第二十一話 目を騙す
空から降り注ぐ光の弾。
それら一発一発が頭部に当たれば即死、胴体に当たれば致命傷、四肢に当たれば欠損に繋がるであろう威力を有する。
キーラ・チェルネンコの攻撃はハイドラ王国のパーティのメンバーにとって、これまで戦った何よりも苛烈であった。
「だあああああ!」
テレサの剣が刀身の幅を拡大しつつ枝分かれしながら長く伸び、渦を描いて大きな盾を形成する。
彼女に実現できる最大限の防御態勢だ。接触したエネルギーを空間歪曲魔術で拡散し、同時に四方八方へと伸びる無数の切っ先に分散する。
これまで大半の攻撃はこの盾で防げた。
一応、キーラの魔力弾もやり過ごせてはいる。
だがそれだけ全力で防いでようやくやり過ごせているだけ。
最大戦力であるテレサは攻めに転じる機会を得られず、他の三人も彼女から離れることができない。
「実に無様ですね」
周囲の岩峰が赤熱する瓦礫の山へと変貌した頃、それまで彼女らを苛んできた光の雨が突如として止んだ。
それでも次の攻撃に備えてテレサは盾を維持し続ける。
「聞いた情報によれば貴方方は単独での戦闘ではなく、高度な連携による作戦行動でこそ本領を発揮できるそうですが」
やがて熱でそこかしこがオレンジ色になっている大地へと降り立ったキーラは、左手に純白の魔力を纏わせた。
第四魔術位階【ディヴァイン】。
光と熱の刃を生成する魔術。
アガルタ王国のミア・ボウエンは適性を有さないが故に逐一詠唱を要していたが、彼女は無詠唱のまま発動してしまえる。
その斬撃の威力が如何ほどのものか、対面する四人には想像もつかない。
「しかし今、そこにいるヘラルド・オリボは限りなく魔力切れに近い状態にありもうほとんど魔術を使えません。つまるところパーティ全体の戦力が大きく削がれている」
話す間にウーゴが結晶の刀剣を数本ばかり創り出し、投擲した。
しかしキーラはそれらを全身から溢れる光で相殺。空中に留まり勢いを失った剣は、彼女の足元に落ちて砕け散った。
「なっ……」
「四人揃っていれば勝てたわけでもありませんがね。それでも生きて逃げ延びる程度の未来はあり得たでしょう」
第四魔術位階【ピースメーカー】。
自身に向かう物体の運動量を一瞬で測り、同程度の力を生み出して対象に負荷を与えず防ぎ切る結界魔術の一種だ。
タイミングの見極めが困難である点と魔術位階の半端さから使う者も限られるが、適性を持つ者によるそれは無動作での完全防御となり得る。
結果、彼女の左手に輝く【ディヴァイン】は未だ健在である。
「それが皆さんの敗因です。最後に落ち度を聞けて良かったですね。こちらから言うべきことは以上です、ではさようなら」
一方的な会話の切り上げとともに、彼女の左手が閃いた。
「ぐ、ぅぅぅうう!!」
少し離れていたはずの彼女の斬撃は光の刃となって延長し、テレサの盾に正面からぶつかる。
相当な威力を発揮したのだろう。ハイドラ王国の面々は四人揃って後ろへ叩き飛ばされた。
「があああっ、ァッ!」
急ぎ全員の背後へと回ったヘラルドが三人分の体重を一身に受け、背後の岩肌で仲間達に挟まれる。
魔力が底を尽きている以上、彼にとってできる仕事はこれくらいしかない。
彼の意図を察したエメリナが彼の体に強化魔術を付与したため、結果的に全員のダメージを最小限に抑えられた。
「ヘラ、ルド……!」
「すまねえ……ちょっと、ここいらが本当に限界だわ……」
だが事態は何一つとして好転していない。
今の動きでヘラルドの疲労はピークに達し、意識も朦朧としているようだった。
「はぁ……。もう少しおしゃべりできそうですね。いやはや全くお元気なようで嬉しい限りですよ」
言葉に反して陰鬱とした表情のキーラが、今度は胸の前で両手を合わせる。
全ての指をピンと伸ばした状態で左右の人差し指と親指同士を接触させ、指による簡易な空隙を作った。
「少しは本気を出すとしましょう。全く、この後で竜棲領のドラゴンと東郷圭介も私に撃たれるのを待っているというのに」
ブツブツと文句を言いつつ、その指の間にできた空隙へと純白の魔力が集中して一つの魔術円を描いていく。
「【青嶺に寝そべり薄笑いを浮かべる旅人よ 一本道でさえ真っ直ぐに歩めぬ遊びの徒よ】」
これまで詠唱などしてこなかったキーラが、ここに来て呪文を唱え始めた。
「ヤバい……!」
危険を察知したテレサがすぐさま剣を元の形状に一度戻し、相手に向けて【クイックロード】による刺突を放つ。
