第二話 客人の長
名も無き隼に案内された先には、ビルというより時計塔に近い造形の高層建築物が存在していた。
時計は針の形こそ歪んでいるものの指し示される数字がギリシャ数字であることから、圭介にとってはビーレフェルトの普遍的な時計より見やすい。
自動ドアを潜り抜けると小さな箱のような頭部を剥き出しの骨格で支える受付用の機械が、喇叭形の目を二人と一羽に向けた。
『何カ ゴ用デショウカ?』
『ナンバー〇〇九八〇、カレン様より承った業務を遂行するべく帰還しました。コードの認証をお願いします』
『了解 シマシタ』
受付がこくりと首(と思わしき部分)を上下に動かすと、隣りに設置されている箱型の装置がそこに備わっている釘にも似た機構をガチャガチャと数回ピストンさせる。
すると駆動音と共に天井の開閉部分が開いて螺旋階段を下ろしてきた。
『それでは参りましょう』
隼を乗せた円柱は段差をものともせず、形状に沿った斜面を滑るかの如くするすると移動する。
てっきり車輪か何かで移動をしていると思い込んでいた圭介とユーはその様子を意外そうに見つめつつ追いかけた。
「それ、もしかして浮いてるの?」
『はい。そもそもこの足場に移動機能はありません』
「えっ……じゃあ、どうやって」
『これはカレン様の【テレキネシス】によるものです』
「は?」
その言葉にユーは「遠隔操作もできるなんて便利なんですね」と感心した様子だったが、実際に念動力魔術を使う圭介としてはそれどころの話ではない。
【テレキネシス】という魔術は常に一定の集中力が求められる。
距離が開けば開くほどその遠さによって対象物の座標を正確に認識する為の負担がかかり、動作の精密性も落ちる。
それを建物の上層階にいながら地上にあるダアトの出入り口付近まで、しかもただ水平に移動させるだけならばともかく、上に乗っている隼型のロボットを落とすことなく障害物を避けて移動させるなど圭介であれば“アクチュアリティトレイター”を【解放】させても不可能に等しい。
(……ヤバいな。こりゃ本物の化け物だ)
階段を登りながら、圭介は自身がこれから出会う客人に恐怖していた。
* * * * * *
螺旋階段を登った先には赤い絨毯が敷かれた廊下があり、そこに茶色い木製の扉が二つ並んでいるのが見える。
それらが別々の部屋のものなのか、あるいは一つの大部屋に設けられた二つの出入り口なのか。
真相は定かでないものの、とりあえず圭介とユーが登り切ると同時に勝手に開いたのは階段から見て奥の扉だった。
『私がご案内を任されたのはここまでとなります。それでは』
一方的な宣言と共に小さな異音を発して隼は動かなくなった。どうやら電源のようなものを自ら断ち切ったようだ。
「……い、行こうか」
「うん」
ユーは肝が据わっているからかあるいは先の【テレキネシス】に関する話を重く見ていないのか、至極冷静な様子である。
二人で恐らく指定されたのであろう部屋まで近づき、圭介が就職活動中の兄から聞いた面接での作法に則って一応開いたままの扉をコンコンと二回ノックしてから相手の出方を待つ。
そういう文化が浸透していないのか、ユーはその様子を怪訝そうに見ていた。
「見りゃ開いてるのわかるでしょ、入りなさいよ」
あからさまに不機嫌な声が応じた。想像していたより幼さの残る声色である。
「失礼します」
「し、失礼します……」
ユーは堂々と、圭介はおずおずと部屋に入る。
まず最初に二人が共通して抱いた室内への感想は『雑多』の一言に尽きた。
山積した豪奢な装丁の書物。転がる無数の空き瓶。部屋の隅に置かれた、乳幼児の頭部を持つ蛸という謎深き造詣の彫刻。下着の類すら落ちているようである。
(片付け苦手な人なのかな……)
圭介が散らかった部屋に対して正直な感想を抱いていると、ゾロリとそれらの山が左右に分かれて明確な通り道が出来た。
