第五話 大敗
一度は圭介を吹き飛ばした男の二撃目。さして広くもない路地にありながら大矛のグリモアーツ“エクスキューショナー”が滑らかな横薙ぎを見せる。
攻撃の進路上にある壁や配管がまるで存在しないかのように刃に裂かれて、妨害は愚か減速すらさせていないが故だ。
「っづぉっぶねえ!」
しゃがみこんで回避する圭介の顔面に向けて、今度は地面に散らばる日本円硬貨が散弾よろしく飛び出した。
フードの男が大矛を振る以外のアクションをとっていないにも拘らず、である。
驚く圭介の反応が遅れ、【テレキネシス】での軌道制御の機を逸する。
「ぐぇえっ!?」
たまらず体をくるりと反転させて“アクチュアリティトレイター”の表面で背中を守り受け切るが、分厚い金属板から伝わる運動量は素手で硬貨を投げつけた時のそれを凌駕する。
例えるなら若い男に角材を持たせ、全力で突かせればこの程度の強い力になるのだろう。
(さっきから何なんだコイツ!? わからん殺しのデパートかよ!)
喧嘩慣れこそしていないものの、他人の攻撃というものを定期的に観測してきた圭介からしてみれば規格外にして理不尽な攻撃である。未知の存在である以上、真正面から相手すべきではない。
「ちきしょう!」
「おう逃げんのかよつっまんねぇなあ!」
後ろから突っつく硬貨と罵声に押されるように前方へと走る。しゃがんだ時の名残で姿勢は低く、【テレキネシス】の力も借りて低空飛行にも似た動きで逃げに徹した。
こうすることで素早く離脱を行うと同時に、相手から見える自身の面積を狭めて攻撃手段を限定させるという狙いによるものだ。
その選択は結果的に大いなる間違いだったが。
「おらよォ!」
「がふっ……!」
“アクチュアリティトレイター”越しに背中を襲う衝撃で圭介は地面に叩きつけられる。
彼を危機的状況に追いやった最大の誤算は、フードの男が有する機動力を侮ったことだ。
進路上にある障害物を無視する横薙ぎと想定外の挙動・威力を見せる硬貨の散弾に意識を奪われ、一瞬で予備動作もなしに距離を詰める移動法に対する警戒心が整っていなかった。
「ち……チート通り越してバグキャラじゃねえか……」
「何言ってんだ? まぁいい、思ったより弱過ぎて拍子抜けだがとっとと首刎ねて終わりにすっか」
ギシリ、と背中にかかる負荷が強まる。踏みつけられているのだろう。
恐ろしいのはその足がまるで柱のように動かないことだ。伸縮性のある皮膚や形を変える脂肪の存在が影響して揺らぎやすい人体、それも厚い金属板越しとなれば軸など簡単にぶれてしまう。
そうなれば圭介も横に転がって脱出する余地が生じるのだが、加えられる力の強さが身体の遊びを断じて許さない。
「じゃあなクソ野郎」
回避し得ぬ絶望が、死の宣告と共に迫る。
処刑人の名を冠する刃が、這い蹲る圭介の首へと振り下ろされ――
「――そいやっさ!」
「おわぁっ!?」
同時に地面に引き摺られながら、倒れ伏す体が横へと無理矢理移動した。
全身を引き摺りながらまとめて【テレキネシス】で横にスライドさせる力技。顎も腹も太腿も焼けるような痛みを伴うが、痛覚が若干馬鹿になりつつある圭介にしてみれば公園の散歩に等しい。
突如動き出した事でフードの男もバランスを崩し転倒、その隙に圭介は“アクチュアリティトレイター”を地面に寝かせてその上に乗って空へと逃げ出した。
「あ~ばよ~とっつぁ~ん! あっこれ一度言ってみたかったやつだ! ありがとう!」
「くっそがぁ……」
転んだ相手への煽りも忘れない。無駄極まる。
ともあれ、上昇し空の開けた空間に出たことで闇深き路地裏からの脱出は成功した。
城壁防衛戦で新しく会得した空中移動をこうも早く活用するとは圭介も思っていなかったが、やはり経験とは得難い宝である。
街の明かりも眩いマゲラン通りの上にまで来ると怒濤の如く安心感が訪れる。
