第十八話 藍色船舶侵入作戦、決行
足元に置かれた“アクチュアリティトレイター”は圭介の目には見えないものの、大体の感触が【テレキネシス】を通じて伝わってきている。
もし目視できていれば初めて圭介が【解放】した時の印象を肯定するかのようにサーフボード然として横たえられているのだろう。
「乗ったら後は【テレキネシス】で体を固定すれば、落とされる心配はないと思うよ。試したことないからわからんけども」
「よし、じゃあ後は姫様の覚悟一つなの」
「セシリア、追加の酔い止めを頂戴」
「…………はい」
「すげー嫌そうですけどセシリアさん。あの、もしアレだったら言って下さいね」
「そのような気遣いは不要だ。この作戦の遂行は姫様のご判断でもある。そして自分に代案はない」
コリンの立てた作戦は“緊急対応”中のフィオナを砲弾として“インディゴトゥレイト”にぶつけて怯ませ、その隙に圭介を船体内部に侵入させて内側から動力源を破壊。その場にマティアスもいれば拘束するというものだった。
端的に言って力技である。
この作戦には圭介にとっての大きなメリットとして、客人であるマティアスの懐を探って少しでも情報を仕入れるチャンスであるという面も存在する。
国家に対する畏怖や犯罪行為に及ぶ事への抵抗が希薄なテロリストであり、言動や技術力からマッドサイエンティストの気質も見え隠れするあの男。
それが異世界転移という超常現象について一切の興味を持たず、情報を一切持たないというのは考えにくいとコリンは見立てていた。
そのあくまで想像上に過ぎないマティアスへの見識には、この異世界での体験をまとめて小説のネタにしようと日々勤しんでいる圭介も共感できる。
何せ知らない世界で知らない力を存分に振るえるのだから、帰還願望を持っていなければこちらでの生活はさぞや楽しいものになるだろう。
フィオナが離脱することによって広域に展開された防衛結界が一時的にとはいえ解除されるが、城壁惜しさに市街地への攻撃を許してしまっては元も子もない。
そこは常駐騎士団に本来の業務を全うしてもらう事で対応すべきと他ならぬフィオナが言っていた。
ただでさえ一国の王女を弾代わりに用いている上に、船の中に用意されているであろう防衛機能の情報も皆無。
このような作戦とも呼べないような作戦をフィオナが受け入れセシリアもそれに大人しく従っているのは、絡み合う複数の事情を飲み下した上での判断である。
立案者のコリンが圭介と共に中に入ってフォローすると言って見せた覚悟。
フィオナが展開する結界の防御力に対する信頼性。
更にはそもそもとしてこれ以上作戦を考えるだけの時間的猶予が残されていないという余裕のなさ。
ありとあらゆる要素が選択肢を一つの答えに収束させていく。
「二人とも、気を付けてね」
「コリン、私ら三人の【インビジブル】はもう解除していいよ。代わりに【パーマネントペタル】を消しといて、あんたら守るのに使うから」
「ありがとうなの。……エリカちゃんからは何かないの?」
「これ終わったら一緒に飯でも食いに行こうぜ」
「死亡フラグは求めてないの」
「ほんとそれな。お呼びじゃねーわ」
「あれ、今のネタとかじゃなく珍しく真面目に言ったんだけどな」
日頃の行いが報いただけである。
「とりあえずあまり時間もないけれど、飛ぶ練習だけしておくの。ほれ、どうぞ」
「軽く言ってるけど僕これでも魔術とかと無縁の人生送って来てるからね? 飛行機すら乗ったことないのにこんな頼りない板切れに乗って飛ぶとか本来あり得ないからね?」
極めて正当な文句を言いつつ“アクチュアリティトレイター”に足を載せる。同時に足元から背筋にかけて魔力を行き渡らせ、【テレキネシス】で体勢を固定させた。
感覚的には上々。特段無理もないが、いざ高所を飛ぶとなれば視覚的な刺激が魔術行使への集中に作用するかもしれない。
