第二十話 風来たりて
魔術なるものに決して明るくない圭介でも知っている事実の一つに、“魔術の適性は一人につき基本的に一つまで”という法則がある。
もちろん適性と異なる分類の魔術を使用することも訓練次第で可能ではあるが、習得までに多少の苦戦を強いられる上に向き不向きの違いが魔術の仕上がりに如実に表れてしまうのだ。
圭介の念動力魔術は確かに希少性の高い魔術ではあるものの、夕方エリカに魔力弾を教わろうとして諌められる程度には適性の違いという壁は高く険しい。
然るに“抵抗力を操作する”という魔術に長けているダグラス・ホーキーの体の傷がみるみる回復していく様は、見る者全てから常識を奪い去った。
「あい、つ……あんだけ好き勝手暴れ回っておいて、あのレベルの治療用魔術を使えるのか……!?」
驚愕の声は誰の口から発せられたものか。
青白い光を体から溢れさせてゆっくりと立ち上がるダグラスの異様は、さながら幽鬼の如く頼りない。
しかし印象はどうあれ肉体の回復は更なる暴虐を呼ぶ。騎士団と地質調査隊、そして圭介とエリカに再度警戒させるには充分な光景であった。
いくつものグリモアーツや魔道具を向けられている中で、それでも尚白狼族の青年は顔を俯かせたまま動かない。次第に周囲がざわめき立った。
「……? もしかして今ので魔力切れでも起こしたか?」
「まだだ。不意を打ってくる可能性もある」
「今の内に【チェーンバインド】で拘束しておくべきでは……」
騎士や地質調査隊隊員の動揺を孕んだ声が散り散りに振り撒かれる中で、圭介にはダグラスの声が聞こえた。
「……ああ、大丈夫。一人で立てるよ……」
その声は今まで圭介に向けられてきたものと同じものとは思えない程に優しく、哀しく、儚げだった。
(何……? 誰に向けて言ってんだ?)
怪訝な表情でとりあえず【テレキネシス】を使い、クロネッカーに付着している僅かな血液を拭う。同時に足元にあった“アクチュアリティトレイター”も手元に戻した。
エリカも相変わらず銃口を逸らさずに動向を見守っている状態だ。
「心配かけちゃってごめんね……。平気だから。安心して……泣かないで……」
その声を聞くにつれて、気付く。
ダグラスは今、この場にいる誰にも声をかけてはいない。
目の焦点が合っていないのだ。体の傷は癒えてもダメージを無かったことにはできないからか、精神的な疲労を受けて光を宿さなくなった瞳は虚空に向けられていた。
一気に薄気味悪さが勝り、とにかく関わり合いになりたくないという気持ちが先行する中でまたも言葉が紡がれる。
「――母、さん」
刹那。
先ほどダグラスが巻き起こしたものと同規模、あるいはそれ以上の局地的な嵐が一同を襲った。
「ぶっ、んっだこれ!?」
また吹き飛ばされないように全員が屈みこんで様子を見る。
圭介が最も信頼できる支えとして地面に突き立てた“アクチュアリティトレイター”にしがみついていると、巻き上がる砂塵にダグラスの姿が隠れていることに気付いた。
都合のいいタイミングで生じる目くらましを前に、直感が『このままだと逃げられる』と告げる。
(逃がすかよ!)
【テレキネシス】を扱う際、粉末状の物体を動かすのは極めて困難だ。
それは城壁防衛戦における粉塵爆発を起こす際の経験から学んでいる。
それでも全く操れないわけではないのだからと風の流れを無視し、対抗するようにダグラスの姿を見失わないよう砂塵の動きを少しでも制御しようと試みた。
風によって巻き上げられる砂は不自然に方々へと散り、やがてその向こう側に隠れようとしていた新たな人影を晒し出した。
(何だ、あの影……!?)
