第十四話 炎天砂獄
ダアトに折り畳む形で収納されている対超大型モンスター用魔力砲。それは強力無比な最強の矛であると同時に、カレンにとっては無用の長物でもあった。
使い道が極めて限定的なのだ。
超大型モンスターなど定期的に出くわすものでもなし、仮に出くわしたとして大半は通常弾で対応できる程度の雑魚ばかり。
この魔動兵器を用いる程の大きさに至るまで成長したモンスターとはこれまで出会ったことがなかった。
仮に出くわしてもダアトが有する兵力を活用すれば充分撃退が可能であるし、それでも持て余すような難敵が現れればカレン本人が前に出ることによって対処できる。
にも拘らず年間の維持費と手入れにかかる手間を惜しまず搭載していた理由には、アガルタ王国によって制定された面倒極まりない制度が絡む。
内容は城塞を建築する際に指定された兵器を一定数搭載しなければならないというものなのだが、要するに「あまり好き勝手やってくれるな」という意味を含むアガルタ王国からダアトへと向けられた一種の牽制である。
そんな風にカレンとしては鬱陶しく思っていたそれらも、今回に限って言えば最適な活躍の場を与えられたと言えるだろう。
超大型モンスターの襲撃。ダアトの兵力も普段のそれに加えて遠方訪問に来ている圭介ら学生やたまたま時期が被った冒険者複数名が参加しているが、変異種が相手ということもあって迂闊な判断はできない。
おまけに王都の排斥派を黙らせる為にカレンが前衛に出られない状況となれば、この兵装も心強く思えた。
それだけに、目の前の光景に対して落胆を抱くより先に呆然としてしまう。
「…………あ?」
撃たれたはずのゴグマゴーグは、無傷。
そして不可思議なことに、その遥か後方で水柱ならぬ砂柱が上がっていた。
地上、ある程度離れた位置からその様子を見ていたクエスト参加者や自警団のメンバーも硬直している。
今の一撃で決着がつくとまで楽観視していなかった者でさえ、現状の把握をし切れていない様子であった。
「これはどういう……?」
「一つ、言えるとするのならば」
冷静沈着なフィオナの声が隣りから聞こえる。
「弾道を何らかの手段で逸らされたようです。着弾と同時に生じるフラッシュ効果が見受けられたため、当たっていないわけではなさそうですね」
「ちぃっ面倒な……まだ撃つわよ! 今度は鉄球飛ばすから、そこからもうちょっと下がりなさい!」
舌打ちも交えて指示を飛ばし、次の砲撃を試みる。
魔力弾が通用しないだけなら魔力を四散させる何らかの効果が存在することになる。
しかしもしも質量兵器までもが逸らされるようであれば、単純に真正面からぶつけるだけでは倒せない可能性も出てくるだろう。
百戦錬磨のカレンにとってその程度の要因が敗北に繋がるとは思えなかったが、面倒事が増えるのは明確だった。
「通常弾、発――」
様子見を兼ねた砲撃の直前、異変は起きた。
ゴグマゴーグを拘束する為に魔動兵器アルベーンから伸ばされていたヒュパティアの帯が、徐々にずるずると締め上げていた箇所をずらし始めたのだ。
下手に撃つと何れかのアルベーンに砲弾が当たってしまう可能性もある為、たまらずカレンも砲撃を中断して空挺部隊隊長に通信で怒鳴りかける。
「ちょっと空挺部隊! どうしたの!?」
『すみません、何故か滑るように拘束から抜け出されそうになっています! 表皮に光沢が見受けられる事から、恐らく何らかの分泌液によって摩擦を軽減しているものかと!』
「粘液って……もう! とにかく下手な手出しはせず、現状維持を最優先! こっちは砲撃を一時中断するから再度指示があるまで辛いだろうけど待機! 良いわね!?」
『りょ、了解!』
「……なるほど、それならばオアシスの水を飲み干していたことにも合点がいきます。体液を分泌する関係で膨大な量の水分を要するのですね」
通信を盗み聞きしていたフィオナの言葉が恐らく正しいのだろうとカレンも見当をつけていた。
ゴグマゴーグが油のような粘液を分泌し、更にモンスターにあるまじき器用さを発揮して砲弾を受け流したのだと仮定すると魔力弾の威力がどれほど高かろうが無意味だ。