そこで思い出したのが以前、モンタギューに教えてもらった簡単な魔術だった。
「……やってみるか。【天にも地にも理在り 故に境を並べて等しきを知る】」
「おっ、ケースケ君も【コンセントレイト】使うんだ」
集中力と注意力を底上げする第六魔術位階、【コンセントレイト】。
気休めにはなるか、と使ってみたが予想以上に落ち着いた。
ここまで落ち着けるということは過剰な量のセロトニンが分泌されていないか、この魔術は結構危ないものなのではないかと不安も覚えずにいられない。
しかし前方から回転しながらゆっくりと近づいてくる藍色の船を見て今はそれどころではないと思い直す。
「……大丈夫そうか?」
「いけるいける。ちょっと浮いてみるよ」
エリカに心配されるというのがどこか不自然な気分だったが、それに励まされる辺り圭介も大概現金な性格である。
少し足元の巨大な金属板を浮かび上がらせてみる。
意外と安定していることに驚くものの、思い返してみれば地面から物を浮かせる際には必ずと言って良い程垂直に持ち上げていた。
それなら自身とそれを乗せているグリモアーツが同じ挙動を見せたとしてもおかしくはない。
「おぉ、全然飛べる!」
一度浮かんでしまえばおっかなびっくりだったのが嘘のように動き回れる。体が【テレキネシス】で固定されているからかそれなりに安心感もあった。
「んじゃ私も乗るからケースケ君、ちょっとその辺の床を叩いて欲しいの」
「あいよ」
ガン、と床を“アクチュアリティトレイター”の先端部分で削るように叩くと、しばらくして圭介が着用している学生服のネクタイに何かがしがみつく感覚があった。
「あ、ここにいたの」
「お互い見えないって本当に不便だねこの魔術」
「でも鳥とか虫の近影には便利なの」
この【インビジブル】という魔術はそもそもとして大人数を対象とするべきものではないのだろう。
脳が認識する刺激の六割を占める視覚情報に齟齬が生じてしまうと連携も何もない。
長年連れ添ったコンビなら可能かもしれないが、長年も何も圭介はこちらに来て一ヶ月しか経っていないし一年以上居座るつもりも一切ないのだ。
ただ、
(この辺は参考になるな。帰ったら小説のネタ帳に書いとこ)
異世界に来て自作小説のネタ集めに余念のない圭介にとっては有意義な情報だったらしい。【コンセントレイト】の影響か、あまり死地に向かうという感覚はなかった。
貞操観念に定評のある一人の紳士としてコリンの体を抱き寄せるという行為には相応の羞恥と勇気が必要となった。
それでも城壁を守る為、更には元の世界へ帰る手段を得る為に耐え忍んでぎゅっと抱きしめる。
「やん、ケースケ君のエッチスケッチワンタッチ、腐れ童貞の甲斐性なしなのぉ」
締め殺したろかと湧き出る殺意も追加で耐えた。
「大丈夫なようでしたら、私はそろそろ行きますが」
「あっはい。僕達より姫様の方が大丈夫ですか? 追加のエチケット袋持ってます?」
「ええ、二袋」
「どんだけ吐くつもりなんですか。ていうか出るんですか、そんな量」
「これも国の為と思えば安い代償です」
「でも王女のゲロって売ればそこそこの値段で売れそうじゃね? 主に一部の特殊な性癖を患ってらっしゃる方々に」
「酸性ですから農耕用の肥料にも向きませんし、成分を分析したとしても読み取れる情報は精々私の食生活くらいなものですよ」
「あの、そこの馬鹿の事は無視してもらって構いませんので……」
ここまで来ると逆にフィオナのエリカに対する菩薩の如き優しさが空恐ろしくすらある。
少なくとも圭介の認識において彼女はレイチェルの実力を測る上で全校生徒を巻き込んだ合同クエストを用いた非情なる人物である。それが度重なる非礼に何も言わないことが不気味でしょうがない。
「……それでは、行って参ります!」
