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第一章   宇宙歴532年

 目の前には、小汚い女の子がいた。

『え、は?』

 先程までの頭痛はない。

 逆に意識はえ渡り、全てが認識できる。

 一人用の座席に沈み込んで眠っている少女。

 餓死がししているようにしか見えないほどに痩せ細っているが、生きている。

 そう、生きているのだ。データがそれを証明している。

『何これ? 何?』

 私の声。

 けど、なんか機械っぽい、どこか知らない言語。

 でも、自分が思っている言葉と同じ意味なのだと分かる。

 言語選択は共通語。つまり、これが共通語。

 ……共通語?

『えっと、ちょっと、えー?』

 日本語、英語もあるし、スブラ語とか何か大量にある。

 意味が分からない。意味が分からないけど、目の前の女の子が死にそうだと言う事だけは確かだ。

『……うん、まず、あれね。水と食料』

 水と食料がどこにあるのか。

 それを考えようとした瞬間、吐き気を催すほどの衝撃が私を襲った。

 記憶。

 私が終わるまでの記憶が。

 私が終わってからの記憶が。

 一斉いっせいあふれて、意識を寸断すんだんさせる。

『くそっ』

 吐きそうだ。

 吐けるモノがないけれど。

 泣きそうだ。

 泣ける身体がもう無いけれど。

 だからすべきことを思い出せる。状況を認識できる。

 なにせ今の私には、肉体という器が存在しないんだから。

 真っ暗な世界。一寸先いっすんさきすら目視できないほどの何も無い(・・・・)に包まれた世界だが、今の私には理解できる。

 ほんの少し凹んだ今の私。その凹んだ部分の少し先に、巨大な建造物がある。

 円柱状の、ビルと呼べるほどの巨大さがある建造物だ。

 そこに私がいる。

 多分、今の私がぶつかった部分の先に、私の本体があるんだろう。

 今の私は、小型の戦闘機だ。

 データ上はそう認識できるけど、見た目は球体。脱出ポットって感じだ。

 四世代前のモデルみたいだけど、機能はそれなり。少女が生きているのもそのお陰だ。

 まずは建造物、≪可能性ノ柱≫にアクセスして電力を供給する。

 ≪可能性ノ柱≫は常に回転して電力を発生させている。余剰電力はすでにあふれきっている状態だ。

 なので気にせず遠隔充電。アクセスにはプロテクトがありはするが、今の時代では紙ほどの効果もない薄いプロテクトだ。

 さくっと充電を始めつつ、生命維持だけに使っていた電力を全身に行き渡らせる。

 干からびた肉体に血液が戻ったかのような感覚。

 まぁ今の私には喜べないけど。テンションは最底辺をいずり中だ。

 けど、それでも目の前に救える命がある。

 だから私は、行動を始める。

 まずはコックピットに熱を供給。氷点下を下回る気温で、この少女は良く生きていたもんだと感心する。

 データ的に言えば、そのおかげで運良く仮死状態になって生き延びていたらしいけど。

 まぁ兎に角、行動だ。

 続いて各部位の確認。外気温は絶対零度ぜったいれいどだが、酷い損傷箇所は無い。エンジン出力を上げる事も出来るし、稼働かどう支障ししょうもない。

 ライトを付けると、初めて目の前の建造物を視認できるようになる。

 そこそこ距離を取らないと全体像は見えないほどに巨大な建造物。だが、アクセスできる私にとっては問題なし。

 壁にしか見えない一面に近付き、アクセス。プシュッと音を立てて搬入口はんにゅうぐちがスライドして開き、私はその中へと機体を進めた。

 円柱状の建造物の中は、円柱状の空間があるだけ。でっぱり一つも無く、目に付くのは等間隔に埋め込まれたモニターぐらいなものだ。それも今は稼働していないので、透明なガラスがはまっているようにしか見えないが。

 『おい、この食料とかどうすんだよ』

 『人権屋主導のテロリスト共がすぐそばまで来てるんだ。諦めて最終確認に入れ』

 『もったいねぇ。……あれ、でも閉じたら真空になるんだよな? どっちにしろ電力の無駄じゃねぇか?』

 『そー言うのに対応する余裕がねぇって言ってんじゃねぇか。兎に角、打ち上げた』

 そんな会話が、見てきたように思い出される。

私の死後にわされたやりとりだ。

 眼球すら無く、そんなやりとりを認識できたはずも無いのに。

 もしかしたら、私が記憶と思っているだけで、この建造物に残されたデータなのかもしれない。

 ……まぁ、うん。悩んでも仕方ない。

 食料の当てがあるだけでマシと判断して、私は建造物にアクセスして彼らが閉ざした食料庫を開いた。

ふわりと浮かび上がってくるボトルと保存食。賞味期限は完全にアウトだが、スキャンしてみた限りでは人体に影響は無さそうだ。

 ちょっと多めに出てしまったが、今の私では必要数だけ出したりしまったりなんて出来ない。即座に扉を閉める事で対応して、排出口はいしゅつこうから機内へ食料と飲料を入れる。