圭介が驚愕したのは、比較的人間と類似した骨格の種族が多いビーレフェルトにおいて異様と言える横幅十六メートルはあろうかという双翼。
天使を模したようなそれは形状を鳥類に似せながらも、羽根ではなく氷柱の如く垂れ下がるエメラルドカラーの鉱物で構成されている。
翼を形成する外部の骨格には鉄色の機械的な部品が宛がわれており、その翼が自然の産物ではない事を如実に示していた。
だが、それ以上の驚愕が圭介を襲う。
あるいは、圭介以上にエリカを。
「……ララちゃん?」
最初に出会った時と着用している衣服は違えど、栗色のツーテールと無機質ながらも整った顔立ちはつい先日バスの中で話していた彼女と全く同じ。
彼ら二人と一時は親しげに話していたララ・サリスは、全ての傷が癒えたダグラスを睥睨しながら立っていた。
名前を呼ぶ声に気付いたのか、風は止みその視線はエリカの方へ向けられる。
そして、すっと逸らすようにその他の面々にも目を向けた。
「こんばんわ皆様。粗相を働いた我が同胞にお叱りも兼ねた手厚い歓迎、仲間として痛み入りますと同時に感謝の念を示しましょう」
相変わらず感情に乏しい表情から透明な声で皮肉が飛ぶ。
その言葉は同時に、彼女がダグラスと同じ排斥派である事実を示していた。
「どういうことだ!?」
響く怒号はテディの声によるものだ。
「君が何者かなんて今はどうでもいい! それよりどうして君のような子供が、“ブラスフェミー”を持っている!?」
「……」
年配者の激しい言及に、しかしララは一切取り乱さない。その態度からわかるのは、騎士団という公的組織に対する敵愾心のみであった。
「……エリカ、大丈夫?」
「大丈夫じゃねえ。けど、どうしろってんだ」
他の面々と比べればまだ冷静さを欠いていない圭介が、脂汗を浮かべるエリカに気遣うもほとんど意味を為していない。
言ってしまえば圭介は疑心暗鬼というワンクッションを置いていたからこそそこまで衝撃的でもなかったが、仲睦まじく接していたエリカの場合その限りではなかったらしい。
「またかよ……クソッタレが」
ヴィンスの裏切りを経験したが故に、いくらか理性を保っているのだろう。しかしレッドラムとブルービアードを握る手からはぎゅうっと握りしめる音が聴こえた。
そこそこの付き合いになる圭介にはわかる。
彼女はまた裏切られて、また傷ついた。
「見れば王都の騎士団、加えて特異湖沼地帯の地質調査隊まで駆り出されているようですね。なるほど本気で対処しようという気概なのが伝わる布陣です。しかし我々もまだここで皆様に捕縛されるわけにはいきません」
そう言うとララは双翼を広げる。その動作に応じてまたも風が吹き荒れた。
と、すぐ隣りでうわ言を繰り返していたダグラスがようやく意識を明確に取り戻したらしく、彼女を睨みつける。
「……邪魔すんじゃねえ鶏ガラ女。俺はまだやれる」
「あの人から伝言です。『至急、現段階でのあらゆる作業を中断し集合せよ。集合場所は追って連絡する』と」
「チッ」
たったそれだけの報告で、ダグラスは舌打ちしつつも殺気を静める。彼女というより、その背後にいる人物への畏敬を感じさせる所作だった。
彼は風に白い髪と獣人特有の耳をはためかせながら、改めて圭介に向き直り怒鳴りつける。
「おいケースケェ! テメェとの決着はまた今度だ、生憎と俺ぁ用事ができた!」
「うるっせえ散々僕の仕事邪魔しといて寝言抜かすな!」
自分を殺そうとしていた相手に親しげに名前を呼ばれるという奇妙さを覚えながら、圭介も溜まっていた分言い返す。
そこには個人的な怒りはもちろん、エリカの苦痛に対してどうにもできない無力感からの八つ当たりも含まれていた。
その言葉を受けてダグラスは「ハンッ」と鼻で笑い背を向ける。
「誰か奴らを拘束――」
「駄目です、風が強すぎて【チェーンバインド】の軌道が逸らされる!」
「……くそっ!」
テディの悔しげな声を無視して、再度砂塵の帳がララとダグラスを包み込む。
「ララちゃん!」
「それでは、失礼致します」
最後までエリカには一言も返す事をせず。
一層強まった砂の壁が重力に従って落ちる頃には、二人の姿は消えていた。
* * * * * *
「「っぷはぁ!」」
戦いが終わって一時間も経過した頃。
圭介とエリカの二人は騎士団の駐屯所でソファに座りながら、テディに差し出された冷たい緑茶を一気飲みしていた。現行犯で逮捕できなかった手前、学生二人をこのまま警備システムの不充分な施設で寝かせるわけにはいかないが故の措置である。
