罰ゲームは、恋の始まり?
来栖 蒼。それが俺の名前だ。容姿、勉強、運動どれをとっても平均を外れない、まあ世間一般に言う平凡な男子高校生、というやつだと思っている。そんな俺は今絶体絶命のピンチに陥っている。具体的には、他の友人たちが持っていない、あるいは一枚しか持っていないトランプのカードを、俺はいまだ5枚ほど握っていた。このままでは、負ける。というより、もう逆転は不可能だった。そう、おなじみのゲーム、大富豪である。
(くそ、なんで今日に限って……。最悪だ)
俺は仕方なく、残り一枚となっている友人の持ち札を取る。これで、カードを持っているのは、俺だけとなった。すなわち……
「これで、来栖の負けだな」
放課後。クラスに残ってトランプの大富豪をいつものメンツでやる。俺にとって、いつもの当たり前の光景。……なのだが、この日ばかりは事情が違っていた。
発端は、友人の一人のこんな発言だった。
「じゃあ今日はなんか罰ゲーム付けようぜ。ジュースおごりみたいな普通のじゃなくて、もっとハードな奴」
何言ってんだこいつ、と思った。どうせみんなから反対されて、結局いつも通りの無難なルールに収まるだろう、と思った。んだけど……
「いいな、たまには」
「だな」
「じゃあどんな奴にする?」
どうやら今日は俺以外のみんなの頭のネジがどこかに飛んで行ってしまってたようで、こんな調子であれよあれよという間に話がまとまってしまった。そして結局、
「じゃあ、負けた大貧民はうちのクラスの女子のだれかに告白してOKをもらってくる、でいいな!」
「異議なし」
「同じく」
──うっそだろオイ。なんでよりにもよってそういう他人巻き込むようなのにするのか。まあ、高校二年生の思春期真っ盛り、恋愛とかもしたい年頃ではあるけど、こんな形で告白はさすがに御免だし、そもそも罰ゲームの内容で相手からOKをもらうまでが含まれているって、それ無理ゲーでは?
「いや、お前ら、さすがにそれは……なあ?」
「お?怖いのか?大丈夫だろ、お前今まで大貧民で終わったことほとんどないし」
いや、そういう問題ではない。俺が怖いとかじゃない。こいつら、クラスの女子たちにこんなことをしてるなんてばれたら大変なことになるって理解してないんだろうか?ただ、そういう風に臆病扱いされたことに少しイラっとしてしまった。だから、つい調子に乗ってしまった。
「はいはい、わかったよ、やればいいんだろやれば!受けて立ってやるよ!」
俺の罰ゲームが決定したのは、このわずか15分後だった。
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その次の日の朝、登校するが早いか友人たちが俺に向かって意味深な笑顔を浮かべて声をかけてくる。
「じゃあ、しっかりやれよー」
一日経ったら抜けたネジも戻ってくるかと思ったが、そんなことはなかったようだ。明らかに楽しんでいる様子の友人たちを尻目に、自分の席に着く。
「今日は厄日、かな……」
ため息をつきながらそんな意味不明なことをつぶやいてしまう。
「……、おはよう。どうかした?」
「あ、ああ、おはよう、雪村さん。いや、ちょっと考え事」
「そっか」
一人の女子生徒が隣の席に座る。俺のことは今のやり取りで興味が尽きたのか、いつも通り鞄から一冊の文庫本を取り出して読み始めた。
雪村すみれ。それが彼女の名前だ。成績優秀で容姿もいわゆる大和撫子といった感じの美人だが、意外なことに、クラスの男子の話題にはあまり挙がらない。まあ、落ち着いているといえば聞こえはいいけど、いつも本を読んでるし、休み時間もすぐに図書室に行ってしまうしで、男子からすれば、地味で存在感が薄い、という認識になっているようだ。俺はといえば、2年生になってからずっと席が隣で、さっきのように簡単なやり取りならそこそこすることもあってほかの男子ほどそういう印象は持っていなかった。
(まあ、だからといって好きなんですか?と言われたらそういうわけではないんだけど、なあ)
そう、別に恋愛感情を持っているわけではない。当たり前だ。いくら席が隣でそこそこ話すからと言って、それだけで恋に堕ちてしまうほど俺も惚れっぽくはない。
(なのになんで、雪村さんに告白、なんてことになっちゃったのか……)
そう、昨日のあの罰ゲームの相手は、雪村さんに決まってしまった。なんで雪村さんになったのか、というと、
「じゃあ、相手は誰にする?」
「うーん、そうだな。……そういえばお前割と仲いいし、雪村さんとかでいいんじゃない?なんか、断らなさそうだし」
