エピローグ 彼女の場合は
「今まで何かと助かったよ。色々と大変だろうけど、頑張ってね」
「は、はい……」
「こ、これからも……いつでも、会いに来てくれていいから……ッ」
「アルマさん絶対それ泣いてるフリでしょ、わかるんだかんね僕らそういうの」
「ちぇっ、つまんねえの」
ルンディア特異湖沼地帯における遠方訪問の最終日、早朝。
次の現場へと向かう圭介とエリカは地質調査隊の面々に見送られていた。
「皆さん、本当にここ数日何かとお世話になりました。面倒事抱えて来た僕を最後まで仲間として扱ってくれたのは正直泣きそうなくらい嬉しかったです」
「実際昨日の送別会で泣いてただろお前」
「エリカ程じゃねえよまた例のモノマネかますぞ」
二人のやり取りも最大の修羅場であるダグラスとの戦闘を乗り越えた今となっては微笑ましいものである。
あれから五日間、結局地質調査隊は最後まで圭介と共に業務を遂行した。
わけのわからないルンディアでの仕事に戸惑いを覚えながらも圭介が最後までやり遂げたのは、彼らもまた最後まで自分を見放さずにいてくれたからというのが要因として大きい。
送別会が開かれた九日目の朝、スマートフォンがクエスト受注用のアプリで着信した次の訪問先への案内を見た時に思わず断りたくなってしまう程に圭介は彼らと打ち解けていた。
「王都に戻ったらガイおじさんに伝言頼むよ。『たまには顔見せてくれないと母さんが不安がってるよ』ってさ」
「わかりました、伝えときます。まあ王都に帰ってからも涼風館のお世話になるのかは保障できませんけどね」
曰くブレンドンの母はガイと従姉弟の関係にあり、問題行動の多いガイを嗜める立場にいたらしい。
特に健康関係については口うるさく言っていたとの話で、その情報から圭介はガイが王都に亘った理由を邪推したりもした。
少なくとも健康に気を遣って生活しているのであれば、朝から煮卵を四個も食べるような筋肉信仰には陥るまい。
「アルマさん、これこないだ言ってたエレベーターガールのやつな」
「……うむ確かに。じゃあこっちはこのつい二年前に発禁・回収騒ぎになったやつをあげよう」
「見た目が女子小学生なせいで邪悪さに拍車がかかってんぞそこの二人」
猥褻な書籍をカードゲーム感覚で交換する二人に軽めのツッコミを入れつつ、遠目にバスが来るのを確認する。
遠方訪問最初の仕事が終わろうとしていた。
「そろそろだね。ケースケ君、エリカさん。最後に一ついいかな?」
「? 何ですか?」
「おっ、何だ何だ」
二人が話を聞く姿勢になったのを確認して、ブレンドンが問う。
「ここで俺達と一緒に働く中で、君達が何を学んだのか。学校に提出する課題のようなものではなく、君達二人の飾り気のない本音を聞かせて欲しい」
真摯な声に反して質問自体は極めて簡素、且つそれほど覚悟を要さないものだった。
当然、とまずはエリカが答える。
「世の中、ワケわかんねえことでいっぱいだなってこと。ワケわかんねえなりに一周して楽しめるってことっすかね」
続けて、圭介も。
「人数集めれば難しいこともどうにかできると、学びました」
二人の言葉はどこまで届いたのか。
ただ、少なくともブレンドンは表情筋の乏しいドラゴノイドらしからぬ、満足気な表情を浮かべていた。
「ありがとう。それをずっと聞きたかった」
そうこうしている内にバスが到着する。
二人はバスが見えなくなるまで見送るつもりでいる調査隊の面々に手を振りながら乗り込み、当然のように二人用の椅子に並んで座った。
順番で言えば圭介がエリカより先にこのバスを降りることとなるが、しばらくはこのままの状態が続くだろう。
「いい人揃いだったね」
「おう、当たり引いたな。最初は何だこのクソ田舎はと伯母ちゃんを呪ったもんだが」
「歯に衣着せろ!」
本当に遠慮のない少女である。
「ったく。……あのさ、エリカ」
「んあ? どしたよ」
「ちょっと女々しい話してもいい? 今しかできない話なんだ」
早速鞄からエロ本を取り出そうとしていたエリカが、その手を止める。
「改まって何言い出すかと思ったらまた気持ちわりぃなオイ。まあいいや、言うだけ言ってみ」
「あんがとね。……エリカってさ、元々は排斥派ってほどじゃないにしろ客人を嫌ってたんでしょ?」
「あー……まあ、そうだな」
一瞬気まずげな表情になったエリカは、すぐに何をそんな今更と態度を元に戻す。
こういう部分で彼女は強い。
