第一話 学徒達の苦難
陽の光が容赦なく突き刺さる六月末。
アーヴィング国立騎士団学校に程近い空き地に、一つのプレハブ小屋が存在していた。
圭介らパーティが先日の城壁防衛戦にてフィオナから賜った報酬の一つ、彼らにとっての主要拠点となるホームである。
日常の中で存在を意識していなかった校舎付近の空き地がこうして活用されるとは、元々の在校生であるパーティメンバーの彼女達も思っていなかったらしい。
登下校に至便である反面で知人友人に押しかけられないかという不安な意見もちらほらと上がった。
しかし住めば都と人は言う。
設置されて内部の設備も充実した今、冷房の利いた室内で放課後の余暇を持て余すエリカが携帯ゲーム機と悪戦苦闘していた。
「だぁクソ、敵多いわほっとくと回復しやがるわリスキルしやがるわ、無理ゲーじゃねえか!」
「……あんたさっきから何してんだ」
彼女の背後で眠たげな表情のモンタギューが虚ろな眼を向けてぼやく。
彼は正式にはパーティメンバーではないのだが、男友達の少ない圭介がちょくちょく遊びに呼んでくるのである。
そんな彼だがどうにも今は普段以上に元気がない。
「見てわかんねーのか? シックス博士の自由研究シリーズの最新作だよ」
「わかんねーっつか知らねーわ。ンでそのタイトルで敵とかリスキルとか出てくんだ?」
「シックス博士は三年ごとに不治の病に侵されていっつも医者から残り三年の余命宣告を受ける不幸な人なんだよ。んで不治の病を治すための治療法確立に向けて各所にある医療関係の研究所に襲撃かけるんだけど、第三シーズンから急に難易度が上がりやがってな」
「わりぃ、あんたが何を言っているのやら俺にはさっぱりだ」
ゲームにあまり明るくない少年のお手上げ発言を受けて、エリカがまたも画面に意識を戻す。
「あくっそ、あたしともあろう者がゾンビ化のタイミングをミスっちまったぜ」
「もう博士死んでるじゃねえか大人しく埋葬されろボケ」
セロリの切れ端を口に含んで彼は再び床に置かれたテーブルへと死んだ魚のような目を向ける。
モンタギューとエリカの間では、四人の修羅が燃えていた。
「結局こっちとこっちで発火条件満たした時の発熱効率変わんないじゃん! 教科書めくっても明確な違い書いてないしさあ、ちょっとこれ問題出す側がどっか間違ってんじゃない!?」
「マグネシウムとオリハルコンの耐食性比較に必要な値が出ないんですけど! もう答えはわかってんだよでもこのクソ記号が変な位置にいるせいで式が止まっちゃってるんだよコイツさえいなけりゃあよぉ!」
「こちとら隠密メインなのに武器ごとに変わる構えの名称とか知ったこっちゃないの! 部活なんて明日の朝が〆切なのに夏休み前の特集記事の準備も済んでないしどうしろって言うの!? 死ねと!?」
「オ腹空イタナアァァァ……」
城壁防衛戦で八面六臂の活躍を見せた面々である。今は試験勉強(と空腹)で阿鼻叫喚を見せているが。
元々合同クエストの発生した時期も悪かったのだが、彼らの場合はそれに加えて城壁防衛戦という王族が関与している大仕事まで入っていたのだ。
当然の事ながら勉学に勤しむ時間など確保できず、こうして試験前日に全身全霊をかけて机に向かう必要があった。
「普段から予習復習しとかねぇからそんなんなるんだよ」
「普段の予習復習が無に帰したんだけど」
「あんたはまぁ、違う世界出身だし同情するけどな。そこの三人はどしたい」
「うぅ……最近勉強する時間が取れなくて」
モンタギューのやや無遠慮な声かけにまず応じたのは意外にも最も話が通じなさそうな状態のユーだった。
よく見ると懐から取り出した携帯食糧を齧っているようなので、恐らく僅かな間だけ正気を取り戻したのだろう。
「だからって俺に救援求めんのやめろや。言っとくけど成績はまあまあでも教えるのが得意ってわけじゃねぇんだぞ」
「それ言うんだったら僕らなんて勉強するのがはっきりと苦手だからね」
「誇らしげに何つう情けない発言しやがる」
呆れてものも言えなくなったところで、モンタギューのシャツをコリンがぐいぐいと引っ張った。
