第十二話 帰路へ
「これが、ベンガラライス……」
紙皿に載せられているのは粥と、その上に敷くようにして振りかけられた茶色い粉末。所々にサイコロ状の何かが見えるのはカット済みの肉と野菜か。
聞き慣れない名称の食べ物は、当然のように見慣れない外見で圭介の空腹を出迎えた。
「まずはお話の前に食事を済ませましょう。皆さんも大変お疲れのご様子ですし。では、いただきます」
「いただきます」
「いたらっきゃーす」
「いただきまーす」
フィオナの許可も得たからか、セシリア含め各々がスプーンで目の前の料理に手を付け始める。
圭介達が集合したのは、キャンプ場から程近い場所にある屋根付きの休憩所。一般にはキオスクと呼ばれる形態の簡易な休憩用建造物だった。
飯を一度水につけて粥にしたものが具と一緒くたにして入れられている鍋、粉末で許容量一杯に満たされている鉢、紙と植物性プラスチック素材の食器類が並ぶ景色は一部目新しい要素も含めつつ圭介の記憶にある飯盒炊爨のそれに相違ない。
ただ、未知の食物が異世界人である自分の口に合うかだけが気がかりだった。
「い、いただきます」
どう食べたものかと周囲を見渡して食べ方の参考を得ようとした結果、これが中々に多種多様な食べ方をしているものであると知った。
まずレイチェル、セシリア、フィオナの作法に通じていると思しき面々は粉末と粥を一口分ずつ混ぜてから口に入れるという作業を繰り返していた。三人が三人とも見目麗しいからか、それぞれ様になっている。
次いでミア。基本的には前述した三人と同じだが、吐息で充分に熱を冷ましてから食べていた。猫の獣人だから猫舌なのだろうか。
そのまた次は圭介の両隣りに座るエリカとモンタギュー。二人は特に混ぜ返さずにそのまま掬い取って口に運んでいる。圭介の皿にモンタギューから譲られた肉が載せられる都度、逆側に座るエリカが掠め取るという馬鹿なやり取りが無言で繰り返されていた。
最も参考にしてはいけないのがユーだろう。全体をまとめてかき混ぜてから飲み込むように頬張っている。明らかに無作法だがカロリー消費の激しい魔術である【鉄地蔵】を長時間維持していたらしいので、咎める者はいない。泣くほど喜んでいる彼女に水を差そうとは圭介自身思わなかった。
(さて、じゃあ僕も食べるか)
弁柄、つまり酸化鉄を飯に載せて食べるという初の試みに少々の緊張が走るが間違いなく腹は減っているのだ。それにこれまで食してきたあらゆる食べ物のどれにも例えようのない、未知なる香りも鼻腔を駆け抜け食欲を刺激している。
ままよ、と混ぜ返さずそのまま掬ったベンガラライスを放り込んだ。
「………………………………」
粥に含まれる飯と粉末が組み合わさった感触は黄粉餅に似ている。しかし粉末が持つ強烈な風味は、これは、何に例えれば良いものか。
トマトソースともデミグラスソースとも異なる、鼻と舌を伝って脳にガツンと来る味わいは圭介の意見としては飯よりパン、あるいはパスタに用いるべき旨味を有している。いかようなる理由によって米と合わせたものか。
その答えは食べている間に理解できた。
濃密な風味を凝縮した粉はともすれば下品な味、塩も何も入れられていない粥は米の甘味を保ちつつも味気なさを感じさせるだろう。しかししばらく咀嚼する中で二つの風味が交わり、絶妙なバランスとなるのである。
即ちベンガラライスとは、噛み続ける中で完成する料理なのだ。
「……初めて食べたけど美味いなあ、ベンガラライス。これ離乳食とかお年寄りの食事とかにもよさそうだね」
「いやあこのままじゃどうだろ。粉っぽいから咳き込むかもしれないし、ユーちゃんみたいに事前に混ぜちゃってから出さないと下手したら咽たりして嚥下できないよ」
意外にも提供する側の観点から否定してきたのはミアだった。言ってすぐに目を丸くして見つめる圭介に気付き、照れ臭そうに弁解を始める。
「ウチ、大家族だからさ。親がやってる下の子の世話とかひい爺ちゃんの介護とか結構手伝ってたんだ。だからこういうの割と知ってるよ」
「へぇー」
感心ついでにミアの食べ方にも納得した。種族的な違いもあるのかもしれないが、確かに幼い子供や高齢者に料理を出す場合には冷ましてから提供するべきなのだろう。となればよく冷ましてから食べるのはその習慣から生じた癖なのかもしれない。
誰かの世話をするという状況を知らない圭介としては、素直に尊敬すべき美談だった。
「でも好き嫌いするとすげぇ怒るからなコイツ。おかげであたしなんかアブラダケ苦手だったのが克服されちまった」
「いやアブラダケおいしいじゃん何言ってんの」
「見た目キメェんだよアレ」
「おい反論できなくなるだろブサイクなのは許してやれよ」
「ちょっとユーちゃん、落ち着いて食べなさいって。ご飯を噛まずに飲み込むと太るよ」
