第十四話 退屈とは縁遠い仕事
翌朝、圭介とエリカはルンディア湖沼地帯付近の浸食盆地に来ていた。
他の作業員らも集合しており、もうしばらく経てば朝礼が始まると周囲の雑談から読み取れる。
二人は事前に支給された、分厚くごわごわとした作業服に身を包んでいた。
何でも本当に何が起こるかわからない現場であるらしく、湖沼地帯に入る前にはヘルメットと防刃防火仕様の手袋、果ては酸素供給用の特殊なマスクまで装着しなければならないという。
最初からこういう装備を要する仕事もあり得ると踏んでいたのだろう。
エリカは長い金髪を事前に用意していたゴム紐で縛り、ヘルメットに収めやすくしていた。
「結構印象変わるもんだね」
「ほぉ。具体的に言ってみ?」
「真面目そうに見える」
「……キリッ」
「口で言うな、口で」
確かに勤勉さが増したように見えないこともなかったのに、馬鹿が馬鹿丸出しになった途端にそれまでの見栄えがどうだったか記憶が一気に曖昧となる。自然体でいて欲しいと思わざるを得なかった。
まだ朝礼が始まる段階だからか周囲の作業員も防護服だけで済ませている。
本格的に現場に入る際には全ての装備品を身に着けておく必要があった。
それなら準備だけでもしておこうと、二人して黒いヘルメットとマスクを抱え込んで待機する。
「暑苦しいんだろうなー……。今から気が滅入るよ」
「だな。この時期にやる仕事としては相当きっつい部類なんだろうぜ」
他の作業員に対しては会釈を軽めの挨拶代わりとしながら二人は集合場所後方で話していた。
極力邪魔にならない位置取りを心がけてはいるものの、やはりこういう場で知った顔があるというのは心強い。
反面、彼女に頼り過ぎではないかと一人気まずさと後ろめたさを覚える圭介であった。
「お、ブレンドンさんが前行った。そろそろ始まるみてぇだぞ」
見れば確かに空色の鱗が輝かしいドラゴノイドが奥に見える。防護服を着ていないのはまだこの広場が安全地帯である証左か。
彼からは事前に二人が挨拶する時間を設けるという話が通されているので、頃合いを見計らって前に出る準備をしておくべきだろう。
と、早速挨拶が始まった。
「皆さん、おはようございます」
『おはようございます』
圭介とエリカを含めた総勢十四人の声が響き渡る。発展した都市から離れた場所ともなると労働者の数も限られてしまうのだろう。
その後まず朝の準備体操から始まり、次いで寝不足や二日酔いの有無を確かめる意味を持った作業員全員の体調確認。続けて前日の現場の様子が各所担当の口頭で説明される。
現場の事など何一つとしてわかっていない二人からしてみればわけのわからない言葉の応酬であった。
「えー、それと今日からですね、アーヴィング国立騎士団学校から遠方訪問に来てくれた二人の学生さんがいらっしゃいますんで。ご挨拶をお願いしまーす」
そして一段落したところにブレンドンが自己紹介も兼ねた挨拶を二人に促す。
他人との距離感があまりないエリカはもちろん、コネを作るより早く帰りたいと考えている圭介も然程緊張は見られない。
まず前に出たのは圭介から。位置関係的なものもあったが、少なくとも外見は可愛らしいエリカを後にした方が男としてはやりやすい。
「おはようございます。アーヴィング騎士団学校から来ました、客人の東郷圭介です。慣れない環境ですが精一杯頑張っていきたいと思ってますので、よろしくお願いします」
疎らな拍手が数回響く。
自分は前座ということで、と期待もしていなかったので落胆はない。とっとと次の紹介に入れ、とエリカにアイコンタクトを送った。
ニヘラ顔が返ってきた。
(あっ、あれ多分意味が伝わらなくてとりあえずニヘラ顔で誤魔化したな)
しかし流れで自身がやるべきことはわかったのだろう。てくてくと前に出て弾けるような笑顔を咲かせた。
