第二十三話 道
「ふ、ふざけている……あまりにも、あまりにも馬鹿げている……!」
ただでさえ陰鬱そのものといったキーラの声色が、度し難い密度の怨嗟を滲ませ始める。
彼女からしてみれば何よりも認めたくない事実だろう。
幾重にも張り巡らせた罠の果て、催眠魔術による同士討ちの誘発。
そんなとっておきの秘策がまさか、幼馴染の男女間で発生した性的な関係をきっかけに打ち破られたなどと。
「ところでウーゴ、エメリナ」
「あ」
「はい」
「チャンスじゃねえのか」
「させんわ!」
言われて先に動いたのは、不利を悟ったギルフィの方だった。
無数の蛇を地面から作り出し、双子を取り囲む。
一見して隙も逃げ場もない牢獄は、このままいけば二人をまとめて包み込み粘土の棺に閉じ込めて窒息死させるだろう。
「せめて貴様らだけでも殺す!」
想定外の形で優勢が傾いた。
そうなれば彼が焦燥感に急かされて、魔術の扱いが大雑把になってしまうのも無理はない。
言ってしまえば第二次“大陸洗浄”から実戦経験を積み始めただけの男であるが故に。
「ギルフィ!」
俯瞰して状況を見ていたキーラの声はまたしても遅い。
彼はすっかり忘れていた。
大気中にはウーゴの結晶が塵のような細かさで漂っていること。
索敵に使われていたその結晶が周囲の土に振り撒かれていたこと。
彼が操る土にもウーゴの魔力で構成された結晶が混入していること。
そしてその結晶の動きは、エメリナの【カントリーロード】で変幻自在に変化すること。
「兄さん!」
「大っ、チャァァァァンス!!」
エメリナが掲げた手を強く握りしめると同時。
彼らを囲む蛇は一匹残らず体内から閃いた灰白色の線で切断され、断面からは結晶の破片が散らばる。
爆ぜるように分解された蛇の破片の合間を抜けて、長身痩躯の修羅が走った。
「しまっ」
「オラァ!」
結晶で延長した剣の切っ先が上から下へと振り下ろされる。
「ぶ、ぼっぁ」
ウーゴが放った渾身の斬撃により、ギルフィの上半身は脳天から胸元にかけて綺麗に切り裂かれた。
噴水のように噴き出す血と湧き水のようにこぼれた断末魔を経て、スーツ姿の大男が倒れる。
もう、二度と起き上がるまい。
「……ッ!」
「形勢逆転だな」
「キメ顔してるとこ悪いけど、アンタ後で謝りなさいよ。主にエメリナちゃんに」
「私は気にしてませんが先ほどの話は深掘りする価値があるように思います。ねえテレサさん」
「あの、いやえっと、それより前見て! ホラ! まだ一番強い敵が残ってるよ!」
「こ、この……!」
喜劇めいたやり取りの前座に斃れた二人の仲間を見て、キーラはいよいよ激情を隠せなくなっている。
駒として使い潰すことを前提として休ませたせいで、ヘラルドの魔力は少しだけだが回復している。
しかも一度は自分が催眠魔術で洗脳したという事実があり、味方の油断と罠の隠蔽の双方を許した。
更に理外の反撃を受けて動揺してしまったため、指揮が遅れて軍輝のみならずギルフィまで死なせてしまった。
竜棲領への狙撃という役割がある以上、彼女も魔力を節約したかったのだろう。
しかし効率的に相手を追い詰めるための準備で第三魔術位階に催眠魔術、加えてそれまでの戦闘で魔力弾と光線も数え切れないほど撃っている。
最悪な気分だろう、とテレサは思う。
そしてもう勝てないだろう、とも思う。
何故なら彼女が最も脅威と見なしていた連携と作戦、その二つを自分達は取り戻したのだから。
「致し方ありませんね……!」
唸る声に呼応するかの如く、キーラを中心として巨大な純白の魔術円が三つ、等間隔に展開された。
それとともに彼女自身にも魔力の輝きが宿り、両手首にも魔力弾を射出した時と同じ小さな魔術円が浮かび上がる。
「竜棲領を狙撃するために貯蔵しておいた魔力も使いましょう。ああ何と贅沢な話か、たかだかヒューマン四人に対してドラゴンすら殺傷する力を向ける羽目になろうとは!」
言うが早いか、キーラの姿が消えた。
否、消えたと見誤るほどの速さで動き始めた。
「うわっ、速いわねあの子」
どこか呑気なウーゴの声を裂くように、光の魔力弾が空中で四方八方へとばら撒かれる。
無作為に散りばめられたと思ったそれら光の弾丸は、空中にある巨大な三つの魔術円に接触した途端に軌道を複雑に変え始めた。
跳弾。
それが彼女の奥の手であるらしい。