「今晩は【鉄地蔵】しながら寝るから大丈夫だよ!」
「それ翌朝に馬鹿食いするパターンじゃんやめときなって」
「賑やかですねえ。城ではこういった食事の時間を過ごせていないので、何やら奇妙な気持ちになります」
「……すみません」
「ああいえ、そういうわけではなく。素直にこの場を堪能しております」
そんなやり取りもありつつ、夕食の時間は過ぎていった。
* * * * * *
腹もくちくなった一同は食休みを経てから、改めて広場へと集合した。
オカルト関連の話が控えているモンタギューと比べれば、クエストを既に終了している圭介達がやるべき事はそれほど多くもない。
フィオナから今回のクエストに関する総評を得て報酬を受け取り、解散するのみである。
果たして今日の成果がどこまで認められるものか甚だ疑問の残るところだが、王女という地位に立つ彼女に空恐ろしさと苦手意識と嫌悪感を同時に覚えてしまう圭介としては「やっとか」という安堵が勝つ。
「改めまして、本日は皆様ご協力ありがとうございました。自論の説得力を水増しする為の手前勝手なクエストで大変恐縮ではありましたが、おかげで予想を遥かに超える成果を得たと言えるでしょう」
世辞ではなかろう。調査を進める中で手がかりを得ようとした結果、手がかりどころか仕掛け人まで現れ更には直接会話する中でペラペラと情報を吐き出してくれたのだから。
当然その情報の成否も問わなければならないだろうが、想定していた収穫よりも多くを得たのは間違いない。
「いぇーい拍手ー!」
まさかのエリカが拍手を煽った。いつ仲良くなったのか、やかましいエリカの拍手に紛れてフィオナも微笑みつつ控えめに手を叩いている。
心なしか不服そうな表情で拍手に付き合うセシリアを置いてけぼりに、話は続く。
「件のオカルト現象、“変態飛行の藍色船舶”はやはり今回発生したゴブリンの大量発生と深く関わっている事が判明致しました。どころか場合によっては城壁常駐騎士団の皆様に多大な被害が及んでいた可能性すらあったのです。それを防いで下さった皆様には、相応の追加報酬をお約束しましょう」
「あー、失礼ちょっと発言よろしいか」
わざわざ挙手して発言を願い出たのはモンタギューだった。
「はい、どうぞ」
「ども。そこまで騎士団側で情報の整理ができているのなら自分のようなオカルト好きというだけの一学生の私見を交える必要性を感じないのだが、それでもこの場に残されたのは如何なる理由によるものか説明をいただきたい」
「……フフッ」
思わず漏れた、という風に見える笑みだった。
「謙遜なさらなくても構いませんよ、モンタギュー・ヘインズビーさん」
たかが学生が第一王女に名を憶えられている。
通常であれば一国民としてこの上ない栄誉なのだが、名を呼ばれたモンタギューの表情は暗い。
「昨年オカルト関連の雑誌に掲載された『特定海域で見られる突発的暴風雨に伴うマナ濃度膨張率係数の変動について』なる小論文は、門外漢ながら楽しく拝見させていただきました。貴方は今現在の時点で専門誌の編集部に雇用される程の知識と理解を有する立派な専門家です」
「……どうも」
褒められたはずのモンタギューは、王族からの高評価を得た市民とは思えないような渋面を浮かべていた。
「何? モンタ君小論文とか書く人だったの? すげーじゃん」
「やかましいわ」
ある程度親しい仲の圭介には辛辣に返した。その流れのままに言葉を繰ったからか、砕けた口調の混在する奇妙な敬語で話を続ける。
「あんまり褒めんで下さいよ。あの小論が世間でどう扱われようと俺にとっちゃあ目の上のたんこぶ、好きで調べ回ってるだけの癖して木っ端学生の身分で業界に出しゃばったっつー黒歴史なんですわ」
「あら、ごめんなさい。しかし人一倍オカルトに精通しているのは確かですよね? 私はその知識を頼りに貴方に来ていただいたのですから」
「うぐっ……」
さしものモンタギューも第一王女に頼まれれば断るわけにいかない。
ついでに言うと背後にいる騎士の女が睨みつけてくるものだから、実質的には脅迫されているようなものだ。
「必要としているのは今回の事件に巻き込まれての感想、及び“変態飛行の藍色船舶”に対するご意見です。今となってはオカルトではなく一人の客人による愉快犯的な犯行であるという結論に至ってしまいましたが、今回のように複雑で謎の残る事案は多角的な視点から観測しなければ真相に辿り着けませんので」
「……悪いけど力を貸して頂戴、モンタギュー君。貴方の私見を述べてくれればそれで構わないわ」
賞賛と威圧を同時に押し付けられて困惑するモンタギューに、レイチェルがとどめを刺した。
「あー、はい。わかりました。まあ意見を出すだけになってしまいますがそれでも構わないようでしたら」