「どもー同じくアーヴィング国立騎士団学校から来ましたエリカ・バロウズでぇっす! コネ作って金稼ぐ為に来ましたあーよろしゃーっす!」
女っ気に飢えていた男共はそんな自己紹介でも充分に沸いた。
圭介としては面白くないが若い女の姿も滅多に見えない街に務めているのである。仕方ないのかもな、と溜息を吐いた。
「じゃあ皆さん、今日も一日頑張りましょう! あ、ケースケ君とエリカさんは俺と一緒に来てね。最初に簡単な体調チェックだけ済ませるから」
各班ごとに再度集合して個々に話し合いをする段階へと入った作業員らを尻目に、二人はブレンドンと共に一旦休憩所まで移動するのであった。
* * * * * *
血圧や体温を簡単に計測して問題なしと見なされた圭介とエリカは、ヘルメットとマスクを装備した状態で湖沼地帯の南西に案内された。
湖沼地帯と言っても場所によっては水気などない。特に今いる場所は地面に罅割れなども見受けられ、長い期間乾燥し続けているのが目に見えてよくわかる。
遠くに木々が並んでいて、その手前側には元々水たまりがあったのか浅く大きい窪みが広がっていた。
開けた場所だからか地面の味気なさに反して、空の青さが際立っているように感じられる。
「さて、今回の遠方訪問で君達にやってもらう仕事だけど。簡単に言っちゃえば作業員の護衛に近い」
言いつつドラゴノイド用のヘルメットとマスクを被ったブレンドンが、三脚に取り付けられた何らかの器具を組み始める。
用途は何もわからない道具だが、長い杭を地面に突き刺すという点だけ形状から推察できた。
「護衛、ですか」
「そう。このルンディアという場所は危険が多い。急に爆発する黒水晶や我々のような知的生命体に対して敵対的な天然のゴーレムなど、様々な存在が死に直結する」
組み立て終えたらしいその装置は、杭の先端部分を土に浅く埋め込んだ状態のまま三脚と気泡入りの液体で満たされた小さな容器によって地面と平行になるように設置された。
「それでも俺達がこの場所の調査を続ける最大の目的は、高純度のマナタイトだ」
「マナタイト?」
「自然に生じた魔力の元――マナの結晶さ。大抵は固まる過程で不純物が混じるんだが、どういうわけかルンディアでは一定周期で純度の高いマナタイトが発掘される。そして」
手袋に包まれたブレンドンの大きな手が、組み立てられた装置を指差す。
「例え土中とはいえマナが一ヵ所に集まっているのであれば、このシーカーという装置で発見できる。ただこんな辺鄙な場所で使うやつだからか安物でね、ちょっとでも地面と平行じゃなくなるとマナタイトに反応する索敵術式が明後日の方向に飛んでいってしまうのが難点だ」
「それって近い位置で足踏みしたらアウトじゃないすか」
エリカが呆れた表情をマスク越しに見せる。しかしブレンドンは愉快そうに笑い始めた。
「足踏みだけじゃ済まないなあ。さっきも言った黒水晶やらゴーレムやら、他にも多種多様なモンスターがこの沼には生きているんだ。外しては直して、の繰り返しさ。まあ元に戻すのに一分もいらないけどね」
その笑いに疲労感を感じ取った圭介は、今回の遠方訪問がクエストである事を改めて自覚すると共に自分がその難易度を見くびっていたことをも実感した。
考えてみれば事前に通告されたこの沼地は、オカルト現象の宝庫なのだ。乾き切っている足元の土すら信用しきれるものではない。
そんな中で自分の作業に没頭する職員を対象とした護衛任務がどれほど難しいか。
「この現場では主に三人一組で行動する。一人がこうして地質調査に専念して、残り二人がその護衛だ。二人はシーカーの操作方法を覚えなくても良いから、実質護衛が主な業務になるかな」
「それじゃあもう【解放】しといた方が……」
圭介がグリモアーツを取り出した、その瞬間。
三人が立つ地点からやや離れた地面の土がわずかに隆起して、盛り上がった状態のままシーカー目掛けて突っ込むように伸びてきた。
