第十九話 三人目
森の暗がりに四人の魔力が四色の光を散らしていた。
岩を纏った粘土の蛇が結晶の障壁を叩き、神速の刺突を強化された拳が弾く。
肺を傷つけるために散布された透明な破片を、血の帯が巻き取り無効化する。
伸縮自在の剣が繰り出す斬撃は、円盤状に集合した岩の蛇が盾となり防いだ。
テレサとウーゴ、軍輝とギルフィ。
二組は互角に戦っているように見えるが、実際にはテレサ達の方が戦闘能力という面では優れていた。
テレサの空間歪曲魔術を組み合わせた白兵戦は唯一無二の戦法であり、相手の回避能力を無視して広範囲をまとめて斬れるため軍輝の速さも脅威ではない。
ウーゴが生み出すケイ素の結晶は土に巻き込ませることでギルフィの魔術を阻害できるし、相手に破片を吸わせて体内から傷つければ防御力など関係ない。
本来なら相手が客人であったとしてもこの戦闘はハイドラ王国のパーティ側に軍配が上がるはずだった。
だが現実を見れば、両者の戦闘は拮抗している。
主に二つの要因によって。
「ウーゴ、下がって!」
「っぶないわねぇ!」
言われるとほぼ同時に急ぎ後退したウーゴの足元を、純白の光線が数本穿った。
一つ目の要因は先ほどから二人を狙う、未だ姿を見せない三人目の客人による援護射撃。
テレサが索敵と同時進行で優先的に光線の軌道を曲げているからこそ、今のところはどうにか対処できている。
それでも指示を飛ばした直後にウーゴが反応してようやく避けられる程度だ。
今の攻撃もテレサの判断が一瞬遅れていれば、間違いなくウーゴの心臓が撃ち抜かれていた。
軌道を大きく曲げた上で狙われた本人が最速の動きで避けなければ、体のどこかには当たってしまう。
この厄介極まる狙撃に意識を割かれた状態では本領発揮などできない。
加えて二つ目の要因が動きを大きく制限していた。
「くたばりやがれ!」
軍輝のグリモアーツ“ヒーローマフラー”から伸びる血液の帯が、刃として突き出される。
狙いはウーゴ――だけでなく、その真後ろで転がっているヘラルドとエメリナの二人だ。
「やらせないわよっ!」
急ぎウーゴが生成した結晶の剣を数本投擲し、血の刃を相殺する。
だがその動きだけでは足元を這う蛇の群れまで防げない。
「さっきから!」
それを振り向かないまま索敵のみで感じ取ったテレサが地面に剣を突き立て、
「やり方がセコい!」
潜った地中で無数に分裂させた刀身を地表に突き出すことで蛇を一掃した。
結果、テレサ本人の防御が意識から外れる。
「セコくて結構!」
「ぐっ……!」
「テレサぁ!」
軍輝の鋭い回し蹴りがテレサの左肩につま先を突き立てる。
ヘラルドが叫んでも結果は変わらない。これで“パラベラム”を装備する左腕の動きが負傷で大きく制限された。
現在ヘラルドとエメリナの二人はギルフィの【ストーンスネーク】によって両足を拘束されており、自由に動くことができない。
つまり残された二人は彼らを守りながら、常に狙撃の脅威に身を晒しつつ、軍輝とギルフィを相手取らなければならないのだ。
「っ、ぜやぁ!」
「むんっ!?」
蹴り飛ばされるテレサの手からうねる斬撃が繰り出され、ウーゴへと意識を割いていたギルフィの左肩を浅く斬った。
首を狙ったのだろう一撃も、処理すべき情報が多い戦場では精彩に欠ける。
それでもこの状況下で相手に傷を負わせるだけの実力が彼女にはあった。
「オイオイよく当てたな今の!」
感心した様子の軍輝が大きく後ろへと退く。
そこに向けてウーゴが放った結晶の弾丸は地面から飛び出した【ストーンスネーク】に阻まれ、伸ばした刃を引っ込めたテレサは飛来した光線を咄嗟に空間歪曲で逸らす。
「だあああああ!」
それまで以上に大きく怒鳴りながら、テレサが再度刀身を長く伸ばした。
その長さを見て軍輝とギルフィの動きが一瞬止まる。
「んだそりゃ」
「まさかそのまま振るうつもりか?」
剣の長さは現在十六ケセル。
客人の世界で言えば三二メートルだ。
剣として見た場合、明らかに人を斬るという目的に適していない。
元々が短剣とはいえ、伸ばされた刀身全体に対し重力は均等にかかる。