「モンタギュー君は城壁防衛戦にいなかったんだから、戦ってた私達を労うという意味も込めて今この瞬間に社会貢献するべきなの。というわけでここの問題おせーて欲しいの」
「あぁはいはい、暗記はまず正答をまとめて記入した紙を用意してだな……」
「いつぞや僕にドヤ顔で勉強のし過ぎで人は死なないみたいな発言してた君はどこ行ったんだ……」
コリンにアドバイスを始めるモンタギュー。圭介と出会うまでは他人との交流に消極的だった彼も、最近では日常での過ごし方を変え始めたようである。
眉間に皺を寄せつつ他人との会話を重ねる姿は、どこか楽しげな雰囲気を纏う。
対してエリカの方はというと、鬼畜難易度のゲームを投げ出してミアにちょっかいをかけていた。
「なぁなぁミアちゃん」
「何? 正直今あんたのおふざけに付き合ってる暇は……」
「冷蔵庫にあるプリン食べていーい? イイヨー(裏声)! わーいありがとおミアちゃん大好きぃ!」
「てっめマッジざっけんな!!」
無駄に愛くるしい声を出す辺り本当に腹立たしかった。
「退屈なんだよ誰か相手しておくれ」
「前日なんだからテスト勉強すりゃいいんじゃないかな」
「教科書の中身とかもう大体覚えたっつの」
「じゃあ教える側に回れば?」
「教え方がわかんねーからどうしようもない」
言いつついじけたように寝転がる。テスト前日、必死に勉強する友人の隣りでのんべんだらりと怠惰に耽るダメ人間がそこにいた。
「ったく、テスト前日にそんなにだらけて。まだ夏休みも遠いぞー」
圭介の声にしかしエリカは反応しない。遂に寝たか、と思ってよく見てみれば、床に指で何かをなぞる動作をしている。どうやら一人寂しく指先と記憶力だけで○×ゲームを始めたらしい。
しかしその哀愁漂う姿に同情するわけにもいかないのである。
先ほどの発言通り、テストが終わってからもしばらくは休めないのだから。
彼がカレンダーを確認して軽く舌を巻いたのが、夏休みまでの登校期間の長さである。
日本での学生生活においては七月後半から八月一杯を夏季休暇としていたが、ビーレフェルトの夏季休暇は八月中頃から十月頭まで。合計した日数こそ日本のそれより多めに確保されているものの一学期が少し長く設けられているのが現実だ。
そして二学期も日本のそれと比較してかなり長い。秋という過ごしやすい季節が地球より長く続く傾向からか、様々なイベントが目白押しになることも関係しているだろう。
「とにかく明日から三日間、テスト期間を乗り越えればしばらくは楽できるね。……ん?」
沈み込む気分を和らげようという意図から出た圭介の発言だったが、その場にいる全員が微妙な表情になったことで警戒心が高まる。
「何、どしたの」
「なぁケースケ、学校の年間予定表とかってちゃんと見てるか? テスト期間終わってから夏休みに入る前に一個、でっかい年間行事があるんだぜ」
エリカが呆れ半分に圭介の背後を指差す。何事かと振り返ると、そこには壁に貼り付けられた学内のイベント表があった。
表は八月の末日を除いたほぼ全日数をマーカーによる緑色で染めて上げられている。
そこに青いマジックペンで書かれているのが“遠方訪問クエスト”なるアガルタ文字列。
「テスト期間後の数日だって結局は束の間の休憩時間みたいなものだしね。でもとうとうあたし達も高等部かーって感じするわ」
教科書やノートに向き合う姿勢にくたびれたのかミアが背伸びしながら感慨深げに呟く。
ユーほどではないにせよ女性的に恵まれた部分が生地の薄い夏服越しに際立ち、圭介は露骨に視線を逸らしながら詳細を訊くことにした。
「で、この遠方訪問クエストって具体的に何なの? 皆で遠くに行ってモンスター退治とか?」
「いや、行く場所は人によって割とバラバラなの」
応じるコリンは指先で鉛筆をくるくると回転させている。
「遠方訪問クエストは高等部一年の恒例行事で、一ヶ月間メティスから離れて三ヵ所でのクエストを順番にクリアしていくの。要はお泊りしながら各地で指定されたお仕事頑張ってねっていうイベントだと思えばいいの」
