第九話 変異種
「その、変異種って何なんですか?」
圭介が控えめに手を上げて質問する。
サンドワームの変異種、と言われても彼はそもそもの前提としてそのサンドワームなるモンスターを知らない。更にその変異種ともなれば、完全に未知の領域だ。
「私も“エルフの森”上がりの身ですので、サンドワームについては一応お話を伺いたいと思っています」
どうやら情報不足はユーも同じだったらしい。確かに森育ちのエルフなら砂漠の生き物であろうサンドワームとは無縁の生活を送ってきたのだろうと圭介としても想像はつく。
「まずサンドワームについて言うと、砂漠に生息する中型モンスターよ」
その質問に応じたのはカレンだった。
「外観は蛇のように長い体を持つ芋虫だけど実際にはムカデの仲間。休眠する事で体力を回復させる役割を担う防御に特化した仮死状態と、能動的に獲物を捕食する活性状態をローテーションするのが特徴ね。特に天敵がいないせいで基本的には寿命か共食い、あるいは仮死状態のまま飢餓に陥らない限り滅多なことじゃ死なないわ」
「……ありがとうございます。それで、その変異種というのは」
「大きさが桁違いなんですよ」
今度は物憂げそうなフィオナが答える。
「通常のサンドワームの体長は平均して十五ケセル、長くとも十七ケセルが記録上最長とされています」
ケセルはビーレフェルト全域で用いられる長さの単位で、一ケセルにつき凡そ二メートルとして定義される。つまり地球のメートルで表すなら通常のサンドワームの体長は三十メートルとされるのだろう。
それだけでも圭介からしてみれば充分な大きさだが、事の深刻さはフィオナが言う通り桁が違うらしい。
「変異種とは動植物に見受けられる突然変異の中でも、特に際立った異変を伴う実例を指す言葉です。頭部を三つ有するドラゴンや、人間ほどの大きさの動物を丸のみにして捕食するハエトリグサ。今回のように極端な巨大化もわかりやすいケースと言えましょう」
比較対象が放つ物々しさから、何となく圭介も嫌な予感を感じ取り始める。
「今回発見された個体、仮にこれを“ゴグマゴーグ”と呼称しましょうか。この個体の全長は未だ厳密に計算されてはいませんが、専門家曰くざっと見積もっても五二〇〇ケセルはあるとの事でした」
「ごっ……!?」
あまりの大きさに圭介の言葉も出し切れないまま途切れる。ユーも元より大きな目をぱっちりと見開いて驚愕していた。
「まあ、確かにそのくらいになりますね。これまでに発見された記録や目立った被害がなかったのは仮死状態が長かったからでしょうか」
対してカレンはあくまでも冷静に分析している。
自分の力なら御せない相手ではないと思っているのか、対策より先に生態に関する発言をする当たりその態度には余裕が見えた。
否、余裕どころではない。
「しかしだから何なのですか? これは明らかに民間で対応できる範疇を超えていますよね? であれば国が騎士団を派遣して応戦、ダアトは予定していたルートを迂回するだけで済む話じゃないですか。我々は確かに戸籍上貴国の国民となっていますが、わざわざ危ない橋を渡らされる民兵になった覚えはありませんよ」
あろう事か彼女は王族からの遠回しな依頼を蹴り飛ばそうとしていた。これには怯えたような態度だったセシリアも気色ばむが、フィオナはというと薄く微笑むばかりだ。
「確かにそうですね。ですが今回の一件、貴女は参加しますよ」
「理由は?」
「この動画とは別に撮影された写真が七枚あります。その概要こそが、貴女の戦う理由となりましょう」
言って差し出された七枚の写真は、カレンの呆れたような無表情を驚愕と憤激に染め上げた。
「…………っどぁあああぁぁぁ!?」
遠方訪問中にも見せた事のないカレンの動揺を前にして学生二人がギョッとする。
それに構う余裕もなく、わなわなと震える彼女にフィオナが声をかけた。
「ゴグマゴーグの移動ルート上付近にあったオアシス、計七ヶ所の昨晩の写真です」
「あ、これオアシスなんですか?」
「どうやら水を底まで啜り切られてしまった様子で最早湿っているだけの土くれの窪みと化していますね。恐らく日中に陽の光をたっぷりと浴びた今頃は乾燥して土の一部が崩れ水源に繋がる穴をも塞ぎ、完全にオアシスとしての機能を停止しているでしょう」
「チャーミー! テンビン! ノックテェェェェェェン!」
「オアシスに名前つけてたのか……」
「ったり前でしょうが!」
慟哭していたカレンが圭介の言葉に俯かせていた頭を起こした。