とかいうあまりにも最低な理由で、友人たちによって半ば強制的に決定してしまった。段取りとしては、どうにかして約束を取り付けてから放課後に屋上で告白しろ、らしい。
(まあ、馬鹿正直にそれに付き合う必要はない、よな)
もちろん、こんなばからしい罰ゲームに付き合う気はない。俺も、雪村さんも誰も得しない。屋上には誘うけど、そこで罰ゲームについてすべて話して謝ろうと考えていた。あいつらも屋上の様子をのぞき見するかもしれないが、その時は無理やりまとめて謝らせよう。となると問題は、いつ誘うか、だ。仮にも放課後の屋上に女子を誘うわけなので、あまり目立つといけない。となると必然的に、雪村さんが一人でいるときになる。昼休みだ。昼休みなら彼女は図書室に行くはずなので、そこでなら他人に見られる心配もないだろう。
予鈴がなり、午前中の授業が終わる。するとさっそく、雪村さんは図書室に向けてさっさと席を立ってしまった。
(いつも思うけど、昼飯も食わないで図書室に行くんだよな……腹減らねえのかな)
今日ばかりはしょうがないので俺も昼食はあきらめて図書室に向かう。うちの学校は、近くに大きな県立の図書館があるとかで、本好きの生徒でもあまり立ち寄ることはないらしい。まして本なんて読書感想文のために呼んだくらいしか読書経験のない俺にとって、そこはほぼ未知の場所だった。
(ほんとに人いねーんだな……)
図書室に入って早々、そんな感想を持つ。そこには司書の先生を入れても片手で数えられる程の人数しかいなかった。決してこの図書室が狭いわけじゃなく、そこそこの大きさなのも相まって、かなり殺風景な印象を持った。ただその人数の少なさのおかげで、探していた人物はすぐに見つけることができた。探していた人物──雪村さんは本棚の前にしゃがんで、横に置いてある大きな段ボール箱の中身と何やらにらめっこしていた。
「雪村さん?今、ちょっと大丈夫?」
「ひゃ、ひゃいっ!……って、く、来栖君?」
いつまでも眺めていても仕方ないので、声をかけたはいいものの、あまりにも予想外な素っ頓狂な声をあげられてしまい、こっちまで動揺する。
(なんだ、今の……結構、可愛い反応するんだな)
そんなこっちの心の動揺を知ってか知らずか、すぐにいつもの様子に戻った雪村さんは、横に置いた段ボール箱の中身を指さした。
「これ。今月ここに入った新刊なんだ。これからそれぞれのジャンルに分けてしまうところ」
「そ、そうなんだ。でもなんで雪村さんが?そういうのって、司書の先生の仕事なんじゃないの?」
「ほんとはそうなんだけど、先生も忙しいから。実際、この広さを先生一人で管理するなんて無理だし。だから、最近は仕事を手伝える範囲で手伝ってるの。この学校、図書委員とかもないし」
「そっか、だからいつもすぐに図書室に行ってるんだ」
「うん。先生の厚意で、奥の準備室でお弁当食べさせてもらって、それから少し、ね」
なんだ。別に昼飯食ってないわけじゃなかったのか。そのことに妙に安心してしまう。俺にそんなこと関係ないはずなのに。
「来栖君こそ、どうしたの?なにかあった?」
「いや、とりあえず今はいいや」
さすがに作業を中断させるのも悪い気がして、とりあえず出直そうかと考える。けど……
「それより、その量はちょっと多いんじゃないのか?少し手伝うよ。あんまり図書室の配置とか分かんねーから、言ってくれればそこに持ってく。結構重いだろ、その箱」
そんなことを口走っている自分に驚く。こういうめんどくさそうなことは、極力近づかないようにしていたのに。
「いいの?……なら、お願いしてもいいかな。実際、昼休みだけじゃ終わらないから放課後もやろうと思ってたんだ」
「まあ、その、気にすんな。これが片付かないと、こっちの要件も言えないからな」
今まで見たことないような可憐な笑顔でそんなことを言うものだから、気恥ずかしくなって少しつっけんどんな態度で返してしまう。でも雪村さんは気にした様子もなく、こちらに本を数冊手渡してきた。
「じゃあ、これとこれと、あとこれも。全部あそこの棚の本だから、五十音順になるように並び替えて入れてきてもらえるかな?収まるだけの余裕はあると思うけど、もし入らなさそうだったら無理しないで私に言ってね。無理して破けたりしたら大ごとだから」
そう言う雪村さんの目は真剣そのもので、ほんとに本を大事にしているということが伝わってきた。ならば、手伝うといった以上、こっちも真剣にやらないといけない。気を引き締め、雪村さんに手渡された本をしっかりと両手で受け取った。
(あれ?なんで俺、こんなにマジになってんだ?ただ、雪村さんに放課後屋上に来てもらうように言うだけなのに)
