第十三話 キノ様
「ケースケが急に暴れ回ったと思ったら次はえらくジメッとした場所に通されたなオイ」
「随分と話の展開が早いわよねぇ。結局のところ軍事同盟交渉とやらはどうなったのかしら」
圭介以外の一同も揃ってアーマミャーフに案内されたのは、清浄で涼やかな空気に満たされた洞穴の奥。
ドラゴンが何体か散り散りになっていても問題ない程度の面積を誇り、最奥付近には青く輝く大きな水溜まりもある。
竜棲領の内情について圭介は何も知らないが、雰囲気から察するにここは集会場のような場所だろうと当たりをつけた。
「いやはやてっきり私どもはキノ様が人の肉体を得ていらっしゃったものとばかり! 貴方様のお名前はトーゴー・ケースケ様とおっしゃるのですね、えぇ、大変な勘違いをしてしまいまして汗顔の至りです」
「あ、はい。大丈夫です」
汗をかかないだろうドラゴンの口からそのような言葉が出てきても違和感しかない。
「先ほどは見苦しいところをお見せしてしまい大変申し訳ございませんでした。以後あのような醜態を晒さぬよう努めて参りますので、ご容赦のほどを」
「あ、いえ。大丈夫です」
不気味なほど謝り倒すドラゴンの族長に対し、圭介は戸惑いつつも曖昧な返事しかできない。
「では落ち着きましたところで改めてお返事をば。結論から述べますと、我ら竜棲領一同はそちらの要求に応じるつもりでいます」
「おぉ……。こっちとしてはありがたいんですけど、そこまで早く決めちゃうようなものなんですか?」
「お気持ちは理解できます。事実、ドラゴン以外の種族が相手ならばここまで話が進むこともなかったでしょう」
つい数分前までの態度が嘘だったかのようにへりくだるアーマミャーフは、申し訳なさそうに頭を地面に近づけて圭介と目線を合わせている。
彼にそうさせるだけの何かが、先ほどから出ているキノ様とやらにあるのだろう。
最初に斬り込んだのはアズマだった。
『そのキノ様というのは何者なのですか? 何故その名前が出ると皆様からの協力を得られるのでしょうか』
「……えー、キノ様とは伝承に登場する、無限の魔力を有するとされる強大なドラゴンです」
アズマのような存在には流石に不慣れらしく、アーマミャーフがやや怯みながらもこれに答える。
「我々ドラゴンは大気中に漂うマナの流れを読むのですが、これを応用して体外に放出した魔力により信号を送ります。そうすると遠距離にいる他の竜棲領と情報のやり取りができるのです」
「要するにメールみたいなもんか」
『専門家の間で竜脈と呼ばれるドラゴン独自の通信網ですね』
竜脈、と言われると圭介としてはファンタジー作品などでよく地中に流れているエネルギーの流れをイメージしてしまうのだが、こちらの世界ではドラゴンのみが使用する通話機能のようなものらしい。
つくづく元の世界で見聞きしたフィクションが通用しない異世界だ。
「そんな竜脈の中で大陸に存在する全ての竜棲領に、キノと名乗るドラゴンの物語がまことしやかに語られてきました」
「そこがわかんねーんだよな。そのキノ様とやらとケースケが何か関係あんのか?」
いまいち納得しかねている様子のエリカがプニプニと圭介の脇腹を指でつつく。
「あたしらは急に呼び戻されただけで何もわかっちゃいねえ。でもあの短い間にあんな偉っそうにしてたドラゴン連中が頭下げてんだ、何かやっただろオメー」
「必死に食らいついてただけだったつもりだけど、ここまでの話を聞いてて思い当たる節は出てきたよ。あと脇をつっつくのやめろアホ」
「思い当たる節、ねえ」
微妙に納得できていない様子のエリカを一旦押しのけ、再度アーマミャーフと向き合う。
ここまで来れば誤魔化すにしても限界だろう。
「さっきあんたらが言ってた無限の魔力、ってのとはちょっと違う。僕は念動力魔術でマナを周りからかき集めて魔力に変換し続けてるだけだ」
「はい。そしてそれこそが伝承に残されたキノ様の特徴、その一部と合致するのですよ」
それを聞いて騒がしくなったのは、圭介の背後にいる面々である。