 この排出口が何かは、言うまでも無いだろう。衛生的に問題はあるが、ハッチを開かずに機内に取り込む方法が他に無かったんだから仕方ない。

 少女が横たわる座席に穴が開く。それで気付いたらしく、少女は緩慢かんまんな動きで固定器具を外すと、コックピットに浮いた。

 同時に携帯食料とかが浮かび上がってくる。取り込んだのと同じ数がコックピットに入ってきたのを確認し、穴を閉ざした。

 それが何かは分かるのだろう。

 ただ開け方が分からないらしく、少女はペットボトルにみついた。

 まるで野生児だが、現代の技術が違うのだ。

 データを閲覧えつらんしてみた所、どうやら宇宙で使用されるのは球体が一般らしく、水風船のような薄い膜におおわれていて、口に触れて吸うだけで必要量を摂取せっしゅできる仕組みらしい。

 なので私はスクリーンを立ち上げて、開封方法を映像で見せる。

 意識しただけでその映像をつくって投影とうえいできるのだから、今の私は案外凄いのかもしんない。

 ……そう思った所で、気分が晴れる事は無いけども。

 少女が水を飲み始めたのを確認して、私はデータの海にもぐった。

 閲覧できるデータは、この機体に残されているものだけだ。だが、それでも現代を理解するには十分だ。

 宇宙歴532年。

 地球人が、初めて宇宙で他人種と接触した日が宇宙歴元年。馬鹿らしいほどの年月が経ったものだ。

 そしてここは、深淵領域アビスエリア

 未だ人類が立ち入る事の出来ない銀河系間の深みだ。光すら無く、星間物質すら欠片も存在しない、本当の意味での何も無い空間。

 そんな所に流れ着き、≪可能性ノ柱≫にぶつかった。それだけでも宝くじを当てるより低い確率で、更に少女はもぐもぐと食事を始めている。生きてここに辿り着けたというのは、まさしく奇跡だろう。

 と言うか、異常だ。

 航行データは十年分しか無いが、一番古いモノで既にこの宙域へと入っている。

 つまり、最低でも十年この機体で彷徨さまよっていた事になる。

 生体にしても機体にしても、活動できている事があり得ない。更にいえば、録画データと日付を見る限り、十年度頃からその十倍は昔からと言う事になるけど……。

 まぁ、そんなことよりも。

 私は気合いを入れてから、≪可能性ノ柱≫にアクセスする。

 調べたくない。

 確認したくも無い。

 けど、私が私としてここにいる以上、逃げるわけにはいかないのだ。

 逃げようと思えば、全て忘れて夢の中に戻れる。そう分かるから。

(……まぁ、全員が無事って事は無いわよね)

 ≪可能性ノ柱≫に乗っているのは五千人。内二割に当たる千人と少しが活動を停止していた。

 吐けるなら吐きたいし、泣けるなら泣きたい。

 そんな普通の事が出来ないというのが、こんなに辛いとは思わなかった。

 そんなに辛いのに、冷静な私もいる。

 きっとそれは、こうやってデータを操れる存在になってしまったからだ。

 その事実は、少しだけありがたい。

 私は、私として自分の末路まつろを見る事が出来るから。

 機体を空間の端へと移動し、自分が収まっている場所を見下ろす。

 No.5。それが、今の私が存在する場所。

 システムにアクセスし、ロックを解除。ポッドの保温設定を最高へと変えてから、私が入っている水槽をり上げた。

 私が活動しているからか、水槽の中ではポコポコと音を立てて水泡が舞い上がっている。

 その中心にいるのは、私。

 私の、脳みそ。

 ここは脳ドック。人生を終えた者達に――いな、残された者達に希望を残す為の≪可能性ノ柱≫。

 学者、政治家、スポーツ選手等、特定の分野で天才と呼ばれていた人物は多いが、半数ほどは私みたいな一般人。開発初期のクラウドファンディングで一定以上投資した人用の枠だ。