「おわっ!?」
「【解放“レッドラム&ブルービアード”】!」
即座に反応したのはエリカだ。
敢えて魔術円は展開せずに【解放】した双銃から精密射撃用の魔力弾を盛り上がった土くれに撃ち込み、小規模な炸裂を生じさせる。
地中から飛び出す臓物と血液が、そこに生物がいたと告げていた。
「……おぉう、何もできなかった」
予想外に迅速なエリカの挙動に置いてけぼりをくらった圭介は、待機形態のグリモアーツを持ったまま唖然としていた。
「とりあえず撃っときましたけどよかったっすよね?」
「ああ、ありがとう。今のは多分ホネクイモグラだね。僕らの足音を地中から感知して追いかけて来たんだろう」
圭介は知らないが、ホネクイモグラなるモンスターはその名の通り他の動物の骨を食べる。
何故わざわざ骨を選んで摂食するのかは専門家の間でも未だ議論の種であり、明確な理由はわかっていない。
ただわかっているのはその素早く動く前足と鋭い爪が織り成す掘削能力で容易く肉を削り取ることと、自分より大きな体を持つ動物でさえ捕食する攻撃性のみであった。
「まだ来ると思うから、ケースケ君も【解放】は済ませておいて」
「え、あの、死体とかあのままでいいんですか?」
ややグロテスクな光景を前にしてエリカもブレンドンも微動だにしないのは、この異世界で生まれ育ったが故に慣れているからだろう。
圭介としても過剰に反応するほどのものでもなかったが、生き物の臓器が地面に撒き散らされているのを見ていると自然眉を顰めてしまう。
「今はそのままでいいよ。この辺一帯の調査が終わってから僕が魔術で燃やすから、二人は継続して周囲を警戒しておいて」
「はぁ。そういうことなら」
圭介も“アクチュアリティトレイター”を【解放】し、わざわざメティスから持参した数個の小石を自身の周囲に浮遊させた状態で次なる襲撃を待ち構えた。
調査中のブレンドンを一定の間隔で挟むように配置された二人は更なるモンスターの出現に警戒する。
と、二つの銃口を空に向けつつエリカが言う。
「っつーか、足音感知して来るんだったら今の音で余計に集まるんじゃね?」
「どうだろ……群れる習性はない、は、ずううっへぇ!? いい感じの大きさのやつ見つけた! 画像データ保存して報告書出さないとだな」
どうやら理想に近い条件のマナタイトを発見したらしく、ブレンドンがカチャカチャとシーカーをいじり回す。
「おーこれ後で自慢できるやつだ。あのね、簡単に見つかるって誤解されるとよくないから言っておくけど普段はこんなにすぐ見つからないからね。ここまですぐに見つかるなんて年に一回あるかないかぐらいだと思ってくれて良いから。いやでも幸先良いなあ君達」
ジャカリ、という独特な機械音はシーカーの撮影機能を使用したことで発生したのだろう。
そしてその音に反応したというわけではないのだろうが、丁度合わせるようなタイミングで三人を取り囲むように地面がぼこぼこと隆起し始めた。
「……ちょっとブレンドンさん? あいつら群れないんじゃないんですか」
話が違う、と圭介が送る訝しげな視線をブレンドンはものともしない。
「ルンディア以外での常識ではそうだね。ここじゃ群れない動物が群れたりその逆だったりは日常茶飯事だから。あと盛り上がった土の量的にちょっとデカい個体ばかりだね。あはははは」
「おいモンスターに関する知識が一切通用しないぞどうすんの!」
「決まってんだろ皆殺しだァ!」
今度は遠慮もいらないと判断したのか、エリカが二十六門の魔術円を展開する。
「ああもう、殺すとか殺されるとか苦手なのにさあ!」
怒鳴りながら大小入り混じる石ころを【テレキネシス】で投擲し、迫り来るホネクイモグラの内数匹を仕留める。
自分の力で動物が殺されるのを見て胸からこみ上げる嫌悪感も、今は気にしている余裕がなかった。