「あ? 何、ケースケお前」
「え、つっても原理原則で言えばそれ魔力使い放題じゃねーか」
「急にヤバい話聞いちゃったかしら私達……」
大気中に魔力が溶けてマナになる。そのマナを再び吸収して魔力に再変換する。
そうして事実上無限の魔力を得ている、という圭介の現状はこれまで誰にも聞かせた事がなかった。
もしも表で堂々と発表してしまえば、いかに魔術やオカルトが存在するこの異世界とて常識がひっくり返ってしまいかねない。
だから第〇魔術位階【オールマイティドミネーター】の存在は極力言わずにおいたのだが、マナの流れを読むというドラゴンに見られては隠し通すのも無理がある。
となればいっそ口に出して認めた方が早い、と圭介は判断した。
「……やはりか」
ただセシリアだけはある程度予測できていたらしく、さほど驚いた様子も見せていない。
「皆が色々言いたくなるのはわかるけど、一旦横に置いといてほしい。少なくともそのキノ様とやらの話があったからこそ僕らは戦いを中断したんだ」
「ええ、おっしゃられる通りです。キノ様に関する話は寝物語の域を越え、我々ドラゴンの間では信仰の対象ともされているのですから」
「信仰、っすか」
この異世界に来てからは滅多に耳にしない言葉だ。
それを最も無縁そうに見える最強の種族、ドラゴンの口から聞くことになるとは誰が想像できたものか。
「もちろん人の身で伝承と同じ魔力の循環を成し得ている存在がいるとは思いませんでした。しかしキノ様と同様のマナの運用をされている以上、こちらの勝手な判断で貴方様を無下にはできません」
例えるなら熱心な教徒の前に、信仰する神と同じ特性を持った者が現れたようなものか。
それも外見などではなく、空想上にのみ存在するとされていた奇跡を目の当たりにした。
なるほど確かにそう考えれば、ドラゴンの挙動に納得もいく。
加えて彼らは他の種族ほど進んだ――悪く言えば俗な――文明と無縁の暮らしを送ってきているのだ。
きっと態度の大きさとは別に、良くも悪くも純粋な心を持ったまま長い刻を過ごしてきたのだろう。
偽物と疑うには信じる要素が多く、そのため見下してきた相手にも迂闊な判断を下せない。
まさか魔力とマナの動かし方一つでこうもあっさりと手のひらを返されるとは思ってもみなかったが、その上で圭介達からしてみれば好都合と言えよう。
当初の最大目標であるドラゴンとの協定を結ぶ上で、この一歩は大きい。
「ありがたいとは思いますよ。ただちょっと意外でした。僕が無限の魔力を持ってるくらいじゃ、皆さんに勝てるかどうかも怪しいのに」
謙遜でなく、本心からの言葉だった。
だがそれを受けた三体のドラゴンは、それぞれ顔を見合わせてから苦虫を噛み潰したような絶妙な表情で圭介に各々応じる。
「……先ほど撃とうとしておられた魔術が無限に飛来するとなれば、ドラゴンとてひとたまりもありませんよ。族長たる私とてあんなものが頭部や胸部に命中すれば死ぬでしょう」
「ああうんまあ、何ていうか。そこは本当にすみませんでした」
「いえいえまあまあ、こちらに至っては数で圧倒しながら殺意すら抱いていたわけですし……」
出し惜しみできる相手ではないと【バニッシュメント】を撃ちそうになったが、冷静になって思い返せば交渉すべき相手を危うく殺害するところだった。
かと言ってドラゴン相手に生かさず殺さずなどと甘えたことも言えまい。
非常に難しい判断を要求される場面であり、少なくとも国が一人の国民に責任を負わせるべき事案でもなかっただろう。
ちらりとセシリアの方に視線を向けると、気まずげに目を逸らされた。
「キノ様と同じ魔力の運用形態そのものが神聖なものではありますが、それを差し引いてもあの魔術を連射されるような事態になるなら我々とて降伏します」
「後生ですからこれ以上はご勘弁のほどをお願い申し上げます。竜棲領とてあんなものが雨霰と降り注いでも無事でいられるほど頑丈ではないのです」
