第七話 銀と白
砂漠に生息している生物というのは、その多くが厳しい環境での生存に長けた生態的特徴を有する。
特殊な体液で砂を固め、直射日光を受けない地中の巣穴を形成する昆虫。
地下水脈に根を張り巡らせ、肉厚な葉の内部に水を溜めこむ植物。
他の生物を食い殺し、その血液を啜って喉を潤す肉食動物。
レナーテ砂漠にもそういった生物は存在しているが、総数は砂漠全体の面積に対してそこまで多くはない。
カレン主導の緑化計画によってオアシスが増えた事により生態系が僅かにでも変化しつつあるからだ。
「それでもこういうモンスターは沸くんですねえ」
黒いアーミージャケットに身を包み胸元に回復術式が組み込まれたブローチをつけたユーが、なます切りにされたモンスターの亡骸を無感情に睥睨しながら呟いた。
サソリに類似した姿形をしているものの、その実態はアリジゴクに近い形で砂場に潜み獲物を狩る吸血甲殻類。
名をサンドシザース。砂の鋏と呼ばれるだけあって巨大な鋏を持っており、それで獲物を捕らえて外殻や皮膚を剥がし、露わになった肉に牙を突き立てて血を啜る砂漠の嫌われ者だ。
「どうもダアトをデカい弁当箱か何かと勘違いした肉食動物が多いみたいでね。こいつらのせいで護衛を雇わないとオアシス作りに時間がかかり過ぎるから、正直とっとと絶滅させてやろうかとも思ったけど」
「けど?」
「生態系がどうのこうのと、まあいつもの理屈で馬鹿共にごねられてね。その生態系を大幅に変えるような真似をしてる最中でしょうに」
言いつつカレンは念動力を用いて砂漠に民家一棟程度なら収まりそうな窪みを作り、城塞都市から運ばれた大量の土と植物を敷き詰めていく。
中央に更なる穿孔があるのは後にこの場所をオアシスとして機能させる水を入れる為だろう。
「さて、地下水脈と繋がる穴も空けとかないとね」
「……本当に万能なんですね、念動力魔術って」
感心したようにユーの口から言葉が漏れる。
広大なレナーテ砂漠の緑化計画ともなれば魔術を用いたところでモンスターやオカルト、あるいは客人主導で動く計画を阻止せんと蠢く排斥派による妨害なども加味してあらゆる要素による計画の遅延が考えられる。
最短でも百年は超えるだろうと考えていた彼女だったが、念動力魔術による力技を見せつけられて自身の浅い計算を投げ捨てる結果となった。
「こんなの使いようよ。そんなこと言って、あんたの魔術だって充分応用力高いじゃない。正直念動力をとやかく言えないわよ?」
「えへへへ、ありがとうございます。……あ、また来ましたね。今度は二体」
そう言うとユーは体の向きを反転させる。
彼女が身に着けた新たな魔術、広域索敵用術式【漣】。
目には見えない極微小な魔力の刃を無数に展開し、自身を中心として周回させる事で周囲の状況をある程度俯瞰できる優れものだ。
エリカのマッピング程索敵範囲が広いわけではないが、刃の動きを周回から直線移動に切り替えれば牽制程度の攻撃手段にもなり得る。
以前の遠方訪問先で鍛錬の手伝いをした道場の弟子達が、持て余した欲望を彼女にぶつけようと幾度も不意打ちしてきた結果身に着けた魔術であった。
気配を察知する事はできても、細かい動きを把握するとなるとこういった魔術も必要になってくる。
因みにその不届きな行いに及ぼうとした弟子達は彼女によって根性を文字通り叩き直され、最終的には発言を許可されない限り殴られても蹴られても声を一切出さないまでに訓練されてしまったがそれは今関係ない。
何はともあれユーの視線の先には人型の何かが二体並んで、のそのそとオアシス設置場所に向かって来ていた。
その正体は植物の蔓が筋繊維の如く絡みついた人骨。歩みは遅く、全体的に細い体はどことなく頼りない。
「あれは……寄生樹? 砂漠にもいるんですね」
