第二十話 哀れな肉塊が躍る
「ギャアアアア!!」
「やめてよ、ねえ、私! 私だよ母さ――」
「下がれって! もうアイツはダメだ、助けられねえよ!」
一言でまとめるなら、その状況は一方的だった。
仲間や家族の慟哭に怯んだドラゴンから次々に襲われ、同胞の拳と爪と炎に散っては食われて同じ肉塊に混ざっていく。
ロザリアが作り出したドラゴンの変異種たるグレンデルは、そうして頭部と四肢と翼を歪に増やしながら己の体積を膨らませていった。
「あの子を置いて逃げろってのかよ、ふざけやがって!」
「でもどうするんだ? 俺だって助けてやりたいけど、もうああなったらお終いなんだよ!」
戦場において絶対に避けるべきドラゴン同士の諍いすら、その醜悪な肉は躊躇なく覆い被さりじゅぶりと飲み込む。
繰り出される攻撃の手数はもちろん、一撃一撃の威力すら増していく様に混乱した彼らは対応できない。
ここまでの力関係を押し付けられた経験など誰にもなかったがためだ。
頂点捕食者は、前例なき自身の捕食者に対してあまりにも無力だった。
そしてこうなる可能性を多少は考慮していた圭介達も、すぐに支援には迎えずにいる。
「ホーラホラホラホラ! どうしたのかなさっきまでと随分違うねえ!」
「ぐっ、この、うおぉおっ!」
彼らは彼らで、ロザリア本人からの猛攻を防ぐので手一杯だった。
伸び、膨らみ、尖り、曲がる。
素早く、細長く、硬く、柔軟に。
グネグネと形を変え続ける彼女の腕は時に枝分かれして数を増やし、時に千切れて飛来する。
おまけに瞬間移動を繰り返しながら的確に急所ばかり狙ってくるため、ドラゴンの安否どころか彼女の次に脅威となるグレンデルにさえ意識を割けない。
寝かされてしまったミアを介抱するレオからの回復魔術は、彼の魔力総量を考慮するとあまり期待するべきでもない。
様子見に徹していたセシリアも加わり、ユーとエリカの支えもあってどうにか圭介は“王の札”を相手取りながらも生存していた。
『真後ろです』
「ふぬぐっ!」
アズマの言葉とほぼ同時、【エアロキネシス】と【サイコキネシス】で背後に旋風と衝撃波を飛ばす。
術式などといった丁寧なものなど介在しない。
ただ凝縮された空気の塊をぶつけるためだけの攻撃である。
その透明な砲弾は目の前にいるロザリアとは別に、空間を裂いて出現したもう一人のロザリアを砕いて肉の破片へと変えた。
(……キツいけど相手の魔術は絞り込めてきた)
圭介はここまでの流れでロザリア・シルヴェストリという客人の正体を少しずつ理解し始めている。
使用している魔術は主に二種類。
一つは肉体を変形させる魔術。
そしてもう一つが、亜空間魔術。
前者はここまでの戦いを見ていれば明らかだろう。
攻撃も回避も何もかも、彼女は自他双方の体を操る形で実行している。
ただ自分の肉体を変形させて腕を伸ばしたり鋭い爪で斬りつけたりするのみならず、己の分身を作り出すことも可能だ。
死んだように見えてまた無傷の状態に戻るのも、致命傷を負った分身を捨てて新たに肉体を作っているためと見える。
(さっきから見せてくる速さと怪力も、身体強化魔術を極限まで突き詰めた結果なんだろうな)
それでも細胞を侵蝕できれば他者の肉体まで思うがまま、というのは想定外且つ許容範囲外の脅威だった。
直接触れないように細心の注意を払う必要が出てきてしまったものの、今のところは防ぎ切っている。
問題はもう一つの魔術である。
「うざってえなこんアマ!」
「ま、口悪いのねえ」
エリカが放った魔力弾がロザリアの顔面を貫通し、大きな穴を開けた。
しかしその穴も即座に生えてきた肉で埋まり、元の顔を取り戻す。
この生物としての常識のみならず質量保存の法則を無視したような再生能力と空間転移めいた動き、何より圭介の【ベッドルーム】による索敵を空間ごとくすぐるような掻痒。
途中から既視感すら覚えたこの感触は、宿泊したホテルで部屋の鍵を差し出された時のものと一致する。
結論として導き出されたのが亜空間魔術だ。
圭介の予想が正しければ、ロザリアは空間から空間に転移しているわけではない。
一度別の空間に身を隠してから再度こちら側の空間に出現する。そうしてまるで座標と座標の間を飛ばして動いているように見せているだけ。
だから瞬間移動もアイリスがやってのけた空間転移ほど高度なものではないはず、なのだが。
(そこらへんが事実だとして、問題は肉をどっから調達してるか)
真の恐怖がその先に在る。
彼女は肉体をバラバラにされても無傷の状態に戻れるし、最悪元の体を捨てて亜空間から新たなロザリアが出現するだけなのだ。
となれば、答えは一つ。
(亜空間の中に、とんでもない大きさの肉の塊がある!)
