第十三話 平和な時間は程遠く
合同クエストが終わってから数日後、早朝の学校にて。
突発的なイベントが中止という形で終わり、気付けばすぐそこに期末テストが迫っているという現実に多くの学生が打ちのめされ物憂げな表情を浮かべていた。
「死ぬ。勉強のし過ぎで死ぬ」
中でも深刻なのが机に顔面を押し付けて満身創痍を晒す圭介である。
異世界での語学に関してはインターネットの普及と同時にアガルタ文字が大陸全土の共通ツールとして用いられている為、教科自体が存在しない。
加えて体育の時間は魔術の行使をある程度許されているからか、汎用性の高い【テレキネシス】を使えばある程度はこなせた。
問題はそれ以外の教科全般である。
というのも彼が籍を置くアーヴィング国立騎士団学校なる教育機関は、元来高い学力を求める傾向にあるようだった。
騎士団、つまり公務員を目指す以上はそれも当然と言えたが、それにしても一般学生でしかない圭介からしてみれば着いて行くのがやっとの有り様である。
そして客人である圭介にとって更なる厄介事が存在する。
「一年が四一二日もあるとか聞いてないっす……」
世界が違えばカレンダーも違う。
当然ではあった。
地球で採用されて広く浸透するグレゴリオ暦は一月一日から十二月三十一日までを一年の範囲とし、四年に一度閏年に二月二十九日を設けて時間的調整を行う。
これは圭介が住む環境において絶対の法則だったが、流石に異世界となると通用しない。
現在ビーレフェルト大陸に浸透しているのはカフォト暦と呼ばれるもので、一ヶ月の平均日数が凡そ三十日である事はグレゴリオ暦と同じである。
但し『秋が長い』という大陸の特色によるものか、この暦法が適用される大陸内のカレンダーは一月一日から十四月十八日までを一年としており、多くの客人を混乱させた。
圭介を苦しめているのは年間の日数が多い分だけ地球より先に進んでしまった学校の学習要項である。
彼がビーレフェルトに転移したのが高校一年生の五月二十七日、夕方十六時五十八分。転移した先でのビーレフェルトの暦は六月一日で、時刻は十二時丁度。
幸運にもほぼ同時期に転移できたが、それでも約一年の隔たりがあっては挽回し難い。
「よう少年、苦しんでるな!」
「絶賛苦しみ中だよ……どうして勉強って奴はこんなにつまんないのに皆必要としているんだ……何の為に勉強なんてしなくちゃいけないんだ……」
「それがわかんねーから勉強してんだろアホかお前」
「ぐぅ」
隣りの席から溌剌としたエリカの声が轟く。先日彼女が規格外の学力を持っている事が判明したのもあって、この追い詰められている中にぶち込まれる軽薄な発言はそれなりに癇に障った。
「やだもうこの子ったら、引っ叩いてやりたくなっちゃう!」
「どうしたケースケ、おネェに転職でもしたか」
報復するだけの余力も無いが。
ともあれ、彼が今為すべきは勉学のみ。机に向かい鉛筆を走らせて頭脳を冴え渡らせる、学徒の戦場。
そこに魔動兵器も犯罪者も存在しなかった。
* * * * * *
同日。
城壁常駐騎士団は合同クエスト終了と同時に発生した森林探索を完全に終了し、通常業務に戻っていた。
「テディ騎士団長、城壁外第三巡回班ただいま帰還しました。本日も異常ありません」
声を張らせるのは昨晩二十二時から城壁付近を警邏していた童顔の男。
その声を受けて慣れないパソコンの操作に四苦八苦していたテディが応じる。
「そうか、ご苦労様。そろそろ夜勤組は帰りなさい。こないだの件で神経質になるのもわかるけど、ただでさえ人手不足なのに体調不良でも起こされたら余計に厄介だからね」
「はい! お疲れ様でした!」
若い騎士が敬礼して立ち去る。その背中をテディは優しく見送った。