恐らくキーラを包み込む光も三つの魔術円と同様、己の魔力弾を反射して弾道を変える役割を持つ。
防御用結界魔術【ピースメーカー】を独自の術式で改変したのだろう。恐るべき開発力と実現力、何より魔力操作能力である。
空中で複雑怪奇に方向を変える魔力弾は、撃った本人にも着弾地点が予測できないほど多角的に地上を攻撃した。
降り注ぐ光と繰り返す爆発。
舞い上がる粉塵と爆炎が地上を包み込んでいく。
異世界に生まれ育った、客人どころかエルフやドラゴンでもない四人の冒険者パーティ。
そんなものではこの弾幕は避けきれず、飛ぶキーラの姿を捉えて攻撃するなどできまい。
などという甘い考えを、テレサはもちろん仲間達も漏れなく見透かしていた。
「空間歪曲魔術である程度防げるの忘れたのかしら、彼女」
「やめましょう兄さん。それに気付ける器を持っているような相手なら、私達は負けていたでしょうから」
テレサ達は名も知らない彼女の武器。
金属製のドレス型グリモアーツ“シンデレラ”。
キーラの魔力を背中から双翼のように定着させ、空中に留まるための浮揚力、高速移動に用いる推進力、必要に応じて即座に魔術を発動する速射性能といった三つの利点を有する。
確かに強力なグリモアーツだが、扱うのは二十歳にもならない少女のキーラだ。
そして彼女は明らかに戦場での経験が不足していた。
当然それは敗因足り得る。
「エメリナ、今どんなもんだ」
「兄さんとテレサさんのおかげで問題なさそうです」
「助かる。俺はもう細長いの一本が限界だからよ」
爆風によって高い位置まで舞い上がる粉塵と、そこに混ざるウーゴの結晶。
それらを経由してエメリナの【カントリーロード】を使い、敵の腹部に未だ突き刺さる彼女のグリモアーツ“マイナードライブ”まで道を繋げればいかなる攻撃も空中にいるキーラへ届く。
「腹いてーからか滑空速度は目視できる範囲内。これなら問題ねーな」
最後の魔力を振り絞り、エメリナの手元に輝く【カントリーロード】の入り口へと手を突き込む。
その先でヘラルドは一本の細長い【スプリング】を空中に固定した。
「へぇっ」
滑空していたキーラの足を引っかけた発条が彼女の体を垂直に傾け、推進力は真横から真下へと向かう力に変わる。
「ぇえがァ!」
間の抜けた声とともにキーラは見事墜落した。
「うぅぅううう……」
即死には至らなかったものの相当な衝撃を受けたと思しき彼女は、寸でのところで受け身だけは取れたらしく鼻血を流しながらひしゃげた両腕をぶら下げて立ち上がる。
既に先ほど魔力弾を跳弾させていた魔術円は存在しない。
どころか今まで彼女の背中で輝いていた魔力の翼すら、半分程度の大きさにまで縮小していた。
「ぐっ、ごほっ…………。くそ、ちくしょう、クズどもが……!」
「それ私達に向けて言ってる? それとも先に死んだ仲間に向けて言ってる?」
大怪我を負って皮肉すら言えなくなったキーラが、悠然と歩み寄るテレサを睨みつける。
「その両方と、自分に向けてですよ……」
「良かった。自分だけ特別扱いするようなのと比べたらマシだ」
残り少ないであろう魔力を総動員したのか、鼻血で濡れた彼女の右手に【ディヴァイン】が宿ると同時に背中から翼が完全に消失した。
今の彼女に実現し得る最大限の攻撃。
しかし地面に叩きつけられて傷ついた腕では、先ほどまでの威力は見込めない。
加えてウーゴの結晶が体内から魔力の流れを阻害しており、うまく術式を組めない状態だ。
繰り出される一撃はただの悪足掻きに過ぎないと知りつつ、テレサはそこに言及しなかった。
「でも言いたくなる気持ちはわからないでもないよ。あんたら[デクレアラーズ]からしてみれば、私達みたいなのはどうしようもないクズなんだろうね」
応じるようにテレサも短剣の刀身を伸ばし、構える。
いつでも【クイックロード】で相手を穿てるように。
「ええ、まあ。平和な寒村で余生を過ごせたでしょうに、わざわざ死地に赴いてまで我々の邪魔をする意味が、どうにも理解を越えておりまして……」
「しかも仕事のために人を殺したりもした。[デクレアラーズ]の構成員だって、ついこないだも殺した」
「……“咼焼”の件でしたら、放っておく方が良かったはずでしょう。少子高齢化社会を最も効率的に解決するなら、あれ以上の手段は考えられません」
