終わり、始まり
ウィリアムから腕が生えた。
「え!?」
イヴは正面から持ち前の超高速で駆け寄って、抜き手で彼の胴体を差し貫いた。
そして、それだけでは終わらない。
「……え?」
灰色の空の下でイヴの細く繊細な手で行われる破壊は、いっそ優美ですらあった。
目にも止まらぬ手刀で四肢を解体され、身動ぎも出来ず泥の中に転がってからもしばらく、ウィリアムにはわけが分からなかった。
だから聞くことにした。
「……なんで? イヴ?」
「私が人間の生理や解剖学を勉強していることを知っているでしょう。万能薬であれ進化薬であれ、完全に人体に吸収されて効果を発揮するには時間がかかる。……今だけは、飲んだ直後なら、貴方を殺すことができると思った」
「いや、だから……?」
進化薬の効果は凄まじく、不完全なはずの今でさえ手足の無いウィリアムから怒りを消し、出血を最小限に留めて命を繋いでいた。しかし、ウィリアムにとって「そんなこと」はどうでもよかった。
イヴはなんで僕を殺すのか?
彼女が苦しんでいるのは知っていた。孤独を恐れていることも、不死の身を呪っていることも。だから、ウィリアムを憎んでいても恨んでいても不思議ではない。そんな相手と永遠を過ごす想像に耐えきれなかったゆえに、今になって凶行に及んだのでは?
瞬間、たどり着いた想像にウィリアムは震えた。この期に及んで死ぬのは恐くない。生命を弄んだ愚かな男の末路には上等に過ぎるくらいだろう。だけど、イヴに嫌われるのは嫌だ。やり直したい。いま、自分を見下ろすその白く美しい顔に、嘲笑が浮かんでいたら……っ!
そんな恐れを抱きながら、ウィリアムはイヴを見上げずにはいられない。彼は仰向けに倒れていて、目を閉じるほど卑怯でなく、視界にあるイヴに視線が惹き付けられるのは仕方がないことだから。
「イヴ、なんで、泣いてるの?」
「……泣いていません。コレは、雨が顔を濡らしているだけです。醜い化け物に涙を流すことは出来ないのです」
「……ああ」
ウィリアムは心底幸せそうに笑いました。自分は祝福されていると感じました。こんな幸せがあっていいのかと、思いました。ですが、同時にあることに思い至り、今度は泣きたくなりました。……頭がぼうっとしてくるのを感じ、死期を悟った男は、女にいいます。
「君は、化け物なんかじゃない。人間か、それよりもっと素晴らしいなにかだ。ここに愚かしく人の醜い化け物がいるとしたら、今まさに死にかけてる僕だろう」
「なにを……」
「僕は幸せだ。死ぬことが出来る。愛する君に愛されて旅立てる……でも、でもさぁっ」
「……」
「バカだなぁ、僕が死んだあと、誰が君を理解できる? 誰が君を愛するっていうんだ? イヴ、君にこれから降りかかる事を思うと、泣いてしまいそうだよ」
「ウィリアム、貴方は、もう泣けませんよ」
「……そうか、本当にそれだけは不便だよね。……けど……最後まで……視界がいいのは……助かるな……」
「……ウィリアム」
「イヴ……君は、美しいよ。この世界のなによりも」
そう言い残して、男は死にました。
女は立ち尽くし、空を見上げます。
雷鳴が聞こえる。どうやら嵐が来るようです。
イヴは旅立ちます。彼女のための楽園から。
このイヴに、祝福はなく、彼女の主は既に亡い。望んで全てを捨てたから。
その顔を雨で濡らして、雷のように慟哭して、歩いて行きました。