本当にあの大きさのモンスター相手に物量で押し切ろうとするなら、それこそ地形を変える規模と威力を持つ攻撃が必要となる。
「下手に撃つだけ味方が巻き込まれる可能性が高まるだけ、か」
言うと共に溜息が出てしまった。
やはり変異種ともなれば一筋縄ではいかない。流石にこの程度の不確定要素で負けるつもりはカレンにもフィオナにもないが、生半可な物理攻撃では対処できないという展開はまだ新参の戦闘員には辛いだろう。
とはいえ仮に怪我人が出てもそれなりにベテランが入り混じる中であれば都市に戻るよう誘導されるか、あるいはその場で回復して戦線復帰を果たすのが目に見えているので然程心配はいらない。
「とりあえずはウチの空挺部隊の援助が最優先ですね。ああもズルズルされてちゃ見ているこちらが落ち着きませんし。……少し術式を編む時間を頂きます。詠唱はいらなくともあの範囲、あの数が対象となると感覚だけに任せての魔力操作は危険ですから」
「ええ、どうぞ。確かに地上部隊に目立った問題は見受けられませんし、そちらの判断に賛成します」
空挺部隊、地上部隊という言葉を選びながらも彼女達の意識は地上で戦う一人の少年に集中している。
東郷圭介。
彼がこれまでに培ってきたものが今、この危機を前にしてどこまで通用するか試されていた。
* * * * * *
「すっごいぬるぬるする! すっごいぬるぬるするよこの野郎め!」
背後から突き刺さる二人分の視線に気付くこともなく、圭介は必死に【サイコキネシス】でゴグマゴーグの分泌液を表皮からこそぎ落としていた。
「【穿】!」
「【インパルス】!」
魔力を帯びた強烈な刺突と圧縮された空気の炸裂が、一時的に物理攻撃を通せる状態になった箇所へ集中する。それもほんの薄皮一枚、傷つけるというよりも削り取るのがやっとという有り様だった。
少しでも攻撃に間が生じればすぐさま粘液が分泌され、また攻撃する為に攻撃するという不毛な仕事が増える。
アルベーンによる拘束はじわじわと緩められていた。締め上げようにも下手に力を込めれば更に滑って相手の可動域を広げる結果に繋がりかねないので、空挺部隊にもシビアな調整が求められるのである。
巨体への原初的恐怖はここまで接近した状態で攻撃し続けていると最早残されていない。代わりに地上の戦力は終わりの見えない戦いで精神を、空挺部隊は一瞬の気の緩みも許されない作業で神経を摩耗させられていた。
いっそ砲撃で決着をつけられれば、と思えどそれが通用しないのはつい先ほどの魔力弾で証明済みだ。
「まずいな、空挺部隊は地上にいる我々と異なり好きなタイミングで休憩に入れない。この膠着状態も遅かれ早かれ悪い意味で終わってしまうぞ」
セシリアの見識は正しく、圭介とユーもそれを理解できたが故に危機感を覚える。
その理由は砂漠の暑さだけに留まるものではない。
少し離れた位置では体力の限界を迎えたのか、グリモアーツを放って仰向けに倒れ込んだ小太りの男が怒鳴っていた。
「くそったれぇ、アイツら何してやがんだよ! じっとしてねえで仕事しろや仕事ぉ!」
言葉の内容から空挺部隊に向けられたものであると理解できる。見れば他にも攻撃の手を一度止めてまで彼らに暴言を投げかける者が何人か散見された。
このように一部の冒険者は動きが見えず少しずつ拘束を緩めている彼らに向けて野次を飛ばしていたりもした。
実際には“動かない”のではなく“動けない”、拘束も“緩めている”のではなく“必死に繋ぎ止めている”のだが激しい運動の末に体力を消耗した者からは理解されにくいのだろう。
だが空挺部隊にかかっている負担は生半可なものではない。
炎天下の中にいるという点では空も地上も変わりないのだ。既に日光の熱を吸い込んだ砂の上で戦う者達も当然辛いが、彼らは怪我や疲労困憊を言い訳に一度ダアトへと帰投することが許されている。
しかし空にいる彼らは地上での戦いを安定させる為に、常に同じ高さを維持しながら滞空していなければならない。それも休憩どころか水分補給の暇さえ与えられないままに、である。
加えて同じ体勢を長時間維持し続けるという行為は体を動かし続ける以上に不健全な負荷がかかる。
