの戦力で千人近く≪廃棄城≫の人たちが参加していた。
何が彼らを駆り立てるのか、私には理解できなくて頭痛すら覚えるが、逆に考える事にする。
緊張感のある練習になる、と。
『さて、やりますか』
駆逐艦に搭載しておいた戦闘機を全て発進。
私は意識を薄く、広く。この交戦宙域全体を覆えるように広げていった。
【レグ】
レグは、自分が不幸などと思った事は無かった。
恵まれているとは思わないし、道行く普通の人を妬む事も多かった。
だがそれ以上に、身近に死が溢れすぎていたのだ。
だからこそ、そんな奴らよりはマシだと残飯を漁って生き延びていた。
そんなレグに、転機が訪れる。
その地域を牛耳る組織に、インプラント手術を勧められたのだ。
ただ電脳空間に行けるだけの、雑な手術。コードを差し込むタイプでは無く、無線を直接埋め込むような人体にも影響を及ぼす手術である。
その危険性を理解していながらも、レグは手術を受けた。幾ばくかのお金が、数日を生き延びる為のお金が必要だったのだ。
電脳世界に接続してすぐ、対価としてアクセス権を譲渡し、結果第十層へ。
そこは現実と変わらない、スラムのような世界ではあったものの、それでも飢えを感じ難いというのはレグにとって十分に幸せな部類だった。
幾ばくかのお金はすぐに尽き、過ぎゆく年月と共に加速する飢えにレグが死を意識し始めた頃、それは現われた。
絶対成る暴力。
瞬く間に≪廃棄城≫を削ってゆくその暴力に、憧れない者の方が少なかった。
底辺の巣窟である第十層であっても、組織に加入していない者の方が多いのだ。そんな者達にとって、無関係で絶対的な暴力は、まさしく羨望の的だった。
その庇護に入りたいと、そう願う者が殺到したのはある意味必然である。
そんな彼らとレグに違いがあるとすれば、出会い方だろう。
レグは、現実で死にかけていた。
救われたいと願う事も、救って欲しいと懇願する事も無い。ただ、もう死ぬんだと、そう分かっていた。
だから、最後は苦しみの少ない電脳空間で死のうと、たまたまそこにいただけ。
それが、二つ目の転機。
レグにとって人生最大の幸運がその日、その瞬間だった、
当然目の前に現われた女性。
彼女は触れただけでレグの状況を察して、何事かを虚空へと向かって呟いた。
レグはその姿をぼんやりと眺めていた。
輪郭すらハッキリとは見えず、女性だという事しか分からない。
だが、彼女に撫でられた瞬間、意識だけはハッキリと覚醒した。
『もう、大丈夫』
根拠すらない、ただの言葉。
だがレグは、その瞬間救われたのだと痛感した。
救われたいと、願った事も、縋った事も無い。
だからこそその感覚は、あまりにも鮮烈で、レグは声を出す事すら無く泣いた。
生まれて初めて、もしかしたら赤子の時すら無かったかもしれない感覚。
今まで感じた事の無い感情が全て涙となって流れ落ちる中、レグはいつしか眠りへと落ちていた。
それもまた、初めての眠り。
今日に怯えず、明日に嘆く事も無い、深い眠り。
目覚めたレグの前には、女性の警察官がいた。
彼女は食料をくれると、綺麗な手拭いで身体を拭くように命じ、着替えも用意してくれた。施設という場所にも連れて行ってくれた。
一日二食。更に二段ベットが四つある八人部屋で眠る事も出来る。
一変したその環境。
だがレグは、彼女と共にいる事を望んだ。
≪廃棄城≫でどうにかその思いを伝えたものの、勉強しろと怒られ、現実でちゃんと生きてゆけるようになったらと窘められた。
その日から、レグは生きる努力を始めた。
それが、今のレグに繋がる日々だ。
レビとの出会いを初め、多くの出会いがあった。仕事も始めた。最底辺の死ぬ間際だった小僧が、いつしか一人の人間として認識されるようになっていた。
それもこれも、全ては女神様の救いがあればこそ。
そうレグは信じているし、知り合い、友人となった人達に聞いても答えは同じ。
