第二話 意外な来客
期末テスト一日目の夜。
「らっしゃーせー!」
初日のテストを終えて束の間の自由を手にした圭介は、相も変わらず[ハチドリの宝物]でアルバイトに勤しんでいた。
学生として忙しい時期だからと休むことも店長から推奨された。
しかし帰還を前提とする彼にとって留年さえ回避してしまえばそれで構わないのだ。こちらの世界での学歴は日本では役に立たない。
「こちら冬越え鹿の山賊揚げでーす! 揚げたてで大変お熱くなっておりますのでお気を付けてどうぞー!」
「店員さん可愛いねぇ。いくつ?」
「え、歳っすか? もうすぐ十六っす! あと自分男っす!」
「そんなのもちろん知ってるよぉ。おじさんは可愛い男の子が大好きなんだ」
「助けて店長! 僕こんな穢れた社会勉強したくない!」
かくして意識の低空飛行に走った圭介は総合的な学習時間を短縮しながら、傍らでアルバイトに勤しむ余裕を作り出していた。
国立騎士団学校での生活もあくまで所属しているだけに過ぎない形式的なものだ。
本気で騎士団を目指しているわけではないのだから、今の彼にとって重要なのは現金、そして元の世界へと帰還する為の情報である。
(金と情報を求めて生きるとかやたらめったらハードボイルドだな僕の生き様)
その過程で異世界の学校教育を受けていると考えると、迂遠なのやら効率的なのやら判断に困るところであった。
「はいご注文承りましたグレープサワーに生ジョッキ三つでー! はーい少々お待ちくださいませませーそしてこちらグレープサワーと生三つになりまぁす!」
「おうケースケ、これ三番卓だ!」
「はぁい受け取りまぁすそして三番卓様突出しのエノキ揚げお待たせしましたぁ!」
「相変わらず早いな【テレキネシス】使うと……」
ただ、初日のテストに手応えが全くなかったわけでもない。
友人と情報を共有して対策を練り、然るべき知識を蓄えたからか。もちろん苦戦する場面も多くあったものの、比較的まともに回答欄を埋めていけたという自負があった。
これで彼に色々と教えてくれたモンタギューとコリンの面子も保たれるというものである。
「マルコム先輩、一番卓のお客様がサービス時間超過してます!」
「あいよー」
「僕は六番卓の片付け行ってきますんでそっちの対応お願いします!」
「あいよー」
「それとそろそろこないだ貸した十五シリカ返して下さい!」
「やだよー」
山場はどうにか越えられそうだ、と安堵する圭介の前にまた一人の客が入店する。
「いらっしゃいまっせぇ! おひ、と、りしゃま……」
普段通りの接客を始めた圭介の前に立っているのは、目が覚めるような美女だった。
象牙色のマキシワンピースを着こなし、パドゥクよろしく赤く長い髪をゆらりと遊ばせる様は炎の女神を思わせる。
健康的に鍛えられた肢体は適度に筋肉を蓄えているからか力強くしなやかで、それが背の高さと合わさる事により浮世離れした美を体現していた。
端整な顔に大きくも鋭さを携える眼が停止した圭介を射抜くが、射抜かれた側には恐怖よりも先に訪れる別の感情が湧いて出る。
憐憫である。
「こ、こんな……こんな場末に、一人ぼっちで来て何してんすかセシリアさ、むごふぉふ」
「黙れ何も言うなはっ倒すぞ」
涙声でからかうと、途端に顔面を鷲掴みにされた。
健全な男子高校生であるところの圭介は容易なことでは美女の顔を忘れない。
赤茶けた髪と顔つき、何より常人ならざる雰囲気を纏う彼女が洒落た私服を着て場違いな酒場を訪れたとしても、彼女がフィオナの側近騎士であるセシリアだと見抜くのは充分可能な範囲だった。
「今日はお前に言うべきことがあって来たのだが、酒場でアルバイトに勤しんでいると聞いてな。せっかくだからと食事も済ませるつもりで来店したまでの話だ」
「改めましてらっしゃーせー!」