寄生樹、とは固有名詞ではない。生命体に寄生し、肉体を支配下に置いて栄養源を吸収しながら宿主を操縦する植物の総称である。
一般的には森林地帯に生息しているというのが共通認識としてあるが、砂漠で活動するものは稀有な例と言えよう。
「私もこの辺では初めて見るわね。緑化計画が進んでる証拠かしら。だからってのさばられても邪魔だし倒しといて」
「【首刈り狐・双牙】」
許可が出るや否や、グリモアーツ“レギンレイヴ”を振るって魔力の斬撃を同時に二閃放つ。
それぞれの斬撃が別々の寄生樹へと飛んでいき、片方は脳天から股間にかけて、もう片方は左肩から右脇腹にかけて断ち切った。
寄生樹は宿主を操縦するだけの能動性を有するが、再生能力は通常の植物と比較しても遅い。
特に水分の少ない環境で無理も祟ったのだろう。
分断された体を繋ぎ合わせる様子も見せず、灼熱の環境下でようやく宿主を見つけたそれらは求めた水も得られないまま実質的に絶命した。
「お疲れ様。何なら今水分補給しちゃっても良いわ」
「わかりました。人の死体も当然のようにあるんですね、この砂漠」
「そりゃ人が滅多に来ない環境ってことは逆に言えば誰かから逃げるには最適な場所ということにもなるでしょうし、逃亡中の誰かが迷い込んで運悪くオアシスも見つけられないまま干からびるケースもあるんじゃない?」
まるで野菜の売り切れに対する物言いのようだが、内容は物騒なものである。
「あの骨も元は脱獄囚か何かかもしれないし、念のため国に報告しとくわ。後処理の心配はしなくていいから」
「ありがとうございます。……しかし緑化の影響は凄まじいですね。正直もっと砂漠特有の凶暴なモンスターに囲まれるのを想定していたのですが、護衛が私一人で賄えるのもよくわかります」
「そりゃそうよ。そんな事態になるようならもっと大勢雇うか、先に私一人で砂漠に出て迷惑になりそうなモンスターから優先して絨毯爆撃してるわ」
“危険”ではなく“迷惑”という言葉選びが実に彼女らしい。
雑談する間にも地下水脈との接続が終わったらしく、土で作った巨大な器に下から水が湧き出始める。
後は水を入れて内容量を安定させるだけだ。念動力を使わない本来の緑化計画の概要を知る者が見れば笑えてしまう程に呆気ない。
「そういえば、疑問だったのですが」
「何かしら?」
「何故カレンさんは――というより、ダアトは砂漠の緑化計画を進めているのですか?」
「……昔やんちゃした客人の尻拭いよ」
その問いかけにカレンはやや気まずげな表情で返した。
「? その、尻拭いとは……」
「あんた確か十六歳だったわよね? 信じられないと思うけど、三十年以上前のレナーテは森林地帯だったの」
「えっ!?」
驚きの声を上げてから、思わず周囲を見渡す。
たった今設置された(という表現もおかしいが)オアシスを除いて、緑色は見えない。
いかに手早く済ませられるとは言っても面積が広すぎるのだ。この緑化計画の進捗を以てしても、レナーテ砂漠はどこまでも砂漠でしかない。
「この、砂漠がですか……」
「そ。まあ生えてた樹もコクタンとかヒノキとか、木材に適したものでね。当時の木こり達はそこで仕事してたんだけど、ある日後先考えられない客人がしゃしゃり出てきてやらかした」
その客人がやったことを一言で言えば、当時まだビーレフェルトに浸透していなかった重機車両の乱造。
「より効率的に」という謳い文句とモンタギューも使っていた第四魔術位階【クレイアート】を掲げて多くの車両を作り上げ、とにかく見える範囲から樹木を伐採していった。
一本一本の樹にかけていた時間が馬鹿らしく思えるほどの速度で仕事が進むのが余程痛快だったのか、木こり達もこぞってその重機操作を中心とした商いに参戦していった。
反対意見は、少数派の戯言として切り捨てられた。