だからこそ、全ては女神様のお陰なのだ。
その女神様に対し、宙賊の害が迫っている。
それを本人の口から聞いたレグは、すぐさま仲間達に声をかけた。
レグもそうではあるのだが、宙賊の事を伝えた時の仲間達の怒りようは凄かった。
もし全員が同じ惑星系にいたのなら、宇宙警察すら警戒するほどの大艦隊が出来上がっていた事だろう。
第十層にはそれだけの人口がある。女神教自体は未だ布教の途中であり総人口の一割にも満たないが、百万人は在籍しているのだ。
女神様の為なら死すら厭わない覚悟のある者は一万人程度だが、何故か権力者もいる。
その筆頭がレビだ。
それ以上の権力、財力を持つ者もいるが、今回は出資してくれるだけになった。
何せ、宙賊が攻めてくるタイミングに間に合わせなければならないのだ。
該当の惑星系に住んでいる者に限ると、参加できる者は一万人程度。
更に宇宙船操縦技術の有る者、死んでも構わないと言える者だけに限ると、その数は千人にまで減っていた。
参加できない事を恥じ入る者も多かったが、責める者はいない。
誰もが姫から一度は言われているのだ。
『現実優先』
だから、参加する者が参加しない者を責める事は無い。
むしろ、参加できない者を哀れに思ったほどだ。
姫の為に戦えるという事。
姫の為に死ねるという事。
参加者にとってそれは、間違いなく栄誉だったのだから。
「っつーかお前、王様とかそういうのなんだろ? 何で参加するんだよ」
「第五王子になんて価値はないからね。下手すれば、一般家庭の五男よりも価値がない」
出発の前。
レグが何気なしに投げかけた言葉に、レビは自嘲混じりにそう答えた。
「……けど、最近は評判良いんだろ? お前の国の奴が褒めてたぞ?」
「それもこれも姫様のおかげだよ。……前、一週間ぐらい≪廃棄城≫に入り浸ってた事があるんだ」
「はぁっ!? お前それ、協定違反だぞっ!」
「その協定を組む前の事だよ」
かなり本気で怒った表情を見せるレグに、レビは苦笑を返した。
廃棄城協定。
女神教信者は強制的に加入する事になる協定であり、その前身は姫様と接する機会の多い≪廃棄城≫勤務者の間で交わされた約束である。
その内容は単純。電脳空間へのアクセスは一日八時間、と言うものだ。
『現実を大事に』という姫様の言葉もあるが、長時間アクセスしている者ほど姫様と接する機会が多くなるのは必然。それを不満に思った従業員達が集まり、各グループの代表者で会議を行った結果組まれた協定。
それは秘書であるレグであっても例外では無く、つきっきりで行っていた業務を交代制にかえさせられた。筆頭秘書という地位を利用して、姫様が来る時間帯を担当できるようにシフトを組んではいるが。
「姫様にずっと電脳空間にいる事がバレちゃってね。現実に楽しい事なんて無いし、お金持ちの家だから大丈夫って言ったんだけど、怒られてね。『お金があるなら、それに伴った正義を成しなさい』って」
そう呟いて微笑むレビは、レグですら見入るほどに柔らかい表情だった。
「『私みたいに偽善でもいい。余裕があるなら、ここの奴らみたいなのを減らせるように何かして』、だって。……そう言われて初めて、王族として出来る事があるんだって気付いた。何せ、目の前に手本が居たからね」
「それで評判良くなったのか」
「というより、第五王子なんて存在したんだなって感じじゃないかな? ぽっと出が貧しい者に手を差し伸べている。そりゃあ良い評判から始まるよ」
「あぁ、なるほど」
「けど、そのおかげで王位を狙ってるとか勘ぐられるようになってね。どうせ死ぬなら、姫様の為に死にたい」
「……なら頼ればいいだろ」
「生きて帰れたらそうするよ」
苦笑するレビに、レグも頰を緩めた。
今回の件が無ければ、≪廃棄城≫にも現実の権力者がそこそこいると知る事は無かった。