これではテレサの腕にかかる負荷は大きく、それでいて攻撃の動作は緩慢になるだろう。
だとしても、彼女にとって今が好機なのだ。
一旦互いに距離を置けた今こそが。
「だぁらっしゃあああああああぁぁぁぁああああ!!」
刀身ほどではないが伸ばした柄を両手で握り、彼女は剣を全力で振るった。
振るって、そこで起きた事象を前に回避しようとしていた二人が更に瞠目する。
「は!?」
「何っ!?」
遠心力を身に受けた剣は更に伸び、森林の木々を切り裂きながら勢いを失わず迫った。
余計に速度を失った剣をまずは軍輝が、続けてギルフィも跳躍して回避する。
そこにウーゴからの追撃があるかと思えばそれもなく、二人は薙ぎ倒された林を背後に無事着地した。
「嘘だろテメェ、まさかヤケになっちまったのか?」
「こんな真似をしたところで、戦局に影響、は……」
言いながらギルフィが何かに気付いて、
「……まさかっ!」
ヘラルドとエメリナに目を向ける。
「ふぅー、結構時間かかったな」
「それだけ私達を警戒していたのでしょう。しかし同程度の魔力を込めれば、ご覧の通りですよ」
二人は足に【ストーンスネーク】の残骸を巻きつけたまま、結束部分のみを削り切って解放されていた。
見ればエメリナの握るスティレット型グリモアーツ“マイナードライブ”には、拘束を断ち切ったのだろう結晶で構成された刃が付属している。
「あぁ? どうなってやがる」
怪訝そうな軍輝以上に、拘束していた当の本人、ギルフィの焦燥は大きい。
「貴様ら、まさか先ほどの大振りは……!」
「ちょっとビックリさせつつ大きい動作を誘発して、少しでも時間稼ぎたかったの。いくら私の魔術で頑丈な剣を作っても貴方の蛇だってそれなり硬いみたいだから」
絡繰りとしてはエメリナの【カントリーロード】を経由してウーゴの結晶が彼女のグリモアーツへと転送され、短剣を形成したといったところだろう。
そうして手元に送られてきた刃で、エメリナはずっと二人の足に巻きつく蛇を削り続けてきたのだ。
「だとしても、時間が足りるとは思えん! 貴様ら何をした!?」
二人は大振りに対して跳ぶ形で時間は作ってしまったものの、剣をエメリナに送る時間までは与えていない。
いつ蛇を斬るための剣を得たのか。
その答えは足を縛られていたもう一人にあった。
「んなもん難しくもねえ。ちょっとずつ結晶集めておいただけだ」
言ってわずかな灰白色の結晶を右手から散らしたのは、エメリナとともに拘束されていたヘラルドである。
彼が前に突き出す右手とは逆、左手にはジュエリーケースほどの奇妙な箱がアイビーグリーンに輝いていた。
「物質具現化魔術の第五魔術位階【エアキャッチャー】。本来の用途は空気の清浄だが、出力を強めれば周りに漂う結晶の破片をかき集めることもできる」
「……!」
ヘラルドが新たな魔術を会得しようと考えた時、まず真っ先に習得すべきと判断したのが仲間との連携を前提とした術式だ。
テレサの空間歪曲。
ウーゴの結晶生成。
エメリナの【カントリーロード】。
それらを前提とした場合、まず真っ先に考えなければならないのは自分とエメリナの事。
これまでの戦いでも支援に徹する二人が狙われる事態は幾度もあったが、中でも生命の危機を感じたのは戦える仲間が情報を処理できない状況に陥った時だった。
今回で言えば前衛二人が近距離戦闘と同時並行で狙撃にも対処しなければならない、といった具合に。
これまではローガンが中距離での戦闘を担ってくれていたためその恐怖も久しく忘れていたが、彼の死を経てそこに大きな穴が開いている。
となれば自分も他の仲間と同様、空間全体に意識を張り巡らせて戦わなければならない。
そこで行きついた答えの一つが、ウーゴの結晶をかき集める【エアキャッチャー】だった。
「コイツを使えば結晶はどうにか間に合う。後は俺とエメリナを縛る蛇さえ削っちまえばいいと判断したわけだが……テレサのおかげでそれ以上の収穫もあったな」
「あん? 言っとくけど多少面倒ってだけでそっち何も有利になっちゃいねえぞ」
