第十一話 懸念と覚悟
「第〇六七番、〇六八番、〇六九番のオアシスの機能停止を確認。表層が乾燥して底部に至っては砂が蓄積しています。これは、もう……」
「ゴグマゴーグの進路がやや東側に逸れています。恐らく第三一九番に狙いを定めたものと推定。この距離では今から対応したとしても間に合いませんので、第三一九番は事実上の機能停止と見なします」
「第〇七〇番の隠蔽終了。指定区域を完全に閉鎖しましたが、あくまでも付け焼刃の措置に過ぎないので警戒を続けます」
ダアト総合機構管理センター中枢、即ち移動要塞都市の操縦室に当たる空間。
ここには多くの操縦士が常にシフト制で配備されており、例えダアトそのものが停止している時であっても人員が途絶えることは絶対にない。
明日にはゴグマゴーグとの大規模戦闘を控えているという忙しない中に、都市全体を統治する立場にいるカレンがお手本のようなしかめっ面を下げて仁王立ちしていた。
彼女の視線の先にあるのは大型のモニター。高性能なドローンを複数基飛ばして撮影しているその場所では、相変わらず巨大な黒い帯が砂埃を巻き上げつつ移動していた。
ゴグマゴーグは相変わらずダアトの進路上に近づきつつある。時折向きを変えたかと思えば近い位置にあるオアシスの水を飲み干すばかりで、大まかな方向は一貫して同じ座標だ。
「多少の寄り道はあるものの、都度調整して同じ座標に向かい続けています。……何かこのポイントにあるんでしょうか……?」
「知ったこっちゃないわ。そこに何があろうと私の商売を邪魔した以上、この馬鹿ワームにはケジメをつけさせるだけよ。……レオ。勧誘の結果はどうだったの?」
不安そうな部下の言葉を一蹴して、それとは別の部下に声をかける。
応じたのは軽薄そうな笑みを浮かべたレオ・ボガートであった。
「はぁい! 保留だそうでーす!」
「まあ期待してなかったしそれは構わないわ。断られなかっただけマシと思いましょう」
サイコキネシスによる広域索敵網も、流石に音までは拾えない。自身が参加していない交渉に関しては部下から直接話を聞く必要があった。
「にしてもカレンさんがそこまで評価するのって珍しくないですか? やっぱ同じ念動力使いっていうのが大きいんすかね?」
「まあそれもあるけど。早めに唾つけとかないとあの第一王女に持ってかれるっていう焦りもあるわ」
「ほーん。圭介君ったらモテモテだあ」
感心したように唸るレオとは別に、カレン本人は目先の怨敵に意識を集中させている。
オアシスを潰された事への憤りももちろんあったが、それだけではない。
「まあ、今やるべきはあのクソワームをぶち殺すことだからそれは後でいいわ。私は前線に出られないからあんたらに頑張ってもらうことになると思うけど、死ぬんじゃないわよ」
「了解っす! 何が何でも意地汚く生き残ることを最優先して行動するっす!」
「敢えて否定はしないわ、いや寧ろそれを貫きなさい。まだ公的に広まっていない変異種なんてね、生態が未確認状態のモンスターみたいなものなんだから。下手したら私と第一王女様の二人がかりでも護り切れない場合だってあるかもしれないし」
最大の懸念事項はそれだ。
カレンの念動力とフィオナの結界魔術が組み合わされば大概の脅威は防げるだろう。少なくともダアトに住まう非戦闘員に関して言えば確実に護り抜けるという確信もある。ただ図体ばかり立派なモンスターなど物の数ではなかった。
それよりも彼女らの庇護の範囲外でもある前線に出なければならない者達への不安はあった。
何分、相手は変異種である。どんな特異性を有しているのかわかったものではない。
だからこそ対象となるモンスターには最大限発揮できる打てる手は全て打つ。
「砲台の管理は私がやるとして、そっちの方は? 今の時点で点検終えてないと間に合わないわよ」
「バッチリっすよ! 当日はあの黒蛇野郎をボッコボコにしてやりますんで、シクヨロっす!」
「蛇じゃないけどね」
ダアトが有する武器は剥き出しにされた砲台ではない。
