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足跡まみれの異世界で  作者: 馬込巣立@Vtuber
第三章 遠方訪問~ルンディア特異湖沼~編

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第三話 病院にて

 気温の上昇を誰もが自覚し始め、室内には古い冷房設備が送る弱々しい冷風がまばらに散りばめられる。

 そんな中で目にする真っ白な壁や天井の有り様が、まるで火を点けられた蝋燭の中にでもいるかのようだとベンジャミン・デナムは心中で呟いた。


(こんなに真っ白な壁だの天井だの、逆に気がおかしくならないもんかね)


 王都メティスにおいて複数点在する監獄病院が一つ、アッサルホルト。

 ここでは投獄されている罪人同士の抗争によって発生した怪我人や、逮捕される際の揉み合いなどで大怪我を負った犯罪者がその身を預けていた。


 外科医として働くベンジャミンにとってこの窮屈な職場は決して居心地の悪い場所ではなかった。


 彼にとっても意外なことに、アッサルホルトに入院している囚人達はその多くが模範囚だったのだ。

 元来被害を受ける側に回る以上は非力さも関わるのだろうが、それにしても全体的に振る舞いが大人しい。


 その要因の一つに、囚人に対する病院側の誠意が挙げられる。


 彼がその事実を悟ったのは、ロビーから左に進んだ所にあるオープンカフェの存在を知った時であった。

 このカフェテリアには施設職員だけでなく、入院中の患者も平等に料金を支払うことで自由に出入りできるという特徴がある。


 現在ベンジャミンがゆっくりとコーヒーを啜っているのはテラスに程近い窓際端のテーブル。

 ほぼ空間全体の中で角に位置するその場所は壁に背中を預けないと落ち着かない性分を持つ彼の特等席だった。


 そして視界に映る中に一人、テーブルの上でアイスココアのグラスを傍らに置いて熱心に何らかの勉強をしている囚人がいた。


(ああ、彼か。随分と真面目な奴だな)


 その男とは以前、何度か会話したことがある。

 嘗ては印刷所に勤めていたものの知らぬ間に愛妻を奪われた腹いせに魔術で上司を殺害し、その直後に錯乱した妻に背中を刺されてここに運び込まれた哀れな身の上だ。


 彼が愛していた女は身重だったという話も後で当人の口から聞いたが、結局誰の子供だったのか大きな腹を抱えたまま入水自殺されてしまった今ではわからない。

 そのような辛酸を味わいながらも全ての罪を認め、男は順調に回復しながら目立った問題を起こすこともせず服役していた。


 と、息抜きに背伸びし始めたその男と偶然にも視線が交差する。

 席が近い事も要因となり、男は親しげに語りかけてきた。


「やあ、先生。今は休憩ですか」

「どうも。今日は久々に半日休みをもらってね。まあ急な呼び出しがないかとビクビクしながらの余暇時間だが。君は?」

「自分も今は休憩時間です。こういう時間を使って資格の勉強をしとこうかなって」


 ニカッ、と笑う彼が掲げたのはグリモアーツ専門の第三熔工資格取得に向けての参考資料。

 この資格を目指すということはグリモアーツ熔工における製造職員として大前提となる、マナ複合金属溶接資格は取得済みなのだろう。


 囚人の中には彼のように出所後の動きを事前に決めておいて資格取得に向けた努力を継続する者も少なくない。その姿勢には医者として勤めるベンジャミンも共感を覚える。


「へぇー、凄いじゃん。ここ数十年で客人の人口が右肩上がりになってるし、グリモアーツの製造は需要が伸びてくだろうからね。いいトコ狙ってるわ」

「ありがとうございます」


 やはり犯罪者とは思えないくらいに真っ当な男だ。自分の将来をきちんと考え、ビジョンを具現化する為の努力を惜しんでいない。

 彼なら一度出所してしまえば二度と戻ってくることもないだろうな、とベンジャミンがカップに残ったコーヒーをぐびりと飲み干すのとほぼ同時にそれは来た。


『緊急連絡、緊急連絡。ベンジャミン・デナム先生は至急、第二病棟六〇二号室までお越しください。繰り返します……』


 どこか無気力な老人の声が院内放送として室内を満たす。その内容に厄介事の臭いを感じ取り、カップをややテーブルにぶつけるように置いてしまった。


「えぇー、せっかく久々に半日休めたと思ったらこれだよぉ」

「ははは……先生も大変ですね」


 億劫を隠そうともしない彼に、模範囚の男が笑いかける。少年のような邪気のない笑顔に毒気の抜かれながら急いで会計を済ませると、鼻息荒く第二病棟に向けて歩を進めた。


 第二病棟はカフェが設置されている第一病棟とほぼ隣り合っている関係で移動に時間はかからない。さっと自動ドアを抜けて右に曲がり、一分もしない内に辿り着ける程度の距離だ。

 そこから中に入って目の前に並ぶ四つのエレベーターのいずれかから上の階に向かえば指定された場所に着く。


 年配のエルフである院長は自動ドアやエレベーターに未だ不慣れな様子だが、まだ三十歳になったばかりのベンジャミンには至便な環境に順応できないというのが理解し難いところでもあった。