心の中に湧き上がってくるそんなもやもやした気持ちを押し込めるように、黙々と作業を行う。初めての作業で分からないこともそれなりにあったが、その度に雪村さんが分かりやすく教えてくれたので、意外とスムーズに作業は進んだ。
「あ、チャイム」
「さすがに終わらなかったか」
昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴る。段ボール箱の中身はまだ四分の一ほど残っていた。
「じゃあ、残りは放課後に私がやっておくね。ありがとう、来栖君、手伝ってくれて」
「別にこれくらい、気にすんなよ。あと、放課後も手伝うよ」
「え、いいの?無理しないでいいよ。……そういえば、私に何か用事があったんじゃなかった?」
「ああ、放課後に少し時間とれないか、って聞きに来たんだ。でもこの調子じゃそれどころじゃないだろ?そういうわけだし、手伝うよ。ほっとくのも後味悪いしな」
「そっか、ありがと。……やっぱり、来栖君は、優しいね」
ありがと、から先は小声で聞こえなかった。
「まあ、とりあえず、教室戻ろうぜ。授業始まっちまう」
「うん!そうだね、早く戻ろ!」
見たことない位上機嫌な雪村さんと一緒に、教室に戻る。道中、本のことやクラスのことを話しながら戻ったので、授業に二人そろって少し遅れてしまったことは内緒だ。
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放課後。再び図書室で、雪村さんと一緒に昼休みの作業の続きをする。ほんと、普段の俺とはあまりにかけ離れた行動だ。手伝っても自分に得は一切ないはずなのに。
(いや、そういうわけでもないか)
雪村さんと色々話ができるし、とか考えて、すぐにそれを撤回する。雪村さんとは席が隣なだけだ。だというのに、こんな考えが浮かぶなんて……。ほんと、今日はどうかしている。それもこれも、昨日の罰ゲームのせいだ。さっさと仕事を終わらせて、そのあと全部話して謝ろう。そうすれば、明日からは今まで通りの、席が隣同士なだけの関係に戻れるはずだ。
(なんか、それはそれで、いやだな……って、本当にどうした、俺)
ブンブンと頭を振って思考を中断させる。どうにもいつもの調子じゃない。
「?どうしたの?疲れたなら、少し休憩する?」
「い、いや、大丈夫。もうほとんど残ってないし、さっさと終わらせよう」
「う、うん。無理はしないでね。もともと私が一人でやるものだったんだし」
こちらの顔を覗き込んでくる雪村さんに異常なほどドキドキしながら、何とかそれだけ言い返して、作業に戻る。ちなみにこの時、雪村さんの顔もまた異常なほど真っ赤になっていたが、それには気づくことできなかった。
「よし、これで終わりだな」
「うん、ありがとう、来栖君。おかげで助かったよ」
「いや、結局放課後まで かかっちまったし。雪村さん一人でやってても、あんま変わらなかったんじゃない?」
放課後になってから大体30分後、ようやくすべての本を所定の棚にしまい終わり、ようやく作業終了となった。
「ふふっ、そんなことないよ。来栖君がいなかったらもっと時間かかってたと思うし、それより、ずっとこういう作業を一人でやってたら、気が滅入っちゃうから。そういう意味でもいてくれて助かったよ」
「そ、そうか……なら、手伝った甲斐があったかな」
「うん。手伝ってくれてありがと、来栖君。……それで、来栖君の用事って、何だったの?今からでも大丈夫?もう時間もそこそこ遅くなってるけど」
「ああ。用事、用事な、そうだった。まあ、別にそこまで時間は取らせないし、何なら場所もここでいいし、大丈夫」
まあ、ほんとに告白するわけじゃないし、別にここでもいいだろう。都合よくほかに利用者もいないことだし。
「少し長くなるけど。実は……」
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俺は昨日の出来事と罰ゲームの内容を一通り話した。
「そういうわけで、もしあいつらからなんか聞かれたら、適当にごまかしといてくれ。その、ごめん。雪村さん。あいつらも悪気があったわけじゃないとは思うんだけど」
そこまで一気にしゃべってから、雪村さんの様子を改めて見てみる。雪村さんはうつむいていて、表情までは伺えなかった。
「つまり、来栖君は、私に告白しようとは思っていない、ってこと、なのかな……?」
「ま、まあ、そうなるかな」
「そっか、そう、だよね……」