 だからNo.5。

 そんな数字でも、両親の愛情の結果なんだって分かる。

 けど、目の前の私は、単なる脳みそだ。

『あは、あははははははははっ!』

 お母さんは、こんな私を望んだだろうか。

 ただ在るだけ。

 夢の中に戻っても、きっと私はこの私(・・・)を思い出す。

 ならもう、終わりにした方が、幸せなんじゃないかな。

 繰り返す一年。その日々は幸せだけど、空虚くうきょでもある。

 だから、私はもう。

 機体を水槽にぶつけようとした瞬間、ネームプレートが目に入った。

 『天笠奏芽  貴女の、幸せな未来を願って』

「どう、したの……?」

 少女が問いかけてくる。

 その言葉は、ぐちゃぐちゃになった私の思考を、少しだけほぐしてくれた。

『どうしたら、いいんだろ。……今の私は、それ』

「……うん」

『死にたいよっ! ずっと、幸せな夢を見てて、いきなりこれなんてっ! こんなの、あんまりじゃないっ!』

 私の叫びに、少女はもぐもぐしながらモニターを真っ直ぐに見据みすえると、ごっくんと音が出そうな勢いで飲み込んで、口を開いた。

「でも、あなたが、助けてくれた」

 その微笑みに、私は目を奪われた。

「……たから、ありがとう」

 そうとだけ呟くと、少女は事切れたかのように座席に沈んだ。

 慌ててバイタルを確認してみるが、生きてはいる。カメラだけでは見た目の健康状態しか分からないのがもどかしい。

 そんな事を思うと、最新の機種なら適時スキャンして病気などの判別も可能、なんてデータが出てくる。

『……ははっ。あぁ、そっか。私は、ダイブシステムを使ってるみたいなものなのか』

 この機体に蓄積されたデータからしか情報は得られないけど、私にとって未来である現在の状況を垣間見る事が出来る。

 この少女が、この機体に乗り込む事になった経緯いきさつも。

『感謝を言うのは、私の方ね』

 この子がいない状況で目覚めていたら。

 きっと私は、気が狂っていただろう。何も無いこの深淵領域ゲヘナエリアの中で、まだ幸せな夢の中にいる人たちをさげすんで、にくんで、この脳ドック毎破壊する為に行動を始めていたはずだ。