エチケット袋を手にしたまま、グリモアーツ“ノヴァスローネ”が側防塔から飛翔した。
「【無始曠劫より幾星霜 朽ちる事なく佇む城よ 憩う者も失い久しい御身に問う】」
『……んんん!?』
変顔をキメながら無言でボタンを連打していたマティアスがそれに気付く。
が、一拍遅い。
「【何故崩れぬのか 何故壊れぬのか 答えは無窮の沈黙にあった】」
球状の結界を展開して尚、フィオナの口から紡がれる詠唱。
そこには確かな脅威があった。
「【傷つかなければ終わるまい ただそれだけの事だったのだから】」
詠唱が終わり、球状の結界に重なって漆黒の斑模様が出現する。
一見すると小さな変化。しかし周囲に与える影響は決して可愛げのあるものではなかった。
『ちょっとぉ!! 何すんですかってか何をしたんですかァ!? あっ、術式反応アリ。……とにかく今すぐやめなさァい!!』
空中に撒き散らされた無数の鉄球が動きを止め、緩慢な自由落下を始めたのである。
「【サンクチュアリフォース】……これで貴方の動きを止めてみせます」
それは、フィオナ・リリィ・マクシミリアン・アガルタという一人の少女が王族の責務として獲得した第三魔術位階。『付近に存在する物体が持つ運動量の減衰』という埒外の魔術を以て、周辺に降り注ぐ鉄球を留めたのである。
但し一定以上の質量をもつ物体には弱い働きかけしかできず、万有引力に関しては星の力が作用しているからか全く影響を及ぼさない。
またその関係で地上に近ければ近い程魔術の効力を失ってしまうという弱点もあった。
それでも今、この空で自由に動けるのは彼女自身と彼女が動くことを許した存在のみ。
即ち背後から“インディゴトゥレイト”に接近しつつある圭介は、動きを阻害されない。
「すっげー! 姫様こんなんできんの!? ぶっちゃけ苦手だったし嫌いだったけどこれに関してだけは素直に尊敬するわ!」
「いやそれ本人に聞こえそうな距離で言っちゃダメなやつなの。多分向こうもゲロの我慢でそれどころじゃないだろうけど」
本格的にえずき始めたのか“ノヴァスローネ”ががくりと揺れた。
「あのぐるぐるもちょっと遅くなり始めてるし、今の内に距離を詰めるの」
「了解!」
近づくにつれて、巨大な船が空中で高速回転するという事象の危険性を圭介は改めて認識する。
減速しているはずの今でさえ生身で空を飛ぶ彼にとっては充分な脅威である。
最初は何の為にわざわざ回りながら飛んでいるのかと呆れていたがなるほど、個人が飛行能力を有していて当然の異世界ならば極めて効果的な撃退方法だったのだ。見栄えはともかく。
だがそれも外的な要因によって瓦解する。
「もういいでしょう! 落ちなさい!」
空に浮かぶ玉座から凛々しい声が聞こえた。
恐らくは圭介に対する合図なのだろう。後に続く「落ちなさい」という一文はマティアスに第二の航空戦力の存在を気付かせず、尚且つ目的が『船の動きを一時的にでも止める事』ではなく『船を落とす事』であると錯覚させる意図も含んでいるようだった。
『はっはぁ! いくら強力な結界とはいえその程度の大きさでは我がグリモアーツ“インディゴトゥレイト”を撃ち破ることなど夢のまた夢ですねェ! ほれほれ、やれるもんならやってごらんなさいな!』
けたたましい煽りも今は有難かった。これで心置きなく内部に侵入する好機を窺える。
「然らばやってみせましょう!」
怒号と共に。
【サンクチュアリフォース】を纏った状態のフィオナが、未だ回転する船に向けて躊躇せず突進した。
「よし、行くよコリン!」
「任せたの!」
その後ろから、圭介とコリンも。
* * * * * *
「ハァァァァッ――――!!」
雄叫びが轟き、激突。
遠目には点々と黒い模様が誂えられたピンク色のボールが、回り続ける藍色の船に突っ込んだように見えただろう。