間違いなく念動力魔術によるものである。
「ほら、こっちよ」
声を発する姿を見て、今度は圭介とユーが二人同時に硬直した。
作業机に座っているのは十歳前後の少女。
縛られず遊ぶ長い白髪に深紅の右目。左眼窩は包帯で覆われており見えないものの、露呈しているパーツと小さな顔が全体の愛くるしさを約束している。アルビノ故か肌の白さも目立った。
着用している衣服は白いシャツに紺色のコルセットワンピース。
高い生地を使っているように見えるが、散らかしっぱなしの部屋の主が着ているからか埃と皺で見る影もない。
しかしてその表情は子供らしい顔つきに似合わず絵に描いたような退屈顔だ。彼女を見て驚愕に目を見開く二人に「さもありなん」という視線を向ける。
自身の容姿とそれに対する他者の反応に慣れているのだろう。あるいは飽きているとも言えるか。
「こ、こんにちわ。東郷圭介です」
「ユーフェミア・パートリッジです……」
「改めまして、私がカレン・アヴァロンよ」
外見と言動から抱かされるイメージに変な方向性へのファンタジー色を感じつつ、圭介は会釈する。
「何を考えているのかは凡そわかるわ。外見年齢の低さについて思うところもあるんでしょ?」
「まあ、はい」
「にしては冷静なようだけどね。珍しい」
言ってしまえばエリカやレイチェル、更には自分の父親のような若作りの怪物をこれまでに見てきた圭介としては大声を上げる程でもなかった。
「先に言っておくけど私はあんた達よりも遥かに年上だから。若く見えるのも念動力魔術で代謝を操って容姿を維持しているに過ぎないの。そこんところはよく理解しておくように」
科学や医療に疎い圭介でも首を捻りそうになるようなことを言いつつ、カレンは机の上に二枚のプリントを広げる。
そこにはそれぞれ、圭介とユーの顔写真が貼られていた。
「さて、あんた達には今回の遠方訪問の内容について『雑務手伝い』としか告げていなかったわね。言っちゃえばやらなきゃいけない事は山積みで、あんた達の適性に応じた仕事を割り当てる予定でいるわ」
横にどけたガラクタの山から一本の赤ペンが飛び出し、同時に二人の情報が書かれたプリントを二枚同時に宙に浮かせる。
離れた位置にある物品にそれぞれ異なる動きをさせるという圭介からしてみれば【解放】して初めて為し得る挙動であったが、彼女がグリモアーツを【解放】した様子はない。
改めて目の前の少女がこの世界において強力な部類とされる客人であることを認識した。
「これからその概要を説明した上で個々の業務内容と出勤時間が記載された紙を渡すから、受け取ったら今日は割り当てた部屋に荷物を置いて待機。本格的に仕事を始めるのは明日からよ」
「わかりました」
「了解しました」
ルンディアの地質調査でもそうだったがどこでもそんなもんか、と訪問当日に働くイメージを固めていた圭介は心中ホッとする。
そうしている間にもカレンが説明を始めた。
「まずダアトは現在、レナーテ砂漠に向かって移動してるわ。移動予測時間はおよそ二十時間、到着したら徐行運転に切り替え日中は十二時間の停止時間を設けてゆっくりと進んでいく流れとなるでしょうね。そこで」
赤ペンがまず圭介の紹介状と思わしきプリントの一部に丸を付けた。アガルタ文字で“念動力魔術”と書かれている部分である。
「圭介。あんたにはこの停止時間中に上部装甲板に蓄積した砂埃を掃除してもらうわよ。毎日、表面積全てをね」
「……は、はい」
「まあ翌日の停止時間までに間に合えばいいから。無理そうなら私に言って頂戴」
ホッとしたかと思った矢先にとんでもない重労働を任されてしまった。
「どう考えても普通に無理です」という言葉が喉まで出かかったが、無理にでも飲み込む。やる前から弱音を吐いて信頼を失うのを嫌ったのだ。
それ以上に何となく目の前の相手にどやされるのが怖かったのもあるが。
圭介が頷くのを確認したカレンの魔術によって、今度はユーの紹介状に赤ペンが丸を付ける。