「無理だよ。老人ホームに放火するような奴、どんな理由があっても放っておけない」
例え相手には相手なりの考えがあったとしても。
殺していい生命を選別するような存在を野放しにするなど、彼女らにはできなかった。
「私の人生で誰の命が必要かどうかは、私が決める」
剣の切っ先を向けながら、テレサは高らかに宣言した。
「他の人も同じように生きてればいい。でも違うじゃん、あんたらの言ってる内容って。自分の考えありきでさ、他人を巻き込んで付き合わせる前提でいるじゃん」
それがまかり通る世界を作るための戦いで、失いたくないと思った人を失った。
テレサも、ヘラルドも、きっとウーゴとエメリナも。
「許せる範囲を越えてる。だから私が私のルールに従って決めた」
刀身に水色の魔力が滾る。
剣の周囲の空間が、揺らぎ始める。
「[デクレアラーズ]の企みは何としてでも止める。そのためにあんたらを殺すことも辞さない」
「……そう、ですか」
言葉を受けて、キーラの右手も純白に輝いた。
「なら……――私のルールに違反した罪で、死刑だァァァァァァァ!!」
「勝手に言ってろ自己中どもがァァァァァァァァァ!!」
刺突と斬撃。
方向性の異なる刃が交わったのは一瞬のこと。
瞬きする間もなく水色に輝く剣が一直線に伸びてキーラの右手首を割るようにして切断し、その先にある心臓を貫いた。
「ガハァッ」
さほど大きくもない叫びを上げて、勢いのままキーラの体が後ろに突き出される。
瞬時に縮んだ剣が彼女の体を空中に置き去りにしたのも束の間。
彼女の身を覆うグリモアーツ“シンデレラ”が純白に輝く光の粒子となって、散った。
「ゴッフッ」
血で赤く染まった裸体が倒れると同時、内部で結晶を構成する魔力も尽きた“マイナードライブ”がすっぽりと抜けて地面に転がる。
もう光の刃も失ってただひしゃげているだけの腕が、残された僅かな力で振り上げられた。
当然、そんな腕で何ができるわけでもない。
「…………ぁぁ。なんて、ひどい、終わり方……」
変わらず陰鬱な、しかし皮肉に微笑む気配を持った小さな声が漏れて暫し。
震えながら少しだけ持ち上げられたキーラの手が、ばしゃりと血の池に落ちて動かなくなる。
それら結末を彩る全てが、テレサ達の勝利を意味していた。
「……勝った…………」
真っ先に決着をつけた本人の声が、仲間の緊張を解きほぐす。
「やったのね……あ、ダメだわ倒れそう」
「兄さんは寝ててください。魔力切れ直前まで、よく頑張ってくれました」
「俺なんか一度は魔力切れになったよ」
「ヘラルドは後でテレサ共々話があります」
「へいへい。……しかしまあ、キッツい戦いだったな」
やっとの思いで倒せた三人の亡骸にそれぞれ視線を送り、ヘラルドが溜息を吐く。
ボタン一つ掛け違えていれば間違いなく死んでいたのは自分達だ。
そう確信できるほどに、出鱈目な相手だった。
全員その場に座り込み、大きく深呼吸する。
「こりゃ竜棲領に行くのは無茶だ……。でも私達、よくやったよ」
達成感と一緒に疑問も浮かぶ。
以前圭介から聞いた話によると[デクレアラーズ]を統率している“道化の札”アイリス・アリシアは、目視した対象の情報を読み取る魔術で先々の未来すら予測しながら計画を立てているはずだ。
では、この戦いはどうか。
キーラ達の死は果たして元より決まっていたのか、あるいはアイリスの策謀を越える形で勝敗が決したのか。
その答えはこの場にいる誰にも出せまい。
ただわかるのは、今の自分達にとって[十三絵札]の相手はできないという厳然たる事実のみ。
(こうなったらあっちの戦いはあっちに全面的に任せるしかない、か……)
ここまで何もかも使えるものを使い果たしてようやく勝てるような相手が、実のところ幹部格ですらないという事実。
キーラよりも強いとされる相手を二人倒した東郷圭介という客人に、今は全てを懸ける。
(自分なりに世界を良くしようと思って故郷のカサクを飛び出したけど。……途方もないなぁ)
自分のルールがどうだなどと語ったものの、これから先に待ち受ける戦場の苛烈さを思うとテレサは畏怖を禁じ得ない。
それでも進む。
進むしかない。
道は広くなく、風は優しくなく、空は晴れてなどいなくとも。
彼女らは自ら望んでその生き方を選んだのだから。




