第八話 微笑みの再来
「……あんた、その、大丈夫?」
「え? 特に何ともないですけど」
遠方訪問七日目。
いつも通りに装甲板の清掃をしている圭介に、またもふわりと現れたカレンが声をかける。
以前とは異なり心配そうな声色なのは顔やら腕やらに見受けられる怪我の痕跡のせいだろう。
肉体的な修行を申し込んだあの日から、ユーは一切遠慮せずに圭介をしごき続けた。
死角からの攻撃や武器を持ちながら武器を無視して放たれる体術、果ては頭を壁に叩きつけたりもされた。
途中から圭介の打たれ強さに気付いて更なる苛烈な攻撃も交え始めた時には流石の圭介も気絶しかけたものである。どうも彼女には指導する側に回ると人格が変わるきらいがあるようだった。
圭介としては特にそこに感じるものなどない。戦う術を学んでいるのならそれはそれとして受け入れられたし、合間に挟まる休憩時間にエリカやミアの次の訪問先について聞けるのは有意義に思えた。
その中で刻み込まれる怪我も痛みも一日で慣れたが、どうやら他人から見ると相当凄惨な状態らしい。腫れと絆創膏の数が多いせいで実際のダメージ以上に深刻に見えてしまうようである。
「まあ仕事に支障がなければいいけどさあ。修行の方も頑張ってるみたいだし」
「うす、何だかんだマジで勉強になったっす」
念動力の修行も順調に進んでいた。
面白いことに、綺麗なアルミ玉を制作できるようになるとその完成度に比例して水の球体を維持できる時間も増えていくのである。
カレンの言っていた万遍なく力を加える感覚を自分の手で獲得していった結果と思えば、あの一見馬鹿馬鹿しい作業も修行の一環なのだと理解できた。
「自分の手で触って学ぶって大切なんですねえ。それでもまだまだですけど」
「変なタイミングで達成感に浸らない点は評価するけど明日には来客も来るんだから、今日はチャンバラであんま無茶するんじゃないわよ? あんたみたいな怪我人が当たり前に歩いてたら私が神経疑われるわ」
「は? 来客って……もう砂漠に入ってしばらくしますよね? こんな所まで来る人がいるんですか」
どんな奇特な輩だ、と圭介は目を瞠る。
それに対してカレンは珍しく居心地の悪そうな顔で頭を押さえていた。
「いやあそれはこっちもね……予想外というか何というか。結構唐突に来ることが決まった特別ゲストよ。とにかく回復魔術を使う部下に待機してもらってるから、なるべく綺麗に怪我を治してもらいなさい」
「それは、どうも。でも僕が小奇麗にしてもそのお客さんに関係ないんじゃないですかね。あくまでただ遠方訪問で来てるだけの学生という扱いでしょ。じゃあ普通にしてればいいでしょ別に」
「遠方訪問中の学生が怪我だらけってのも体裁悪いでしょうが。いつあんたの顔見られるかわかったもんじゃないんだから」
「あ、それなら僕部屋に篭ってましょうか? 要するに見られなければいいんですよね、それなら……」
「んなもんどうだっていいから治せっつってんのよグダッグダとるっさいわね逆らうようならこの場で麻酔なしの性転換手術するからね」
「すみませんでした」
ナニとは言わないが、縮んだ。
「それでその特別ゲストってどんな人なんですか? ダアトに来るってことはやっぱり客人なんですかね」
「誰にも素性を言わないように言われてるから詳しい話はできないけど、少なくとも客人じゃないわ。あんたも面識ある人よ」
「僕と面識が……?」
デッキブラシの動きは止めずに思案する。
砂漠を移動しているダアトに途中から入ることができる。
怪我人がいる所を見せるのがカレンとしては都合が悪い。
更に圭介と面識がありカレンもそれを承知している人物。
(……まっさかー)
嫌な予感がしたので思考を打ち切り、適当に「へー誰だろうなー」と口笛を吹きながら清掃活動を継続した。
仮にこの予感が当たっていれば、否応なしに圭介はその相手と顔を合わせられる羽目になるだろう。せめて箱の中にいる猫の安否がわからない内は平穏に過ごしたかった。
「ねえ、デッキブラシとバケツがランバダ踊ってるけど。どんだけ動揺してんのあんた、ねえちょっとってば」
* * * * * *
ダアト中央通りから少し外れた場所にある、建築物に囲まれた広いスペース。
この四角い広場は公的なものではなく、あくまでも使われていないだけで近隣の建物の敷地内だ。
本来であれば何かしらの活動をする際には許可を得る必要があるのだが、何ら意味も目的もないこの場所での活動は善意から見過ごされていた。
圭介とユーの斬り合いもその一つである。
「ふっ」
「ぐべぇっ」
「はっ」
「がふぁあ」
「てぃやっ」
「ぶぼぁ」
斬り合いと呼ぶには一方的に過ぎる光景ではあったが。