そう呟きながら、雪村さんの顔がゆっくりと上がって、俺と目が合う。その目には、なぜか、涙が浮かんでいた。
「え、ど、どうした!やっぱり、罰ゲームのダシにされるのは嫌だよな。当たり前か、あいつらには思いっきり言っといてやるから、どうか許してくれると…」
「ううん。そうじゃない、そうじゃないの」
雪村さんはそう言いながら俺をまっすぐに、穴が開いてしまいそうなほどしっかりと見つめてきた。何度かためらうそぶりをしながら、それでも、口を開く。今度は、その顔が真っ赤に染まっていることに、気づいてしまった。
「私は、私はね、思ってたよ。いつか、来栖君に告白しよう、って。好きです、付き合ってください、って言おう、って」
「え……?」
「でも、来栖君はそういう風には思ってなかったんだよね。それが分かったら、なんだか、泣けてきちゃって。ごめんね、来栖君。困らせちゃったよね」
あまりにも唐突な告白に理解が追い付かない。雪村さんが俺のことを?考えもしなかった。というかこの状況、俺にはそんなつもりは全くなかったけど、雪村さんは、振られたと思っているんじゃ。でないと、あんな風に涙を流したりしないはずだ。でも、俺は、その告白を断ろう、という気は一切起きなかった。
「雪村さん」
「え?」
「今日は、雪村さんのことをこうやって手伝えて楽しかった。色々話もできたし、雪村さんのことも知れたし。だから、俺はもっと色々知りたい、かな。雪村さんのこと」
「ど、どういうこと……?」
雪村さんが何かを期待するようにこちらを見つめてくる。その表情は、やっぱり可愛らしかった。
「正直に言っちゃえば、この気持ちがいわゆる恋愛的な”好き”ってやつなのかは、分かんねーけど。でも、雪村さんと一緒にいたら楽しいのは、間違いないから。だから……もし、もし雪村さんがそれでもいいなら。俺は、雪村さんの気持ちに、告白に、応えたい」
今までの人生で最も緊張しながら、何とか言い切る。言った通り、まだ好きだとかそういう感情があるわけじゃない。でも、雪村さんが、俺のことをそう思ってくれているのならば。その気持ちに応えたい。それは噓偽りのない気持ちだった。
「それでもいいなら、って、いいに決まってるよ。ありがとう、来栖君。そ、それじゃあ、もう一回、ちゃんと告白させて?」
雪村さんは小さく深呼吸する。もう、涙は乾いていた。
「来栖君、好きです。私と、付き合ってください!」
ここが図書室だとは思えないほどの大きな声で、床に頭がついてしまうのではないかというくらい深々と頭を下げながらの告白だった。答えは、もちろん決まっている。こちらも大きく深呼吸をして、深々と頭を下げて答える。
「はい、よろしく、お願いします」
こうして罰ゲームから始まった告白劇は、関わった全員が予想してなかっただろう結末を迎えた。
──俺が、雪村さんに本当の意味で恋をするのは、これからほんの、ほんの少しだけ後のお話。
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この告白劇から遡ること約2か月、まだ学年が上がったばかりの頃──
「あれ……?」
鞄の中から文庫本を一冊取り出す。ところがそこに挟まっているはずの栞が、なぜか見当たらなかった。
「どうしよう……」
とりあえず鞄の中を探すが、見つからない。どうしよう。栞をくれたあの子の顔が思い浮かぶ。あれは、あれだけは、なくすわけにはいかないのに。
「どうした?なんか探してるのか?」
「あっ、来栖君……実は」
動きで気づいたのか、隣の席の来栖君が声をかけてくれた。藁にも縋る思いで、栞をなくしたことと、その栞の特徴を伝えた。
「悪い。俺は見てねーな」
「そっか……」
「でも、朝は確かにあったんだよな?」
「うん。朝本を読んだときには、あったはず」
「なら、この辺にあるだろ」
そういって、来栖君は席を立って栞を探し始めた。
「探してくれるの?」
「?探して欲しいんじゃなかったのか?」
「いや、確かにそうだけど、いいの?」
「別にこんくらい、大したことねーよ。まあ見つかる保証はないけど……っと、ん?あれか?」
来栖君が指さした先には、確かに私の栞が落ちていた。
「おおかた、風にでも飛ばされたんだろ。ほら。よかったな、見つかって」
「……ありがとう」
来栖君は拾い上げた栞をひょいと私に手渡すと、さっさと教室の外に出て行ってしまった。
きっと、来栖君は失くしたものが何であろうと、失くした人が私じゃなくても、同じことをしただろう。でも、それでも、私が彼を好きになってしまうには、充分だった。そのくらい、大切なものを彼は見つけてくれたのだから。