「いいから空いている席に通してくれ。話はお前の仕事が終わり次第済ませる」
「はいかしこまりましたぁーでは四番卓へどうぞ! 四番卓に一名様ご来店でーす!」
「あいよー! んだオイ随分な別嬪さんじゃねぇかケースケおめえの彼女か!?」
「でっへへへへそう見えちゃいます!?」
「えっ……ケースケお兄ちゃん、カノジョいたの……?」
悪乗りの応酬を至近距離で眺めていた少女がその瞳を絶望に染め上げる。
今年で七歳になる店長の一人娘、ジェシカである。
「えっ何その不穏な反応」
「おいテメっこらケースケお前おい、ウチの娘が何か哀しそうな顔になっちまったじゃねぇかどう責任とってくれんだえぇ?」
「いやそんなん言われましても」
「そっか……きれいな、人だね……」
色彩を失った瞳に光が宿る。
零れだす涙が、酒場の照明を反射して輝いているのだ。
「おうケースケいざという時にはケジメつけろやテメェおぉん?」
「そんなん僕にどないせえと!? 申し訳ないけど最大限譲歩したって四つ以上離れた年齢の相手は恋愛対象として見られませんからね!」
「わた、しっ……わたしが、もっと早くに、生まれてれば、なぁ」
「な、泣くな……別に私達は、そんな関係では……」
泣きながらジェシカがちらちらと目線を向ける度、セシリアがおどおどとし始める。
「わたし……わたし、おうえんしてますから。お二人が、ずっといっしょに、いられますようにって……!」
「ったく、ケースケおめぇ可愛いウチの娘にこんだけ言わせたんだ。ちったぁ男見せやがれ」
「店長……!」
まだ幼い愛娘が見せる涙ながらの激励に打たれたのか、店長の態度も少しだけ緩和される。呼応するように圭介の表情も迷いを捨てたように見えた。
活き活きとした表情で嗜み程度に財布に忍び込ませていた某ゴム製品を取り出す。
「わかりました。そこまで応援されちゃあ黙っちゃいられねえ。僕、男になります! 具体的には今晩中に!」
「おうそれでこそウチの娘が惚れた男だ!」
「ファイトですよ、ケースケさん!」
「ちょっと待て」
そしてそろそろセシリアが冷静になり始めた。
「さっきから黙って見ていれば何だこの雰囲気は。私達は別にそういう間柄じゃないと言っているだろう!」
「それではお客様こちら四番卓になりまーす」
「おうジェシカ、さっきここに置いといたフライドポテトとソーセージどこやった?」
「私達がそこのお姉さんで遊んでる間にマルコムさんがつまみ食いしてたよ」
因みにここまでの会話全てがセシリアをからかう為の、店長親子とアルバイトによる茶番であった。
「ああもう、四番卓だな! わかったからとっとと案内しろ!」
子供の目がある手前あまり大きく怒鳴れないのか、呆れの感情を含めた抑え気味の怒声を吐いてセシリアは案内された席へと移動した。
* * * * * *
めでたい席でしか酒を飲まないと誓っているらしく、前回の打ち上げと異なりセシリアは酒類を一切頼まなかった。
頼んだ食事の内容もすぐに動き出せるようにと調整したのか、軽いもので済ませている。
昨年交通事故で他界したという母の古馴染みだった刑事が、仕事のせいでプライベートでもビールを楽しめないとぼやいていたのを圭介は何となく思い出していた。
「こっちも仕事終わりました」
「ああ、それでは行こうか」
多少は空気の熱気が弱まった二十一時のマゲラン通りを二人が並んで歩く。
圭介が元の世界からの癖で自然と道路側を歩こうとすると、
「そういうのはくすぐったいから止せ」
と断られてしまった。
かといって圭介としても今更戻るのが面倒なのでそのまま構わず歩いた。
女性扱いに不慣れなのだろうか、と考えると可愛らしい。
「んで、僕に話したいことって何です?」
「……そこの駅に程近い角を曲がるとベンチがある。長ったらしく語らうつもりはないが、座って話すとしよう」
