第六話 最初の仕事
授業が終わり、放課後。決して常識的とは言えない挨拶をした割に圭介の周りには彼に質問攻めをせんとする人だかりができていた。
この時の彼は知る由もなかったが、アガルタ王国の主要な生活圏においては「自己表現に躊躇しない」ことが文化的に浸透している。
その文化圏において、自身の身に降りかかった事態を受け止め望んでいない現状からの脱却を目指し、尚且つ他人の意見を認めた上でその意見に対する自分の意志も伝える圭介の自己紹介は肯定的に受け入れられていたのだ。
「向こうの世界のどこ出身なの? 俺のひい爺ちゃん客人だったからもしかしたら同じ国かもよ」
「日本っていう国出身だよ」
「へー、初めて聞くな。それってどんな国?」
「国民のほとんどが大学で勉強せずに遊び呆けたり会社の仕事を自宅にまで持ち帰って追い込まれたりしつつ、色んな宗教をごちゃまぜにした年間行事に勤しんで何かしら特殊な性癖を抱えてたよ」
「やべぇ国の人じゃねーか……」
「前はなんか仕事とかしてた?」
「普通に君らと同じ高校生だったんだけどね。入学して夏休みに入る前にこっち来ちゃったのは大損だなあ」
「えー大変だねー。でもそれだったらさ、将来の夢とかあったんじゃない?」
「萌え系のイラスト付きの三文小説でオタクを釣って印税を稼ぐ夢がある。自宅で座って体も頭も対して動かさずに金稼ぎしたいんだよ僕は」
「うっわ。ケースケ君の夢、やばいね」
「聞いたぜケースケ君、あの三人娘のパーティに入れてもらうんだって? 羨ましいねぇ」
「そうだろそうだろ、もっと敬え。そして崇めろ。僕を奉れ。銅像建てろ」
「ぶっちゃけあの三人の中で誰が好みよ? あっ、言いづらかったら移動しようぜ」
「ユーさん。巨乳はいいもんだ」
「お、おう。後で気まずくなるとか考えないのかお前……」
「本人すぐそこにいんのに普通に言いやがったぞ。やべぇなコイツ……」
「ちょっと待ってなんでさっきからやばい奴扱いされてるの僕」
顔を赤くするユーと溜息を吐くミアを尻目にクラスメイトらの質問攻めをさばく圭介は、内心喜んでいた。
というのも、自分の境遇と女子更衣室での一件で周囲からどのような扱いをされるか懸念していたところに心温まる交流を得られたために、強烈なまでの安堵に包まれていたのだ。
中学時代の彼の交友関係と来たら、ビスクドールの愛好家に腹黒守銭奴生徒会長、容器別に保管された由来不明の肉塊に別個の名札を付けて友達と称する変態に、体育館裏常連の野良猫一匹。
まともに会話が成立する相手ともなれば全裸職員室事件で有名人となった友村君か、精々校長先生くらいという有様だったのだからこのような平穏且つ平凡な交友は人生経験上貴重だった。
「おらおらケースケてめ、今日はこれからあたしらと一緒に行くとこあっからな。準備すっぞ」
「おぎゃうっ!」
しかし平和は長く続かない。
言いつつ左脇腹に中指を突っ込んできたのは花が咲くような笑顔のエリカ。母親の打撃や関節技とは趣の違う激痛に悶絶する圭介の右手を、彼女は遠慮容赦なく引いて歩く。
「ちょ、何? 書類の類は昨日と今朝で粗方済ませたはずだけど」
「今日はこれからあたしらと一緒にクエスト受けに行くんだよ。昨日言ってたじゃんか、あたしらのパーティに所属してもらうって」
「そういやそんな話もあったね」
パーティ。クエスト。
どちらも創作物の世界かオンラインゲーマーの口からしか聞いたことのない言葉ではあったが、異世界では日常的に使用される用語であるらしい。
彼女らと共にクエストを受けること自体は、願ってもない話である。
不慣れな異世界生活の中で知り合った見目麗しい美少女三人との集団行動。加えてエリカから聞いた話では金銭的な利益も見込めるとある。事実上の無一文である圭介にとって渡りに船だ。