が、その攻撃は地面から瓦礫を巻き込んで現れた粘土の蛇に防がれてしまう。
「っ!」
「まさか我らの存在を失念してはいまいな?」
地中から現れたのは先ほど穴の底へと落ちていったはずのギルフィだった。
「しつっこいわねぇ!」
「アンタらのしぶとさには勝てねえさ!」
見ればウーゴも軍輝が振るう赤い大剣と化した血の帯を、結晶の刃でいなしている。
「【流るる清らかな川を見ただろう 微笑みかける美しい娘がいただろう 卓には極上の料理が並ぶだろう】」
しかし軍輝が近接戦闘に持ち込んでいる。それを見てテレサは一旦の結論を導き出した。
(味方を巻き込むタイプの魔術じゃなさそう、か)
光線や光弾での攻撃はテレサの空間歪曲魔術で受け流せる。
千日手ともなれば魔力の総量から見てテレサ達の方が圧倒的に不利だが、相手も竜棲領の戦いに参入するため悠長にしていられない。
そうした中での広範囲攻撃ではない何か。
安堵などできるはずもなく、正体が掴めないまま焦燥感と警戒心ばかり増幅していく。
「【そうして柔らかな褥に寝そべり 優しい夢を見ていればいい】」
伸ばした刀身で【ストーンスネーク】を断ち切るも、その向こうからまた新たな粘土の蛇が浮かび上がる。
岩の鱗を有さないそれらに込められた魔力は微小なものだ。
触れた者を拘束する役割こそあれど、実質的にはテレサの隙を生み出す捨て駒として作り出されたに違いあるまい。
比べてウーゴと軍輝は体格と魔術適性でやや違いこそあるが、互角の近接戦闘を繰り広げている。
こちらも結果的に有効な足止めとして機能しており、両者引くに引けない状態となっていた。
「【本当はお前は旅人などでなく 夢想に逃げ込む一匹の狼なのだと 知らずに死んでしまえばいい】」
エメリナの【カントリーロード】で幾分強化されているテレサとウーゴは、もう少し時間さえあれば目の前にいる客人二人を討伐さえできた。
しかしタイムリミットは既に迫り、キーラの詠唱が完了する。
「第三魔術位階――」
「っぶね!」
「……ッ!」
それを合図として軍輝とギルフィがすぐさま後退した。
だが先ほどまでのキーラの攻撃を思えば、高火力広範囲の攻撃を回避するにはまだ近い。
仮にこのままテレサでさえ防ぎ切れない攻撃が放たれれば彼らも巻き込まれる。
巻き込まれないような威力であれば、テレサ単独で容易に防げるはず。
中途半端な挙動がテレサの思考をほんの一瞬だけ奪った直後、
「――【スプライトガーデン】」
世界が、歪んだ。
空は不自然に拡大されて視界の多くを青く染め、山脈はそこかしこで隆起と陥没を繰り返しながら上下左右に動き回る。
自分の体は感覚として変わらずそこにあるはずなのに、敵味方の像が入り混じって捻じ曲がり続ける。
幻影魔術。
多くの索敵魔術が生み出されている現代において珍しい魔術だ。
キーラは光を光線として撃つに留まらず、広範囲の景色を操り視覚情報を支配していた。
そうなると軍輝とギルフィが離脱した理由にも納得がいった。
最も防ぐべき同士討ちという事態を避けるため、彼らは魔術の効果範囲外へと逃げたのだろう。
結果的に彼らが立っている位置こそ魔術の効果範囲の境界線であると、テレサには容易に理解できた。
理解できたからこそ理解できない。
「何のつもり? 私もウーゴも索敵ならできる。こんな魔術をわざわざ詠唱してまで使うなんて……」
視覚情報に頼らず相手の位置を捕捉する程度なら前衛の二人には容易にできた。
テレサは歪めた空間の波を読み、ウーゴは散りばめた結晶の破片に触れる物体を感知できる。
後衛の二人ともなると話は別だが、ヘラルドは既に魔力切れで戦闘に参加できない。索敵の有無など関係ない状態と言えた。
エメリナもウーゴが出した結晶を【カントリーロード】で拾い続ければ、大まかな互いの位置くらいはわかるだろう。
なのでここに来てわざわざ目を誤魔化す必要がテレサにはわからない。
「先ほども申し上げた通り、貴方方の強さの根幹は連携にあります」
もはや視界に映っていない、それでいて先ほどから動かず滞空し続けているとわかるキーラの言葉とともに光線が放たれた。
特に衒いのない真っ直ぐな軌道の攻撃。
当然、狙われたテレサはグリモアーツ“パラベラム”で軌道を捻じ曲げてこれを防いだ。
「であればそれを崩せばよろしい」
が、即座に続けて撃たれた次の光線がウーゴの肩を掠める。