「こっちからも言っとくけどお前のその態度が収穫そのものなんだよ、間抜け」
「……は?」
ヘラルドが【エアキャッチャー】を握り潰し、切り倒された木々に目を向ける。
「後ろでそんだけ木が倒れてるんだ。狙撃手がどうにかなってるかもしれないってのに、お前ら随分と余裕あるじゃんかよ」
言われた軍輝の顔色が変わる。
今になって己のミスに気付いたらしい。
「てこたぁそいつ、森の中にいねぇな? テレサ、索敵を」
「やらせっかよ!」
焦ってヘラルドへと突撃してきた軍輝に、細長い何かが突如現れて全身に巻きついた。
「ぁ、ぁああ?」
「それと新しい魔術をいくつも覚えはしたけどな」
螺旋状に形成されたそれらは、長大なバネ。
一度伸び切った状態で互いに互いを絡めながら独特な形状の拘束具へと姿を変え、軍輝の動きを空中で受け止めていた。
「俺ぁ元々こっちのスペシャリストだったんだ」
伸びた手前、次は縮む。
「ぐあっ」
空中に固定された複数のバネが一気に元の形状へ戻ろうとし、その勢いに巻き込まれた軍輝が遥か後方へと弾き飛ばされた。
一瞬の悲鳴だけ聞こえてその場から一時離脱した軍輝を見つつ、ギルフィが無言で【ストーンスネーク】をヘラルドに向ける。
飛来する数匹の蛇はしかし、横から伸びてきて無数の棘が生えた壁へと変形したテレサの剣に阻まれて砕かれた。
「あとさっきから気になってるんだが、アンタどうして本気出さねえんだ」
「……何だと?」
「こないだケースケから聞いたぜ。確かアンタが本気出したら、建物一つ砕いてバカデカい蛇の素材にしちまうらしいな」
ヘラルドはギルフィを見ているようで見ていない。
その視線は、彼の背後で切り倒された林の木々に向けられている。
「じゃあどうしてそこいらに生えてる木を巻き込んでデカい蛇を作らねえ。その方が明らかに手っ取り早いのに」
「…………」
「まるで地面の中に巻き込みたくない誰かがいるみたいだな?」
核心を突かれたギルフィが再度粘土の蛇を形成するも、振り上げたグリモアーツ“ラーガルフリョゥトルムリン”はその右手首ごとテレサの伸縮自在な斬撃で斬り落とされた。
「ぐっ!?」
「元々さっき斬られて左肩に怪我してんだ、いつも通りの動きはできないだろ。テレサはそういうの見逃さねえよ」
言ってヘラルドが地面に右手を添える。
その手のひらに、彼のグリモアーツはあった。
内蔵型グリモアーツ“バージファクトリー”。
ヘラルドは“大陸洗浄”が激化していた幼き頃、敗走してきた盗賊の残党が錯乱しながら振るった刃で己の右腕を失っている。
なのでグリモアーツを義手に仕込み、出力を犠牲にしつついつでも【解放】状態でいられるように調整したのがこの“バージファクトリー”だ。
そうとは知らずグリモアーツの【解放】を見逃すまいとしてきたギルフィは、地中にアイビーグリーンの魔力が流れたところで初めてその存在に気付いた。
「貴様、まさか……!」
「ウーゴ!」
「任せなさぁい!」
名を呼んだだけで意図を察したらしいウーゴが、ヘラルドの周辺に結晶の破片を散らす。
散らされたそれらをエメリナが地表に展開した【カントリーロード】で受け止め、土に埋め込んでいった。
浅い層に双子の魔力が、それより下の層にヘラルドの魔力が浸透した状態。
こうなってしまえばギルフィの魔力が介在する余地はほとんど残されていない。
それでも客人の彼なら強引に割り込むこともできようが、そんな時間があればテレサも彼の首を斬れる。
先ほど吹き飛ばされた軍輝が戻ってくるまで、片手を失った彼は迂闊に手を出せまい。
「これでようやく顔を拝めるぜ。三人目の[デクレアラーズ]……!」
魔力のほとんどを叩き込み、地中深くに創り出すのは彼にとって馴染み深いバネ。
上下に巨大な円盤を有したそれが今、真上に向かって伸びようとしていた。
「後は、任せた!」
このまま自分は魔力切れで使い物にならなくなる。
それがわかっていて、ヘラルドは仲間に全てを委ねる選択を取る。
やがて、彼らの立つ場所が爆散した。
極めて強い衝撃を下から受けた土は放射状に飛び散って、切り倒された木とともに空中へと躍り出る。
