第十六話 異形の本性
ダアト自警団に属する客人、レオ・ボガートという少年は客人の中では平均をやや下回る能力の持ち主だった。
まず転移して間もないことも関係して客人の中では珍しく、第四以上の魔術位階を習得していない。
使える魔術は傷や疲労を回復させる魔術ばかりであり、戦闘員として適した人材かと問われれば確実に違うだろう。本来の役割は後方支援であって、間違っても前線に出るべき人員ではない。
そんな彼が戦いに参加できているのはアルベーンの操縦士資格を取得していることと、回復魔術のみに頼らない戦闘スタイルによる戦略の拡大性が関係している。
変幻自在に動かせるテープのグリモアーツ“フリーリィバンテージ”を編んで構成する防壁の堅牢さはカレンにも高く評価されていたし、陰に隠れながら傷や疲労も癒せるという長期戦においてこれ以上ない強みは彼自身誇らしく思っていた。
腕に巻きつけて殴りつければ動作の補助も相まって高い攻撃性能を期待でき、相手を拘束して動きを封じる事も可能。
円を描くように地面に配置して、一定範囲内にいる仲間を一斉に回復させるという切り札も連発は出来ないが持っていた。
至らない戦闘力を汎用性の高い力と支援能力で補う彼は、後の成長も見越し多くの仲間達に長期戦向けの人材として期待されていたのである。
そんな彼の目の前で今、自警団の仲間達が体のパーツをバラバラに飛び散らせて死んでいた。
彼自身も何が起こったのかすぐに現状を把握できなかったが、戦場で立ち止まる危険性を思い出した瞬間に横へと跳躍する。
直後、彼が立っていた場所に黒く太い触手が叩きつけられた。
「…………!?」
吹き飛ばされる砂の量から相当な威力で放たれた一撃であろうことが窺い知れる。というより、どれほどの脅威となるかは引き千切られた肉片の数々が明確に物語っていた。
ただ、仲間が目の前で殺されたと理解したくないが為に判断が僅か遅れたにも拘らず、回避が間に合ったのは奇跡的と言えよう。
「やっべ!」
残された理性が、地上に留まる危険性を告げていた。
思わず悪態を吐きながらカレンによって宙に固定されているアルベーンに“フリーリィバンテージ”を伸ばし、引き戻すように縮めて自身を空中へと放り出す。
一秒にも満たない間に彼が立っていた場所に触手が突き刺さった。あのまま呆けていたままだったとすると、間違いなく胸部に腕が容易く通せる程度の大きな穴が開いていたに違いない。
欠落せずに済んだ胸を締め付ける恐怖はそのままに、一つの機体に飛び乗る。
そうすることにより、先ほどまで惰性に近い攻撃をし続けてきた戦場の、惨憺たる光景が俯瞰できた。
「ギュァァアアアアア!!」
咆哮して体を捩るゴグマゴーグの体から伸びる無数の触手は、ある者の頭部を横殴りに吹き飛ばし、ある者の胴を熱砂の上に叩きつけ、ある者の足元から飛び出し足を捥ぐ。
手当たり次第に殺して殺して殺し続ける。
「っぷ、げ、えええ……」
若いレオにその凄惨な画は耐え切れず、誰のものともわからない操縦席に吐瀉物をぶちまけた。
「げえぇ……ひ、ぐっぇ…………」
体に傷を負ってもすぐに回復してしまえば再び戦線に復帰できていた彼だが、精神的な傷を癒す術は持ち合わせがない。
死んだ仲間の中には空挺部隊で世話をしてくれた先輩も、密かに想いを寄せていた同年代の少女もいた。
言い訳ばかり上手く気の合わない青年もいたし、何かと酒の席でからかってくる冒険者もいた。
異世界転移を果たしてから他に身寄りのないレオにとってはダアトで出会った者達、その全て親友であり、家族だった。
それが、こんなにも容易く失われた。
「ひっ……ひぎっ……」
前も見ずに泣きじゃくる彼の行いは、戦いの場において最悪の一手と言えるだろう。
事実この場を支配する超大型モンスター、ゴグマゴーグに慈悲などない。
誰かの血に濡れた一本の触手が、彼が乗っているアルベーンを叩く。
「うぁっ」
「ギャアアオオオオアアアアア!!」
大きな振動に体勢を崩して機体から振り落とされるレオは、また新たな触手が自分に向けて振り下ろされるのを見た。
ほぼ反射的に“フリーリィバンテージ”を盾の形に編み込んで防御壁を作り、同時に自身を対象として回復魔術を発動する。
直後、世界全体が左にずれた。
「ッ!?」
『防ごうとするな! こっちも可能な限りサポートするから、攻撃は全て避けなさい!』