「ケースケ君、何度も言うようであれだけど攻撃は避けられるなら避けて。打たれ強さっていう強みはこの際捨てて。木刀じゃなかったら今頃十八回は死んでるしこっちが手加減してなければその倍は殺してるよ」
「ふぁい、ふふぃあへん」
「わかってるのかなあ……とりあえず休憩しようか」
彼女の言う“休憩”とは体力の回復に要する時間ではない。
圭介に一時的に貸し与えた自動回復の術式が組み込まれたブローチで、彼の怪我がある程度治癒するまでの余暇時間に過ぎないのだ。
「いーぢぢぢ……。あ、そうだ」
ボコボコに殴られ続けた顔にブローチを擦りつけながら、圭介がユーに話すべき事項を思い出す。
「ユー、今日は怪我が残らないようにしてもらっていい? 明日ダアトにお客さんが来る関係であまり怪我した状態でいて欲しくないって師匠に言われててさ」
「あ、そうなんだ。じゃあもう今日はここまでにしとこっか」
暗に「その報告がなければまだ痛めつけていた」と告げられるも圭介からしてみれば慣れたものだ。
「そうだ、あの後念動力の修行はどうなったの?」
「はいこれ、修行の成果のアルミ玉」
「え、いきなり何なの……渡されても困る物ランキング上位のヤツ渡されたけど……」
「念動力魔術の修行でダメだしされた挙句にコレ作るよう言われてね。実際それでちょっとは上達したんだから師匠の言うことは馬鹿にならないなあ」
「ふうん。一応ちょっとは【サイコキネシス】使えるようになったんだね。よかったじゃない」
「本当にちょっとだけどね。十秒は保てるようになったよ」
【テレキネシス】の時もそうだったが、適性のある魔術というものは習得自体は決して難しくない。
ただ自分で満足できるところまで使いこなせるかとなると、どうしても反復練習と試行錯誤が必要になってしまうのである。ここは恐らくスポーツ選手の技術向上と同じ理屈なのだろう。
「いやあ、水を球状にまとめるって思ったより難しいわ」
「私じゃ一生口にしないであろう発言を平然とするよねケースケ君って」
季節柄遠い夜も近づく時間帯、二人の学生は着実に実力を伸ばし続けていた。
* * * * * *
遠方訪問八日目の朝、圭介とユーはカレンに呼び出されて以前案内された[ベヒモス・ビル]六階の一室に来ていた。
どうやら圭介も知っているという特別ゲストとの顔合わせがこれからあるらしく、中は以前の散らかりようが嘘のように片付いていて柔らかそうなソファまで置かれている。
「それで結局まだ誰が来るのかは教えてくれないんですね……」
「言うなって言われてるからね」
圭介とユーは予め持参した学生服で構わないとの話だったが、カレンはそうもいかない。
彼女は現在、季節に合わせて爽やかな水色のドレスを着こなしている。フリルなどの装飾は最低限に抑え、ネックレスもシルバーチェーンのシンプルなものだ。
外見年齢のせいでどこか背伸びした子供にも見えて微笑ましい。
「別に言ったところで何が変わるとも思えないけど。よっぽどあんたらをからかいたいのかしら」
「でもケースケ君も知ってる人なんでしょう? それなら誰が来るか予想もできるんじゃない?」
「うん。できるよ」
「ああ予想したくないんだね。じゃあいいよ、無理しなくても」
察しのいい仲間である。
壁にかけてある色々と歪過ぎて見づらい時計を見ると、約束の時間が迫っていた。
「言っとくけど本気で偉い人が来るからね。知り合いってもあんたら失礼働くんじゃないわよ」
「あ、はい」
「私は今の忠告で誰が来るのか大体わかりました……」
学生二人が諦観の表情を浮かべた辺りで、部屋の扉がノックされる。
無駄に緊張感を醸し出す圭介を鬱陶しそうに眺めながら、カレンがそれに応じた。
「どうぞ、中へ」
その声を聞き届けたらしいノックの主が、ドアノブを回して扉を開く。
銀色の鎧に腰に携えた長剣、赤茶色のポニーテール。圭介達の顔を見て若干申し訳なさそうにする化粧っ気のない美人の姿がまず見えた。
言わずもがなアガルタ王国にて王城組として知られる女騎士、セシリアであった。
「…………」
「…………」
「…………」
「あの、中へ入って頂いて結構ですよ?」
無言のまま交わされる学生と騎士の見つめ合いを訝しみながら、カレンが入室を促した。
それに反応したのはセシリアではない。
「セシリア、早く入りなさい。私が入れないじゃない」
花の香りを運ぶ草原のそよ風にも似た綺麗な声だった。
「ひひぃん」
「え、何で急に馬のモノマネしてんのあんた」
「ぶぶるッ」
「徹底すんな」
圭介の嫌な予感が当たったことによるストレスが声になって漏れ出てしまい、カレンに変な誤解をされてしまったが今この場で重要なのはそれではない。
圭介がビーレフェルトに転移してから出会った人々の中でも屈指の苦手意識を抱くその人物は、やや躊躇いながら横にどいたセシリアの背後から現れた。
