第10話:観光地
朝日が昇る少し手前。レゼント家の屋敷では、ファールは予定を頭の中に叩き込みながら誰も居ない廊下で声を掛けた。
「成果はあったのか」
「まぁ……ボチボチ?」
「……」
その言い方に、ファールが怒りを込めて睨む。
それを察したのか、報告した人物は慌てて「待て待て」と早口になる。
「もうちょい、待てって。尻尾は掴んだし、証拠もある。あとは、こっちで拷問っぽい事をすれば――」
「お嬢様に聞かれたくない。改めてろ」
「うぐぅ、了解……。な、俺さ。お嬢様にもう仕えても良いと思わない?」
「思わない」
「即答かよっ……!!! 自分ばっかり、ずっと傍に居るのズルいわ」
舌打ちしながら、姿を現したのはファールと同じ20歳の男性だ。
ふくれっ面に機嫌を損ねるのは、1人娘のカトリナに会えていないからだ。彼自身、幼いカトリナをずっと見てきた。と、言うよりはファールと同じく護衛として後をつけていた。
公爵家。
貴族の中でも高い地位を示している。が、全ては良いというのは難しい。その中で、黒い噂のある貴族は一定数ではいる。そして、そういった目に見えないものはどういった形で姿を現すか分からない。
暗殺者を雇う。傭兵などを秘密裏に雇って、脅せる材料を作る。濡れ衣を着せ、地位を貶めるなどといった汚いやり方をし互いに蹴落とす。そういった危険を察知し、あらゆる状況でも対処できるようにと鍛えられてきた。
ファールをカトリナの専属としているのも、1人だけしか執事が居ないという事を印象付ける為。そんな彼のサポートをしながら、情報収集をしているのがもう1人の護衛であるアリータだ。
「仕方ないから、これを」
「ん?」
そう言われファールから受け取ったのは、手のひらサイズのラッピングが施された包み。なんだろうかと首を傾げる。
「お嬢様が日頃からお菓子を作られているのは知っているな? 最近、王城に行く時やルーカス様に会う時に持って行っている。本人は失敗作だからとあとで食べる気でいたんだが、内緒で持ってきた。本当は俺が食べる気でいたが……」
「貰うぞ♪」
警戒心を抱いた自分を呪いつつ、嬉しそうにしながら中身を見る。
クッキーだが、所々に焦げ目がある。パクッと1つ食べれば、少し固い。だが、アリータは関係なく咀嚼し嬉しそうに食べている。
「俺はお嬢様の事をよく知ってるのに、向こうは全然知らないからなぁ。……すっげぇ、不公平だわ」
「代わりに手柄はよく立ててるだろ」
「……全部、お前の手柄って認識をされてるんだが?」
「ふっ、それはない。悪いが気付いている人物が2人いる。ラング様にルーカス様だ」
「あぁ、犬王子……。マジで鼻が優れてるんだな。げっ、何回か目が合った感じがあるけど分かってたのか。ゴロゴロお嬢様に甘えてるのに、時々ピリッとした視線が来るのってそれな訳ね」
アリータは幾つか心当たりがあるなと思いつつ、ルーカスの評価を改めた。
それじゃあ、と懐からメモを取り出しファールにヒラヒラと見せる。
「これ。ファールが行くより俺が報告した方が良いか?」
「なら事前に話をしておく。脅威を排除すれば、旦那様から仕えても良いと指令が来るんじゃないか?」
「お、マジ? お嬢様、自覚ないんだろうけど褒め上手だからなぁ。あれで絆されてる連中は多いし、ディル・グランレス様が良い例だよな」
「……どっちもどっち、だな」
「え?」
ボソッと言った一言にアリータは反応をする。が、ファールは気にするなと言われ追及するのを止めた。そんな2人の傍に、足音を立てずに近付く影が1つ。
「ファール、アリータ。そろそろお嬢様を起こしに行くわ。報告は済んだの?」
薄いピンク色の髪を後ろで結び、キリッとした表情の女性。ファールと同じくカトリナの専属を務めているクーヤだ。
「分かった。はぁ……今日も師団に行くのかと思うと気が重い」
「そう言えば、目を付けられたんだよなぁ。お疲れさん」
「リファル師団長の情報網を甘く見てた。向こうはこちらの事を把握しているんだ。下手に逆らって、お嬢様に何を知らせるか分かったものじゃない」
「魔法オタクは、変人さん……ってか」
「じゃ、いつもの通りに屋敷の周辺とお嬢様の警護を頼むぞ」
「「了解」」
アリータはそう言って姿を消し、クーヤはカトリナの部屋に入り準備を始めた。
ファールは懐中時計を取り出し、カトリナの父親であるカラムへとある報告をしに行った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「来週……ですか?」
「うん。予定がなければ、デートしたいんだ。大丈夫、ラングに押し付けるから」
「倍に増やすぞ」
