第二十話 少年は成長を遂げる
「カレンさん、あれを」
ダアトが誇る堅牢な装甲板の上。
ひとまずの脅威が去ったと判断したフィオナは、“ノヴァスローネ”に座ってレナーテ砂漠をぐるりと見渡せる高さにまで浮かび上がっていた。
その隣りには【テレキネシス】で自身を浮遊させているカレンの姿もある。どうやら医務室の手伝いはこれ以上不要であると判断したらしい。
彼女は仲間の死体や破壊されたアルベーンが転がる様を視界に入れながらも、弔意を後回しにして笑っていた。
「ハッ、やってくれたわねあのガキ」
「やはり、あの剣は」
「東郷圭介の仕業と見て間違いないでしょう。私の予想では【サイコキネシス】を完全な仕上がりにしてゴグマゴーグの体を捩じ切るなり、傷口を拡幅して失血死させるなりするくらいに留まるはずだったのですが……いやはやまさか、その先の段階に辿り着くとは思いませんでした」
言いながら水の剣を凝視する横顔は、どこか誇らしげだ。
彼女としては今回の遠方訪問で、【サイコキネシス】さえ覚えさせられればそれでよかった。
念動力を使う者など広い大陸の中でもそうはいないし、増してや他人に教授できる人材となればカレン以外に存在しないだろう。
だからこそ基礎を教えただけの状態でしばらく様子を見て、後日圭介の方から教えを乞うように誘導する腹積もりであった。
(あーあ、頭の中で叩き続けた算盤もこれじゃ役に立たないわね)
それだけに圭介の予想外な急成長は権力者として惜しくもあり、師匠として嬉しくもあり。
「部下の死もアルベーンの損失も、オアシスをいくつか潰されたのも確かに痛手ではあるものの……この流れは流石に予想以上だなあ。とんでもない人材を手に入れられるかもしれませんね、第一王女様」
「……あくまでもケースケさんがダアトに在籍する期間は今日で終わりということをお忘れなく」
「ええ、もちろん。そこは彼の意志に任せますよ」
自分に向けて飛ばされた火花をさらりと受け流しながら、カレンは薄らとした確信に至っていた。
この戦いは、もうすぐ終わる。
* * * * * *
持ち上げた水の剣は立てれば見上げる程に長く、寝かせれば車を横向きに停められそうなくらい幅広い。
それでも重みを感じないのは【ハイドロキネシス】に加えて、剣を支える為に【テレキネシス】も併用しているからだ。
ユーとの模擬戦闘で獲得した感覚を無駄にしない為にも、元は短剣であるクロネッカーの柄を水で延長させ両手で構える。
『ゴグマゴーグ、警戒態勢に入っています。仕掛けるのであれば今が好機です』
「わかった!」
“アクチュアリティトレイター”に乗ってオアシスから脱出した圭介は、彼の頭に乗っかるアズマの言葉に従って一気に砂漠へと躍り出る。そうして一撃必殺のつもりで掲げた剣を、ゴグマゴーグへと振り下ろした。
刀剣の形状に纏められた水の集合は、一見して静止しているように見える。しかしその実、常に水自体が流動し続けているのである。
水の流れは鋭く速く循環を続けながら、触れた物体を例外なく押し退けて弾き飛ばす。
この原理はとある加工技術と共通している。
ウォーターカッター。
その存在を、圭介は以前母親が見ていたというとあるテレビ番組の情報から知っていた。
曰く、セラミック製の包丁程度ならば容易に切断する程度の威力を誇るそうだ。
故に彼は確信する。この一撃で勝敗は決すると。
結果として、
「ヌンゥウェアアッ!!」
頭頂部から口先までを浅く斬り込むだけに留まり、両断には至らない。
どころか途中で水の剣の一部が弾け飛んでしまった。
「あっれぇ!?」
急いで飛んでしまった部分を念動力で取り戻し、形を整える。
あの頑丈な皮膚を裂いただけでも相当な切れ味には違いないのだが、真っ二つに両断するつもりでいた圭介としては予想外の低威力である。
加えてゴグマゴーグの口を縛り上げていたヒュパティア帯だけが切断されており、ついさっきまでの自分の努力を自分で無駄にしてしまう結果となった。
アズマがその様子を冷静に解析する。
『元来、ウォーターカッターは硬質な素材の切断には不向きな加工法です。彼のモンスターの皮膚が有する物理攻撃への耐久性を鑑みるに、この結果はある種当然のものかと思われます』
「えええぇぇぇぇ!? 僕完全に勝つつもりで攻撃したんですけど! めっちゃドヤ顔でやったった感醸し出しちゃってたんですけど! うひゃわぁい!?」
一応は警戒して【サイコキネシス】による索敵を継続していたのがよかったらしく、再度砂の中から奇襲する触手を圭介は空中できりもみ回転しながら間一髪で避けた。
その回転によって発生した勢いのまま、水の剣を振るって触手を斬ろうと試みる。
一応、振るったことで大きく揺るがせるには至った。