「うっ!?」
「え、ちょっとウーゴ!?」
掠めただけで済んだのはウーゴが命中する直前に大きく避けたためだ。
それも完全に避けきるつもりでの動きだったのだろう。焦りがそのまま所作に出たらしく、彼にしては咄嗟の挙動に無駄が多い。
「地中から皆さんを見て何となく察していましたが、こうして目の前でお相手してみて確信に至りました。索敵魔術を使うお二人には効果範囲、精度、消費する魔力に一定の差があるようですね」
テレサの背筋に戦慄が冷たさとなって走った。
現在彼らを取り巻く幻影魔術【スプライトガーデン】は全員に均等に同じ幻を見せている。
一方でテレサが「索敵手段ならあるのだから」と油断していたウーゴの魔術では、精度こそ高いものの彼女ほどの広範囲をカバーできない。
恐らく彼はキーラの声から位置を把握しているだけだ。
細かな動きまで掌握して即座に回避できるテレサとは、攻撃に対処する上での前提が違う。
「加えて私の魔術は予備動作や魔術円の配置などを目視した上でなければ対応困難。何せこれまで御覧に入れました通り速度も並外れていますので、索敵で得られる情報だけでは完全に回避できません」
言葉の次に響き渡る、複数の魔術円が展開された音。
しかし純白の光は見えず、テレサの索敵魔術でも位置を把握できない。
「どうして……!」
「私の魔術円は純粋な魔力ではなく、魔力で歪めた光を繋げて描いています」
「っ、だから何っ!」
キーラの位置に向けて剣を伸ばすも、直線的過ぎる一撃は【ピースメーカー】によって威力を殺された。
今すぐにでも殺したい女に、薄皮一枚分だけ届かない。
「貴女の索敵魔術は簡単に言えば、自身の魔術で歪めた空間が周囲の質量に与える影響を逆算する形で物の位置を探っているわけでしょう」
空間内に魔力弾が六つ形成され、それはどうにか感じ取れた。
問題は位置がわかった時点で既に弾は放たれており、その全てがウーゴとエメリナを貫いていたという点だ。
「であれば質量を持たない光の魔術円がどこにあるかなど、この視覚情報が頼りにならない空間においてはわからなくて当然です」
「――ッ」
歯を食いしばる。
仲間が呆気なく殺された事への激情を押し殺す、という意味ではなく。
その仲間が決死の想いで作り出した活路を、表情から敵に読まれて潰させないために。
「……む?」
気付いたらしきキーラが訝しげに声を上げると同時。
兄妹の形を模して作られた結晶の像が、撃たれた衝撃で砕け散った。
「何と!」
見えはしないが瞠目しているであろう様がよくわかる。
そしてキーラの目前で防がれ停止した刀身から、灰白色の光が溢れ出す。
「おらあああああぁぁぁぁ!!」
剣の切っ先から溢れた光は大きく膨らみ、やがて歪んだ世界の真ん中に大男の上半身とその腕に抱かれる小さな少女を浮かび上がらせた。
「うわっ!」
出てすぐ振るわれた結晶を纏いし拳が、キーラの顔面を殴りつける。
普段の彼であれば決してしないであろう蛮行だが、結局その一撃は【ピースメーカー】で防がれた。
その、一撃は。
「せいっ!」
「が、ぁっ!?」
続けて突き出されたエメリナのグリモアーツ“マイナードライブ”。
僅か生じた【ピースメーカー】のタイムラグを縫う形で、鋭利な先端部分が突き出される。
果たしてその棘は、キーラの脇腹に深々と突き刺さった。
「くっ……!」
怒りに任せた大雑把な【ディヴァイン】による斬撃は、兄妹の体が生えている剣をテレサが引っ込める形で回避する。
テレサが立つ位置に飛び出して着地したウーゴとエメリナの体には、穴など一つも開いていない。
「よく合わせてくれたわねテレサちゃん」
「エメリナのおかげよ。とは言え、お互いぶっつけ本番でよくできたわ」
「兄さんの結晶が無ければテレサさんの位置もわかりませんでしたけどね」
作戦は極めて迅速に組まれ、場当たり的に進行し、結果論として上手くいった。
魔術円の音が鳴った直後にテレサの剣へと接続された【カントリーロード】が、伸ばされた刀身とともにキーラに接近。
防がれた刺突の末端部分に兄妹揃って移動しつつ、同時に二人を模した結晶の像を生成して敵の目を欺く。
少しでも何か違う要素が絡んでいれば失敗していたであろう、か細い道。
それを彼女らは愚直に互いを信頼する形で実行し、成功させたのである。
「もう、そろそろそちらも限界と見ていましたが、なるほど。認識が甘かったと、言わざるを得ませんね」