しかしそこに注がれているのは一国の王女による全身全霊、身を削っての一撃なのだ。
最高速度を叩き出したことで申し分ない威力を発揮した彼女の玉座は、その攻撃性に見合った振動を発生させる。当然、座するフィオナの三半規管にも襲いかかった。
「…………ぎ、ぃ」
凄絶極まる窒息と吐き気の奔流に飲まれながらも、聡明な彼女の頭脳は語る。
この攻撃によって船体にダメージを入れることはできないと。
次いで戦場で王族が前に出る意味、仮に今回の防衛戦に失敗した場合に生じる被害が少ないことも。
第五アラバスタ通りの先にいた人々の避難誘導は早々に完了していた。
目の前にいるテロリストは少なくとも殺戮を目的とはしておらず、特定区域内の建築物を粗方破壊してそのまま何処かへと去るのだろう。
言ってしまえば今城壁に集った者達が守ろうとしているのは下流から中流貴族の犯罪歴。
瓦礫の中からそれらが飛び出せば、いくら相手が貴族とはいえ騎士団は黙っていられない。
世間はいくらか騒ぎになるだろうし貴族全体の信用問題にも関わってくる話だろう。
だがフィオナは王族である。そこいらの貴族が断続的に不祥事を重ねたとしても彼女の仕事が増えるだけで、信頼に傷がつくわけではない。
この戦いも一切を城壁常駐騎士団の現場判断に任せて後の責任を彼らに押し付ければ、彼女は無傷でいられた。
「だから、何だと言うの…………ッ!」
そしてそのような惰弱な王族に支えられる国家など、彼女が理想とするアガルタの姿ではない。
最初から弁えていた。
【テレキネシス】を使える客人の存在が大陸全土にとって危険な存在であることも、そんな相手と接触することでどれほど周囲からの反感に晒されるかも、今参加している防衛戦の意義のなさも。
そんな程度の認識しか持たず、安全圏に閉じこもっていては腐り落ちる。
いずれは女王として君臨する身、なれば貴族の汚職も脱税も何もかも正当な手段によって暴き出し裁定する。
そうしなければ司法は成立せず、それによって護られるべき国民が他ならぬ国のせいで危機に陥りかねない。
だからこそ、瓦礫から断罪を生むなど以ての外だったのだ。
「導かなきゃいけないのよ……この国を、大陸で一番素晴らしい、国に……ッ!!」
その為ならば友好的に接してくれる客人に嫌われたって構わない。
老人達に睨まれようと、お気に入りのティーカップが割れようと。
こみ上げる吐き気と重圧、何より孤独に心が折れそうになろうと。
大切なものを護る為なら、いくらだって置いてけぼりにしてみせると決めたのだから。
「止まりなさい……止まりなさいっ。止まりなさいッ!」
止まらない。そう、知っていた。
それでも呪詛に似た祈りは口から出続ける。止まれ止まれと、まるで子供の駄々のように。
魔力切れも見えてきたか、視界がぼやけて体にかかる負荷が一層強まる。
このままでは将来的な運動能力に支障が出る可能性もあった。場合によっては子供も産めない体になりかねない。
それは困る。身体的な問題も純粋に恐ろしいが、どこまでも王族たる彼女にとっては子供を作れない体になる事態への危惧が一番大きかった。
それだけは避けねばならず、避ける為には“インディゴトゥレイト”から離れなければならない。
「止まりなさい! 止まりなさい!! 止まりなさいッ!!」
知ったことではなかった。
今下がってどうなるものか。コリンが立てた作戦を無碍にして、その後はどうするのか。
尻尾を巻いて逃げるくらいしか選択肢はない。ならばそもこの場に来たのは何だったのか。
無理と知っている頭を抱えて、それでも食い下がらなければならないのだ。死地を越えなければならないのだ。
何故なら彼女にとってそれこそが王族の責務であり――
「あざーっす!!」
――今しがた隣りを通り過ぎた、自分を嫌う一人の少年に示せる誠意なのだから。
 