「でも僕、一応初心者だから。そこんとこよろしくね」
「大丈夫だって、初心者でも簡単にできる仕事選んどいたから。その分稼ぎはいまいちだけど」
この際報酬に関して贅沢は言えまい。流石に彼もその辺りの事情は弁えていた。
「ただし、今回の稼ぎから昨日奢ったガーリックライスの代金分は引かせてもらうぞ」
そしてエリカも他人への貸しを弁えていた。
圭介は舌打ちした。
* * * * * *
三人に連れられて校舎の外に出る。思えば宿泊施設を例外とするなら、まともに学外に出るのはこれが初めてだった。
アスファルトの敷かれた道路にガードレール、灰色とオレンジのブロックを互い違いに並べた歩道。アガルタ文字で表記された道路標識は、どういった仕組みにしてどういった配慮か空中にも複数浮遊している。
「あのさエリカ。なんで標識が浮いてんの」
「? だって飛んで移動する人同士がぶつかったりするだろ」
「あ、飛んで移動する人が普通にいるんだ。羽根生えた船なら昨日見かけたけど」
そういうことだった。
色々と未知なる要素が溢れるビーレフェルトでも圭介にとって故郷となる元の世界の技術が見えてくる。
かと思えば現代に浸透する車の製造技術は完全に伝わっていなかったのか、はたまた伝来した客人の趣味が反映されたものか。
見慣れた地面の上を走る車両は若干古いデザインのものが多い。
フォード・トー〇ス、ユー〇ス・ロードスター、い〇ゞ・ピアッツァにシボ〇ー・コルベット……。
異世界転移からおよそ丸一日、一度は吐くまで追い詰められていた圭介から異世界にいるという自覚を削ぎ落とすような車両の数々が跋扈していた。
見慣れぬ景色の見慣れた部分をちらちらと見ているのが悟られたか、クスリと笑うミアが話しかけてくる。
「今日会う人はケースケ君と仲良くなりたいみたいだからさ。一旦肩の力抜いてみてもいいと思うよ」
曰く今回の依頼主は大の客人文化好きであり、圭介が彼女らのパーティに加入したと聞いて取り急ぎ依頼を投げ飛ばしてきたそうだ。
極めて友好的な人間性が垣間見える話だが、そこは気にしいの圭介。
彼女らパーティにとっては常連であるとの事前情報もあり、優しい人格者と聞いたもののファーストコンタクトで機嫌を損ねるようなことだけは何としても避けたいと無駄に意気込んでしまう。
「その人からどんな依頼受けたの? 山賊退治とか遺跡探索とかだったら悪いけどその辺の毛虫の方が役に立つよ。ぼかぁ自慢じゃないが運動神経と頭が悪いんだ」
「ホントに自慢じゃない……怖がらなくてもそんな危険な仕事、私達凡人の領分じゃないよ」
凡人というのがどの程度の実力を示すのか不明瞭だが、ひとまず安心は得られた。
「一応もうクエストの内容は聞いてるんだけど、簡単に言えば山菜が好物のお年寄りの代わりに山菜摘みに行くっていうお仕事だよ。依頼した人は戦えるわけじゃないから山の中なんて危なくて行けないってさ」
「ってことは戦う必要がある仕事ってことか……」
「それなりにメティスから離れた山ですから、モンスターの類も多少は。とはいえ私達なら問題なく歩き回れる程度の危険度しかありませんので、そこはご安心ください」
ビーレフェルト大陸には多種多様なモンスターが生息している。とはいえ王都メティス周辺にはそれほど強力な個体は存在しないのが実情である。
大昔、安定した居住区域を求めた人々は竜が住まう特定の山脈や砂漠、有毒な湖沼地帯などの生命活動が困難な場所を避けて国を立ち上げたという記録が存在する。
そしてそういった過酷な環境で生存できないのは人間に限らず、ゴブリンやスライムのようなモンスターも人間の手がある程度入った場所付近に生息することが多い。