「……これ、から……頑張るもん」
ラングに脅されたルーカスは、涙目ながらも書類にサインを書き進めていく。手を握られているカトリナは、その光景に苦笑しつつある文字に反応をした。
「カータス地方……。確か、お花の生産量が多い所ですよね。領地の管理をしているのが、リズラーブ公爵家でしたし」
「そうそう。お花を色んな加工品にしたりしてて、特に香水の生産量が凄い所。観光地としても有名だし」
ラングがピクリと反応をする。
一瞬だけ止まった手は、すぐに再開された。それを見ていたファールは、見て見ぬフリをしカトリナとルーカスに紅茶を注いだ。
「ん……。これ、カタース地方の花が原料になってる?」
「流石です、よく鼻が利きますよね。ルーカス様の言う様に、その地方で採れる花の中でも甘い香りが強く出るものを選びました」
「え、そうなの。……全然、分からなかった」
「平気ですよ、お嬢様。普通は分からないです。犬並みの嗅覚を持っているルーカス様だから、この違いに分かるというだけです」
「やっぱりルーカス様、凄いです」
「もっと褒めて褒めて」
「カトリナ様、僕も褒めて欲しい!!!」
バンッ!! と、勢い良く執務室に入って来たのはディル。その後ろにはリンドの咎める声が聞こえてくる。ラングが睨んでいるのが、分かるのに無視をした。
ファールが笑う一方で、カトリナは青ざめた。
「ディル、あの――」
「カトリナ。もっと褒めて良いからね」
「カトリナ様。僕に癒しを下さい!!!」
そして、その後ろからほぼ足音を立てないで近付いてくる人物がいる。ラングだ。
ますますカトリナは顔を青くした。誰か助けてくれないかとチラッと見るのだが。
「じゃ、こっちの報告はやるから。君達の方はどんな具合?」
「俺達の方も動いてます。旦那様から徹底的にと言われましたし」
「わっ、流石……。なら、予定の調整は任せておいて。魔法師団の連絡も私からしておくし」
「ありがとうございます、リンド様。こちらお嬢様がお作りになったブラウニーです」
「ありがとう。騎士団でも人気高いんだよねぇ……。今の内に貰わないと」
助ける気がないのが分かり、ルーカスとディルに止めるように言う。だが、それよりも早くラングが2人の頭を掴み「おい」と脅す。
「君等、こんなところで油を売ってて良いの? バカ犬の予定に合せてるんだから、さっさとしろ」
「「いだだだだっ!!!」」
「ほら、この資料を読んで他に指示を飛ばす。ディル、君はリンドの報告書を持って師団長に報告。……出来るな?」
ラングの後ろにはリンドがその報告書を持ちながら「行くぞ~」と、緩み切った顔で言っている。なんなら、ファールから紅茶を貰いつつ軽くマッサージすらされている。
(なにあの、待遇……!!!)
「もちろん出来るな?」
「「……はい、やります。やらせていただきます!!!」」
涙目ながらも、これ以上怒らせたくないのだろう。体を震わしながら、2人がそう答えるとラングは席に着いた。黙々と作業を進める彼に、ディルは最後にぎゅっとカトリナの手を握りリンド共に出ていく。
一方のルーカスは、ギリギリまで手を握りながら地獄の書類整理を終わらせた。こうした作業をカトリナは1週間見る事になり体調がつい心配になった。
「あともう少しだよねぇ~。あぁ、花のいい香りが……」
「はぁ~。王子の気持ち分かるわ。カトリナ様って、撫で上手ですね」
「そんな事言われたの初めてだよ」
「いや~。幸せってこういうのかって思います」
「ディル。カトリナは私の婚約者なの分かってる?」
「分かってますよ。でも、カトリナ様が癒しなの分かります」
馬車に揺られること半日。
カトリナは、両サイドで横になっているルーカスとディルを労わる。その光景にファールは「貴方達は……」と咎める様な声を掛けるも揃って無視。
彼等の乗る大きな馬車は全部で2つあり、1つはカトリナ達が乗っている方。もう1つは、お泊り用の荷物が一緒にされていた。念の為にレゼント家の使用人が1人見張りとして乗っている。クーヤは隣を見て一言。
「勝手に入らないで下さい。ファールにバレたら怒られるけど」
「ちょっと位は休ませろって。……ってか、さっき王子が睨んだっぽいし。密かについていくよりは、堂々と付いて行く方が良いなって思ったんだ」
「そう言う事にしておくけど。自分で責任を取ってよ」
「おう。……ま、見た目は観光地なんだけどな」
ラーゼルン国から南に位置するカタース地方。
様々な花が植えられ、その花々たちによって色鮮やかな観光地として知られている。ルーカスは、ここに観光デートと評しての視察を決行した。
ある決着をつける為に――。