「私はねえ! オアシスに植える植物の育成、土の選定、水に至ってはただ選ぶだけでなく満足できるものが手に入らなければ一度濾過してからカリウムやら微生物やらバランス整えて混ぜ込んできてんのよ! それを、え!? 急に湧いたクソワーム如きに、七つ!? 私が愛情込めて作ったオアシスが七つ駄目にされた!? ぐぁああああああ割とダメージでかいぃぃぃぃ!!」
ソファの上で上半身をぶんぶんと振り回す姿は見ている方が心配になる程に苦しげである。
予想外にオアシスへの強い執着を示した職人魂溢れるカレンはこの時点でほぼ参戦が決定した。それは即ち、ダアト全体の動きが決まった瞬間とも言えるだろう。
一応は確認しておくか、と圭介がおずおずと手を上げる。
「では、僕達もこのゴグマゴーグというモンスターとの戦闘に参加するべきということでいいんでしょうかね」
「ええ。とはいえここは戦闘力の高い客人も揃っているでしょうし、城壁防衛戦で奮闘されたお二人の実力は私自身この目で見て確認しています。そこに私も参戦すれば以前ほどの苦戦は強いられないかと」
「ぐひぃ、ひぃ……そ、そこが一つ疑問なのですが。何故貴女ほどのお方が直接出向く必要性があったのでしょう?」
精神的に深刻なダメージを負っているものの、カレンの質問は極めて妥当だ。圭介も感情的な理由込みで「どうして来てしまったのか」という疑念を抱いてはいた。
問われた側はにこやかな表情のまま理由を話す。
「今回私が来たのは防衛戦に適した魔術を扱えるという理由が一つ。それと、もう一つの理由としてダアトの防衛力及び緊急時における対応力、並びに組織のコンプライアンスの査察も兼ねています」
「はぁ。何か私共の組織体系に疑いの目が向くようなことでもありましたでしょうか。加えて今回の一件、第一王女様のお手を煩わせる程でもないとこちらは愚考しますが」
淡々と説明するフィオナにカレンの眼光が向けられる。一しきり悶えて冷静さを取り戻したらしいが、気が立っているのは隠せていない。
同時に都市一つを統治する身としての矜持もあるのか、懐を探られることへの不本意さが顔に滲んでいた。
「あくまでもダアト在住の非戦闘員への被害を最小限に抑える上で私以上の適役がいなかったというだけなのですが、気を悪くされたようなら謝罪しましょう。ですが今回の場合、組織体系がどうというよりカレンさんの力が強大に過ぎるのです」
そんな相手からの威圧も彼女はさらりと受け流す。隣りのセシリアは小刻みに震えているように見えるが。
「ダアトの防衛機能が一個人の力に依存しているようであれば是正の必要もあるでしょうし、私の考えとしましてはこういった本格的な緊急事態に内部へ直接赴かねば見えない部分をこそ調べなければならないと考えておりますので」
「……つまり、今回私は手出しせずに傍観していろと?」
「もちろん人命以上に優先すべきものなどありません。カレンさんにはあくまでも文字通りの防衛力としてのご活躍をお願い致します。主に後方支援を中心に戦闘行為に参加していただくこととなるでしょう。もちろん御身はダアトの統治者です故、司令塔としての役割も期待しています」
「なるほど」
ふぅ、とカレンが息を漏らす。ゴグマゴーグを手ずから殺したいという意志が未だ残ってはいるものの、一応納得したようだった。
「それで、そこの二人の配置はどうするご予定で? 一人は前衛向きですが、一人はまだ方向性も定かでない状態ですよ」
言いつつ一同の視線は自然と圭介に集中する。
圭介自身の正直な意見としても、自分の適性がどこに向かっているのかという問いに即答できない。
念動力魔術の応用の幅は突き詰めれば突き詰める程に広く深い。
直接的な攻撃、間接的な攻撃、広域索敵網の展開、固定されている魔動兵器複数基の同時操作。
近距離から中距離、魔道具や魔動兵器を用いれば超長距離にも対応可能となる。
「そこはご本人の希望に沿った配置とさせていただくつもりです。いかに相手が強大なモンスターとはいえダアトには客人の戦闘員も多くいますから、どのように戦ってもそれで他の部分に不足が生じるということにはならないでしょう」
そしてフィオナの言葉も決定権を圭介に委ねる内容だった。一任されたからには自分で明確な答えを提示する必要がある。
しばらく無言で考えてから圭介は言葉を紡ぐ。
「……じゃあ、ユーと同じ前線で。最近ずっと剣を教えてもらってたので」