浮遊する空中標識や圭介と同じく空を移動する他の人影もちらほらと見え、人通りの多い場所に出たことを実感した。
(帰る前に近い場所にある騎士団の詰め所に行って、さっきのことを通報しておこう。もしかするとあいつがセシリアさんの言ってた客人限定の通り魔かもしれないし)
冷静になればある程度思考も回る。
相手の目的がもしも客人という存在そのものだと仮定するなら、今回逃しただけで諦めるとは思えなかった。
(ともかく帰りは暗い道に入らない、いや最悪漫画喫茶にでも泊まって……異世界に漫画喫茶とか置くんじゃねえよホント今更だし助かるけど)
今彼が向かっているのは通りに程近い駅。先日セシリアと話し合う際に立ち寄った場所だ。
もうこれだけ離れれば、と振り返る。
「……は?」
ついさっきまでいた路地裏から少し手前側にある、三階建ての共同住宅屋上に設置された箱型の貯水槽。
その上に、見覚えのある大矛を肩に担いだ人影がある。
常識の範疇ならば移動する時間などなかったはずだ、と瞠目する圭介は嫌な予感を覚える。
目が合った気がした。
(いやまさかないっしょ、おいやめろよ怖いから)
心中で制止するも虚しく、影は真上に高く跳躍。
そして空中で一瞬止まると、空中にいる圭介目掛けて地面と水平になるよう真横へと飛び出した。
「えぇマジでうそうそうそうそ!?」
よく観察すると、男は何もないはずの空間を蹴り飛ばしてバッタのように空を駆けているのがわかる。
ここまでわけがわからない動きに付き合わされてきた圭介としても、その変態的な跳躍は予想していなかった。
増して地上ではない空中であるにしろ人通りの多いマゲラン通りで、立派な武器としての形状を持つ【解放】済みのグリモアーツを振り回せばどうなるか。
「お、おいあそこ! 誰かがグリモアーツで人を襲ってるぞ!」
「キャアアアアアアアア!!」
「俺、騎士団に連絡してくる!」
案の定、地上は騒ぎになる。
つい先ほどまで視界に入っていた他の飛行中の人々も我先にと地上に降下していくが、事ここに至っては圭介が群衆に紛れるのは悪手に思えた。
何せ人目を憚らず殺しに来るような輩である。無関係な他人が巻き込まれる可能性は充分に考えられた。
「ったく、メチャクチャしやがるな……!」
“アクチュアリティトレイター”を動かす【テレキネシス】の出力を上げて加速しながら、空中標識を無視して大通りの真上を飛ぶ。ただ、加速したところで直線での速度は相手の方が上だ。
「テメエエェェェェッ!!」
「うわ何か笑顔の状態で怒ってる! よくわかんないけど多分お前が全面的に悪いわ!」
ここで圭介は後退しながら空になったペットボトルを投擲。その軌道を更に【テレキネシス】で屈折させ、『何が動いているのか』『どの角度から飛んでくるのか』をわからないようにする。
手に持ったクロネッカーを投げつけるという選択肢もあるにはあったが、この状況で近接距離で使える武器を手放す事への恐怖が勝った。
が、
「そんなもんどうってこたァねえんだよ!」
激高する中で男は飛来する透明な容器を一切無視、中途半端に曲がりくねる物体との衝突など起きえない速度で真っ直ぐに圭介へと突進した。全く動じないその姿勢には追われる身ながら感心する程だ。
「どうってこたァあれよそこは!」
世にも珍しい悪態を吐きながら今度は更なる上昇によって地上から離れる。
通りは建物と人への被害が考えられる上に、恐らく唯一相手に勝るであろう旋回能力を活かせない。
少しでも相手より有利に立つために複雑な螺旋を描きながら斜め上に昇っていく圭介と、その軌道を先読みして最短での接敵を試みる男が琥珀色の空を舞う。
見えない足場を一瞬作り出して跳んでいる男は忙しないように移るが、実際のところ圭介の方が余裕はない。
(そもそもの話として、魔力持つのか……?)