『ありがとう、ユイちゃん』

 なら私は、この子を生かして返す為にまずは生きよう。

 ≪可能性ノ柱≫の不安点もある。

 ただ、そのどちらにしても私だけじゃあ無理だ。

 私みたいに現実を受け入れる事が出来て、私より専門的な知識がある人じゃ無いとどうにもならない。

 だから私は、意識を夢の世界へと戻した。

 自分が脳でしか無いと言う今の記憶を残したままに。


   【夢】


「……うん」

 シャーペンを置いて手をグーパーさせて感触を確かめる。

 やっぱり、これが私だ。

 夢の世界と分かっていても、ちゃんと私としての身体があると安心する。

 スマホを手に時間を確認してみれば、帰宅してから一時間以上経っていた。

 勉強を始めた覚えも無いのにそこそこやっている所を見ると、私がいない間も、この世界の私は私として行動するって事なんだろう。

 その辺りに関しては予想していたので驚きは無い。

 時間の流れも、現実とこの世界は殆ど同じ。

「まぁ、食料も三日分は取り込んだし……大丈夫、よね?」

 今にも死にそうだった少女を思い出して、私は椅子に寄りかかった。

 多分大丈夫な筈。

 スクリーンに書き置きを残してきたし、機体のエンジンもかけてある。凍死や飢え死にの可能性は無くなった。

「……やっぱ良い機体が欲しいなぁ」

 あのモデルでも、グレードが最低でなければ搭乗者のスキャン機能程度はあったのだ。

 今のユイちゃんだと免疫力めんえきりょくが下がってるだろうし、病気が怖い。早めに体調チェックはしたい所だ。

 まぁ、無理だけど。

 その為の道具が無いのだ。深淵領域ゲヘナエリアなんて場所でゼロから人体スキャナを作り上げろなんて不可能だ。

 だからまずは、現実を受け入れた上でその情報を元に打開策を見いだせそうな天才に声をかけるしか無い。

 その心当たりは、ある。

 ロバート・ベリル教授。

 ニュースとかでたまに見かける天才だ。現実世界で≪可能性ノ柱≫にアクセスした時に、彼の名前がある事は確認した。

 私と同じように脳となって登場している事も、あの≪可能性ノ柱≫建造に至った発案者の一人だと言う事も。

「えーっと……えー? でもどうやって連絡取れば……あ、ホームページあるし」

 元は英語だが、今どきの翻訳は完璧だ。

 まぁ何を成したかがずらずらと書かれていて、読む気も起きないけど。

 直通の電話番号は記載されていないが、幸いメールなら受け付けているらしい。

「信じて貰える気が欠片もしないけど……」

 私なら信じない。

 『貴方はもう脳みそだけの存在なんですよ』なんて送って、誰が信じるってのか。最後に『天笠奏芽を信じれば救われます』なんて付けた方が、逆に返信して貰えそうだ。

 もちろんそんな事しないけど。

 返信が期待できそうな要素となれば、≪可能性ノ柱≫に関して言及するしか無い。

 一応はシステムを確認し、構造も理解した。

 けど、それは現実世界でのことだ。あちらならどんな情報でもすぐ理解して飲み込めるだけの賢さがあったのに、こっちの私は相変わらずな天笠奏芽。

 正直『記憶にございません』なんて言えるぐらい覚えてない。……実際言葉にする人は、絶対覚えてる気がするけど。

 兎に角書く。

 まずは『私達はもう脳だけの存在で、その脳は遙か未来に存在しています』と言う胡散うさんくさい出だしから。

 後は、私が見てきた事実を書くだけだ。

 ≪可能性ノ柱≫に関して。その発案者が貴方だと言う事、少なくとも五百年は先の未来である事。深淵領域ゲヘナエリアという場所に存在して、このままだといつかこの世界が終わってしまうと言う事。

 興味を持って貰う為に、兎に角書く。絵心は無いから、兎に角言葉で理解して貰えるように、戦闘機の形状だったり機能だったりも覚えている範囲で書き連ねてゆく。

 興味を持ってくれますように。

『奏芽ーっ! ごはんよーっ!』

「はーいっ!」

 スマホの電話番号をえて、送信をタッチ。

 顔を上げると、既に日は落ちきっていた。

「頑張った……」

 勉強なんかよりずっと頑張った。

 だから、今回の期末テストは絶対に無理だ。多分同じ一年を何百回と繰り返しているはずだけど、覚えていないから答えられるはずも無い。

 赤点はヤバい。

 何百回もあった一年の中で、今年が初めての補習になりそうだ。

 もう、それはどうしようもない。まずはユイちゃんが生きて帰れるように手を尽くさないといけないから。

 色々考えつつ扉を開くと、ソースの匂いが漂ってきた。

 今日はハンバーグみたいだ。

 いつもならそれだけでちょっと嬉しくなる所だが、今感じている喜びは違う。

 家族がいる。

 例え私の空想の産物だとしても、私を愛してくれた家族がいると言う事が、無性に嬉しかった。


「奏芽ぇ、教室で電話はヤバいって」

 親友であるもえにシッと人差し指を立てて返し、私は聞こえてくる声に集中した。

熱烈ねつれるな文章の最後に電話番号を記載してくれてあったからの。こうして電話させて貰ったわけじゃが』

「ロバート・ベリル、教授……」

『うむ。お主の仮説について詳しく聞きたい』

「……あの、本気で?」

『本気で送ってくれたのじゃろう? 少なくとも、ワシにはそう読めた』

 思わず鼻の奥がツンとする。

 あんなメールで電話をくれるどころか、どんな気持ちで送ったのかまで理解してくれるなんて。

「あの、ありがとうございます」

『うむ。それで、これから時間はあるかね?』

「これから? あの、はい。放課後になったので」

『ふむ。位置は……静岡の御前崎じゃな。そこからだと少し遠いが、原発近くの喫茶店に二時間後でどうじゃ?』

 思わぬ意見に、私は思わず息を呑んだ。

 会える?

 確か、アメリカの科学者だったはずだ。なのに、二時間後に?

「あの、それは大丈夫なんですけど……教授は?」

『丁度三日後に静岡で講演会の予定が合っての。余裕があるわけでは無いが、あのようなメールを送ってくれた若人わこうどに興味があるんじゃよ』

「ぜ、是非お願いしますっ」

『うむ。それでは後での』

 リアルタイムで翻訳してくれるが会話には僅かなラグがある。更にいえば日本語翻訳の場合それっぽいニュアンスに変わる為、実際のロバート・ベリル教授とは違う口調の可能性はあるが、何というかもの凄く好感触だ。