アルベーンの座席自体は体を斜めに寝かせるゆったりとした形となっているが、それは機体が地面と平行である場合の話だ。
空中でゴグマゴーグ程の巨体を縛りつけている状態ではどちらかというと前かがみに近い体勢を余儀なくされ、暑さと合わせてじわじわと操縦者の体力を奪い取っていく。
そんな中での心無い罵倒は、か細い糸のようになるまで張りつめた精神をどれほど揺さぶるものか。
「大丈夫なのかな……お年寄りとかなら普通に街中でも死人が出そうな暑さだけど」
ふと、一つの空挺に乗っている影が圭介の視界に入る。
ちゃらついた印象を抱かせる人懐っこい金髪の少年。自分と会話していた時にはへらへらと笑っていた顔に、今や何の感情も見出せない。流れる汗を拭き取る暇も理不尽な罵倒に言い返す余裕もないまま、必死にゴグマゴーグの巨躯を押さえつけんと神経を集中させている。
レオ・ボガートという少年の何を知るでもないが、その姿には気高さと危うさを同時に覚えた。
「駄目だ、今から一人でも多く助けないと死人が出る」
地上の戦いは厳しいものになるだろうが、それよりも確実に死に近づいている者がいるのだからこの際四の五の言っていられまい。
圭介が痺れを切らして“アクチュアリティトレイター”を地面に置き、足を乗せようとしたその時だった。
『空挺部隊総員に告ぐ! 今からアルベーンとヒュパティア帯を私の【テレキネシス】で固定するから、各々機体から離脱しなさい!』
ダアトから轟くカレンの声と同時、ぶしゅっという音を鳴らして安全帯を外した操縦者達が一人ずつ離脱する。客観視すると酷く間抜けな絵面であったが、本人達は水分と体力を著しく消耗しての脱出なので必死である。
驚くべきことに彼らが離脱した後も空挺は全て同じ位置に静止しており、ヒュパティアの帯も変わらないどころか先ほどまでよりも安定してゴグマゴーグを締め付けているようにさえ見えた。
(やっぱあの人化け物だ……あんな規模と精度で【テレキネシス】を使いこなせるなんて、同じ人間とは思えない)
静かに圭介が嫉妬すら覚えられなくなるほどの格差を思い知らされている間にも、操縦者達はどんどん地上に降り立っては一度ダアトの中へと戻っていく。恐らく水分摂取も兼ねた休憩を取る為だろう。
「っぶあ、助かったあ! カレンさんあざーっす!」
そんな事を口走りながらレオも体を座席に縛り付けていた安全帯を外してアルベーンから飛び降りる。
身体強化かあるいはダグラスのような力学系統の魔術によるものか、特に落下速度を緩めず着地した彼は何事も無かったかのように圭介に近づいてきた。
その顔にはさっきまで心配していたのが馬鹿馬鹿しく思えるような裏表のない笑みを浮かべている。
「お疲れっす! あ、自分まだ余裕あるんで地上戦手伝うっすよ!」
「いやまず戻って休憩しろ! さっきまでずっと気を張り詰めていただろうが!」
無茶な事を言い出したレオに休憩を促したのは未だ風を纏う“シルバーソード”で黒い肉塊を叩き続けるセシリアである。
どうやら今は表皮にダメージを与えるよりも少しずつ分泌液を削ることでゴグマゴーグの水分不足を引き起こす方針に切り替えたらしく、彼女とは別の場所でユーも“レギンレイヴ”を振るっていた。完全に長期戦を想定した動きに圭介も覚悟を決める。
「僕もそう思う。君がどれだけ元気でも、まずは体力回復してから戻ってきて欲しい」
「うーん……わかったっす! そこまで気を遣われちゃあ逆に居づらいっすからね!」
少し寂しげな笑顔を浮かべる彼にちょっとした罪悪感を抱きながらも、圭介はダアトに戻る彼の後ろ姿を見送った。
ある程度距離が空いたところで、改めて目の前の脅威に向き直る。
「セシリアさん、まずはこの気持ち悪い液体を枯らしましょう!」
「ああ、頼む! お前は奴の頭部側を攻めてくれ!」
「了解です!」
カレンによって押さえ込まれているはずでも、やはり体積も質量も生半可なものではない。
ぐねぐねと蠢く不気味なモンスターの体に、圭介は手に余計な反動がかからないよう留意しながら己が武器を振り上げた。