「あ、ベンジャミン先生! お早いですね」


 六階に到着したところに待ち構えていたのか、素早く声をかけてきた新人のナースに「ん、そこのカフェにいたからね」と応えてから本題を促す。


「それでどうして呼ばれたの俺? まーたあのチンピラ崩れがセクハラでもした?」

「……その、まだ大々的に発表できる段階ではないのですが」


 何事もいい加減に済ませる性質とはいえ、ベンジャミンは医者である。

 彼女の声がやや震えている事、顔面蒼白になっていることには最初から気付いていた。


 ただ、厄介事を受け入れる覚悟を決める時間を確保したかっただけに過ぎない。


「入院中のヴィンス・アスクウィスが、何者かに殺害されました」


 その言葉を受けた途端、ベンジャミンは思わず吹き出してしまった。

 笑ったのではない。動揺が吐息を乱した結果だ。


「……ごめん、もっかい言って」

「ですから、ヴィンス・アスクウィスが殺されたんですよ」


 まだ表沙汰になっていないのに繰り返させるな、と鋭い視線が飛んできた。


「私が知っているのはあくまでも第一発見者だからで、現在院長の判断で騎士団には隠密に調査してもらうように依頼しているところです。私と貴方、院長以外でこの話を知っている人間は現状院内にいません」


 ああ相変わらず身内同士で仲がいいね、などという皮肉が脳裏を掠めてからそれどころではない事実を認識する。


 本来ならアガルタの風土は、公務員や大企業の不祥事に大してあまり親切ではない。

 あくまでその場しのぎに箝口令が敷かれたのは余計な混乱を避ける為ではなく、仮に内部犯の仕業だと仮定した場合、実行犯に事実の発覚を告げない為の措置であった。


「で、俺が呼ばれたのはアレかい? 死体の解剖でもしろっての?」

「その前段階として鑑識との共同調査も依頼されました。先生は不本意ながら一応腕だけを評価する分にはこのアッサルホルトにおいて随一の名医ですから」

「あのさ、辛そうな顔しながらでも俺をコケにするのだけは忘れないってどうなの」

「とにかく現場に来て下さい。話はそれからです」


 呆れつつ歩いていると、殺害現場――六〇二号室の前に着いた。


 既に病院関係者を装って複数名の非武装騎士が到着しており、鑑識による写真撮影やテーピング作業もある程度の段階まで進んでいるようである。


「失礼、ベンジャミン・デナム先生でよろしいでしょうか?」

「え? あぁ、はい」


 どう挨拶したものか、とベンジャミンが戸惑っていると一人の騎士と思しき中年男性が話しかけてきた。


「これはどうもお休みのところお呼び立てしてしまい失礼をば致しました。自分、王都メティス騎士団総合本部にて第六騎士団副団長を務めております、バイロン・モーティマーと申します」

「ああどーも、改めまして当院外科医のベンジャミン・デナムです。無駄話する気はないんで、まず自分に何をさせようとしてんのか教えて下さいな」


 投げやりで覇気のない態度にバイロンと名乗った男は特に不快感を示さない。

 あくまで自分の仕事にだけ実直な性格なのかもしれないな、とベンジャミンは推測した。


「まずは現場へ。死体の状態を確認していただければと思っております」

「そらぁ、構いませんけれども」


 アガルタ王国に限らずビーレフェルト全域に通じる問題ではあるのだが、騎士団に所属している者が医療行為に関わることをよしとしない勢力、団体は一定数存在する。


 理由としては「人殺しが人命救助に関わるなど言語道断」「病院側の人員不足に拍車をかける」など様々だ。

 だが何よりも厄介な点は、情報と知識の不足によって彼らの言い分を鵜呑みにしてしまう若者や高齢者の支持を受けて特定の団体が増長していることにある。


 昨今ではマスメディアまで彼らの側につく者が現れ始め、騎士団はこういった場面で自力のみでの調査を進めづらいという現状がある関係で、病院勤務の医療従事者が殺人事件の司法解剖を請け負うのが一般的となっている。


 そしてベンジャミンは二十代の頃からそういった仕事に携わってきた、言わばその道のプロと言えた。


「さ、こちらへどうぞ」


 バイロンと共に室内に入る。同時に嗅ぎ慣れた血の臭いに襲われるが、職業柄慣れてしまって今や鼻腔をくすぐられるような感覚は皆無だ。


 病室に入ってみると、一人の老人が首を刎ねられて死んでいた。


 鮮やかに過ぎる切り口である。断面は滑らかな平面で、血液の飛び散り方を見るに切断されてから一秒ほどは血が噴き出る事もなかったのだろうと推察できた。

 いかなる手練れによるものか、とベンジャミンが周囲に目を向けると奇妙なものが目に入った。窓の外側に布がかけられており、その窓にはくり抜いたような丸い穴が開いているのだ。