 同級生がどっかのアイドルと握手したからもう洗わないとか言ってたけど、こんな気持ちだったんだろうか。

 凄く、ドキドキしている。

 有名な天才教授だ。そこらのアイドルより希少価値は高いだろうし、私がちょっと緊張を感じるのも当然だと思う。

「……ねぇ、今日イオンにクレープ屋来る日なんだけど」

「あっ! ……まぁ、それくらいの時間ならあるかな。じゃあ行こっ」

 萌は金髪に日に焼けた茶色い肌でギャルっぽいが、ちょっとキツい目付きからも分かるように不良のグループと良く連んでいる。

 まぁ女子不良グループは雑な性格な子が多いと言うだけで、不良らしい活動はしていないんだけども。ギャルグループの方が普通にヤバい。

 と言う事で、グループは違うが親友は親友。週に一回、移動販売のクレープ屋さんが半額で売っているので、その日だけは一緒に食べに行く事になっているのだ。

 そう言う日常は、譲りたくない。

 例えこの学校の人全員も、私の認識の産物に過ぎないとしても。

「……なに?」

「何でも無い。新作あると良いね」

「そろそろ夏休みだし、夏の果物使ったのあんじゃねーの?」

「だと良いけど」

 行こ、と萌の手を取って、私達は駐輪場へと向かったのだった。


「はじめまして、教授」

 私が声をかけると、ロバート・ベリル教授はコーヒーを飲む手を止めてポカンと私を見上げた。

 写真で見ると威厳いげんたっぷりだったけど、こうして会ってみれば普通のお爺ちゃんだ。

 ちゃんとしたスーツを纏って、手入れをされた白い髪。そんなちゃんとした身だしなみってだけで普通では無いけども。

『あぁ、すまぬの。本当に女子高校生とは思わず、驚いてしまったわ』

 カップを置いて席を立つと、教授は好々爺然とした笑顔を浮かべて右手を差し出してきた。

『はじめまして。ワシはロバート・ベリル。カナメ・アマガサ君で良かったかね?』

「はい。天笠奏芽です」

 握手を交わして挨拶すると、対面の席を勧めてくれたので素直に腰を下ろす。

 いやぁ、翻訳機凄い。

 教授の右耳に付けてあるヘッドセットが、教授の発する英語を即座に日本語に変えているのだ。今どきの翻訳機は凄いと聞いていたけど、まさかここまで凄いとは。

『好きな物を頼んで良いよ』

「ありがとうございます。それじゃあ……コーヒーフロートで」

『うむ。あぁお嬢さん、コーヒーフロートを一つ。後プリンアラモードを頼めるかね?』

 自然な動作でウエイトレスを捕まえ、注文を済ませる教授。

 何というか、非常に意外だ。科学者=陰キャと言うイメージが強かっただけに、紳士的な動作の教授は非常に格好いいお爺ちゃんに見える。

 と、教授は私と目を合わせると、テーブルに手を置いて真剣な表情へと変えた。

 写真の教授だ。ちゃんと迫力がある。

『では、聞こうか。何故なにゆえ構想段階の話を知っているのか』

「……≪可能性ノ柱≫、ですか?」

『そうじゃ。まだ名前は決まっていないが、脳ドックの建造を考えている。それをどこで知ったのか知りたくての』

「あー。あの、それはメールに書いたとおりで……今から言えば、未来で知ったんですけど」

『つまり未来予知能力者だと』

「あ、あはは。そんなに真っ直ぐ見られても困るんですけど……」

 さすがにこうなるのは予想していなかった。

 会ってくれてラッキー程度にしか思っていなかったのだ。そりゃあまあ公表されていない事実を書き連ねたなら、こう対応されるのは当然だってのに。

 でも、今目の前に頼れるかもしれない人物がいる。

 圧迫面接みたいな威圧感に腰が引けるけど、だからって逃げ出すわけには行かない。これはチャンスなんだから。

「お待たせいたしました。コーヒーフロートとプリンアラモードです」

『ありがとう。コーヒーフロートは彼女に』

 ウエイトレスがいる間はその威圧も霧散むさんするが、いなくなればすぐに威圧を開始だ。

 教授にとってはそれだけ重要な構想なんだろう。

「ちゃんと話しますから、にらむのはやめて下さい。……まずは、私達が脳だって事から話しましょう」

『ワシは、脳ドックの情報をどこから得たのかを聞きたいのじゃよ』

「ですから、そのおかげで私達はここにいるんです」

 コーヒーをちょっと飲んで、アイスクリームをぎゅーっと押し込む。

 氷と気泡がカランコロンポコンと音を立てて上がってくる。

「現在、脳ドックで維持状態にある脳は四千に満たない。千と少しの脳は、活動を停止していました」

『……はぁ。ならばそれに付いて問おう。ワシは、そのような機能を作れるとは考えていない』

 それはそうだろう。

 実際、そのための機器等存在しなかったし、特殊な手術などは行われなかった。

「多分、脳の管理に繋がれたコード。脳波管理の中枢ちゅうすうでシグナルが混ざり、共通の仮想現実を実現させたんだと、思う。夢は個々人のモノだけど、他者の夢が混じれば必然的に共通する現実に収束してゆく。五千人の夢の形、それが今という一年――なのかなぁ、と」