そもそも、人を頼れるような者はどこかしらの組織に加入していたはずなのだ。だから他者を頼れない者ばかりが姫様に救われ、その恩義を返そうと個人で動いていた。
それが変わり始めたのはいつからか。
少なくとも、今回の件が結束を高めた事は事実だ。
王子でさえ助けを求められそうな人物がいる。それと同時に、レビは王子という立場を明かしてまで協力を求めた。
その権力があっても、お金があっても、すぐには武力は揃わない。
だが二人は――否、参加する者全員が、満たされていた。
傷を舐め合うような仲間では無い。
姫様の為ならば命を懸けられるような本当の仲間と、共にあれるのだから。
そう決意して戦場に赴いた面々。
恩義の大小はあれど、誰もが死を覚悟していた。
そんな覚悟は、良くも悪くも裏切られる事になる。
▼△▼△▼△▼△
『やっぱ、お爺ちゃんはさすがだわ……』
戦場を俯瞰しつつ、私は感嘆とも呆れともつかない感想を漏らしていた。
戦闘機の同時操作。
練習の段階で分かっていた事だが、その難易度がとんでもないのだ。
『六機同時に作業用ロボットに作業させるって……不可能でしょ、普通』
作業用ロボットのように精密な動作を必要としない戦闘機。
だと言うのに、三機動かすので精一杯なのだ。
三十機全てがAIによって攻撃を行っているものの、勿論本意では無い。
私は、全機自由自在に動かすつもりで来たのだ。
それがまさか、こんなにも難しいなんて。
『お爺ちゃん、絶対脳が二三個あるでしょ』
操作難度が高い理由の一つは、認識だ。
機体をどう動かすか、どこに攻撃を放つか。自艦機の動きに、敵の動きも常時観測しておく必要がある。その上で必要な操作をする必要があるのだ。
ゲーム感覚でやれるとは言え、それが三機を越えると脳が一杯一杯だ。
状況が違うとは言え、六機の作業用ロボに精密動作をさせるなんて、絶対に無理。
でもって、三機しかまともに操作できないもう一つの理由が、友軍だ。
死なれると寝覚めが悪いので守る必要があるのだが、そっちまで認識するとなるともうキツい。
『そりゃ、良い練習にはなるけど……』
友軍機が敵の射線に入ったら、すぐに近くの機体を操作して盾にする。
それだけなら簡単でも、ほかに幾つもの操作を並行して行うとなると、困難を極める。
まぁ、敵艦にアクセスしちゃえば良いだけの話なんだけど。
わざわざ敵艦を自由にしているのは、この練習の為なのだ。
友軍の存在は厄介の一言に尽きるが、逆に良い刺激になっていると思う事にしとこう。
死なれたら寝覚めが悪い。
だから死なれないように機体を操作する。
更に攻撃を織り交ぜるわけだ。友軍に当たらない射線で、敵艦に被害を与えられる位置を選んで。
『ふぅ。……良し、燃えてきた』
既に友軍を守る為に五機撃墜されている。
残り二十五機。
それで友軍の被害を抑えつつ、敵艦を無力化する。
明確な目標が定まると、私のやる気に火がついた。
なかなかの縛りプレイだ。面白い。
視野を広く、だが個々の目線で空間を認識する。
肉体があったら鼻血を出してそうなほどに思考する。認識する。操作する。
まるで追い詰められているかのような緊張感。一手のミスが命を奪うかのような危機感。
他人の命を預かっているという、重み。
それら全てが私という存在の生を実感させて、笑みが浮かぶ。
広く、深く、世界を認識しろ。
どうしようもなく命を感じるこの空間の中で、私は笑い出しそうなほどの昂揚を抱えて、深い宇宙の海を泳ぎ、舞った。
その戦闘に、≪廃棄城≫関係者で勝てると確信して参加した者はいなかった。
ただ、死んだとしても姫様の役に立ちたいと、そう言う覚悟で参加した者ばかりだった。
だが、結果は想像を覆す。
「は、ははっ。……姫様は、本物の神様なのかな?」
艦長席に寄りかかり、呆れたような声を漏らすレビに、レグは当然と頷いた。
「姫様が神でないのなら、この世界に救いなんて無い」
