第三話 かわいがり
カレンと圭介が来たのは先ほどまでいた時計塔から歩いて十分ほどの場所にあるドーム。
彼女曰く「自由に使える体育館のようなもの」らしく、今日は事前に使用許可を得ていたからか中には二人以外の人影がない。
ぐるりと彼らを取り囲む小豆色は壁に沿うようにして設置された観客席らしき椅子の羅列である。
(中学時代、友村君のバスケの試合見に行った時を思い出すなあ)
ちょっとした微笑ましいエピソードが脳裏にちらつく。
だが、ドッジボールでもないのに顔にボールをぶつけて鼻血を吹き出す友人の泣き顔を思い出している暇などない。
目下重要なのはどのような形での修行を受けることになるのかである。
「馬鹿共がいざこざを起こした時には基本的にここで殺し合わせようと思って建てさせたんだけど、それ言ってから一度も目立った揉め事が起きてないのよね。ったく退屈ったらないわ」
「そりゃ殺し合わせようとするからじゃないですかね……」
本当に地球出身なのだろうかと疑念すら覚える物騒な意見である。
そんな呑気な考えを頭の中に巡らせている内にカレンは圭介と向かい合う位置に移動し、腕組みしながらふんすと鼻息を吐いた。
何をしようとしているのか、不遜な態度以外に情報が得られず圭介としては困惑するばかりだ。
「とりあえずこれから鍛える上でどこまでやって良いか判断したいから、まずはアンタが現状どんだけ念動力魔術を使えるのか見てあげる」
どうやって、と問いかけるより早く求めた情報が吐き出される。
「とりあえず三回私の攻撃を避けられなかったらそのままこの場で修行始めるからそのつもりで。逆に五分以内に私に一撃入れられたら修行の必要なしと判断して、今私の頭の中にある予定よりは楽な十日間を約束してあげるわ。私はこのままで構わないからとっとと【解放】してかかって来なさい」
「えっ」
目の前の少女(に見える年上の女性)は投げやりな声でとんでもないことを言う。
「いやあの、流石にそれは……」
「あ? 何、ハンデが足りない? じゃあ私は一歩も移動しないし手も指一本動かさないから」
「何で逆にハードル下げた!? 危ないでしょどう考えても! せめてそっちもグリモアーツ出しましょうよ!」
「寧ろアンタの方が危ないからハンデ設けてやってんでしょうが。私が本気出してアンタを攻撃しようもんなら【解放】なんざしなくたって一瞬でミンチ肉にしちゃうから意図的に手加減してるのよ」
「そんなにっすか!?」
「少なくとも今のアンタじゃね。だからせめて私にちょっとくらい強めに攻撃しても大丈夫と思わせられればそれで構わないわよ」
そこまで言われても尚、人間に対する攻撃というものに激しい抵抗を覚えてしまうのが現代日本の一般的男子高校生である。
仮に喧嘩慣れしていたとしても、サーフボードほどはあろう金属の塊を華奢な少女に向けて躊躇いなく振り下ろせる人間など多くはあるまい。
しかしカレンはそんな圭介の様子を見て苛立った様子を見せた。
「相手の見た目や自分の攻撃力が判断を鈍らせるってんならそれは甘えに過ぎない」
言われると同時、圭介の視界が左側に傾く。
「えっ――」
「ほら、まずここで一度殺されたわよ」
声を聴いている間にもこめかみが床に叩きつけられ、あまりの痛みに思わず転がり回る。
「づぁっだっだああああ!」
「私がかかって来なさいって言ってからどんだけ時間が経ったと思ってんのよ。まさか実戦でも敵がわざわざ戦いの合図してくれるとか考えてないでしょうね」
予想以上に実戦的なカレンの物言いと振る舞いは目を覚まさせる材料として充分に効果を発揮した。
本格的に鉄火場臭い戦闘訓練を叩き込まれることへの恐怖が腹の底から生じる。
横転しつつ圭介は懐からグリモアーツを取り出し、同時にポケットから小銭をいくつか取り出して投擲できるように構えた。
「【解放“アクチュアリティトレイター”】!」
眩い鶸色の燐光を散らせて“アクチュアリティトレイター”が現れる。
「……!?」
その【解放】を目の当たりにしたカレンの様子が、戸惑いという形で一瞬だけ変化した。