本質は技術力と開発力、そして都市に住まう客人の中でも特に戦闘に特化した各種部隊にある。
数々の魔動兵器と戦闘用魔道具によるサポートをただでさえ強力な力を有する客人の更に戦闘に特化した部隊へ注ぎ込む事で、カレン本人を抜きにしても充分過ぎる戦力が獲得できるのだ。
その戦力は最早軍事力と呼んで差し支えなく、彼らが巡回しているアガルタ王国の軍事関係者にも一国家に対抗できる規模とさえ言われている程である。
モニターに映るゴグマゴーグは確かに巨大にして強大だ。これが通常の都市部にまで侵攻した場合、間違いなく大規模な被害は免れまい。それでも多くの魔動兵器と客人を孕むこの移動要塞都市には及ばないのが現実である。
(……ただ、嫌な予感もするのよねえ)
勝ち戦だろうと高を括る事は誰にでもできる。だがカレンの中に培われた長年の勘が楽観視を許さない。
そもそもの前提として、あのような膨大な量の栄養を必要とする巨大な変異種が突如現れるというのがどうにも胡散臭い。
本来であればあそこまで巨大化する前に発見され討伐隊が編成されて進路上付近まで移動する前に倒されるか、砂漠での食糧調達が上手くいかないまま餓死するはずなのだ。
しかし現実としてその存在は元気にオアシスを食い潰しながら移動し続けている。そんな真似が出来る程に育つまでの過程がすっぽ抜けた状態のまま。
次に不気味なのが的確にダアトと接触するルートを選んで移動していることである。
ただオアシスの水を目当てにしているのであればもっと不規則に動いてもよさそうなものなのだが、ゴグマゴーグは水分補給の為に少し角度がずれてもまたすぐに軌道修正して同じ座標を目指す。
本当にその座標、もしくは更にその向こう側に何かあるのだとしたらいっそその方が望ましい。最悪なのはあの忌々しい変異種の目的がダアトそのものだった場合だ。
もしそうだった場合、カレンがこれまで設置してきたオアシスを潰しているのも含めて何者かの作為によるものと考えられる。
そうなればゴグマゴーグを倒して終わる話ではない。
あの図体を遠隔操作できる実力者を探し出して取り押さえる必要があった。
それも現状では単なる推測に過ぎず、モンスターとの戦闘においては雑音にしかならなかった。
故にこの空間にいる誰もがその可能性も見据えつつ、論ずるだけの根拠と余裕が得られないまま明日を迎えようとしているのだ。
「……レオ」
「何すか?」
「一応、当日はあのクソワーム以外の周辺警戒もしっかりするように周りに言い含めておいて頂戴。今回負ける気はしないけど、どうにも無傷で済ませられる気もしないわ」
「了解っす」
今出来るのは精々警戒を強めることだけ。
それならせめて全力で警戒するしかないのだ。
* * * * * *
遠方訪問十日目、即ち最終日の朝。
「とうとう今日かぁ……やっぱ緊張するな」
これまで寝泊まりしてきた部屋の中で、圭介は頭を抱えながら荷物をまとめていた。
最近すっかり日課となった朝のジョギングと素振りは既に終え、朝食も食パンにジャムを塗ったくっただけの簡素なものだが一応は食べ終えている。
後は食休みと部屋の片付けさえ済ませてしまえばこの部屋に戻ってくる必要はなくなるわけだ。
二度と戻らない、と決めた部屋の中で修行の成果を顧みる。
あれから【サイコキネシス】の扱いは多少上手くなったという自負はあったし、ユーの剣も三回に一回は完全に避けられるようになってきていた。努力の成果は認めてもいいだろう。
しかし、幾度か修羅場を乗り越え厳しい修行を重ねたとはいえ、それが命懸けの戦いへの慣れに繋がるかというと話は別である。あるいは慣れ始めているからこそ緊張程度で済んでいるのか。
圭介自身の予想となるが、仮に転移して間もない時期の自分が今回のようなモンスターの討伐クエストを受けたとしても高確率で忌避感から参加そのものを見送ってしまっていただろう。
戦うどころか生き物を率先して殺すという経験自体、幼少期に蟻の巣を破壊して以来ずっとご無沙汰だ。