「……うん。まぁ、否定するつもりは無いから良いんだけどね。実際、人の枠を越えている事は確かだし」
レビは半笑いで、レグは真剣な眼差しでメインモニターを見つめていた。
彼ら二人に限らず、友軍全員がただその光景を見つめている。
それほどに異常な光景だった。
張り切って発艦したパイロット達もまた、邪魔にならない位置まで引いて、その光景を見つめている。
彼らにしても、何かを言われたわけでは無い。せいぜいが前に出てお叱りを受けたぐらいで、『退け』とも『手を出すな』とも言われていない。
だが、それでも戦線を離脱してしまうほどに、女神様率いる戦闘機集団の動きは異常だった。
身を挺して守ってくれるだけでは無い。
戦いやすいように道を開き、撃ちやすいように敵機の注目を集め、更に敵艦の動きを誘導する。
そこに戦いやすさは確かにあった。戦場だというのに安心感すら覚えたものだ。
だがそれは同時に、命を捨てる覚悟で来たパイロット達にとっては屈辱的なほどの優しさだった。
女神の慈悲を受けているという喜びはある。
それを上回るほどの悔しさに、パイロット達は戦線を退く事を選んだ。
だが、そんな感情すら容易く霧散する。
それほどに、守るべき女神の機体は異質な動きだった。
軍のように、訓練されたチームとしての動きでは無い。
にも関わらず、それぞれが意思を持っているかのように動き、それぞれが指の一本、手の一つであるかのように動く。
個にして全の動き。
敵機の射撃を躱しつつ、もっとも撃ちやすい敵機へと射撃を行う。追われながらも撃墜数を増やし、追う敵機へと他の機体が迫る。チームとして動いているようには見えないのに、全ての機体が適切なフォローを行っているのだ。
一方では、敵艦の正面を挑発するように駆け、主砲の射角を誘導する。
友軍であるこちらに流れ弾が無いよう、戦場そのものを操作しているのだ。
十機落とされてはいるが、全てが友軍を庇ってのもの。
残る二十機が、六十を超える敵機を、戦闘機では対応が難しい戦艦を、自在に翻弄している。
「姫様……」
その光景を見つめていたレグは、席を立つと一歩横へとずれ、その場に跪いた。
何一つ恩を返せないと言う情けなさはある。
悔しさもある。
だがそれ以上に、この世界に降り立った神の一柱なのだという確信が、強く喜びを胸に抱かせていた。
「全ては、姫様の御心のままに」
レグにとって、救いも何も無い世界。
そこに救いを施し、生きる希望まで与えてくれた。
それだけでも女神と崇めるには十分だったが、モニターに映る光景は、彼女こそが唯一の神なのだと示すものだった。
それは、王族として知見の広いレビに関しても同じ。
軍で言うのなら、小隊で大隊相手に正面からやりあって優勢にたっているようなものなのだ。
実在するのならばまさしく英雄的な指揮官であり、個人で全てを行っているのならば、まさしく神の御業。
必然的に、レグの行為にレビも続く。
本物の女神だと思っているわけでは無い。
だがそれでも、女神として崇めるに足る人物である事は確かなのだから。
自然と席に座っている者はいなくなる。
神の如き御業を前に敬意を示すのは、人としての義務に他ならないのだから。
『……疲れた』
交戦時間二時間三十六分四十二秒。
損害はゼロ、と言いたい所だが、友軍を守る為に十機失って、更に操縦ミスで三機失った。駆逐艦にしても、一隻は敵の主砲を正面から受ける盾艦代わりにしていたので、辛うじて航行できるってぐらいの中破具合だったりする。
『まぁ、上出来かな』
味方の死者はゼロ。
敵艦にアクセスする事無く、終始優勢で戦闘を終える事が出来たのだ。
練習としては十分満足いく結果と言えるだろう。
そこそこ複数操作にも慣れた感じもするし。
『さて。それじゃあ後は……まぁ、わざわざ来てくれたわけだしね』
敵機はかなり落としたが、敵艦はそれなりに残っている。敵旗艦もその一つで、メインエンジンを破壊したから今は漂っているだけだ。