グリモアーツ“アクチュアリティトレイター”は【解放】に伴って周囲のマナを拡散させるというその性質上、使い手の持つ魔力すら削ってしまうというデメリットがある。
無自覚ながらもその感触をうっすらと得た圭介は、自身の魔力総量に不安を覚えていた。
一旦近くに浮いている空中標識の上に着地して魔力の使用を抑える。自分を【テレキネシス】で支えれば少ない魔力消費で空中での静止を維持できるのだ。
迎撃するためにグリモアーツとクロネッカーの二刀流で構えると、丁度向こうも別の標識の上に着地していた。
「ハッハァ、やっぱ最高だぜテメェ。ぶっ飛ばしても立ち上がるわ全速力で追ってもまだ逃げるわ、そのしぶとさだけは褒めてやらあ」
「それマジで言ってんの? 小学生の頃は六年連続で通信簿に『もうちょっと我慢を覚えましょう』って書かれてたんだけどな」
まるで友人のような軽口の応酬。しかし実態は互いの挙動を観察し合うだけの短い対話だった。
片や確実に不意を打って殺すために。
片や会話で時間を稼いで逃げるために。
「いや実際大したもんだ。これまでに殺してきたクズ共は大概俺の魔術に対処できずに死んでったんだがな」
「こちとら未だにわけわかんねー状態のままだっつの。……客人相手に通り魔やってるっていうのはお前か、排斥派」
カマをかけての質問だったものの、効果は如実に表れた。
フードの陰からちらりと見える瞳が驚愕に開かれる。遅れて短い笑い声が返ってきた。
「オイオイ、何だよもしかしてテメェこの国の騎士団が仕込んだサクラか? いやあでもヴィンスのジジイが虚偽報告するたぁ思えねえしな、客人は客人か」
「!?」
全く予想していなかった名前が飛び出したことで圭介の態度に明確な動揺が走る。
「おい、ヴィンス先生と何か関係があるのか!!」
「あったとしてどうすんだよ? 言っとくがもう奴は死んでるぜ、俺が殺した」
「殺っ……!?」
感情の揺らぎを誘われた圭介に生じた隙を男は見逃さない。
「っるぁっ!」
瞬間、最初に繰り出したものとは比べ物にならない強烈な刺突が圭介に向けて放たれる。
「があっ……!」
どうにか“アクチュアリティトレイター”で防いだものの、まだ足を載せていない状態のまま空へと放り出されてしまった。
圭介の脳裏に“死”の一文字が浮かび上がる。
それでも自身の手による殺傷に拘るのか、あるいは生死の判断をより確実なものとする意図があるのか。
「フハッハハハアアァ!」
追撃の“エクスキューショナー”振り下ろし。こちらも路地裏で発揮された以上の力を込めて叩き下ろされる。
またも受け止める、が、しかし。
ガン、という無骨な異音と共に“アクチュアリティトレイター”が真っ二つに割れた。
(あ、死んだわ)
グリモアーツを失った今の圭介に、数十メートル下の地面と衝突して生き残る術はない。
(えぇ……異世界での本格的なバトルに入ったと思ったら負けた上に、死因が転落死ってどうよ)
精神の自己防衛が働いたのか、とりとめのない事で思考が埋まる。
想定以上の勢いで空気抵抗が背中を冷やすのは、自由落下ではなく叩き落された分の勢いも影響しているのだろう。
遠ざかる空の中に、鶸色の光が舞う。
砕けた“アクチュアリティトレイター”の破片が元の待機形態であるカードの状態に戻ったのだ。なるほどこれなら下にそれほど迷惑はかかるまい、とどこか的外れな安堵も覚える。
(ああ、でも僕の体は落ちるわけだからまあまあ迷惑だよな)
多少他人より打たれ強いとは言っても、所詮は人体の域を出ない。
地面の一撃は母親の拳よりも痛かろう、と思うと急に家族との思い出が蘇った。
否、家族だけでなくこれまでに過ごしてきた人生で、触れ合った多くの人々との記憶が回帰する。
(へえ。これが音に聞く走馬灯ってやつか)
家では乱暴な元レディースの母親。
兄から聞いた話では小学校で最初の授業参観では猫を被っていたらしい。当時の担任が母のグループに属していたチンピラだったせいで色々と台無しになったとのことである。