「ウォルト先輩にしろ、ヴィンス先生にしろ、ダグラスにしろ。客人の僕から見ても『仕方ない』って思えるだけの理由があって排斥派になってた。それはエリカも同じだと思うんだ」
「まあな。ぶっちゃけウォルト先輩に関しちゃ『甘ったれてんじゃねえ』くらいに思ったもんだが」
「なのに君は、僕を嫌いにならないの?」
自分と共に行動してくれる、自分のことを何だかんだと受け入れてくれる。
そんなビーレフェルトにいる優しい人々の中でも最初に出会って最初に話した相手であるエリカが圭介を嫌っている可能性があるなら、どうしても確認したいという人情があった。
本人に訊くべき内容かどうか悩みもしたが、今はっきりとさせなければ胸の中の靄は晴れない。
「……」
その言葉を受けたエリカは数秒無言を貫き、答えた。
「マジで女々しい話しやがるなお前……。ま、正直言うと最初はめっちゃ警戒してたさ」
「アレで!? どこが!?」
「最初に便所行くように勧めた時な。あん時お前がマジで行ってたら洗礼として出入り口付近に隠れて、出てきた瞬間に蹴り飛ばしてた可能性がある」
「結構だな! 結構警戒してたなそれな! ってか充分嫌いだったんだなビクったわ!」
「他にもホームに連れ込んでまだ魔術が使えない状態のお前にあれやこれやしようと思ってたりな……」
言いながら遠い目になり、まるで昔を懐かしむように話を続ける。
圭介としては当時校長室にて自分を部屋に連れ込もうとしていた彼女の真意を知って気が気でない。
「だけどお前が油断したタイミングで便所に【アペタイト】仕込んで悪臭漂わせようとした時にお前がゲロ吐く音が聴こえてな。『ああ、コイツもあたしと同じで帰る場所を失っちまったんだな』と察したのさ」
「まさかのゲロが分水嶺だったのかよ!? しかも最低なことしようとしてやがったぞコイツ!」
割と衝撃的な事実を知って精神的グロッキーに陥りつつある圭介に、見た目だけは天使のような美貌を向けてエリカが微笑む。
「だからあたしは一旦お前をダチとして受け入れることにしたのさ、ゲロ野郎」
「誰がゲロ野郎だウンコ女」
「それ小等部時代にさんざっぱら言われたから」
「くそっ、コイツ自分の過去を乗り越えてやがる……!」
気まずい雰囲気になるのを覚悟して話しかけたはずが、気付けばいつもの調子に戻ってしまっていた。
相変わらず彼女には敵わない。
「そうしてケースケを受け入れた矢先にウォルト先輩と愉快な仲間達がやらかしてただろ? それ見て『あーコイツらと同列扱いされるとこだったのかやべーじゃん』と思って、あたしが排斥派になる可能性は完全に消滅したのさ」
「最終的には自分の保身かい」
だが、その分だけ説得力もある。
綱渡りな要素もいくつか見受けられたが、結果的にエリカは圭介を味方として受け入れると同時に客人だからと差別することをやめたのだ。
「それにこっちもぶっちゃけるがよ」
これ以上何をぶっちゃけるつもりか、と圭介が身構える。
「ヴィンス先生もララちゃんも、結局あたしを騙してたのは大陸出身の連中なんだよなあ」
――声に、哀愁を感じた。
つい数ヵ月前まで客人を敵視していた彼女からしてみれば、これまで起きた出来事は人間不信を起こすのに充分な材料となる。
パーティメンバーである圭介にまでそうなっていないのは彼女の図太さがあってこそだ。
「こっちも女々しい話しちまうがよ。正直今、誰を信じていいもんかよくわかってねえ。調査隊の人ら相手でも微妙に不信感がある始末だ、全く笑えねえぜ」
その図太さも、無傷を約束してくれるわけではない。
エリカは既に仲間に対しても疑うべきかどうか悩む段階にまで来ていた。
「……じゃあ、アレだ」
「あ? アレって何だよ」
「僕を信じるかどうかはそっちで勝手に決めていいからさ」
何だか恥ずかしい言葉を口走っているようで嫌になり、視線はエリカのいる方向と反対に向かう。
「僕は、勝手にエリカを『コイツはいい奴だ』って信じるよ」
そんな言葉が、口をついて出た。
「…………………………ほ、ほーん。へぇーえ、そーお」
「やめろ、わかった悪かった。はいはいはい、滑りましたよ悪かったっつってんだろバーカ!」
「まだ大して反応してねえんだけど。でもそっか、ふぅーん。あたしを『いい奴』、ね。勝手に信じるってか。ふ、ふふへへへ」
土地柄か、次のバス停に到着するまで二十分を要する。
そんな中で顔を赤く染めてうつ伏せる圭介とニヘラ顔を晒すエリカは、二十分間その状態を維持し続けていた。