「ホンットに申し訳ありませんでした……!」
殺そうとしてきた相手に「命ばかりは」と懇願され、それに対して心から謝罪する。
奇妙な光景だった。少なくともエリカはスマートフォンで動画撮影していた。
「まあケースケ君が本気出したら山の一つや二つ削り落とせるっていうのはフェルディナントとの戦いでわかったしね」
呆れた様子のミアの言葉に、ハイドラ王国のパーティもやや引いている。
ともあれ、今回の仕事はどうやらドラゴンが持つ信仰心によってうまく進められたらしい。
かつて“涜神聖典”トム・ペリングという大犯罪者が暴れたせいで、この異世界ではほとんど失われてしまった宗教という概念。
それがドラゴン達の間に伝わる神話のような言い伝えとして残っている。
トムもドラゴンに手出しはできたかったのか。謎はあるがとりあえず事態が好転したのは確かだ。
「んじゃ、僕から言うのも変ですけど。これからよろしくお願いします!」
「こちらこそ。既に他の竜棲領にもキノ様の再来、及びその再現をしてみせたトーゴー・ケースケ様に関する情報は他の竜棲領にも共有しております」
「マジすか。ケースケ君ドラゴンの間でも有名人っすね」
「フフフ、これで他の土地に尾を根差すドラゴンも協力してくれるでしょう。これでも族長として信頼はされている方ですので」
尾を根差す、とはドラゴン特有の慣用句だろうか。
何にせよ流石は族長とでも言うべきか、思った以上にアーマミャーフの判断と行動は手早い。
既に大陸全土のドラゴンが圭介をキノ様なる信仰の対象と同一視し始めているのだ。
ここに来るまで逆にドラゴンをとんでもない脅威として見ていた身としては、喜ばしいと同時に少し気恥ずかしくもある。
と、圭介が照れ隠しにスマートフォンの時刻を確認したところで洞穴に緑色の輝きがぬるりと侵入してきた。
「失礼、族長にお話がございまして」
挨拶もそこそこに歩いてきたのは案内役のドラゴン、ユーヘドゥッギである。
既にマナの流れで洞穴の外から接近してくるのを感じ取っていたのか、他のドラゴンや圭介ら索敵手段を有する面々は落ち着いて彼を無言のまま出迎えた。
「族長、先ほど使用した竜脈での動きについて少々気になることが」
「どうせ他の連中はまだ事態を飲み込めていないのだろう? 直に見ていないうちは多少の反発もあろうが、何、実際にこのお方の魔力とマナの動かし方さえ見せてしまえば我等と同じように黙るだろうて」
「僕そんな大陸中あちこち飛び回んなきゃいけないんですか」
大前提として圭介が各地に顔を出さなければならなくなるような話が出るも、どうやらユーヘドゥッギが持ち込んだのはそういった話ではないらしい。
「ああいや、その。先ほど竜脈を通じて他の竜棲領からも返信があったのですが、フラゥチャ様のところからのみ返信が滞っておりまして」
「ドラゴンの世界にも既読無視みたいな概念あんだな」
「いやしかし確かに妙だな。フラゥチャはこういった時に決して返信を怠るような性格ではないはずだ。族長の交代でもあればそちらに専念するだろうが、それも時期的に早いだろう」
エリカのせいでやや俗な話に思えてきたが、アーマミャーフの反応を見る限り気になる事態ではあるようだった。
話を持ち込んできたユーヘドゥッギも初対面の時に見せていた余裕が少しばかり剥がれ落ち、緊迫感を漂わせている。
「あちらはあちらで何か揉め事でも起きているのでしょうか?」
「ふぅむ……? まあ今しばらく待ってみようではないか。彼らとて誇り高きドラゴンの一族、些事にそう長い時間をかけるとも思えん」
「一応の確認も不要と?」
「構わんさ。今はキノ様の体現者とそのお仲間の皆様を歓迎するため、我等も相応に準備せねばなるまいよ。私は人間が口にしても問題ないであろう食材の調達に向かう。ロッキンズンとイクルビはその間、彼らの護衛に就け」
「はっ!」
「お任せを!」
族長自ら食事を用意するなど、あまり詳しくない圭介から見ても察せられるほどに破格の待遇である。