何が起きたのか正しく理解する前に、声が聞こえる。同時にレオの真横を触手が通過した。
つい一瞬前まで自分に向けて伸ばされていたそれを眺めながら着地すると、更に響く声が現状を認識させてくれる。
自分を救ったのは、遠距離から放たれた念動力魔術だと。
『負傷者は戦場を一度空けても構わないからダアトに戻る! 無傷でまだ動ける奴は動けない奴を運び込みなさい、ただし無理はしないこと! 危険な場所にいる奴は私が率先して助けるから、手出ししなくていいわ!』
カレンの念動力に助けられたと知った今、レオが最優先すべきと判断したのは撤退であった。
萎びた心に喝を入れ、点々と死肉の転がる砂漠を走る。見知った顔が惨たらしく殺されている様にまた泣き出しそうになるが、それよりもまず足を動かす。
「ギュアアアァァ!!」
視界の端では念動力に運ばれる怪我人が、暴れ回る触手から逃れてダアトへと飛ばされている光景が見えた。
まだ全員殺されたわけではない。
それだけが数少ない希望だった。
* * * * * *
「二人とも、もう風呂終わった!? ていうかさっきの聞こえた!?」
ダアトの休憩用スペースでカレンの指示を耳にした圭介も非常事態に気付き、ユーとセシリアのいる民家のドアをドンドンと全力で叩き続けていた。
「ねぇちょっと返事ないけどこれって中入っても大丈夫なパターンかな!? 大丈夫じゃないパターンかな!? ラッキースケベとか起こしたくないからそこだけ知りたいんだけど!!」
「ええい、聞こえたし大急ぎで出る支度しているからしばらくそこで待ってろ!」
「はい! 失礼しました!」
ノックを中断し振り返ってから、視界の端に蠢く人だかりに気付く。
ダアトのレナーテ砂漠へと続く出入り口から続々と人が戻ってきている。朝の広場に集まっていた人数よりは少ないが、彼らの表情は一様に戦局の悪化を示していた。
切羽詰まった表情の老人。
ただ呆然とするばかりの女。
泣きはらした跡の見える少年。
そして、俯きながら震えているレオの姿も。
彼ら彼女らに何が起きたのか、考えるだけで憂鬱な思いである。
「ケースケ君、今出るからね!」
「あ、うん。落ち着いて出てきてね」
少し冷静になった圭介の前に、着替え終わった二人が現れる。
一応は衣服も着替えたはずだが、着用しているアーミージャケットや金属鎧は変わっていない。多少の不快感はあっても交換する為の替えが無いのだろう。
「さっきの声、カレンさんのだったよね。多分地上部隊に何かあったんだと思うけど……」
「独断専行に走るわけにもいくまい。まずはお二人のいる高台に行き、詳細を聞かねば」
「はい、なるべく急ぎましょう。何だか戻ってきた人達の様子がおかしいので、もしかしたらとんでもないことになっているのかもしれません」
セシリアの意見に圭介が追従し、急ぎカレンとフィオナがいる高台へと向かう。
“アクチュアリティトレイター”を【解放】し、まず圭介が乗ってから後ろに二人をしがみつかせて宙に浮く。【テレキネシス】だけではなく【サイコキネシス】も併用することで安定した飛行を実現し、三人は空中を移動してすぐに二人のいる場所へと着いた。
そこには憮然とした表情で“ノヴァスローネ”に座るフィオナと、普段見せているものと変わらない退屈そうな無表情を浮かべて銀色の円柱に腰掛けるカレンの姿がある。
カレンのつま先には圭介とユーを[ベヒモス・ビル]に案内した金属製の隼までいた。
「師匠っ! 姫様!」
「……あんたら来たのね」
眉間に皺を寄せながら、カレンはゴグマゴーグの方を注視している。フィオナはちらりと三人の方を見たが、深刻そうな顔で再び砂漠に目をやった。
カレンには長時間押さえ込むことに疲れもあるのだろうが、彼女の視線を追ってその先を見るとそれだけではないとわかる。
今のレナーテ砂漠に生きている人間は存在しない。
逆にそれが功を奏したと言って良いものかわからないが、断続的に容赦なく放たれる砲弾がゴグマゴーグに傷をつけている。最早砲撃に遠慮はいらなかった。
「見ての通り、あのクソワームがいきなりこれまで見せなかった触手を出して暴れ出したもんでね。何人か死人も出たけど全滅は免れたってとこ。分泌液もある程度出し切ったと思った矢先にこれだもの、嫌になるわ」
「今はアルベーンによる拘束を継続した上で砲撃での攻撃に切り替えていますが、やはり微妙に受け流されているのか決め手に欠けますね。どの部位に命中させても致命傷にまでは至らないのが現状です。恐らく対象の生命活動が停止する前に弾切れを起こしてしまうでしょう」