恐らくそれこそがロザリアの全容にして文字通りの意味での全体。
それをわずかばかり削ぎ落とすようにして人形を作ってはぶつけ、修復と破棄を繰り返しながら圭介にぶつけている。
つまり可憐な美少女の姿をしている彼女の本性は、そこいらの超大型モンスターなど相手にならないほどに巨大な肉の塊なのだ。
こうしてちまちまとぶつけられている人型の人形をいくら叩き潰したところで、圭介達に勝機はない。
(そこまでは想像もつく、つくけど……だから何だってんだ!?)
仮に圭介の想像通りだったとして、それでもこの不利な状況から抜け出せないのが何よりも苦しい。
彼女が遠隔操作するただの人形こそ、今こうして自分達の命を刈り取ろうとする強敵なのだ。
亜空間から本体を引きずり出して倒すなど、人形風情にここまで苦戦する自分達にどうしてできようか。
(でもこのままじゃジリ貧だ。早く解決策を探さないと……)
必死の思考の果て、考えてみれば当然と言えるその事態はついに起きた。
『第三魔術位階相当防衛術式、展開』
「あ?」
上下左右前後から突き出される攻撃をそれでもいなす圭介の頭上、アズマが第三魔術位階相当の結界を突如として展開する。
一日に一度の切り札。それを使った理由を圭介は一瞬ばかり遅れて理解した。
「あ」
他のドラゴンを薙ぎ倒し吸収して大きく肥大化したドラゴンの変異種、グレンデル。
その巨体が圭介に向けて夥しい数の爪を向け、迫っていたのだ。
「上手上手! 確かにアズマちゃんの結界なら防げるわね」
瞬き一つ前までは離れた位置にいたはずのロザリアが、顔を圭介の眼前に寄せておかしげに笑う。
「で、その結界って何度でも使えるのかしら? いつまでも展開していられるのかしら?」
「ぜやぁっ!」
その首が横から突き出されたユーの“レギンレイヴ”に斬られるも、ロザリアの顔は伸びた髪の毛を首の断面に食い込ませて浮かび続けながら圭介を見つめ続けた。
「ドラゴンの爪は本数で言えばここまでで集めただけでも二〇〇〇を越える。どうぞ耐えてみなさいな」
できるものなら、と言外に滲ませて顔が離れると同時。
アズマの結界一枚隔てた先から、二〇〇〇を越える刀剣の如き爪が切っ先を圭介に向けた。
「どわああああああ!!」
「ケースケくっ……!」
「ケースケ!」
エリカ、ユー、セシリアも叫ぶが、走り出そうとしたところにロザリアの腕が伸びる。
反射的に足を止めた彼女らはもう間に合わない。
『マスター』
決定打となったのは結界を展開するアズマの声が、どこか申し訳なさそうに聞こえた点。
『ドラゴンの爪による刺突二〇〇〇回から生じる運動エネルギーは、私の結界による防御性能の許容範囲を遥かに凌駕しています』
ならばと速さで避けるにしても、相手はドラゴンの変異種にして集合体。
純粋な身体能力にロザリアの魔術も組み合わさって、容易に追いつかれる可能性は高い。
そもそもグレンデル一体の攻撃に意識を集中させた途端、今度はロザリアの攻撃が命中してしまう。
(考えろ考えろ考えろ、このままだと僕だけじゃなくてアズマまで巻き込まれる)
考えている間にもドラゴン達の爪は人外の膂力で強く突き出されるだろう。
残された時間はあまりにも短い。
それでも咄嗟に思いついたのは【バニッシュメント】で全てを焼き払うという選択肢。
「アズマ、そっちは僕がどうにかするからロザリアの方を頑張って防いで」
『了解しました』
他に優れた代案もない。圭介は急ぎ“アクチュアリティトレイター”に意識と魔力を集中させた。
この合間にロザリアから攻撃を受けてもアズマが防いでくれる。それを踏まえた上で、圭介自身も彼女への警戒を完全には放棄しない。
(集中しろ。目の前の敵を倒すために。この場を絶対に生き残るために)
溢れ出る鶸色の魔力が白く発光していく。
周囲の空気から水分を取り除き、温度を引き上げ、電気伝導率を上げる。
やがて“アクチュアリティトレイター”に光が凝集して必殺の一撃の準備に入った。
だがそこまでの流れで既に二〇〇〇を越える爪先が目と鼻の先にまで迫っている。
「助け」
「お母さ」
「やめ」
心からの叫びかあるいはロザリアが戯れに再現したものか、巨大な肉塊に取り込まれたドラゴン達の慟哭が耳朶を叩く。
しかしもうやるべき事なら決まっているのだ。迷う暇などない。
第二魔術位階【バニッシュメント】。
白い光の奔流が“アクチュアリティトレイター”からグレンデルへと放たれて、
「ぶっ」
噴き出した圭介の鼻血とともに途切れた。
考えてみれば当然の結果である。