その言葉にユーの表情が僅か綻ぶ。確かに彼女に叩き込まれた限りを尽くそうという気概もあるにはあるが、それだけではなかった。
何だかんだここまで圭介はモンスター討伐をほとんど経験していない。精々がホネクイモグラの群れ程度だ。
異世界を平和に過ごそうというのであればそれでもよかったのだろうが、残念ながらそれはダグラスを始めとした排斥派が許さないだろう。
これから先、他人に向けて魔道具やグリモアーツを振るう機会が遠からず訪れるとこれまで平和な人生を送って来た彼も流石に察していた。
やや冒涜的な話になるが、命を直接奪うという経験を今の内に自らの手で直接経験しておきたいのである。
ほう、という感心したような吐息はセシリアから漏れだした。
「何だケースケ、剣など教えてもらっていたのか」
「ええ、つっても初心者なものでまだまだですが。それと師匠……カレンさんからは念動力の修行もつけてもらってます」
その圭介の言葉を聞いて、フィオナがちらりとカレンに視線を向ける。
「なるほど、近接戦闘と魔術の扱いについて教わっていると。確かに圭介さんには排斥派から襲撃を受けたという充分過ぎるほどの理由もありますし、きっかけが何であれ向上心があるのは素晴らしいことです」
「ありがとうございます」
「ま、現状最適な配置でしょうね」
どうやら自分から申し出た采配に誰も異論を持たないようで、圭介としては一安心である。
堅物の女騎士と暴食戦闘狂エルフが心の支えとなるこの空間において話し合いの早期決着は彼としても嬉しい。
「じゃあ、詳しい話はまたこっちで話詰めてから知らせるわ。二人とも今日はもう帰っていいわよ、ただし圭介はこの後仕事だけどね」
「わかりました」
「了解でーす」
ともあれ、オアシスを駄目にされてからやたら殺伐とした空気を発するカレンとそれを笑顔のまま眺めているフィオナから離れられるならこの際仕事に専念するのも悪くない。
圭介とユーの二人は軽く挨拶を述べてそそくさと退室した。
* * * * * *
「……二人は、もう」
「ええ、この建物から出て行ったわ」
セシリアの控えめな問いにカレンが応じる。
熟練者の【サイコキネシス】による索敵網は何よりも信頼性が高い。それを心得ているフィオナは満足気に頷いて、来たる戦闘への備えに踏み出した。
「では、詳細な作戦概要についての話し合いを始めましょうか」
「その前に一つ申し上げたいことがあるのですが」
が、それをカレンが遮る。
本来であれば無礼に当たるその行いも、しかし王城から来た二人は咎めない。
「はい、何でしょうか?」
「あのクロネッカーたら言う短剣を東郷圭介に与えたのはフィオナ第一王女様のご判断という認識で構いませんね?」
唸るような低い声はゴグマゴーグにオアシスを潰されたと聞かされた時以上の迫力を伴っていた。セシリアの頬を冷や汗が伝い、さしものフィオナもその圧力に薄ら笑いを引っ込める。
「ええ、私が城壁防衛戦の追加報酬の一つとして与えました。元の世界への帰還願望がお強いご様子でしたので、何かの助けになればと」
「何かの助け、ね」
カレンがわざとらしく鼻息を短く放ち、
「おかげでこちらは致命傷を負いかけましたがね」
彼女が内包する怒りを具現化するかのように、壁にかけられた時計が轟音と共に粉微塵に砕け散った。
流石にセシリアも右手を鞘に納めた“シルバーソード”の柄へと伸ばすが、その動きをフィオナが無言のまま手をかざして制する。
「……“大陸洗浄”で八面六臂のご活躍を見せた貴女ほどの人物に、いかなる経緯があってそのようなことが起きたのかは想像もつきません。しかし私の判断によりご迷惑をおかけしたとあらば王家の名に恥じぬよう謝罪致します」
「謝罪は結構、それ自体は既に終わった話です。加えて貴女様の善意も悪意も私には証明できかねます。ただ覚えておいていただきたい」
「聞きましょう」
「今後、客人にあのような強力な魔動兵器を持たせるのであれば事前にこちらにもご一報いただきたく存じ上げます」
それは、脅迫ではなく忠告であった。
次もやらかせば慈悲を示せる自信はない、と。
「危うく彼を殺してしまうところでしたのでね」
気を静める為か、カレンは冷め切った紅茶に口をつける。
その様子を見ながらフィオナの右手が左手をぎゅっと押さえつけていた。
「……ええ、必ずや貴女の耳に入るよう尽くしましょう」
浮かべる笑顔は、十代の少女が取り繕ったにしては上等に演じられていただろう。