やがて重力に従い自由落下する中で、巻き込まれたテレサ達はアイビーグリーンに輝く巨大な螺旋が天に向けて伸びるのを見た。
ヘラルドの物質具現化魔術【スプリング】は決してこのような大規模な魔術ではない。
だが第三魔術位階に匹敵するこの出力は、彼が術式に対する理解と研鑽を積み上げていった結果だろう。
掘り起こされた大地の中には、果たして彼が予想した通りの相手が隠れていた。
「――不愉快ですね」
伸び切った螺旋の内側。
そこに激しい純白の光を放つ、一人の少女が浮かんでいる。
年齢は十代半ばといったところか。
魔力同様に白く長い髪をたなびかせ、蒼い瞳で着地の準備に入っている面々を見つめていた。
異様なのは身に纏う衣服だ。
装甲らしき純白の胸当てにコルセット。金属製と思しき刀剣にも似た形状の装飾が無数に組み合わさって、下半身をドレスのような形に覆う。
露出した両脚の膝から下を包むのは、これまた同じ色の金属で構成された物々しく鋭利な造形のブーツだ。
更に露出している背中からは魔力で構成された光り輝く術式が、双翼とばかり鋭い形状で二つ伸びている。
まるで天使の真似事。
宗教という概念に触れていないハイドラの面々は、ひたすらその荘厳な美しさに戦闘中である事を刹那の間忘却した。
「私が直接出るまでもないようにと、わざわざ土に潜ってまで二人に場を任せたはずですが」
言って、空中でくるりと体を一回転させる。
舞踊として完成された流麗な動きだったが、それに合わせて生じた白き熱波は彼女を囲うヘラルドの【スプリング】を一瞬にして焼却した。
砕けて巨大な穴と化した地面の外側、淵の部分で魔力切れを起こしたヘラルドを抱えながらテレサが、エメリナと手を繋ぎながらウーゴがそれぞれ着地する。
見れば追いついたらしい軍輝も空中で瓦礫を蹴り飛ばしながら着地に備えており、ギルフィに至っては球状に集合した【ストーンスネーク】で自分を包み込みながら落ちていった。
このまま穴の底に着地するであろう仲間二人を空中から見下ろし、少女は呟く。
「所詮は敗残兵でしたか。……いえ、安い札と言えども彼らを上手く使ってあげられなかったこちらの不足を嘆くべきですね」
第一印象は続く第二印象によって裏返る。
愛くるしいとさえ言えるであろう幼さを残した端正な顔立ちに似合わず、彼女は陰気な空気を漂わせていた。
今も彼女を守る形で戦ってきた仲間二人に対し、罵倒するばかりだ。
恐らく彼女は二人に対し、仲間意識などというものは持ち合わせていない。
ただ自身の中にある序列を判断基準として、優劣のみを見定めているのだろう。
そんな少女が降り注ぐ瓦礫を指先から伸びる光線で次々と爆砕していく中、意識を失いつつあるヘラルドが彼女を見ながらぽそりと口にした。
「……よぉ、テレサ。ありゃ化け物だぞ」
「うん。さっきまでの二人に好き放題言うだけあるね」
全員が感じ取っていた。
目の前にいる存在は、只者ではないと。
その只者ではない少女が、テレサ達に向けて口を開く。
「初めまして、ハイドラ王国の国防勲章受勲者パーティに属する皆様。わざわざ他国の竜棲領くんだりまで足を運んで死にに来るとは、世間には物好きな人もいるものだと不勉強な我が身を呪うばかりです」
慇懃無礼と呼ぶには慇懃さが微妙に足りない。
直接顔を合わせてまだ三十秒も経過していないこの時点で、パーティ全員が彼女に対して強い嫌悪感を抱いた。
「私の名前はキーラ・チェルネンコ。私達について知る機会の薄い皆様には通じようもない話ですが、タタールスタン共和国からこちらに転移してきた客人であり」
名乗って、左手を横に振るう。
それだけで純白の魔術円が彼女の前に四つ、横並びに展開された。
「[デクレアラーズ]♠の10としてこの場にいます。殺し合う理由に関する説明は以上、それでは手早く仕事を済ませましょう」
♠の10。
つまり戦闘能力で言えば[デクレアラーズ]が最高幹部[十三絵札]に最も近い存在。
その立場を示すかの如く、魔術円から無数の光弾が雨霰とばかり撃ち放たれた。