世間では国立校の不祥事として知れ渡る合同クエスト中の事件だったが、レイチェルの手腕によって保護者側からの理解を得たことや、第一王女たるフィオナの肯定的な発言が作用してマスメディアが求めるような大事には至っていなかった。
寧ろ結果的には都市部から離れた場所での勤務に退屈を覚え始めた若輩達に適度な緊張感を与えるという予想外の効果まで齎したのだから、騎士団側からしてみれば得る物も大きかったはずである。
(……なんて、まかり間違ってセシリア殿の前で口にすれば首を刎ねられかねんな)
苦笑しながら思い浮かべた鬼神の如き女傑をきっかけに、彼女やフィオナと共に合同クエストで行動していたという一人の客人を思い起こす。
トーゴー・ケースケ。
直接話す事はなかったものの、大陸全土を見ても稀有な念動力の魔術を用いるという少年。
聞いた話では自分が元いた世界への帰還を願って日々手がかりを追っているという話だったが、オカルトに精通しているわけでもないテディから見ても徒労に終わるであろう努力に思えた。
(何千万分の一の確率だろうか……そも努力で為し得る話でもなかろうが)
ビーレフェルトに転移した客人は最初、大半が元いた場所へ帰りたがる。
しかし基本的に魔術の利便性と客人として備わった力に酔いしれ、同時に帰還手段がほぼ存在しないことを受けて何もかも諦めた結果としてこちら側に移住するケースが多い。
戦力を買われ兵として国に雇われる者。
才能を開花させ第三次産業に生きる者。
犯罪者の長として裏社会に君臨する者。
留まらず気ままな流浪の旅を楽しむ者。
形は様々なれど、客人たる彼ら彼女らはある時は無遠慮に、ある時は水面下で各々の力を発揮する。大陸に元々住まう人々の中から排斥派なる勢力が生じてしまう程に。
(しかしそれ故に姫様は彼の才華を認められた……その力で何を為そうと言うのか。あのお方のご意志も今となっては読めんなあ)
テディが初めて会った時、フィオナはまだ六歳だった。
当時の彼女は今のように大人しい性格ではなく、どころか習い事をすっぽかして窓から木の枝伝いに外へ脱出し遊び回って帰ってくるような少女だったのだが、それを話したとしても今の彼女しか知らない者は信じようとしないだろう。
天真爛漫にして豪放磊落、しかし厚顔無恥の傍若無人。あの頃の面影は今では欠片も見えないが、本人は果たして憶えているだろうか。
彼女の性格が根本から変化したきっかけと言えば、確か――。
「と、いけないいけない」
年齢に過労も加わり仕事への集中力が低下し始めてきた。
疲れた目に追い打ちをかけるようにディスプレイに向き直って、
『チャオ♪』
丸眼鏡をかけた痩せぎすの男と目が合った。
「…………………………………………………………………………は?」
『あれぇもしかしてワタクシの事お忘れですかぁ!? でも仕方ないかなあほらワタクシってあんま目立たない方なのでぇ! 学校でも存在感薄過ぎて逆に虐められずに済んでたりとかしてましたからぁぁぁぁ!』
その容貌を忘れるはずがない。
合同クエストを中止に追いやり、トーゴー・ケースケの動向を探るついでに騎士団への攻撃を目論んでいたテロリスト。
マティアス・カルリエ。
今や王都内で指名手配すら受けている男が、画面の中で笑っていた。
「き、貴様っ! 騎士団直属の電子犯罪対策班が組んだセキュリティシステムをどうやって突破したっ!?」
怒鳴るテディの様子に周囲の騎士達が動揺し、同時に画面に映る見覚えのある顔を見て戦慄する。
至便な反面で厄介な犯罪にも繋がるインターネットというテクノロジーには未だ不慣れな者も散見され、現場だけで対応するには技術的な限界があるものだ。
そこで騎士団は専門の対策室を設けて、ネット上の基本的な仕事を任せられる人材のみで構成された組織を作り、専門的な知識を存分に振るわせる反面で定期的に教室も開かせて追加人員の選定・育成も欠かさず進めてきた。