果たしてその担任とやらは無事でいられたのだろうか。翌年教職を辞めたらしいが。
中学で知り合った友村君を家に招いた時、家の掃除をしていた専業主夫の父親と接触した彼に「妹さんめちゃ可愛いじゃん! アドレス訊いていい?」と言われた時は説明するのに何かと気を遣わされたものだ。
結果として奇妙な性癖が芽生えたらしい。どうでもいい。知ったことではない。
あとはビスクドール愛好家の香坂君。
二〇〇円借りたまま返し忘れた中学時代の校長。
高校入学から一週間で自分の顔を忘れてしまった校舎裏の猫。
怖くて怖くてたまらない、それでも愛さなければならなかったあの少女――。
(……死にたくない)
間もなく圭介の体は地上に到達するだろう。その直前に等しいタイミングで生きる気力を取り戻したのは、幸か不幸か。
彼からしてみれば、充分な幸である。
足から落ちて着地の直前に両足を横に逸らせば足がどうなろうと死ぬことまではあるまい。それができないほどの高度ではない。何となれば両腕も犠牲にしてみせよう。
四肢を捥がれようとも帰りたいと思ってしまったのだから、しょうがないのだ。
「【パーマネントペタル】!」
そんな生きる意欲を天が認めたのか、聞き覚えのある声が希望を繋げる。
光り輝く無数の花弁が集積して作られたクッションに受け止められて、圭介の体は無傷の状態で着地できた。
彼はこの魔術を、そしてその声を知っている。
「ミア!」
「大丈夫ケースケ君!?」
「あ、危なかったぁ! もうちょっとでケースケ君、体バン! だよバン!」
「やめて! そのリアルな擬音語今言われるの心にクるからやめて!」
ミアだけではない。ユーもいるし、その更に後ろではエリカが上空に目を向けて警戒心を剥き出しにしていた。
「ありがとう、マジで助かったよ。ていうか君達まだ帰ってなかったんだ」
「ユーちゃんが微妙に食べ足りないって言うから、そこのベーカリーショップに……」
「ありがとうユーのお腹」
「お腹にお礼言うのやめてくんない!?」
騒ぐ三人と不敵な笑みを浮かべて睨みつけるエリカを見て、空中標識の上でしゃがみ込むフードの男が舌打ちする。
「……あーあ。殺し切れなかった上に仲間まで増えやがったか」
声には幾分かの諦観が含まれていた。
確かに彼からしてみれば引き際だろう。
すぐそこまで騎士団の車両が地上と空中の双方から迫りつつあるし、圭介のグリモアーツを破壊したとはいえ現状は数で負けている。
そして敵対勢力が持つ各々の得意分野も不明瞭なら、ここで勝負に出る旨味はない。
「おうそこの三年生の三学期末までクラスで浮いたまま友達作れず寝たふりすんのが得意そうな根暗」
「もしかしなくても俺の事言ってんのかクソガキ」
話しかけてきたエリカの心無い罵倒に男の口元が引きつる。
「ここでトンズラしようとか考えんなよ。こちとら天下のアガルタ王国、その王都メティスだぜ。逃げようったって監視カメラやグリモアーツ識別に引っかかって地の果てまで追いかけられるのが関の山だ。諦めて豚箱にぶちこまれとけや」
「ざけんな、そんな下らねえ脅しで俺が大人しく捕まるかっつの」
しかめっ面のまま、男は強気な発言に偽らないかのように一瞬で姿を消した。
恐らく圭介に向けた攻撃同様、あの跳躍力も本気のものではなかったのだろう。速さも移動距離も段違いだった。
「駄目かー。ぶっちゃけ逃げるの得意そうだったしまあしゃあねえわな。おうケースケ、一応騎士団の人がもうすぐそこまで来てるからまだ帰るなよ」
「はいはい。……エリカも、ありがとうね」
「言葉はいらねぇ。今度何か奢れ」
「あぁそうだ、君はそういう奴だった」
助かった今では苦笑しか出ない。悪態で返せる余裕すら、あの男に奪われた。
かくして、後々死に際に思い出せそうなくらいに長く濃密な一日が終わろうとしていた。
 