「バイロンさん。どうやらガラスに穴が開いているようですが、ありゃ何です」

「あれですか。現在想定されている限り、殺人犯の侵入経路として最も可能性の高い場所ですよ。近づいてみて下さい」


 言われるがまま近寄って穴をまじまじと眺める。


 ほぼ真円に近いそれは腕一本が通る程度に大きい。なるほどこれなら外側から窓を開錠できるのだろう。

 淵の部分が僅かに室内へと向かっており、外側から力を加えられたのが窺い知れる。罅割れの痕跡も見られないのはガラスそのものの材質に干渉したからか。


「ほほぉ、なるほど。これなら鍵を開けるのも容易でしょうな」

「ええ。その手際のよさは素人ではないでしょうね。術式の見事さのみならず、失敗した形跡がないのは冷静さを維持していた証拠です」


 賞賛の言葉はしかし、強い警戒で彩られる。


「これをやった奴は、殺しに躊躇していない」

「それはそれは。おっかない話です」


 ひとまず言えるのは内部犯の可能性が多少なりとも減ったということだけだった。


「……さて、死体の様子も見てはみますがね。こうも見事にわかりやすいと、俺から言えることも多かないですよ」

「構いません。自分達の手だけで判断できると思える程、我々も傲慢ではありませんので」


 嫌味で言ってるわけじゃないんだろうなあ、と無愛想な男の妙な生真面目さに辟易しつつ死体の状態を見た。

 同時にとある一つの事項を思い出す。


(そういやあ、この人って)


 振り返って、改めてヴィンスの死体を確認する。


 確か第五魔術位階【メタルボディ】を得意としていたのではなかったか。それにしては簡単に首を切除されてしまっているな、とベンジャミンは不信感を抱く。


 確かに首の筋肉量というものは日々鍛錬を重ねていたとしても鍛えられにくい部位ではあるのだが、当然筋肉が存在しないわけではない。


 胸鎖乳突筋や斜角筋。そういった筋繊維が広く存在している。

 肩こりの解消法において首周りの筋肉を引き延ばす運動の有用性は広く知られるところだ。


 そして仮にそれら筋肉に【メタルボディ】が付与された場合、あのような綺麗な断面になるだろうか。


(……あのガラスの穴と何か関係しているのか?)


 まるで固まり切っていない飴細工の板に腕を突き込むように、ガラス窓を貫けるのだとすると。

 身体強化によって硬質化された首をバターのように切り裂けてもおかしくはない。


 まだ見えぬ犯人像をイメージする中で、ベンジャミンは静かに戦慄した。

 高度な魔術の使い手に対してではなく、そんな実力者による殺人事件が身の回りで生じたという事実に対して。


(おいおい、冗談じゃねえっつの)


 せめて監視カメラに姿が映っていれば、と祈る。

 後に彼は監視カメラの映像からパーカーに付属したフードで顔を隠した少年の姿を見ることとなるのだが、それはまた別の物語である。



   *     *     *     *     *     *  



「もうすぐテストも終わるねぇ」

「明日は半ドンだし皆でどっか遊びに行こうぜ」


 期末テスト二日目、昼休みの食堂にて圭介らパーティが揃って同じテーブルで食事していた。


 テスト期間は三日間。全十四科目のテストを一日目と二日目に五科目、三日目に四科目修了する。

 二日目の午後に当たる今現在、彼らは試験全体の半分以上を終わらせたことになるのである。


「済んじゃえば呆気ないね。それともテストなんてどこもそんなもんなのかな」

「ケースケ君は赤点回避するだけだろうけどさあ……私らは一応ガチで騎士団試験受かるくらいの点数出さなきゃ怒られるんだよ」


 地球では見たこともない魚のムニエルを口に運びながら、ミアが憂いを帯びた表情で言う。


 彼女の言い分も圭介には重々理解できた。

 日本でも遊び呆ける大学生に対して「何をしに大学に来たんだ」という意見はあったが、国立騎士団学校ともなれば結果はともかく過程においての怠慢は許容し難いものなのだろう。


「まあ、客人として全然知らない常識を前提にした授業受けてるわけだし。そこはしょうがないとは思うけどねー」

「何か引っかかる言い方するなあ……。ああそうだ、今日バイト先の店長にしばらく休みもらわないと」


 遠方訪問クエストがおよそ一ヶ月ほどかかるのならば、当然期間中はアルバイトになど出られまい。

 学生の身分ながら日本人として、報告・連絡・相談をかかさない精神が彼にも根付いていた。


 圭介の脳裏を『社畜』という言葉が一瞬通り過ぎたが、知らないふりをする。


「そういや居酒屋で働いてんだっけお前」

「酒場! やめて、居酒屋って表現は僕に残された僅かな希望を奪うワードなんだから」

「何が違うのかわかんねえ……」


 憮然とした表情でガーリックライスを貪るエリカを眺めつつ、圭介は思う。


(そこらへんのロマンが通じないのは、僕らの世界にとってのファンタジーがこの子らにはリアルでしかないからか。となると逆も言えるなぁ)


 そう考えると地球はビーレフェルトに住まう人々にとって人外魔境のように見えるのではなかろうか、連れて行ったらどんな顔をするだろうか、などと。

 実現させようともしていない絵空事を思い描いて、彼は静かにほくそ笑んだ。


「何ニヤニヤしてんだ気持ち悪い」

(少なくともコイツは連れてってやんねえ)

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