しかも側近を護衛として置いていくと来たものだ。信仰心というものが持つ影響力の大きさをまざまざと見せつけられたような心持ちだった。
洞穴から外に出ていくアーマミャーフの背中を見送ってから、ユーヘドゥッギが自身の角を撫でつつ圭介達に向き合う。
「皆様、本当にお疲れ様でした。特にケースケ殿は凄まじいご活躍をなされましたね」
「そうだケースケ、お前さっきの話は何だったんだ」
「何か伝説のドラゴンと同じことしてるとか言われてたっすけど」
暫しの休憩、とはならない。
いくら話の流れで言わずにいられなかったとしても、周囲の人間からしてみれば重大な情報である。
マナの動きを掌握して魔力に再利用する魔術【オールマイティドミネーター】について、圭介が誰かに聞かせたことは今までなかった。
何せこの異世界に存在する常識を大きく破壊しかねない情報だ。加えて都庁で死にかけた際に会得した謎の魔術など、起源から既に怪しくて気軽に吹聴もできない。
「あーっとね、どう説明すればいいのか僕もよくわかってないんだけどね」
だが大騒ぎを嫌って黙っていたしわ寄せは口先だけで対処もできず、どうしたものかと悩んでいるとセシリアが前に出てきた。
「皆、無理を言うものじゃない。ケースケも自覚的にマナの流れを操っていたわけではないだろうからな」
「え、そうなんすか」
「この男はかつて城壁防衛戦で、直接触れて魔力を込めなければ起動しないケンドリック砲を遠隔操作で撃ったことがあった。そこの三人は心当たりがあるはずだ」
言われて当時ともに戦ったエリカ、ユー、ミアの三人が目を丸くする。
心当たりがある、と見事に所作だけで語っていた。
「あー……そうだ、ケースケ君あの時城壁にあった大砲を根っこから引っこ抜いて私らんトコまで浮かせてきてたっけ」
「言われてみりゃ確かに触ってなかったな。冷静に考えると不自然だったけどあの時はあたしらもあたしらで大変だったし、全然気にしてる余裕なんざなかった」
「王女様と一緒に巨大ロボットに突っ込んでる真っ最中だったもんね。でもそっか、マナの流れを調整してたと思うと納得いくか」
「なん、何……?」
事実のみを並べているはずなのに、話の内容の胡乱さからテレサ達が余計に混乱している。
「一国の王女様が学生パーティと一緒に巨大ロボットに突っ込むって、どういう状況なの……?」
「お前らの口から語られるアガルタの王女様、全体的にどっかおかしくねえか」
「ゲロも吐いてたぞ」
「ゲロも吐いてたの!?」
ハイドラ勢の困惑はともかく、一旦初期メンバーの三人娘には圭介も無自覚だったと納得してもらえたらしい。
彼女らが受け入れたためかレオも顎に手を添えて「へー」と呑気な反応を見せている。
「ってことは圭介君も今気づいたって感じすかね」
「あ、いや。ちょっと前から感覚的にわかってきてはいたんだけど、他人に言えるだけの根拠もなかったから黙ってた」
『黙ってたんですか』
「だって魔力無限に使えますとか迂闊に言えないじゃん。こちとらただでさえあの第一王女のせいで変に政治の面倒事に巻き込まれてんだぞ」
「それこそさっきから王城騎士の前で王族に対する軽率な発言は控えろよ貴様ら」
軽くセシリアに怒られたものの、彼女がフォローしてくれたおかげで話自体は軟着陸してくれたようだ。
いずれにしても今回彼らがこなすべき仕事は予想より早く終わった。
ドラゴン達との話し合いを想定以上にスムーズに済ませ、今後の協力体制の基盤を築けたのだ。
「ま、何にせよ面倒事は片付いたし。アガルタとハイドラ両方に面目は立ったか」
散歩にでも行こう、と肩を回して呆れた様子の仲間達とともに洞穴を出る。
出て、改めて視界に入る画一的なドーム状の住居の数々と広がる青空。
窮屈なのか開放的なのかわからない光景は、一仕事を終えた後だからか印象として後者に傾く。
この時、この場にいる誰も想像すらしていなかった。
目の前にある景色、無事な姿の竜棲領が。
夜を待たずして壊滅的な被害を受ける未来など。