「皆様、お久し振りです。最後にお会いしてからも健やかに日々を過ごされているようで安心しました」
白々しい程にこちらを慮る発言と花の幻を伴う美しい笑顔。
アガルタ王国第一王女、フィオナ・リリィ・マクシミリアン・アガルタその人である。
「お久し振りです、フィオナ様」
カレンは圭介の反応を珍獣でも眺めるかのような目で見ていたが、すぐに恭しく一礼しながら挨拶した。
フィオナに対して「久し振り」という彼女に圭介達は違和感を抱いたが、すぐに彼女がダアトの長であることを思い出す。流石にこの規模の城塞都市を管理している強力な客人となれば王族との繋がりがあっても不自然ではない。
続けて学生コンビも彼女の応対に倣う。
「お久し振りです!」
「お久し振りです……」
圭介の落ち込み具合に関してはこの際気にするのも面倒と判断したのか、その場にいる全員が無視した。
「カレンさん、今日は突然の来訪失礼致しました」
「いえいえ。さ、こちらへどうぞ」
一応は丁寧な応対を心がけているのだろうが、「さっさと座らせてぱっぱとお茶を淹れてとっとと話を終わらせよう」という思惑が透けて見える対処である。フィオナもそれを察したのか促されるままにソファへと座り込む。
「あんたらも座りなさい」
圭介とユー、そしてセシリアに対してまでも声のトーンを一段階下げて命じる彼女に圭介は心中で「電話応対し終えた母ちゃんかよ」と突っ込みつつソファに腰掛けた。L字型の長いソファには五人が座る為に充分なスペースが用意されている。
五人全員が座るとカレンの念動力によるものだろう、茶器が勝手に動いて紅茶と茶菓子の準備をし始めた。失礼な応対ではないかと思う圭介に反して、フィオナは涼しい顔である。
「お二人は城壁防衛戦の祝勝会以来となりますね。ユーフェミアさん、その後ハリオットの様子は変わりありませんか?」
「は、はい。何かと助けていただいてますっ。最近はケースケ君にも使ってもらってますっ」
話の内容から察するに彼女が持っている自動回復術式が組み込まれたブローチ、ハリオットはフィオナからの贈り物らしい。
どういう経緯で、と圭介は一瞬考えるがすぐに以前自分自身があの祝勝会で「他の三人に追加報酬を与えてやって欲しい」とフィオナに言ったことを思い出した。
「それは重畳。ケースケさんも、クロネッカーの調子はいかがでしょう?」
フィオナの視線が圭介の腰に下げられた短剣に注がれる。
一瞬、カレンの表情がぴくりと動いた気がした。
「はい、問題ありません……」
「何よりです。皆様の息災を確かめて私も安心しました」
ふう、とわざとらしく胸を撫で下ろす。
「それで、本日はどういったご用件でしょう? 何かダアトに関する問題が発生したようでしたらすぐに対処致しますが」
と、社交辞令は終わりとばかりにカレンが口を開く。気付けば声の調子も媚びを捨てていた。
大丈夫か、と圭介とユーがフィオナの懐刀であるセシリアに目を向けると、こちらはこちらで蛇に睨まれた蛙よろしく硬直している。どうやらパワーバランスは彼女よりカレンの方が上らしい。
「はい。今回こちらにお邪魔させて頂いたのは、緑化計画の障害になり得る存在を発見したからに他なりません。セシリア、例の映像を」
「はっ」
そう言っていつぞやの焼き直しのようにセシリアが懐からタブレットを取り出し、映像を映し出した。基地局が存在しないダアトでも使えるようにするためか、何らかの術式が立体的に浮かび上がる無線ルーターらしき機材も一緒に並べる。
「これは昨晩の午後二十三時四十五分、アガルタ王国第七五八砦がドローンを用いてレナーテ砂漠の様子を上空から撮影した映像です。場所はダアトの進路上。今のスペースだと辿り着くのは二日後、そちらのお二人にとっては遠方訪問最終日の日中となるでしょう。三分程動画を先送りしますね」
フィオナの指がすっと動画のシークバーを動かす。
場面が少し飛んだ所で、映像はとんでもないものを映し出した。
「……はああぁぁぁ」
心底面倒臭い、と言いたげな溜息はカレンの口から漏れたものだ。
圭介とユーはそれどころではなく、ただ沈黙するばかりである。
映っていたのは砂漠で大量の砂埃を巻き上げながら暴れ回る紐のような存在。
否、映像では掴めない遠近感に騙されそうになるがそれは紐などという可愛いものではない。付近にあるオアシスとそこに群生する植物の大きさから比較することでどれほど巨大かがわかった。
それは道のように長く、塔のように太く、夜のように黒いモノ。
「……サンドワーム、の変異種でしょうか」
「はい。二日後にこの城塞都市を襲うであろう、記録上最大級のイレギュラーです」
カレンとフィオナのやり取りで圭介もユーもある程度察した。
――またも大規模な防衛戦が始まろうとしているのだと。