『……ふむ、おもしろい』

 少しは興味を引けたのか、教授はプリンアラモードを食べながら頰をゆるめた。

『ならば、ワシ等が脳だけの存在だと、どう証明する? この場で死んでみせれば良いのか?』

「それだと脳への衝撃が大きすぎるかも。目覚める前に死ぬ可能性がある」

『ならどうする?』

「それはまぁ、外から少し干渉かんしょうすれば良いだけだとは思うけど。実際私がそうだったし」

『ふむ。自分の脳が保存されている区画に戦闘機がぶつかった、だったか』

「うん。けど、いきなりそうやって起こしたら、心が壊れるかもしれない。だからこうして直接話したかったの」

 敬語を無くしたけど、威圧してきたんだからお互い様だ。

 コーヒーフロートを半分ほど飲んで、教授を見る。

「で、どうする?」

『……くっくぅ。おもしろいのぉ。オカルトは好きじゃよ。科学で証明できない次元じゃからな』

「どう思ってくれても結構。ただ、私はどうしても貴方に協力して貰いたい。だから、頷いてくれるなら現実で起きて貰う」

『構わん。やってくれ』

 即答なのは、想定内。

 やれるものならやってみろ、と言う気分だろう。私が逆の立場でもそうする。

 けど、残念ながら現実だ。覚悟は決めて貰わないと困る。

「脳だけだから、身体が無い。一年と言う歳月を何百、何千と繰り返していたという事実を突きつけられる。苦労も、努力も、全部水の泡。大切な人たちでさえ、もう存在しない。……それでも、いい?」

『勿論じゃとも。未来と言う事は、ワシの知らぬ技術も多いのじゃろう?』

 楽しそうな教授。こういう人なら、いきなり脳みそだけになっても大丈夫なのかもしんない。

「じゃあ、ちょっと準備してから起こすから」

『うむ、期待しておるよ』

 教授はニコニコだ。

 本当に期待しているのか、内心では嘲笑ちょうしょうしているのか。

 どっちかは分からないけど、許可は貰った。この性格なら、いきなり発狂するって事は無いだろう。

 そう判断して、私は瞼を閉じた。

 私はもう、この世界が夢だと知っている。だから、起きるだけ。

 今の私から魂が抜けるように意識が浮かび上がり、くずれて消える。

 次の瞬間、私の意識は現実で目覚めたのだった。


   【現実】


『ユイちゃんは……寝てるか』

「ううん。起きてる」

 私の呟きに、ユイちゃんは瞼を開くと身体を起こした。

 まだ顔色は悪いしガリガリのままだが、昨日見た時よりは随分ずいぶんとハッキリとした眼差しで、背筋を伸ばすと頭を下げた。

「ユイです。助けてくれて、ありがとう」

『……っ』

 ズキューン! とハートを射貫いぬかれたような気がした。

 可愛い。見た目は小汚いし目も落ちくぼんで頰はこけてる。お世辞にも可愛いとは言い難いが、女子高生的にはもの凄く可愛かったのだ。

 生身なら抱きしめてるのに。

「あなたの名前は、なんですか?」

『奏芽よ。天笠奏芽』

「カナメ、さん。ありがとう」

『うん……うん』

 凄く可愛い。

 けど、まだ救えてはいないのだ。

 その言葉を素直に受け取る事も、ごまかす事も出来ない。

『ユイちゃん。感謝は後で。まだ、貴女を救えると決まっていないから』

「うん。……でも、嬉しかったの。カナメさんに会えて、良かった」

『……全力は、尽くすから』

 私の言葉に、ユイちゃんはふにゃりと笑うと、倒れるように椅子に沈み込んで寝息を立て始めた。

 やっぱり寝てたんだろう。えとかわきから解放されたばかりの少女には、起きている事すら辛いはずだ。

『うん、頑張らなきゃ』

 健気なユイちゃんの寝顔を目に気合いを入れて、≪可能性ノ柱≫にアクセスする。

 前回は気にもめなかったが、≪可能性ノ柱≫メンテナンス用に無人機が四機ある。その内の一機を指揮下において、起動。現代の科学技術からしてみればかなり頼りない機体だが、私の意識を入れる事が出来るので、教授の器としては十分だろう。