小規模な村の食糧庫や護衛代を渋って準備不足のまま国境を越えようとする商人が襲われやすいのは、そういった背景が関連している。
彼らモンスターとて完全に無知というわけではなく、都市に寄れば寄るほど、人や作物を狙えば狙うほど冒険者や騎士団の手によって討伐される危険性があることは理解しているのだ。
この事実は都市外部でモンスターが構築するコミュニティにおいて大きな意味を持っており、弱い者、手負いの者は容赦なく集団から切り捨てられてしまう。
こうなった弱者は自暴自棄となってより凶暴なモンスターの巣に突貫した挙句食い殺されるか、冒険者や騎士団に討伐されるのを覚悟の上で人里を襲撃するのである。
因みにモンスターと名の付く生命体全てが例外なくそのようにして生きているのかというと、それも違う。
都心の下水道で細々と生きるスライムはヘドロに紛れて虫や小動物を捕食することで食いつないでいるし、火を吹くトカゲのサラマンダーなどは金持ちが道楽として飼い慣らすことも珍しくはない。
中でもホブゴブリンと呼ばれるほぼ例外として人々との共存を選んだゴブリンに至っては、単純作業に限れば有益な労働力として数えられているほどだ。
街工事や採掘作業などで社会貢献している彼らの姿は現場作業員にとって見慣れた光景でしかない。
「お前よりもホブゴブリンの方が働いてるぞ」「ホブゴブリンが仕事行ったけどお前は何してんの?」はビーレフェルトのネット掲示板において鉄板の煽りとして広く知られるところである。
「ほーん。やっぱりこっちの世界は色々と物騒なんだね」
「とはいえ昔と比べるとかなり落ち着いているようですよ。今度図書館で歴史に関する資料に目を通してみてはいかがでしょう」
「考えておくよ」
コンマ四秒ほど一考した結果「面倒くさいからパス」という結論に至った。
「つってもケースケだっていずれは戦えるようにならないとまずいぜ? 稼ぎになるクエストには危険が付き物だからな」
「えぇー……過酷過ぎやしませんか異世界。だって僕、これまで暴力を振るわれたことは数えきれないくらいあるけど振るったことは数えるほどしかないもんよ」
数少ない暴力を振るった時のエピソードも、大半は友人の友村君関連が大半を占める。
兄はいたが喧嘩になれば常にゲームで勝敗を決めていたので平和なものだった。
唯一母親が繰り出す玄妙に研ぎ澄まされた数多の御業が、圭介の人生において顕著に見られた真っ当な暴力だったと言えるだろう。
高校入学時に絡んできた木端共の蛮行など、母と比べれば月とスッポンならぬパンツァーファウストとデコピンである。
「まあ今回はあたしらに任せとけって。代わりに別のところでしっかり働いてもらうから」
「別のところって、具体的には?」
「ケースケがいてくれたおかげで三往復はしないといけない道のりが一往復で済む」
「くそっ、重労働の気配がするぞ」
「まあそう言わずに、頑張りましょう。お仕事が終われば山菜を使ったお料理のお裾分けがありますから」
「おい三人とも何ちんたらしてんだよ、ぼさっとしてると先に行って山菜という山菜を狩り尽くす勢いだよ今の僕は!!」
「おいアイツ我欲ハンパないぞ!」
「スイッチの切り替えが急過ぎるんですよあなたは!」
料理のお裾分けと聞いて圭介のモチベーションは急上昇した。
特別山菜が好きなわけではない。金銭に余裕のない今、タダで得られる物品を例外なく我が物にせんと奮起しているだけである。
「さあ行こう、タダ飯と金が僕らを待っている! 僕らの異世界生活は始まったばっかりだ!」
「爽やかにきったないな君って奴は」
呆れる異世界人三名と共に、舗装された道路を進む男子高校生。
危険も苦労も何するものぞ。食っていくにはこれしかないのだ。