「はい、宜しくお願いしますね」
軽く咳払いをしてからモンタギューが語り出す。
「合同クエスト中のあれこれについてですが、確かマ、マ……」
「あの白衣を纏った客人はマティアス・カルリエと名乗りました」
「ありがとうございます。そのマティアスって野郎が言っていた『優れた力を持つと言われる客人のトーゴー・ケースケがどんな生活を送っているのか監視する』って目的ですが、まずその時点でオカルト抜きにしてもわけがわからんのです」
ピン、と皿の上に置いたスプーンの持ち手部分を指で弾きつつ言う。
「確かに僕も違和感はあるね。監視するだけならあんな物騒な機械を使わなくても、自立式の小型カメラとかを使った方が絶対に効率いいはずだし。多分そんくらい作れるでしょ、アレ作れたんなら」
圭介の脳裏に再びあの奇怪な機械が思い描かれた。下半身が蟹になっているピエロというトチ狂った発想の産物は、恐らく元の世界に戻ってからも忘れられないだろう。
「それも確かにあるんだが、わざわざ城壁内部でゴブリンをうろつかせたのも解せねえ」
ちらりと目を森がある方へと向ける。
ゴブリンなど今となっては一匹か二匹残っていれば上等な方だ。
「そんなもん大量に用意して、まるで『見つけて殺して手がかりを探って下さい』と言わんばかりだ。これはオカルトと呼ぶには露骨過ぎるし、だからこそオカルトオタクの界隈でも話題にはなっちゃいなかった」
「オカルト界隈、というと仮にどのような話題が挙げられるのですか? “変態飛行の藍色船舶”が露骨ではないとされる論拠は?」
この世界におけるオカルトなる分野に詳しくない圭介から見ても、大雑把にわけのわからない事象を調べているはずの彼があのわけのわからない船について興味を抱いていないのは不自然に思えた。
そんな疑問にモンタギューは本当に心底興味なさげに応じる。
「『何処からともなく出現した回転しながら飛行する藍色の船舶が、再び何処へともなく消失する』ってのが“変態飛行の藍色船舶”の概要ですが、こっちは派手なようでいて寧ろ周到なまでに詳細な情報を隠している。何てったって『結局何が何だかわからん』という形で人々の印象を完結させているわけですからね」
「だからオカルトとして調べるべき、とはならないのですか?」
「どう見ても人の意思が介在しています。カテゴリとしちゃあオカルトではなく犯罪心理学とかに分類されるべき案件でしょうな」
奇抜な挙動や規模の大きさに圧倒されると見えなくなってしまうものがある。
そう考えるとマティアスの狂気じみた振る舞いすら、真の目的に着目させないための隠れ蓑という可能性まで出てきた。
そして決して誤魔化されない人物――第一王女たるフィオナは、今も狙いが何であるのか見極めようとしているのだ。
「発見されやすい状況だの明確な脅威だのといったシンプル且つ充分な情報を持った案件ではない。即ち原因不明で意図不明、人為的かどうかもわからない現象――つまり今回に関してはゴブリン騒動の方がオカルトとして扱われるってわけですよ」
なるほど、と圭介は思わず唸った。同時にモンタギューが持つオカルト現象への確かな知見も理解する。
魔術やモンスターが存在するこの異世界では理解できない現象が多々あり、それらを明確化しようという努力の末にオカルトという分野が完成したのだろう。
闇の向こう側に妖怪変化の影を見た大昔の日本人と重なる部分もあったが、こちらの方が理論的である。
「で、そのオカルト現象すらマティアスとやらの仕業だとするとゴブリンとそれを操作していた機械も視線を逸らすために用意されたものかもしれねえ」
「なるほど。つくづく煙に巻かれてる気分になってくるなあ」
他人事のように言いながらも危機感を抱く圭介は、あの絵に描いたようなマッドサイエンティストの顔を今一度想起した。今後を思うと迂闊に忘れるわけにもいかない。
「アガルタに対するテロ行為かケースケの拉致か目的は定かじゃありませんが、何にせよ本命は件の藍色船舶にある……かもしれないというのが個人的な意見です。どうでしょうね、参考になりゃあ恩の字ですが」
「いえ、大変貴重なご意見ありがとうございました。そうなると森林の調査は程々にして、藍色船舶に関する情報を集める方に尽力する必要がありそうですね」
では、とフィオナが今度は圭介の方へ向き直る。
「これにて今度こそ本日のクエストは完全に終了となります。モンタギューさんも含めて皆さんには後ほどクエスト成功報酬の一七五〇シリカを支払わせて頂きますので、近日中に口座の残高をご確認下さい」
一七五〇シリカ。日本円にして二六二五〇〇円。
一日で日本の社会人が一ヶ月は要するであろう報酬を手にした圭介は、色々あったここ数日の中で何よりもその数字に度肝を抜かれた。