「いや、そういう問題じゃ……」
すぐそこで人死にが出ているというこれまでで最大級の非日常を前に、冷静さを維持している彼女らが圭介には理解できない。
もちろん積み重ねてきた経験や文化の違いによる認識の差は生じるとわかっていたが、それでも引っかかってしまう。
そんな怯えと驚愕、そして僅かな義憤を交えた声を発する圭介にカレンが返した反応は、ほんのりと表情に滲ませる程度の嘲笑だった。
「圭介。あんたが何考えてるのかは大体わかるわ。大方私らが死んだ連中に対して薄情な態度を取ってると思ってるんでしょ?」
心中を看破されたようで、圭介としてはぎくりとする。
「今の内に忠告しておくけどね。生きるって行為は何をどうあがいても、自分も含めた生きてる誰かの為にしかできないの。安くない金払って葬式あげたり、死人の名前を刻み込んだ石ころの前に食べ物や飲み物を置いて行くのだってそう。結局は取り残された側が、死んだ相手との繋がりを捨てたくないからやってんのよ」
「それは、そういう一面もあるかもですけど」
「観点を変えれば」
圭介の言葉――負け惜しみにも近い反論を封じて、カレンの言葉は続く。
「死なれたからってそっちにかまけてたら、今を生きてる奴らまでもが死んでしまうような状況もあり得る。今がそれってだけのことよ。……わかったら他人の命を背負う覚悟も決められないガキは黙ってなさい。少なくとも今、私達には自分の為に落ち込んでいられるだけの余裕はない!」
気付けば砲撃の音は先ほどまでの比べて大人しくなっている。ダアト両側部から飛び出している連装砲から魔力弾だけが放たれている事から、物理的な砲弾は弾切れを起こしたようだ。
アルベーンの拘束に抗うゴグマゴーグの動きも激しくなってきた。
いくらカレンの念動力が強力であったとしても、素材そのものを強化する魔術など彼女は持っていない。一応は【サイコキネシス】でコーティングする事もしてはいたが、都市の防衛と砲撃に割くリソースを妥協できなかった事もあってか気付けばヒュパティア帯はところどころが千切れかけていた。
その様子を見ていたフィオナが至極落ち着いた様子でカレンに声をかける。
「カレンさん。そろそろ砲撃による牽制も限界に近いようです」
「……そうですね。かくなる上は私が前に出ましょうか」
「待ってください」
凛とした声が響く。
第一王女と城塞都市の統治者の会話に割って入ったのは、ここまで無言を通してきたユーだった。
声色は固く表情は緊張で引きつっているが、瞳に宿した光は強く煌々としている。
「何かしら」
「カレンさんは今回、後方支援と司令塔に徹しなければならないと聞きました。その理由が城塞都市の防衛機能がカレンさんに依存していないと証明する為という話も聞いています」
「ええ、そうね。そして今回現れたあの変異種は、城塞都市の防衛機能を使い果たしても勝てなかった。それが全てよ」
「まだダアトの防衛機能は残っています。――本来なら、ダアトに属してはいない戦力ですが」
「ユーフェミア、お前何を……」
ギョッとした表情でセシリアが真意を問おうとするも、フィオナのアイコンタクトを受けて押し黙る。
あるいは、発言する必要性のなさを知って沈黙を選んだ。
カレンも一度口を閉じてから目を細める。
彼女が何を言おうとしているのか、うっすらと察したのかもしれない。
「もしそれがあんたらのことだとしたら、まあ今でこそアルベーンの拘束が活きてるから押し潰されて死ぬって可能性はないでしょうね。分泌液もすっかり止まって攻撃は通るようになった」
そして、いつもの退屈そうな無表情へと戻る。
全身から妥協や間違いを許さない、戦士としての空気を発しながら。
「で? あの暴れ回ってる触手の対処はどうすんの? それだけじゃない、こっちの拘束だっていつ解かれるかわからないし、まだ向こうが隠し玉を持ってる可能性だって考慮しなくちゃいけない。大体あんたら、ちまちま攻撃してたけどあの硬い皮膚を削るのがやっとだったでしょう」
「触手は私の【漣】とケースケ君の【サイコキネシス】があれば攻撃の軌道を先読みできるので、後は回避するだけです」
歴戦の猛者特有の圧力に臆することなく、ユーが応じた。