しかしこちらも浅くは斬れるものの切断まではできない。
「んもう!」
苛立ちから若干オカマ口調が混じる。
ほぼ着地も同然の低空飛行で移動し始める圭介に、更なる触手の嵐が降り注ぐ。彼は襲い来るそれらを掻い潜りつつ、クロネッカーを振り回して可能な限りそれら太く長い脅威にもダメージを与え続けた。
それでも傷つけるのが精一杯という体たらくに、圭介は少し焦り始める。
「おいおいおい、水に切れないものはないんじゃなかったんかい!? 全然だぞ、全然切れないぞ!?」
『先ほども申し上げました通り、本来ウォーターカッターとはそのまま使う分には硬質な素材を切断するのに不向きです。それでもこの質量と振動を伴えばモンスターの肉を切断するなど容易なはず、ですが』
「ですが!?」
『相手は変異種です。皮膚構成組織に何らかの異常耐性が備わっている可能性も懸念されます。付け加えるなら単純に体積と質量で力負けしています』
「うぎゃおう最悪ぅ!!」
空中で縦横無尽に動き回る圭介を、ゴグマゴーグの触手が再度襲う。
地中を掘り進んで真下から攻めてくるもの、真正面から囲い込むようにして突き出されるくるものでそれぞれ別々の角度から確実に命中させようと繰り出されるそれらを、ある時は水の剣で、ある時は“アクチュアリティトレイター”によるアクロバティックな動きで捌き切った。
振るわれる水の刃に弾かれた触手が砂漠に突き刺さり、地中から飛び出したそれらも回避して圭介が怒鳴る。
「じゃあどうしろってんだいこんな化け物!」
『打開策はあります』
「何!?」
ある程度まで攻撃を凌げば順番は変わる。
圭介は伸びきった触手の間を縫うように接近すると、黒い壁にすら見える肉へと全身全霊の刺突をお見舞いした。
巨躯を見れば小さく見える傷だ。しかし多少出血しているのが見て取れる事から、ダメージ自体は発生しているようである。
『先日、カレン様に言い渡されたアルミホイルを球状にまとめるという修行。それに用いたアルミホイルは残されていますか? 失敗したものでも構いません』
アズマの意図は全く理解できなかったが、この状況では言い合いするだけの余裕もない。
圭介は【サイコキネシス】で感知した背後からの触手による攻撃を回避しつつ後退、そして懐から歪な銀色の塊を取り出す。
「これでいい!?」
『はい。次にそれを水の剣に入れて細かく分解しながら撹拌し、全体に馴染ませて下さい』
「どういうことだよ!? いややるけどさあ!」
決め手となる攻撃手段を得られるのならば自分一人の判断力などアテにはできない。
言われるがままアルミホイルの塊を剣に当てる。
内部で水が高速振動しているからか、刀身に当てるだけでアルミホイルの塊は容易に塵となって剣に吸い込まれていった。心なし、水が濁ったように見える。
「で!?」
『これで終わりです。攻撃を続行して下さい』
「何だったんだ今の!?」
言う間にも目前には再度圭介を狙って放たれる、無数の触手によって織り成された帳の如き面攻撃が迫っていた。
「だああ!!」
たまらず反射的に剣を振るう。また弾くだけに終わるだろうと半ばうんざりしながら。
結果的に、
「ギギャアァァアアア!!」
「あれ、あれ!?」
剣の軌跡に沿う形で、視界内にある全ての触手が切断された。
重力に従ってボトボトと落ちていく細長い肉の切れ端を見て、斬った当の圭介が驚愕してしまう。
「え、どしたん急に!? あれか、アルミホイルに何かあったんか!」
『はい』
短い肯定は頭上の隼から。
『ウォーターカッターにアルミニウムなどの研磨剤を混入させると、硬質な素材も容易に切断が可能となります。主にアブレシブジェット切断と呼ばれる加工法の一種ですが、今回のような場合は攻撃手段としての応用も可能です』
「知識の幅すげぇなこの鳥! マジでありがとう!」
『研磨剤と水分は衝突に伴って減少します。早期決着が望ましいでしょう』
とはいえ、本来であれば剣を振るうのと同じ感覚で斬れるものではない。
ウォーターカッターが実際に生じさせている現象は切断というより掘削に近い。その関係で実際に加工法として用いた際には、対象物に水を食い込ませてから切断し終えるまでに相応の時間を要する。
速さを求めるあまりに急いでも、切断を完了させられず表面をいたずらに濡らすばかりに終わるのが関の山だ。
その難点を克服するのが剣を模した形状である。
広く設けられた幅が食い込んだ刃の延長として働き、対象の厚みをある程度までは無視して切断できる。
例えば日本の料理人は刺身を作る際に“包丁で切る”のではなく“包丁を引く”という技法で魚の肉を分断するが、限りなくそれに近い方法で圭介はゴグマゴーグの触手を斬っていた。
「ギャアアアアァァァ!!」