降伏を打診してきたので受け入れて、今や物理的にもプログラム的に行動できない状態。そこそこの賞金首でもあるので、本音を言えば丸っと持ち帰りたい。
けど、助けに来て貰ったと言う立場もある。
助けを求めた覚えも無ければ、姫様と呼ばれたいわけでも無いけれど、体面が気になってしまうのだ。
これも悲しい日本人としての性である。
あげるのは勿体ないなぁと思いつつも、その旨を伝える為に回線を開く。
そこにあった光景に、私は頰を引きつらせた。
全員が跪き、メインモニターに向かって頭を垂れていたのだ。
何の為の椅子だ、と問い詰めたいのをグッと堪えて口を開く。
『何してんの?』
「姫様の偉業に、敬意を」
『いらんから』
レグの言葉に冷たく返して、他の友軍全員へと通信を繋ぐ。
示し合わせたかのように艦に乗っている者はその場に跪き、パイロット達は胸に手を当てて頭を垂れている。
色々言いたい事はあるが、グッと我慢。
今までの傾向的に、怒っても何か嬉しそうなのだ。ドMの集団なのかもしれない。
『投降したとは言え、中の奴らは健在だから注意するように。懸賞金、艦体共にそれなりのお金には成るはずだから、参加者、協力してくれた人と分配するように。以上』
「姫様っ! 私達はそんなことの為に来たわけではっ!」
『レグ。あんたね、貯金すらろくに無いのに何善人ぶってんのよ』
レグが善人以外のナニカって事は分かっているけど、全員を代表したかのような言葉に私は半眼を向ける。
『貴方なら痛感してるでしょ? 生きる為には、お金が必要なの。生き続ける為には、お金の余裕が必要なの』
「でしたら姫様。自分も含め、余裕がある者は辞退という形でもよろしいですか?」
『レビ。だから公平に分けろって言ってんの。余裕があるなら施しなさい。お金を施すんじゃ無く、生きられる環境を与えて上げればいい。お金に余裕が無い人は未来の自分の為に、お金に余裕がある人は未来の誰かの為に。それだけの事でしょ?』
「拝命しました」
何故かもの凄く嬉しそうな笑顔を浮かべて頭を垂れるレビ。
私もやったんだからさ、って気分で言ったんだけど……まぁ仕事が増えて喜ぶタイプってんなら、それでいいんだろう。多分。
『じゃ、以上。……まぁ、今日はありがとね』
手伝おうとしてくれた事自体は素直に嬉しいのだ。
だから感謝を伝えて通信を切る。
帰還は来た時同様三隻の駆逐艦を伴って。と言うか、後はもう自動航行だ。
さっそくログ爺の船に戻って、作業用ロボットの中に。
『おい。いきなり制御を奪うな』
『ごめんお爺ちゃん。でも試したくって。他の機体も良い?』
『まぁ構わんが……』
『ありがと』
何の作業中かは、デバイスデータで把握できる。
まずは作業ロボットを三機。作業内容は簡単で、ボルトを締めるだけだ。
宙海戦の成果は活かせそうにないけど、失敗しそうに無いから腕ならしには丁度良い。
そう思いつつ作業を開始したのだが、
『……あれ?』
ボルトが上手く入らない。スパナがはまらない、閉める力加減が何かおかしい。
『何をしておるんじゃお主は』
『並行作業が出来るようになった筈なんだけど……まだ機体に慣れてないからかな?』
『宙賊との戦闘で操縦技術が上がるわけなかろう』
『……え?』
呆れ混じりで告げられた言葉に、私は機体を傾けた。
今のお爺ちゃんは私の作業ロボの上空を漂うWSの中。なので見下されてる感が凄い。
『お主な。……ワシ等は美味しい料理を作っているのに、お主は『私もっ!』と言ってボクシングジムに行ったようなもんじゃぞ? 何をどうしたら宙賊と戦って製造技術が上がると思うんじゃ』
『……はい』
まぁ、うん。道理である。
『で、でも平行操縦は出来るようになったし……』
『単機ですら作業を任せられんのでは、どうしようもないの』
『……はい』
無駄な、努力?