しかしその一瞬を経て再度冷静さを取り戻した彼女は結局宣言通り一歩も移動せず、指一本も動かすことなく直立を続ける。
「行きます!」
怒鳴るように宣言して金属板の先端を突き出すも、
「無言で来なさいよ」
その打突すら横に逸らされる。
どころか結果的に力を上手く伝達できないままブレた体の軸を、見えざる力で床に叩きつけられてしまった。
「ゴッハァ!」
「二度目。あんた次で最後よ、気ぃ引き締めなさい」
ダメージはそこまででもないがそれは圭介の痛覚が若干鈍いからだろう。
常人であれば立ち上がるのに幾ばくかの時間を要する痛みであり、彼女が本気で攻撃を繰り出すのであれば三度目の死を迎えている局面でもあった。
「ぐ、くっそ……」
その痛みと同時に、違和感もある。
対象を動かすだけならまだしも叩きつけるなど、【テレキネシス】では不可能なはず。
しかし周囲に圭介の体を殴りつけるような物品は存在しない。
(念動力魔術を使うってことは……まさか)
ある一つの仮説に至る。
同時に、根本的な実力の差を否応なく思い知らされた。
「……どうしたの? 諦めた?」
落胆の色を滲ませた声は意図的なものだろう。相手は圭介がこれ以上落胆されまいと猪突猛進することを求めている。
恐らくは実力の差を早い段階で思い知らせるために。
(焦るな、落ち着いて考えろ。僕の予想通りだとしたら搦め手使わずに勝てる相手じゃない)
腰の鞘からクロネッカーを抜いて、【テレキネシス】で宙に浮かせる。
続けて【テレキネシス】を用いて周囲に何か動かせるものがないかを探った。
操る為ではなく、周囲に想定した通りのものがあるか否かの確認である。
その確認は圭介自身の感覚に訴える主観的要素と、カレンの表情が微細にだが不快感を示したという客観的要素によって正しい判断だったと立証された。
(……やっぱり、そうか)
二人の念動力魔術使いが無言で睨み合う。
カレンの体を包み込むように見えない何かが存在している。【テレキネシス】越しだからか触感までは伝わらないが、恐らくその何かによって圭介を叩きつけていたのだろう。
念動力と言われるからには視認できない粘土めいた力の塊かもしれない。そうなれば単純に対象を動かすだけの【テレキネシス】では物量で負けてしまうし、クロネッカーによる滞留も柄の部分を捕らえられればそれまでだ。
その魔術の正体を圭介は何となくだが察していた。
というより、地球で得たエスパーに関する浅い知識でもその正体は推測できた。
(これ、【サイコキネシス】だ)
念によるエネルギーを発生させて物体を動かす、【テレキネシス】とは異なる念動力。
接触しないまま動かすのではなく見えない力に接触させる事で物体に干渉する力は、なるほど粘土のように変幻自在で下手な筋肉よりも頼りになるだろう。
つまり物体を投げつけるだけの圭介に勝ちの目は残されていないのだ。
(けど、勝てないにしてももう惨敗はごめんだ)
ほんの十日と少し前に高所から叩き落された時の記憶が蘇る。
例え勝てないにしても、せめて一矢報いたいという負けん気が彼にもあった。
これには少年の意地も多分に含まれている。が、それだけかと問われればそうでもない。
今回の遠方訪問で圭介は気まずさ、罪悪感を抱えていた。
念動力という希少性の高い魔術適性を持つ圭介の事情を酌んでダアトに紹介してくれたレイチェルと、ダグラスの再来を防ぐという意味合いで同行を余儀なくされたユーには随分と迷惑をかけている。
更には“大陸洗浄”で八面六臂の活躍を見せたというカレンもまた、貴重な時間を後輩の修行の為にこうして使ってくれているのだ。
(こんだけ迷惑かけた僕が、こんなこと考えるのはおこがましいかもしれないけど)
そんな彼女らに自分が今持つ力を示して、費やした時間は無駄ではなかったと知らしめたい。
全神経を目の前の大先輩に注ぎ込み、まずはクロネッカーをカレンの頭部向かって左側の空間に投擲する。
狙うのは本人ではなく周囲を漂う見えない力。軌道上に自身がいないからか、カレンはその刃が有する効果も知らないまま真っ直ぐ圭介を見つめ続けていた。
「【滞留せよ】!」