 教授の脳が入ったNo.1の水槽をり上げて、遠隔操作で機体を優しく当てる。

 特殊な加工をほどした強化ガラスとはいえ、ひびでも入れば大変だ。なのでゆっくりと、教授が目を覚ますまで何度もぶつける。

 と、遠隔操作が切れた。

『……お……おおぉぉ……』

『教授、起きた?』

『うむ、うむっ! くっ、かっかっかっかっかっ!』

 私の時みたいに壊れた――かと思いきや、教授はひとしきり笑うと楽しげな声を続けた。

『素晴らしいっ! 素晴らしいではないかっ! まさか本当に未来だとはっ!!!』

『……えっと、大丈夫?』

『大丈夫なものかっ! その機体に残されたデータだけでは物足りぬっ! あぁ、口惜くちおしい。どうにかして外部と接触を取るすべを作り上げんといかんの』

『あ、うん。そのために呼んだんですけど』

 順応が早い。

 これがとしこうって奴なんだろうか?

『そこの少女を救いたいわけじゃな? 無論、協力しよう。じゃが、その前に≪可能性ノ柱≫じゃな』

『あ、やっぱりまずい?』

『うむ。ワシ等のせいでそれなりにの。まぁそれでも百年は保つじゃろうが』

『……私達のせい?』

 私が首を傾げると、意識の中にいくつかの映像が開いた。

 データで送ってくれたんだろう。時間やら光速やら、数式付きだったりでかなり色々と書いてある。

 まぁ読みませんけども。

『幾らワシがベースを作ったとは言え、現在においてはお粗末そまつとしか言い様がない建造物じゃ。そんなモノが何故何百年も問題なく稼働していると思う?』

『ん~……宇宙だから劣化しない、とか?』

『ほぅ。ほぼ正解じゃ』

 まさか正解を貰えるとは思わずに少し驚くも、教授はこっちの様子など気にした様子も無く言葉を続ける。

『重要なのは深淵領域アビスエリアであると言う点じゃな。何も無いが故に、時も流れておらぬのじゃよ。本来ならば』

『……はい?』

『ざっと確認してみたが、外部発電機関が停止状態にも関わらず充電には十分な余力がある。おそらく、存在自体がこの次元から消えていたが故に、本来消費するはずだったエネルギーが極小で済んだのじゃろう』

 はい、意味が分かりません。

 そんな私の胸中を読んだのか、教授は更に続ける。

『シュレーディンガーの猫、アレと同じじゃよ。何も無い空間に包まれ、かつ認識されていない以上存在そのものがこの次元からは外れていたのじゃろう。そこにその戦闘機がぶつかり、お主と少女の認識が発生した。これにより初めて時が認識されたと言うわけじゃ』

『はい』

 教師相手なら相づちを打っておくだけなのが一番だ。

 下手に疑問を口にすると、分からない事を更に掘り下げて説明されるだけだし。

『周囲の環境に引っ張られてこの建造物そのものがコールドスリープに似た状態へと移行していた可能性もあるが……水溶液すら劣化していない点を見るに、時間という概念がいねんから外れていたと見る方が妥当じゃろう』

『……この脳みそを維持してる水って、劣化するの?』

『当然じゃろ? 巡回させている血液も劣化する。脳細胞の維持に必要な分だけじゃから、装置は半永久的に活動可能と試算しておったのじゃが……こちらもてこ入れが必要じゃの』

 よく分からないが、教授の口ぶり的に急ぎでどうこうという問題では無いのだろう。

 ほっと胸を撫で下ろしたものの、現状を思って内心で苦笑する。

 何せ私は球体の戦闘機。そして教授は四角い小型のメンテナンスロボットなのだ。会話自体は繋がったリンク上で行っているとは言え、二種の機械がただ見つめ合っているというのは異様な光景の筈だ。