「ユーフェミアには停止時間中に砂漠で行う私達の仕事を手伝ってもらうわ。主に砂漠に生息するモンスターを退治する方向での仕事になるから、体調管理は徹底して」
「わかりました」
対するユーは冷静に仕事を受けるも、ちらちらと圭介に視線を送る様子から彼にかかる負担を懸念しているのだろう。これまでの実績はともかくとして、彼はまだ転移して間もない客人なのだから。
圭介は圭介でさり気なく最大十二時間通しての労働となりかねない彼女の立ち位置に同情していたが。
「私から今言うべきはこれだけかしらね。何か質問はある?」
「あ、一つ気になる点が」
ユーが肘だけ持ち上げるようにして控えめに挙手する。
「ふむ、何?」
「停止時間中の活動内容についてですが、具体的にどのようなものとなるのでしょうか」
「一言で言えば砂漠の緑化計画よ」
言って今度は作業机後方の壁に突如画面が表示された。
一切の前兆がなかったことから、これも念動力魔術で付近の機材を操作したことによるものであると推測できる。
「私が念動力魔術を使ってサッとオアシスを作っちゃうんだけどね。土と植物と水は既に用意してあるし、地下水脈の位置も把握済みよ。ただ、まだ充分にオアシスとして成立していない段階でモンスターが植物を食べに来る場合もあるから、それに備えて護衛が欲しいのよ」
またとんでもない発言が出たものである。
砂漠にオアシスを作るという行為にどれだけの苦労を要するか圭介には想像もつかないが、念動力魔術とはそういうものなのだろう。
最初に圭介が魔術を見せた際、モンタギューが「各国から引っ張りだこになる」という可能性について懸念していたのも頷けた。
「……しかし、カレンさんは“大陸洗浄”で無双の活躍を見せたような実力者なんですよね? 私のような若輩が力になれるかどうか」
「そりゃやろうと思えばオアシス作りながらモンスター倒すくらいわけないでしょうけど」
(やべぇセリフだよなあそれ……)
間違っても地球では耳にすることのない言葉である。
「作業効率の問題よ。やるならやるで集中してやった方がオアシス作りも手っ取り早く済ませられるの。そこを邪魔されると変に時間かかっちゃうし、何よりめんどくさいじゃない」
「は、はあ……」
流石のユーもオアシスを作る事による砂漠の緑化計画に「手っ取り早く済ませられる」という言葉を添えられて形容し難い表情になっていたが、それ以上この話について追求する事はなかった。
「他に質問は?」
「特にありません」
「僕も、特には」
「よし、じゃあユーフェミアはここで用意しておいた部屋に行ってていいわ。これが部屋の番号だから、出入り口にいるナンバー〇〇九八〇に場所を確認してもらっておきなさい。圭介は残れ」
「「えっ」」
ここに至ってまさかの分断に面食らう二人。
その反応も想定内だったらしいカレンは退屈そうな顔をして説明し始めた。
「あんたらんトコの校長に頼まれてんのよ。そこのアホ面に念動力魔術の修行を受けさせてやって欲しいってね。ついこないだも排斥派に殺されかけたんでしょ?」
こないだ、と表現するには最近過ぎる気もしたが、圭介は無言で頷く。
同時にこの化け物めいた相手から修行を受けるという事実が重くてたまらない。
「こっちとしても将来的に私自身の仕事が減る可能性だって考えられるし今の内に圭介個人に唾つけとくのも悪くない。依頼料も受け取った手前、本気で鍛え上げるから覚悟なさい」
「あの、僕に拒否権は」
「そんな威勢のいい発言できるってことは忘れてるようだから言ってあげる。あんたコレ断ったらダアト全体を敵に回すってことになるわよ。治外法権とは言えないけれど、ここは私の城なんだからね」
「ですよねー」
自分で自分を憐れみながら圭介は今後の身の振り方について本気で考えさせられた。
今日も今日とて、仕事は辛い。