圭介が今やろうとしていた所業は、本来なら人の身で容易に実現できるものではない。
ロザリアによる間接的な妨害を防ぐため、亜空間魔術を用いての瞬間移動も見越して全方位への広範囲索敵を継続した。
その上で【バニッシュメント】発動のために満たさなくてはならない諸々の条件を満たすため、同時並行で複雑な情報の処理も担った。
常人の脳で成せる範囲を越えている。
極めて重い負荷が脳にかかった影響で、圭介は自身の器に入れてはならない罅を入れてしまったのだ。
「ち、くしょ……」
『マスター!』
結果、迎撃どころか防御も回避もままならない。
完全に動きを止めた圭介をグレンデルが包み込むように自身の肉で囲み、空中で球状にまとまったままチョコレート山の茶色い山肌へと落着する。
轟音と砂煙を伴う着地は相当な衝撃を発生させたのか、肉塊の周辺にある地面は罅割れて窪んでいた。
「……………………は?」
遅れてエリカの間抜けな声が静寂を破る。
呆けたその側頭部を、真横から伸びてきたロザリアの手ががっしりと掴んだ。
「がっ!」
「ああ、もう戦わなくてもいいわよ。圭介君なら死んだから」
同じく呆けたユー、レオの二人も気付けば別々の手に捕まっていた。
わずか肌に食い込んだ爪から何らかの毒物を流し込まれたのか、一瞬の油断を突かれた彼女らが再度警戒心を取り戻しても指一本すら動かない。
「貴様ァッ!」
唯一動けるセシリアが、武装型グリモアーツ“シルバーソード”をロザリアに向けて振り下ろす。
だがロザリアはその斬撃を左肩から胸元にかけての傷口で受け止め、新たに生えて伸ばした腕による裏拳で側頭部を強打した。
「ぐっ、ぁ……」
一瞬にして王城騎士の意識を刈り取り、それでもロザリアは不満げな表情を浮かべる。
「うーん、藤野ちゃんは彼女だから圭介君を過大評価してたんでしょうけど。流石に“王の札”の相手ができるレベルじゃなかったみたい」
言葉とは裏腹に彼女が浮かべている表情にはある程度の悔悟があった。
実力の差を見せつけて悦に浸るのではなく、これまで圭介によって生じた被害を自分ならもっと早く防げたかもしれないという無念。
その上で、圭介がまだ生きている可能性については考慮すらしていない様子である。
「我らが道化もらしくないわね。もっと早く私や他の“王の札”を差し向けていれば、フェルディナントや光清だって……」
圭介は死んだ。
そう、ロザリアは結論付けた。
だからだろう。
「……ん?」
グレンデルの体内から聴こえる奇妙な破砕音。
本来ならあり得ないはずのその音が、ロザリアの極限まで強化された聴覚に拾われた。
「何? まさかあれでまだ生きてたの?」
見ればグレンデルの体も微細に振動を続けている。
そもそもとして本当に圭介が死んでいるなら、既にグレンデル自身も丸めた体を元に戻しているはずだ。
しかし何十体ものドラゴンを混ぜ込んで作った肉団子は形状を変えず、内側からの衝撃を抑え込もうと本能的な防御反応を繰り返していた。
何かがおかしい。
ロザリアが圭介への警戒心を取り戻した、次の瞬間。
「バアアアアア!」
「ひゃああああああ!」
「グゴォォオオオオオオ!」
グレンデルが有する複数の口から、同じ数だけ悲鳴が上がった。
既に元々の自我などない肉塊だが感覚器官までは麻痺させていない。
明確に激痛が走った時の反応である。つまりグレンデルは、内部から攻撃を受けているという事だ。
同時にところどころ肉が裂け、その狭間から魔力の光が漏れる。
「あれ、おかしいわね」
だからこそロザリアは違和感を覚えた。
破れた肉の中から溢れる魔力の色が、鶸色ではない。
他のパーティメンバーの誰にも該当者がいないその色は、クリームイエロー。
――つまり圭介以外の何者かがグレンデルを内部から攻撃している。
やがて裂け目の一つを突き破り、中から飛び出した魔力の主が圭介を抱きかかえた状態で地面を転がった。
真っ先に目に入ったのは、ペリドットもかくやと言わんばかりに薄く輝く緑色の鱗。
「……ぁ」
全身を毒で麻痺させられたエリカの声が、その正体に対する安堵となってロザリアに届く。
「助っ人かあ。まさかグレンデルが殺し損ねるとはね」
横から飛び込んできて第三魔術位階【アトロシティコメット】で二〇〇〇以上の爪を破壊し、圭介の身を守り抜いたブロンズパイル山脈における最後のドラゴン。
「っぷはぁ! 危ないところだったぁ!」
案内役のユーヘドゥッギが、万感の果てに掴み取った勇気とともに圭介の命を救い出した。