結果として切り株だけを残された木々は満足な後処理もされないまま死に絶え、植物が数を減らしたことで動物も激減。動物が減った影響で肥料となる動物の糞も減り、更に木々は痩せ衰える。
後になって木こり達が異常事態に気付いた頃には既に手遅れだった。
稼ぐだけ稼いだ客人は何も言わずに夜逃げしており、水分を保持できなくなった土は砂へと姿を変えていたのである。
「確かに地方によってはまだギリギリ客人特有の知識をひけらかせる時代ではあったのだけれどね。土地柄と住人の都合に合わせたわけでもなく、ただ自分ができるからってロクな考えもなしに突っ走った結果がこのザマよ」
「はぁーっ。客人って異世界の文化を持ち込んで大陸に恩恵を与えるものだと思っていましたが」
「排斥派との癒着を疑われることを嫌ったメディアによる印象操作ね。私みたいなもんからしたらあそこまで客人に媚びを売られても逆に疎ましいわ。事実を述べろってんのよ事実を」
「何やら随分とマスメディアに恨みつらみがあるご様子……」
「以前テレビ局から特番の話があってね。あっちが頭下げて取材許可求めて来たから許可したってのに、私の姿を場面に映す瞬間にやたらファンシーなエフェクトと効果音入れやがった時のことは今でも覚えてるわ。ったく誰が大陸一可愛い統率者よ……お偉いさんにそっちの気でもあったのかしら……」
ぶちぶちと呟きながら土の窪みに水を流し込んでいく。巨大な容器からずるずると移動する水は透明で巨大なナメクジにも似ていて不気味だ。
簡単なやり取りを経て、ユーもこのカレン・アヴァロンなる人物への印象を大きく変化させていた。
ただ気だるげで他人に厳しく自堕落、という第一印象は既にない。
どちらかというと世話焼きな性分なのだろう。依頼だからとわざわざ圭介の修行に必要となるアルミホイルやらハンマーやらを調達し、ユーの腹を満足させると同時にダアトの飲食店に迷惑がかからないように食材を豊富に蓄積している飲食店を三ヵ所も紹介してくれている。
この緑化計画にしてもそうだ。
今の話と移動城塞都市ダアトの年間移動ルートに関する政治的な話を併せて考えた場合、彼女の行いは客人全体とアガルタ王国全体の双方にとってメリットとなる。貧乏くじを引かされたのは彼女一人、しかし当の本人は「仕事だから」と希少性の高い念動力魔術を十全に活かして活躍している。
そもそも本当に自堕落な人間であればダアトの最高権力者などというこの大陸で最も面倒な立ち位置には立たないだろう。
強力な魔術を使う客人の集団を統率し、排斥派からの攻撃にも対応し、それら全ての動きでアガルタ王国を納得させなければならないのだから。
部屋の片付けが不充分であっても態度や発言が多少傲慢であっても、彼女はユーが知る限り誰よりも真面目で献身的な人物であった。
「カレンさん」
「あ? どうしたの?」
だからこそ、剣しか振るったことのない自分に何が出来るかを考える。
アポミナリア一刀流に打ち込んできた彼女は、その中で常在戦場の精神と共に他者から齎される恩恵の有難さも学んでいた。
報いることの大切さは戦いとは無縁の存在であった圭介ですら重んじていて、わざわざ苦手な相手が味方の陣営にいる城壁防衛戦に参戦までしている。ならば彼と同じ客人であるカレンにもその気持ちは伝わるはずだ。
「私にも、何かこの仕事以外にできることってありますか?」
そんな発言をしてしまったのは、もしかしたら自分の近くにいる世話焼きな獣人の少女の姿を彼女の向こうに幻視したからかもしれない。
善意のつもりで発したその言葉に、しかしカレンの表情は険しい。
「じゃあ一日辺りの食事量を減らしなさい。ダアト内部の食糧だって無限に備蓄があるわけじゃないんだから」
「すみませんでした……」
頭を下げると同時、またも【漣】にモンスターが引っかかる。
これ案外カロリー消費するなあ、という心の声をユーは必死に抑え込んだ。
 