これまで叩かれるような感覚はあれど切断されるという事態には一度も陥らなかったからか、ゴグマゴーグが激昂しながら圭介の方を向く。
最早オアシスの水は彼の手にあり、水分補給の道は実質的に絶たれたも同然だ。
加えてこれまで細かな傷をつけられるだけに留まっていたのに、急に触手を斬り落とされたことで明確な生命の危機も感じたのだろう。
体力的な限界も迎えつつあり、語らないまでも焦燥が見て取れた。
先ほどは通用したと踏んでか、またも突進を仕掛けてくる。
圧倒的な体積と質量が回避も防御も許さない、必殺の攻撃。
『迎撃を推奨します』
アズマが第三の選択肢を提示してきた。
不思議と、圭介も今ならできる気がしていた。
水の剣を上段に構え、同時に“アクチュアリティトレイター”の高度を調整する。
(呼吸は控えめにして、肺の動きを最小限に。柄を握る手を引き締めて、両手の手首を重ねるように)
いくらオアシスの水を全て使ったと言っても、流石にこのままゴグマゴーグを両断するには長さが足りない。
しかし幸いなことに、水である以上形状の変化は可能だ。
(力を全体に万遍なく流しつつ、あまり強く押さえつけずに形を留める)
迫り来る脅威は確かにこのまま受ければ死に直結するだろう。
しかし恐怖を感じないのは感覚が麻痺しているのか、現実逃避の賜物か。
はたまた、勝利を確信してのものか。
(思いつく限り全ての関節、流れる水の中にさえ歯車のイメージを組み込んで振り下ろす――)
怪物の巨大な顔は近づいてはいるものの、まだ微妙に遠い。
もっと近づいてもらわなければ適切な距離に届かない。
もっと速く。
もっと近くで。
(――今よりも、もっと強く!)
ゴグマゴーグの鼻先が水の剣の間合いに入った瞬間、圭介はありったけの力を込めて振り下ろした。
上段唐竹割り。
ユーから教わった技の中でも基本中の基本にして、圭介が素振りを通して見つけた得意技である。
そしてその一閃を放つと同時、剣にも変化が生じた。
刀身の幅は一般車両一台分から掌が納まる程度にまで縮小し、全体を弓なりにしならせながらより長く伸びていく。
今、刃の幅はいらない。
代わりに一切のブレを生じさせない肉体の動きが、剣を奥へと沈ませてくれる。
そうして迎え撃つ刃が、突き進む黒き怪物の顔にめり込んだ。
「ェアッ」
その小さく漏れ出た声が断末魔ならば、いっそ哀れにすら思える。
刃と触れ合った箇所を分岐点として巨大にして長大な体は爪で裂かれる茸が如く真っ二つとなり、突進の勢いに任せて一キロは止まらないまま分断され続けた。
脳と首の骨、食道に類するであろう気管の一部までもが露呈するまでバッサリと斬られた時点で生物としての役割は期待できないのだが、それでも生理的反応が残されているのか体全体が未だピクピクと動いてはいる。
しかし、それ以上は何もない。
目の前の脅威は完全に死んでいる。
圭介は、いっそ呆気なさすら覚える形でゴグマゴーグに勝ったのだ。
「……………………っはぁ」
肩を落とし、ゆっくりと砂漠に降下する。
ルンディアでホネクイモグラを屠った時のような忙しなさではなく、意識を戦闘に集中させ続けたが故の達成感。
あるいは罪悪感とも言える感覚が、脳天から四肢の端にまで浸透していた。
分かたれた肉塊を見つめながら、圭介はいよいよ自分が一つの巨大な生命を自身の手で奪ったという実感を得る。
その感覚は平凡な人生から外れた結果だ。
きっと、一生拭いきれないのだろう。
(思えば可哀想な奴だよ、コイツも)
殺した側が抱くべき感傷ではないのかもしれない。
しかし、ついさっきまで生きていた目の前の怪物はただ生きることに全力だっただけだ。
ダアトの人々がゴグマゴーグを殺したのはあくまでも人間側の事情である。圭介にそれを否む気も非難する気も無いが、それはモンスター側の事情を汲み取らない理由にならない。
食料も満足に得られずオアシスの水で渇きを癒すだけの日々、その唯一の生存手段が結果的にこうして自身の破滅を招く。
これを哀れと言わずして何と言うのか。
そんな風に憐憫の情を抱いてしまうのは、以前ルンディアで人懐っこさから調査隊の面々に可愛がられて生涯を終えたワームの話を聞いていたからかもしれない。
『圭介様。下ではなく上をご覧ください』
いつの間にか俯いてしまっていたようだ。
アズマの言葉に反応して空を見上げると、そこには見覚えのある面々が浮いていた。
“ノヴァスローネ”に座るフィオナ。
その左右に設けられた銀色のリングで共に浮かぶユーとセシリア。
自前の【テレキネシス】で飛んでいるカレン。
『貴方の成果です』
シンプルにしてわかりやすい励ましに、「本当に機械かよお前」などと微笑みながら。
殺した重みとやり遂げた誇りを胸に、圭介は前を向いて歩き出した。