増して自分の命も危ういとなればまず間違いなく戦いそのものから逃げてしまうに違いない。
今の彼は彼自身が望まないままに、戦うという経験を積んでしまっている。
その経験が、実績が、彼の感情や価値観とは別に持つべき忌避感を薄めているのだ。
排斥派との戦いを通じて彼は数々の暴力を振るってきた。束ねた木々で相手を拘束したり、短剣で胴体に斬りつけたりしてきたのは間違いなくつい数ヵ月前まで平凡な日本の男子高校生だった少年である。
結果として今の圭介は『不慣れな命のやり取りに本来であれば感じるべき抵抗を失いつつある』という、極めてアンバランスな精神状態となっていた。
強引にでも例えるなら心の傷が時間の経過に伴って薄れていく感覚にも似ているだろうか。
過去の東郷圭介という人物は死につつあり、ビーレフェルトに来てからの東郷圭介に塗り替えられていく不気味さ。それが体を動かし精神を集中させる日々の中で誤魔化されているようにも思える。
「こういう時、漫画とかアニメだと主人公はどうするんだろ……そもそも彼らは悩まないよね」
フィクションの世界の住人に答えを求めても参考にはならない。少なくとも今、移動要塞都市ダアトにてゴグマゴーグとの大規模戦闘を控えているのは東郷圭介という唯一無二の人間である。
覚悟を決めるのも戦うのも彼自身なのだ。
「……っし、行くかあ!」
無理矢理に意気揚々と部屋から出て外の通りに出ると、まず襲いかかってきたのは静けさ。
既にゴグマゴーグ討伐も兼ねた城塞都市防衛戦の通知はダアト全体に流布されており、非戦闘員は全員が避難を終えている状態であった。
更に圭介が時間に余裕を持たせて出た事も手伝い、自警団や滞在中の冒険者などの戦闘員の姿もまばらである。
「あ、ケースケ君!」
そんな静寂の中で、聞き覚えのある声が響く。
宿直室がある建物の出入り口付近に、ユーが立っていた。以前見せてくれた戦闘用のジャケットと自動回復の術式が施されているブローチ、ハリオットを装備した状態である。
正直この環境下では暑苦しい恰好だったが、圭介は触れずにいた。戦いにファッションは必要ない。
「ユー、来てくれてたんだ」
「もちろんだよ。別々に行ったら同じ前線でも離れた位置に配置されちゃうかもしれないでしょう? 一緒に行けば同じ場所にいられるとは限らないけど、やっぱりケースケ君はまだこういうの不慣れだろうから心配で……」
「そっか。なんだか心配かけてごめんね」
圭介は作り笑顔を浮かべて軽く流しながらも、彼女の不安が深刻なものであると気遣わしげな表情から察していた。
元よりビーレフェルトに生まれ育った彼女が持つ死生観は現代日本育ちの圭介と大きく異なる。
大型モンスターの討伐や強力な客人との戦闘において死者が出るのはこの世界における常識だ。今回のゴグマゴーグとの戦闘でも、規模の大きさから死者が出ないということはないだろう。
もちろん自分がそうならないように立ち回る必要はあるし、最初からカレンもフィオナも充分な安全を確保した上で討伐に出ると決めたのだろうとも理解している。
この際ダアトの防衛機能を見てみようというのだから相当な余裕すら窺えた。
しかしここで油断した挙句「あの人が大丈夫と言ったなら自分も死なずに済むだろう」などと楽観的な判断をしてしまうことこそが、大規模戦闘において最も危険な行為なのだ。
前提として持っておくべきは常在戦場の意識なのだが、それがあれば生き残れるというものでもない。大体圭介はそんなもの持ち合わせがない。
モンスターが存在するだけで死ぬ機会が増え、生き残る機会を増やすための力は不足している。
ある意味でユーの心配は杞憂と言えよう。
圭介は正しい認識と恐怖を抱えながら戦場に赴くのだから。
「……気を付けようね。本当に」
しみじみとした声に感じるものがあったのか、ユーもそれ以上は何も言わない。
戦いを迎えようとしているダアトの街並みは閑散としており、ただ砂漠に吹きすさぶ冷たい風が夜の残滓を届けるばかりだった。