かなり集中して頑張った結果が、完全な徒労。
無性に情けなくなった私は、機体をお爺ちゃんに明け渡して、夢の中へと三日ほど逃げ込んだのだった。
まさしく現実逃避という奴である。
そんな事件はあったものの、機体製造を始めてから五年ほど。
完成した試作機が爆発して作り直しと言う事態になったものの、再建造自体はスムーズに進んだおかげでこの期間で済んだ。
試運転も問題なし。
最大出力を試せる場所が無かったのでそちらは未検証だが、理論上は≪可能性ノ柱≫まで一年で往復できるらしい。
まぁ、あくまで理論上。宙海法などの縛りもあるので、法の適用外となる虚空領域までに時間がかかる。なので予定上では二年だ。
それでも、最初の片道五十年に比べれば格段の進歩。
現代科学もさることながら、その知識を更に応用したお爺ちゃんの天才性がこの世界でも発揮されたわけだ。
「遂に出発じゃな。また爆発せんとよいが」
ログ爺の声に。私とお爺ちゃんのWSはレンズを向けてからふわふわと上下に揺れた。
『言っておるじゃろうが。あれは、お主が寸法を間違えたせいじゃ』
「ふん。再建時にエンジンの仕様を変えておいて良くほざく」
『より良い物を目指すのは技術者としての務めじゃろうがっ!』
「自分の失敗を人のせいにするな。それもネチネチと……醜いぞ老害」
『お主が言うなぁっ!』
この二人は相変わらずである。
でもって私も何一つ変わりなし。
深淵領域とは言え、中継器を設置したお陰でこちらにはいつでも来れるのだ。
ユイちゃんの為の機体が出発すると言うだけで、≪可能性ノ柱≫に辿り着くまでは何一つ変わらない。
『……ちゃんと再生できるわよね?』
『こちらに来たばかりの頃だと怪しかったが、今なら問題あるまい。最悪障害が残ったとしても、こちらの技術で治療が可能な範囲に収まるはずじゃ』
『ならいいんだけど。……しっかし、かかったわねぇ』
『お主は幾らか会ってはおるんじゃろ? ワシなんぞ顔も思い出せんぞ』
『五十年は前だし、そんな長い期間でも無かったしね』
ユイちゃんが来て、お爺ちゃんを目覚めさせて、コールドスリープの機械を作って眠って貰った。
その期間は一ヶ月も無かった。食糧事情的にも仕方なかったのだが、お爺ちゃんが顔を思い出せないのも当然ではある。
あれから五十年以上。生身の時よりも遙かに多くの情報を記憶できるようになっているが、得る情報量も段違いなのだ。目覚めたてと言う事もあり、お爺ちゃん的には記憶に残そうという意識が無かったんだろう。
ちなみに私は、相変わらずたまーに会っている。ユイちゃん次第なので不定期だけど、顔を忘れるような事は無い。
『では、行くか』
『うん。……これでユイちゃんが目覚めて、ちゃんと人類生存圏に戻ってくれれば、私達が起きた理由も達成されるわね』
『……そういえば、そうじゃったの』
『ん?』
『いや、なんでもない。では起動じゃっ!』
慌てた様子でエンジンを起動するお爺ちゃん。
聞こえていたけど、ここまで辿り着けたのもお爺ちゃんのおかげだ。責めはすまい。
機体のエンジンノズルから火が溢れ始め、ログ爺の整備艦からカタパルトで射出された。
瞬く間に視認できなくなる新型機。
今後のスケジュールは、宙海法の上限一杯の速度で約二週間飛び続け、虚空領域へ。その後更に速度を上げ、半年かからずに≪可能性ノ柱≫に辿り着く予定だ。
この地に戻ってくるまで、最も遅くても二年。
『じゃ、ログ爺。戻ってきたら換装お願いね? ユイちゃん次第ではあるけど』
「どうにしろメンテは必要じゃからな。結果はどうあれ気にするな」
ふんっと鼻を鳴らしてそう言うが、新機体の武装に関してお爺ちゃんと二人であーでもないこーでもないと騒いでいた事は知っている。
お爺ちゃんは広く深く何でもやりたがる科学者だが、ログ爺は職人だ。自分が手がけた機体、その武装に関しても深く掘り下げたいってのが拗ねたような表情に透けて見える。
まあユイちゃん次第なんだけど。
『それじゃあログ爺。私に用があったらお爺ちゃんに連絡お願い。インプラント手術とかしてないんでしょ?』
「電脳空間、か。あんな仮想現実にかける時間なぞないわ」
『じゃあお爺ちゃん、そー言う事で。ログ爺と仲良くね』
『こんな爺と仲良くするはずが無いじゃろうが』
「そりゃあこっちの台詞じゃ老害」
『だれが老害じゃっ! そういえばお主、新装備の考案期限じゃったろうがっ! さっさと見せよっ!』
「そっちが先に見せろ」
『おう見せてやるわっ! 度肝を抜いてくれるっ!』
そんな感じで仲良しなやりとりを始める二人。
新機体は出来た。出発もさせた。
けど私達の日常は、概ねいつも通りである。