地質調査隊は人数の多さから後日改めて代表者のブレンドンから話を聞くこととなり、今は各々帰宅している。
「災難だったね、二人とも。特にケースケ君の心労はこの歳になった私でも想像できないよ。遠方訪問先で客人が排斥派と問題を起こすことはあり得ると聞いていたが、まさかあそこまでの過激派に命を狙われるなんてそうそうないから」
「冗談じゃないですよ。あーマジで死ぬかと思ったぁ……」
項垂れる圭介の背中をエリカが「よしよし」と撫でくり回す。どうやら親しい相手との物理的接触を通じて自身の心の傷を誤魔化そうとしているようであった。
「ちょっ、くすぐったいわやめーや」
「んだよぉ」
鬱陶しがられてすぐに体を横へと逸らされたが。
「今回の件、不可解な部分が余りにも多くてね。申し訳ないがまだちょっとだけ付き合ってもらいたい」
「そりゃ構いませんけど……僕らもワケわかんないことがいくつかありますし」
まず根本的な問題として、王都の厳重な警戒態勢をすり抜けただけでなくその痕跡すら悟らせない手腕は何なのか。
外見から判断するにダグラスもその協力者と思しきララも十代後半という若さである。彼らが騎士団の警戒網を潜り抜け、更には行動を起こすまでそれを知られずにいるというのは余程の組織力がなければ実現不可能だ。
どこまでの規模の後ろ盾があるのか定かでないものの、ヴィンスのような人材を容易く斬り捨てることから想像するに簡単な相手ではないだろうと騎士団関係者全てが思っていた。
恐らくララが口にした“あの人”というのが深く関わっているのだろうが、詳細は未だわからない。
「ダグラスの野郎がどうやって傷を癒したのかもわかってねぇしな」
「それもあるね。私もこれまで幾多の実力者を見てきたが、適性もないのにあそこまで見事な回復術式を使える者はいなかった」
あの時、完全に勝利を確信していた圭介達にその異常性を見せつけた青白い光。
はっきり言ってまだ正体が掴めていない段階である。
本来であれば一つしか持ち得ない魔術の適性を無視して発現したそれは、現状オカルトとして分類すべきか未知の技術によるものかで意見が分かれている。
いずれ報告を受けた王城が専門家を雇い調査するのかもしれないが、どこまで情報が手に入るか甚だ疑問であった。
そして圭介にとって今、一番先に確認したいことがあった。
「あの、テディさん」
「何だい?」
「“ブラスフェミー”って、何ですか?」
仮に魔動兵器の名称だとするならば、いよいよ後ろに控える組織の大きさが測り知れなくなる。
少なくとも被害者である圭介にすら真実を伝えられない可能性は充分にあると言えるだろう。
グリモアーツだとすると不可解だ。テディはあの双翼を知っていたが、ララに対しては「何故持っている」と問い詰めようとしていた。
グリモアーツを知っていながら使い手を知らないという事態が圭介には考えにくい。あるとするなら、ララが何らかの変装を用いて別の場所で活動していた場合だろうか。
ともあれ訊けば答えられるだろうと問うてみた結果、テディの表情がわかりやすく暗くなった。
「……あれは、嘗て別の人物が使っていたグリモアーツだ」
返ってきた答えは圭介の想像を超えていた。余程信じ難いのか、エリカも目を瞠ってその言葉に反応する。
「え、他人のを使ってるってことっすか」
「そうなる。……常識では考えられないがね」
その表情が語るのは異常事態への畏怖だけではない。
あの双翼が持つ何らかの意味合いが、五十路の男に心的負荷をかけている。
「テディさん、教えて下さい。誰のグリモアーツなんですか」
知ってどうなるものかわからないが、調べて弱点を分析できる相手ならそれ以上はない。
真っ向からぶつけられた疑問に最初から抗おうとは思っていなかったのか、テディは然程もったいぶらずに語り始めた。
「あの双翼のグリモアーツ、“ブラスフェミー”は“大陸洗浄”で客人達の手により殺害されたとある男のものだよ。有名な犯罪者だったから私も一度だけ接触した経験がある」
「有名な、犯罪者……」
以前、ヴィンスが圭介に語り聞かせる際に羅列した名前を思い出す。
“黒き酒杯”ブライアン・マクナマラ。
“鉛の池”クェンティン・ボット。
そして。
「“涜神聖典”トム・ペリング。昔はこの大陸にも浸透していた宗教という概念を殺し尽くした、神殺しの翼だ」
圭介は確信する。
自分がとんでもない相手に睨まれてしまったと。