『ふむ。随分ずいぶんと余裕がありそうじゃの?』

『私に出来る事なんて無いしね。で、どう?』

『……何に付けても道具が足りぬ。≪可能性ノ柱≫をバラさざるをえんな』

『大丈夫なの?』

『現代科学からしてみれば無駄の多い施設じゃからな。データを送る』

『あいあい』

 受け取ったデータには、≪可能性ノ柱≫の設計図やこの戦闘機の設計図、改造案、外すべきパーツの位置なんかがかなり細かく表示されていた。

 さすが天才。脳だけだと言う現実に戸惑いもしないし、すぐにこんなことをやってみせる。

 ……私なら、この設計図作るだけで何年か必要そうだなぁ。

『あれ? コックピット無くなってるけど』

『データを見る限り、その少女が生きている事は奇跡に他ならん。その奇跡をもう一度と願って送り出したいのならそれにうが』

『計画通りで大丈夫。……けど、じゃあユイちゃんはどうするの?』

『ポッドで眠って貰っていた方が良いじゃろうな。その為の設備なら簡単に作れる』

『でも、それって……』

コールドスリープ。

 仮死状態にして生命を維持する手法だ。ユイちゃんがここに辿たどり着けたのも、偶然この状態になったからという面が大きい。

 けど、リスクは高い。

 生き返るという保証は無いのだ。ちゃんとした機器があれば兎も角、この環境ではそのまま死んでしまう可能性の方が高い。

『偶然仮死状態になるのを祈るよりはマシじゃろう』

『それは、そうだけど』

『兎に角、行動じゃ。ワシは、一分一秒でも早く外の世界を知りたい。その戦闘機のデータだけでは物足りんわ』

『……まぁ。確かにそっか』

 私一人ではどうしようも無かった状況が一変したのだ。

 今はやる事が、やれる事がある。ユイちゃんに関しては後で本人に確認するとして、まずは行動だ。

 戦闘機では作業も出来ないので、教授と同じメンテロポを稼働させ、意識をそちらに移す。

『あ、そういえば教授。私がこっちに来た後の私、どーなってた?』

『ん? あぁ、普通じゃったな。と言うか、あれがこちらの世界を知らない場合のお主なんじゃろう。……何の話してましたっけ? なんて言われて、はかられたかと思ったがの』

『……威圧したんでしょ』

『かっかっかっ! そりゃあ騙されたとなれば睨みもするわい。あまりにも見事な変わりようじゃったから、そこまで酷い対応はせんかったがな』

『そんなに?』

『うむ。状況が分からないのかキョロキョロして、気弱そうな雰囲気になっておったの』

『……まぁ、うん。いきなり目の前に知らないお爺ちゃんがいたら、そう言う行動すると思う』

『これでも有名なつもりなんじゃが』

 ちょっとさみしそうにそう呟きつつ、教授はアームを動かして床を剥がしてゆく。

 床、というか壁というか。≪可能性ノ柱≫の内部は空洞になっているので、一面が壁でもあり床でもある。そこを剥がしているのだ。

 脳の維持以外には余計な装置が殆ど無い為、鉄板だけならかなり多い。外壁から内壁までの間が空洞では無く金属でみっちり詰まっているのは、宇宙空間での安全を考慮した結果らしい。

 おかげで、素材だけなら十分な量だ。設計図通りに加工するとなると……うん、年単位で必要そうだ。

『まずはコールドスリープ用のスペースを作るぞ。幸い空にしていいポッドも多いからの。一通り綺麗にして、コールドスリープ用のポッドが完成したら発電施設の修理じゃ』

『はいはい』

『あと、その子には早めに話を通しておくんじゃぞ? 嫌だと言われたら、他の手を考えんといかんからの』

『……食料の問題もあるしね』

 ここの建造に携わった人の食料が残っている程度なのだ。熱中症対策とかなのか、水や塩タブレットなど生きていくのに必要な物はそれなりにあり、食料も高カロリーのバーがかなり残っているが、それでも二ヶ月が限度だろう。

『分かった。今度起きたら聞いてみる』

『うむ。……あぁそうじゃ。こちらにはどうやって来ればいい?』

『ん?』

『元の世界への帰り方は何となく分かる。寝ようとすれば良いだけじゃろ? なら、今のボディにどうやって戻ってくればよいのじゃ?』

『さぁ? でも、あっちに行けば分かるわよ。私だって分かったんだし』

『そう言うもんかの』

 教授は若干不満そうだけど、私から言える事なんて他に無い。

 実際、何となくであっちに行ったりこっちに行ったり。機体に意識を移すと言うのも、何となくでやってるに過ぎないわけだし。

『うむ。まぁ兎に角、外の世界目指して頑張るぞっ!』

『おーっ!』

 お爺ちゃんのやる気満々の声に、私もロボットの右手を挙げて声を返したのだった。

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