それはあらゆる力の働きを刃に触れた途端に滞留させる、クロネッカーの合言葉。
すぐに放ったその一言が、確実にそこに存在する【サイコキネシス】に引っかかった。
「……あぁっ!?」
それまでじとりとした無表情を貫いていたカレンの相貌が、急激に揺らぐ。
「バッ、やめっ!」
「おわ!?」
瞬時にクロネッカーが剥ぎ取ろうとした力の集積は一部を文字通り霧散させ、刃の刺さった部分だけを見捨てて切り取った。
力を滞留させるはずだったナイフはそれこそ煙の中を通り過ぎるようにして明後日の方向へと飛んでいく。
ほぼ同時に、防御が薄くなるはずだった左側に叩き込まれようとしていた“アクチュアリティトレイター”ごと圭介の体が、カレンの右側から伸びた見えざる鉄槌に吹っ飛ばされた。
「ぶわっはっ!!」
「……あ」
カレンとしてもクロネッカーによる防御の剥ぎ取りが予想外だったからか、戸惑いながらも遠慮なく殴りつけた代償として圭介の体をドームの出入り口である自動ドアに叩きつけてしまう。
打ち所が悪かったのか圭介は昏倒してしまった。
* * * * * *
「もしもぉーし。生きてる? あ、呼吸はしてるわね」
三回しっかりと攻撃を当てた上で相手が気絶しているので、スタスタと歩いて近づきながら鼻腔と口腔から漏れる息を確認して胸を撫で下ろす。
これまでこの念動力魔術で幾人の命を葬ったか、数えることすら馬鹿らしい。
彼女の魔術は少しでも攻撃に意識を向けると簡単に殺してしまうのだから、扱いには留意する必要があった。
「しかしまあ……結局三回とも攻撃当たったのは予想通りだったけど」
白目を剥いて倒れている目の前の少年には、自分も三回驚かされた。
一回目は【解放】した瞬間。
あの時、間違いなく彼の周囲にあった魔気は円を広げるようにして彼から遠ざかった。
念動力魔術を使うカレンにはわかる。無自覚だったようだが彼の念動力は魔気にすら干渉するという極めて異端なものだ。
それなりに同じ力を持つ者達を見てきた彼女にとっても、あそこまでずば抜けた適性を有する存在は初めて見た。
あの力を上手く使いこなせば大気中の魔気をかき集め、無限に魔力を調達できるだろう。
二回目はクロネッカーの効果。
既存の力を一ヵ所に滞留させるという、ある意味で念動力魔術使い泣かせなナイフ。
アガルタ王国を主な活動区域としている彼女ですらそんな物品は知らない。
ただ、知らないのも当然と言えた。何せ圭介の力に秘められた影響力を看破したフィオナが未だ支給していない段階で押し付けた、新商品どころか未発表の魔動兵器なのだから。
そして三回目。これは二回目とほぼ同時だった。
クロネッカーという魔動兵器の構造をカレンは豊富な経験からある程度察していた。魔力を込めて【滞留せよ】と言う事で刃の部分に触れている力を留める、強力ながらも単純な効果。
しかしそれは柄を握っていなければ発動し得ない効果のはずなのだ。
圭介は【テレキネシス】で投擲したナイフの柄に触れないまま発動条件を満たしていた。
つまり、非接触状態の魔動兵器すら彼の力を以てすれば思いのままということになる。
これら三つの驚愕はカレンにとって重大な意味を持っていた。
即ち、事実上無尽蔵の魔力。強力無比な魔動兵器の所持。あらゆる魔動兵器の動作制御を数も距離も思いのままに可能とする、全く類を見ない稀有極まる才能。
(こんな化け物がこのタイミングで転がり込んでくるとはね……)
知らず彼女はほくそ笑む。
東郷圭介という客人の存在は、彼女にとって想定外の拾い物だったようである。
(それなりに鍛えて帰そうと思ってたけど予定変更。コイツは徹底的に苛め抜いて、才能の一切合切を一滴残らず搾り取る)
そう遠くない未来に彼女に並ぶ、いやそれ以上の力を得るかもしれない。
もしも彼が遺憾なく才能を発揮できれば、その時こそ――。
「……っと、医務室まで運ばなきゃ」
いずれ引き寄せるべき未来を思うより先に、まずは今倒れている圭介を宙に浮かせて運ぶ。
(予定ではここまで怪我させるつもりなかったけど、まあ授業料授業料)
そんな言い訳を心の中で呟きながら。