結果、生まれたのが電子犯罪対策班である。
そんな電子犯罪対策班が作り出した防衛措置は言うなれば電子上の城壁だ。それが容易に破られたとなれば国防上の問題にまで発展し、事によっては他国へ弱点を晒す結果となるだろう。
『は? あー、そんなんあったような気もするしなかったような気もするしー……まぁいいじゃないですか別に、どうにでも出来ますしぃ!』
対するマティアスは涼しげな表情である。自信と余裕に満ちたせせら笑いを浮かべて、画面越しにテディ達を眺めている。
『今回皆さんにご挨拶に来たのはアレですよ、犯行声明!? 的な!? やっちゃるぞみたいな!? そんな感じです!』
熱意と悪意は伝わるが、具体性が欠如しているせいで結局何がしたいのか全く伝わらない。
「き、貴様は我々に何をするつもりだ」
『えっとぉ、とりま第五アラバスタ街道側から船で城壁に爆撃しますんで対応シクヨロ~』
余りに軽く言われたものだから、誰もが一瞬何を言われたのか理解できなかった。
「第五、アラバスタ……? まさか貴様っ!?」
『えっ、あの辺って何かありましたっけぇ!? 精々ご貴族様ご用達の高級住宅街があるくらいでしょ!? まあおっぱじめるのは夕方五時頃からを予定してますんでぇ、今から避難誘導しとけば人的被害は出ないっしょ!』
確かに住民の避難は間に合うかもしれないが、そういう問題ではない。
騎士団が懸念しているのは貴族による犯罪の証拠となり得る書類や印鑑、ファイルに綴じられた資料などが瓦礫と共に発見されてしまう可能性だ。
保存していては裁判等で不利に働くが処分する機会に恵まれない、そういった物品を哀しい事に大多数の貴族が抱えている状態なのである。
そんなものが連続して世間に露見した場合、国はどうなるか。
テディ含め、騎士団員達が歯噛みする。
彼らとて誉れある騎士団に属する身の上。表には一切出て来ないであろう貴族の悪行を、暴けるものなら暴いてやりたいという正義感も確かに存在した。
それでも彼らは隠さなければならない。愛する国と国民に与えられる精神的、経済的衝撃は測り知れないものとなるだろうし、何より犯罪を暴く為に犯罪を許容しては本末転倒である。
そんな彼らの苦悩を知ってか知らずか、マティアスはへらへらと語り続けた。
『ってなわけで城壁常駐騎士団の皆様、黄昏時にまたお会いしましょう!』
「待て! 貴様は、一体何の目的で……」
『何の?』
しかし一転、声が急激に落ち着いたものへと変貌する。薄ら笑いも鳴りを潜め、鋭い眼がテディを射抜いていた。
『先ほどの反応を見るに何となく察したでしょ? おたくら大陸の連中にもわかりやすく、“洗浄”って言えばご理解頂けますかねぇ? 薄汚れた連中を炙り出すのがワタクシの今回の最大目的なんですよぉ』
その言葉に、今度こそその場にいる全員が戦慄した。
それこそネットの力を使えば誰でも得られる情報だが、“大陸洗浄”から数年が経過した昨今になって再び大陸上の犯罪率は上昇し始めている。
和解による終結を免罪符と勘違いした愚かな輩は、想定していた以上の数を見せてそこかしこに横溢しているのだ。
画面に映る男はそれらに対する嫌悪感を明確に示していた。
「……だがっ! 我々騎士団がそれを止めてみせる!」
『どうぞご自由に。ワタクシに皆様の行動を制限する権利などありませんのでねぇ。あぁ、そうそう』
テディの宣誓に興味がないと言わんばかりに背を向けたマティアスは、何か思い出したのか上半身を捻って振り返る。
『あの客人。東郷圭介君を戦力に加える事を強く推奨しておきますよ。でなければ手も足も出ないでしょう、貴方がたは』
それだけ告げて、画面から姿を消した。