わざわざ座る場所に移動する必要性がある、即ち本人の言い分がどうあれそれだけ長い話になるのだろうと想定した圭介は嫌そうな表情を浮かべながら溜息を吐いた。
テスト期間中にストレスを抱え込むような事態は極力避けたい。
角を曲がった辺りで線路沿いの芝生に置かれたベンチが見えたので、座る前に一応確認した。
「えぇと、それって急ぎの話になりますかね」
「今日中に伝えておくべきと判断した。姫様にも了承を得た上での訪問だ、気を悪くしたのなら謝ろう」
「いえ、そんなことありませんけど」
「そうか。……まあ座れ。一刻を争うとまではいかんが、後回しにはしづらい話題だ」
あのお姫様まで一枚噛んでるのかよ、と心中で毒づきつつ促されるままにベンチに腰を下ろす。
「それで話だが。ケースケ、お前は最近大陸各地で発生している客人を対象とした通り魔殺人を知っているか?」
「通り魔?」
そんな話が教室での雑談や空中に浮かぶ広告などに示されていたかもしれない、と記憶を辿るも大した情報は入ってこなかった。
元々圭介はビーレフェルトでのテレビ番組や新聞をあまり閲覧していない。どうせいずれは憶えている意味もなくなる情報だし、と興味関心が持てないのだ。
帰還する為に必要な情報がどこから出てくるかわからない以上、やや軽率な判断とも言える。
「あまり聞きませんけど……客人を狙って、ですか」
「そうだ。ここ数日ほど立て続けに大陸各地で発生しており、容疑者をある程度絞り込んでピックアップしても今度は全く別の人物が突発的に凶行に及ぶといういたちごっこの様相を呈し始めている」
「それって、組織的な犯行ってことになりません? 大体の目星はついてたりとか……」
明日は我が身と恐る恐る問う圭介に、セシリアは苦虫を噛み潰したような顔で応じる。
「私見に過ぎんが。恐らく、排斥派の仕業だ」
その情報だけで深刻さの度合いが窺い知れた。
単なる一つの犯罪組織が相手であればそこまで頭を抱え込むような問題ではない。
縦に並ぶ構図は下手に上から叩けば下が暴走するし、下ばかり相手していても上から補充されるという問題もある。
が、冷静に順序立てて然るべき構成員を崩していけば充分な対応が取れるだろう。
しかし排斥派は行動原理こそ重なるものの、その並び方は横一列というパターンが多い。
時折上下関係が発生するのも狭いコミュニティに限られた話だ。
彼らの在り方は組織というよりも、ビーレフェルトでは廃れて久しい宗教としての形態に近い。
客人という一つの共通する対象に多数の人間が嫌悪、憎悪、あるいは殺意といった負の感情を向ける。
その中の一人が仮に客人を何らかの手段で害したとして、同じく排斥派に属する目撃者が騎士団や自警団に事実を報告するとは限らないのである。
更に組織的な上層が存在しないことによって歯止めが機能しないという点でも厄介だった。
辛うじて存在する自浄作用、あるいは抑止力として働く人員も存在しないわけではないものの、その最終的な手段は結局ウォルトを殺害しようとしたヴィンスのような極端なものとなってしまう。
「伝えるのが遅れて気付いた時には襲われた後だった、となっては目も当てられんのでな。お前が元気な内に言うべきを言うことにした」
「んな縁起でもない」
「……実のところ敵の勢力も実力も、本当に排斥派なのかさえ定かではないのだ。一度は戦場を共に走った身だろう。心配ぐらいさせてくれ」
現役の王城組である女性騎士にそうまで言われると思っていなかった圭介が返答に窮していると、セシリアが立ち上がった。
「今日は自室まで送ってやる。立っていいぞ」
「……情けないけど、心強いっす」
「ハハハハ!」
正直な言葉を受けてセシリアが笑う。
現実では王女より女騎士の方がよっぽど接しやすいんだな、と圭介は弱く笑い返した。