「拘束が解かれた場合には頼る形となって申し訳ないのですが、カレンさんに砲撃を一旦中断してゴグマゴーグを念動力で捕縛していただければと。こちらの攻撃も私達だけでは通せなかったかもしれませんが、今なら他の方が負わせた傷も全身のそこかしこに刻まれているでしょう。傷口を広げる事によって失血死を狙うことは可能です」
拙さも苦しさもあるが、一応カレンとしては頷けない内容でもなかったのだろう。感心したように少しだけ目を見開き、残された問題点を指摘する。
「不確定要素への明確な対処法が示されていないように思えるんだけど」
「そんなものへの対処法などありません。それこそ“カレンさんさえ前に出れば大丈夫”という楽観的な判断が通用するとも限らないじゃないですか」
はっきりとした物言いにカレンは満足そうにニヤリと笑い、
「……正解。あんたは正しい」
つま先をふい、と動かしてそこに止まっていた機械仕掛けの隼を放り投げた。
そこに至って初めて隼は双翼を広げ、圭介の方へ飛んだかと思うと頭にピタリとしがみつく。
「うわっ」
『大変失礼致します。が、この位置が最適と判断しての行動ですのでご容赦を。乗り心地は悪くありませんよ』
随分な理屈で失礼を働かれたようにも思えるが、圭介にとって気になるのはそこではない。
「と、飛べたのか君」
『はい。オーナーであらせられるカレン・アヴァロン様のご意向により、非常時以外には羽を閉じた状態を維持するように仰せつかっております故』
「だって、猛禽類って翼を閉じてる姿が一番美しいじゃない」
『私には美的感覚が搭載されておりませんので同意しかねます』
心なしか含み笑いの混じったような声を出すそれは、首を動かし改めて無機質な瞳をカレンへ向ける。
『よろしいのですね?』
「ええ、構わないわ」
いかなる意図による言葉の応酬なのか傍から見ていても判然としない。
ただ、彼女と隼の間にある信頼関係が示されたことだけはその場にいる全員に理解できた。
「じゃ、残弾撃ち尽くすとしましょうか。その隼型魔道具、個体名“アズマ”には簡単な結界術式が組み込まれているわ」
アズマなる名前を付けられたらしい隼は、どこか誇らしげに胸を張るような動作を見せる。
「使えるのは一日につき一回こっきりだけど防御性能はまあまあ。ゴグマゴーグの突進を真正面から受けてもちょっと吹っ飛ぶ程度で済ませられる程度ね」
「それって相当強いんじゃ……」
「こちとらあんたらの身を預かってる立場なんだから、簡単に死なせるわけにいかないの。いいから人生の先輩からの善意は受け取っておきなさいな」
「あ、ありがとうございます」
これまでが厳しかったこともあってか、圭介としては少々こそばゆい。
「あの様子じゃ押さえ切れなくなるまであと二十分程度はかかる。長いようでいて短い時間だけど、その間に少しでも傷口ほじくったり触手ぶった斬ったりして嫌がらせしてきなさい」
「表現エグいないちいち」
「とにかく拘束が解けても満足に動けなくすること、そうすりゃこっちの砲撃も当たるでしょ。それでも無理そうなら今度こそ私が行くわ」
言って、カレンの視線が少し離れた位置へと向かう。
巨大な湖にも見えるオアシスへと。
「……奴の向かう先には、それなり近い位置にオアシスもある。このタイミングでまた分泌液に回せるだけの水分を補充されたら、その時こそダアトの力じゃ対処し切れなくなるからね」
カレンの指示に圭介とユーが力強く頷く。
「すみません、私も彼らに同行したいのですが宜しいでしょうか? 残存戦力として彼らと協力したいのです」
年下の、それも未来の後輩候補二人に当てられたのかどこか殺気立っているセシリアも前に出る。
それにまず反応したのはフィオナだった。
「私は元よりそのように命ずる予定でした。カレンさん、よければ彼女も参戦させては頂けませんでしょうか?」
「あー、はい。いいと思いますよ。戦力は多いに越したことありませんし」
返すカレンの態度は目に見えてぞんざいだ。
急激にやる気を感じられなくなった対応にげんなりするセシリアだが、すぐに持ち直してアガルタ騎士団式の敬礼をすると圭介達に向き直った。
「そうと決まれば急ぐぞ、時間は限られている」
「はい!」
「りょ、了解です!」
そう、時間は限られている。
彼ら三人に残されたのはたったの二十分。その間にダアトの砲撃で仕留め切れる程度にゴグマゴーグを弱体化させなければならない。
城塞都市を護る為、たった三人分の戦力は再び砂漠へと駆け戻った。