「へぇ。ホームステイみたいなもんかな」
「ううん、根本的に違うの。このイベントの目的は学ぶための勉強じゃなくてコネ作りとお金稼ぎを前提としたお仕事なの。と言っても、出先で一皮剥けて強くなった状態で戻ってくる生徒が大半だから修行みたいな点もあるっちゃあるかもなの」
なるほど、と圭介は得心する。
今この空間にいる面子は圭介を除いて全員が騎士団志望なのだ。
であれば王都とはいえ限られた範囲の中に閉じこもるよりも、より広い範囲に顔と評判を売った方が将来的な芽生えもあろう。
同時に、異世界からの脱出を最終目標としている圭介には哀しい程に無関係な話であることも理解できた。
「まあ、ケースケ君の場合まだ不慣れな部分もあるだろうし、最初の一ヵ所くらいはこの中の誰かが一緒になると思うの」
「それは助かるけどさ。正直まだ不安はあるなぁ、モンスター討伐とかもあるんでしょ?」
日本出身の男子高校生である圭介にとって、異世界での生活には今もまだ不慣れな部分が見え隠れしている状態である。先行きへの懸念は当然と言えた。
まず前提として、圭介は未だゴブリンを殺せない。
輪郭が人としてのそれに近しいモンスターを殺傷するという行為に背徳感と罪悪感を拭えず、合同クエストの際にはゴブリンに出くわさず広場まで帰投できた事に内心安堵すら覚えていた程だ。
もちろんこの世界でそんな甘ったれたことをいつまでも言っていられない。
状況次第では殺さなくてはならないのだろうし、その場合は殺すのだろう。
圭介が恐れているのは殺した後、自分の精神状態に何らかの異変が生じないかというパーソナリティに向けられた危惧である。
「でもこないだの合同クエストではピエロぶっ壊してたじゃん」
「あれは全体像見ればほぼ蟹だから……あと機械だったから……」
「生徒の適性に合わせた予定表が組まれるから、クエストの内容が必ずモンスター退治になるとは決まってないよ。多分コリンちゃんとかは報道関係のお仕事が多いんじゃないかな」
ユーの言う通り、遠方訪問において用意されるクエストは主に学生の適性と経歴から選出される。
学生側の事情を一切汲み取らずにクエストを受注するような無謀は、学校側としても望ましくないのである。
「俺ならオカルトが関わるようなクエストに駆り出されるんじゃないかね。どうせ俺の趣味じゃねえだろうからあんま乗り気にゃなれねえが、まあ仕事だしな」
言いつつきゅうりのスティックを咥えるモンタギューは言葉に反してどこか楽しげだ。何だかんだでオカルトに関わる事に喜びを覚えているのだろう。
もしかすると同好の士との出会いを期待しているのかもしれない。
「あんまり不安なようだったらケースケ君は誰々と一緒がいいって校長先生にお願いしてみたら? 恥ずかしければ私の方から言いに行くし」
「お母さんみたいなこと言い出したよちょっとこの子ってば」
ミアのやたらと包容力に満ちた発言を受けて圭介が戸惑う。大家族で小さな子供や高齢者の世話をしていたという話だったが、こうもさらりと世話を焼こうとされると不思議と背筋にゾクリと来るものがあった。
「いいって、成り行きに任せるよ僕は。いくら何でもそこまで甘えるわけにもいかないしね」
「そりゃ結構なことだがよ」
いつの間にか不貞寝していたエリカが圭介の背後までにじり寄って、腰をビシビシと軽く叩く。猫にぶたれるような低威力だった。
「今はとっととテスト勉強終わらせてくれや。んであたしと遊べ」
「あぁそうだった。勉強しないと」
「遊べ」
「いやだから勉強すんだってばよ。僕が即行で終わらせて遊んであげるの前提で話進めんのやめて」
「ちょっとエリカちゃん! 勉強の邪魔しちゃダメでしょ!」
「ほら知恵の輪あげるから、それで遊んでな」
「けっ、こんなもんであたしの猛り狂う遊び欲求を満たせるもんかい。………………解けねー! 意外とムズいよー!」
「うるせえ! 結構楽しんでるじゃねえか!」
――何だかんだで。
論文や新聞記事で文章と知識の扱いに慣れているモンタギューとコリンの尽力もあり、一同の勉強会は順調に進み無難に終わった。