言いながらキーラが自身に刺さった“マイナードライブ”を抜き取ろうとするも、先端部分に結晶の返しがついているらしく引っかかって抜けない。
他人のグリモアーツによる干渉を受けてかはたまた激痛に耐えかねてか、一瞬だけ薄っすらとだが元々の景色も見えた。
「づうっ……いやはや何とも、意外や意外。ここまで優秀な相手が我々に歯向かっているのも含めて、驚愕に値します」
「現在進行形で賭けですけどね。ここまで無理をしなければ、私は貴女を見ることもできない」
ウーゴの腕に抱かれながらエメリナが声をかける。
彼女が顔を向けている方向には、間違いなくキーラが浮いていた。
「ですがこれで貴女の位置は私にもわかるようになりました。加えて血中に兄の結晶を少しずつ混入させ、術式の構築を阻害する準備もできたわけですが」
「ですね。業腹ですが処理能力の低下は認めなければなりません」
傷を負ったばかりかこの短時間で優勢が崩れたにも拘らず、キーラは冷静に額の汗を拭う。
同時に周囲の光景が元の姿を取り戻し始めた。
【スプライトガーデン】が解除されたためだ。
「まあ、こんな大仰なだけの見せかけ魔術でも一時しのぎにはなりましたか」
「一時しのぎ、ねえ」
第三魔術位階を一時しのぎと言ってのける。
テレサからしてみれば規格外の判断基準だが、[デクレアラーズ]に属する客人なら当然の動きなのだろう。
「強がり言っちゃって。第三魔術位階を真っ向から破られた上に手傷負って、挙句そのせいで術式の構築もこれからドンドンできなくなるっていうのにさ」
「強がりではありませんよ。【スプライトガーデン】影響下において、私が最優先で済ませるべき用事は既に終えたので」
「は?」
その言葉の意味がテレサにはわからない。
今、宙に浮くキーラの下には軍輝とギルフィが並んで立っている。
彼女の攻撃に対応しつつ索敵魔術を持つテレサとウーゴは、複雑な情報処理を強いられながら辛うじてその二人の戦力も牽制し続けていた。
そして結局、どちらも余計な手出しはしてこなかったのだ。
先ほどああは言ったが、テレサとてキーラほどの実力者がこの局面で強がりなど口にするとは思っていない。
だからこそ不気味なのだ。何をしたのかが見えてこないから。
既に打たれた一手が見えないまま、おもむろにキーラが口を開く。
「A10神経系、というものをご存知ですか? ドーパミンやセロトニンといった快楽物質を生む、脳においては視床下部の一部を指す言葉なのですが」
「え、急に何よあの子難しい話しちゃって」
突如として角度を変えた話にウーゴが戸惑う。
もちろんキーラはそんな反応に一切関心を示さず、続ける。
「意識を失っている状態でそのA10神経系から快楽物質が分泌された時、人は一時的にレム睡眠に近い状態となります。そうなると脳の魔力抵抗力が著しく低下してしまうんですね」
「……まずい!」
急ぎ剣を伸ばして振るおうとしたテレサの右腕が、背後から伸びた手にガシリと掴まれる。
驚くほど強い力で止められ、攻撃は強制的に中断させられた。
「ぐっ!」
「え、テレサ、ちゃん……?」
「……どうして」
テレサの攻撃を中断させた人物。
それは魔力切れで倒れていたはずの、ヘラルド・オリボだった。
「変性意識状態――とどのつまり催眠状態。一定の間隔で明滅を繰り返す光、という視覚情報を得たA10神経系はそのように人の意識を混濁させます」
一連の流れを見ていた軍輝が、無表情のまま“ヒーローマフラー”から溢れ出る血液の一部を一振りの槍へと変形させてヘラルドに放り投げる。
アイビーグリーンに輝く細長い【スプリング】を生成してそれを絡め取ったヘラルドが、左手に引き寄せたそれを受け止めて穂先をテレサに向けた。
虚ろな瞳に彼自身の意志は見えない。
「先の【スプライトガーデン】で本当に隠したかったのはそのための光、そして平時なら彼がかからないような拙い催眠術式の魔術円ですよ」
斯くして戦力は逆転する。
四人で三人を追いかけてきたハイドラ王国のパーティは、ここに至って三人で四人を相手取るという窮地に立たされた。
それも新たな敵は魔力体力ともに消耗した仲間。
これほどの地獄をテレサは未だ経験したことがなかった。
「言ったでしょう。連携を崩すと」
ヘラルドの方を見ていても、相手の顔を見ずともわかる。
きっとキーラは笑っていた。




