第十二話 暴竜暴人
圭介はケイティなる第三王女について、特に多くを知ってるわけではなかった。
接した時間はほんの僅か。趣味なり日課なりを話したりもしていない。
印象も悪くはないが、決して良いとも言い難い相手である。
だが少なくとも、花束に悪意を込めるような人物ではないとわかっていた。
純粋過ぎるが故に忌避感、抵抗、そういった隔たりを覚えさせるだけで当人には優しさと知的好奇心しかない。
それでいて年齢を思えばもっとわがままを言っても許されそうなものだが、汚い一面は持ち合わせない。それがケイティ・リリィ・マクシミリアン・アガルタなのだ。
となればアーマミャーフとその部下が彼女の花を焼き払ったのは、幼い子供の純粋な善意を嘲笑しながら焼き捨てる蛮行。
これこそ他種族とその国家に対する侮辱と呼べる所業である。
だから何ら遠慮も躊躇もなく、口に巨大な金属板を突っ込んでやった。
「きっ、貴様ッ」
怒りに身を任せて側近の片割れ、赤い鱗を持つロッキンズンと呼ばれたドラゴンが爪を振るう。
何もせず受ければ人体など容易く分割できるであろう攻撃を圭介が【アロガントロビン】で回避し、隙だらけの側頭部に“アクチュアリティトレイター”をフルスイングした。
流石はドラゴンと言うべきか、人体なら頸椎が肉ごと砕けていただろう一撃も少し弾いただけで済ませてしまう。
しかしそれでも攻撃の速度と重量に瞠目したらしく、一瞬硬直した。
更なる隙を見逃さず、一瞬で足元に移動してから真上へと跳躍。下顎に【スパイラルピック】をお見舞いする。
「グフゥッ……!」
即座に【ベッドルーム】で感知したもう片方、黄色い鱗のイクルビが吐き出した炎を【エアロキネシス】による旋風で巻き取って受け流した。
一連の動作を一秒足らずで終えたため仲間達もハイドラのパーティも反応できずにいたが、頭上にいる相棒は冷静に現実を受け止めてくれる。
『何をしているのですかマスター』
「あいつら喧嘩売ってきたじゃん。だから買っただけ」
言ってセシリアに視線を飛ばす。
これで良いんでしょう、と意味を込めて。
王城騎士はそのアイコンタクトを見逃さない。
「……下がるぞ、お前達。ケースケが交渉をかなぐり捨てて個人的に暴れ始めた」
「いや、え? 何で?」
「説明は後だ。とにかくここから離れよう」
「おいちょい待てセシリアさん、あたしらにケースケ置いてけってか」
「ちゃんとこの場を離れたら説明するからとにかく移動しろ」
吐息に炎を含ませ唸るアーマミャーフと、その左右で爪を構える側近。
計三名のドラゴンが圭介にいよいよ殺意を向けたところで、ユーヘドゥッギがさりげなく他のメンバーの背後に立ってくれた。
これから何が起きるのか察したようだ。
きっと彼は戦いの余波を、その広く頑強な背中で受けようとしてくれている。
圭介としても正直心苦しい。強大な敵との戦いさえ無ければこの竜棲領ごとスルーしたい気持ちさえ湧き上がってきた。
もちろんケイティの善意を無下にしたアーマミャーフへ多少の怒りもあれど、それより何より因縁をつけて力の差をわからせるという不良学生じみたやり口に強い抵抗がある。
だが、このまま口先でのやり取りで彼らを引き込むのは難しいだろう。
どうせうまく進まない話なら迅速に切り上げて、実力行使に動いた方が効率はいい。
「おのれ下等種族めが!」
今まで決して言わずにおいた言葉をついに口に出し、アーマミャーフが双翼を広げて舞い上がった。
空中で全身をきりもみ回転させながらの急降下による突進。
そして圭介に迫る中で口から漏れる黒緑の炎が術式を描き、彼の全身を魔力の炎が包み込む。
第三魔術位階【アトロシティコメット】。
回転により生じる激しい衝撃と炎の熱で軌道にある全てを焼き砕きながら突き進む、単純ながら恐ろしい破壊力を有する魔術だ。
これをドラゴン以外の種族が真似したとして、高い適性を持たない者が手を出してもあまり威力は出せまい。
ただいたずらに第三魔術位階相当の魔力を消費するのみである。
しかしドラゴンという種族の恵まれた体格と身体能力、加えて強靭な鱗があればこの魔術は無双の攻撃力を発揮するのだ。
「強いねえ、流石に!」
長たる彼の実力を信頼してか、側近のドラゴン達は警戒しながら構えてアーマミャーフの攻撃を見送るのみ。
これからその激しい攻撃を受ける圭介もそれを察し、“アクチュアリティトレイター”を振るいながら【エアロキネシス】で風を巻き起こす。
その中に地表から巻き上げた砂をこれでもかと含ませながら。
「第三魔術位階【サンドストーム】!!」
アーマミャーフの回転と反対方向に渦を巻き、小規模な砂嵐がドラゴンと炎を飲み込んだ。
急ぎ離れた仲間達が思わず全員しゃがむほどの暴風と砂塵が火を散らし、突進の威力を真っ向から減衰していく。
【テレキネシス】+【エアロキネシス】の複合魔術【サンドストーム】。
生身の人間相手に使えば全身を細かな砂粒が削り取り、一瞬で肉塊にしてしまう恐るべき魔術だ。
当然これを人間相手に撃った経験は圭介にもないが、相手が魔術を行使しているドラゴンともなれば安心して放てる。
事実、炎をかき消されて勢いも減少したアーマミャーフは目を見開きながらも無傷である。
硬い鱗に守られてか一切の痛みすら感じていない様子だったが、ひとまず魔術同士のぶつかり合いは相殺という結果に終わった。
次は圭介の番だ。
確かに魔術の威力は削いだが、このままでは圧倒的な膂力と体躯を有するドラゴンと至近距離で正面衝突する形になってしまう。
「【水よ来たれ】!」
すぐさま第六魔術位階【インスタントリキッド】で魔力を水に変換し、それを【ハイドロキネシス】で巨大な槍に成形。
そこに【エレクトロキネシス】で電流を流し込み、アーマミャーフへと突き出した。
第五魔術位階【ボルトジャベリン】。
圭介が使うのは【ハイドロキネシス】+【エレクトロキネシス】による複合術式で、電撃が迸る水の槍を敵に向けて投擲するというもの。
もちろん竜の鱗に簡素な水の槍など刺さらず、第五魔術位階相当の電撃など目玉にでも当てなければ意味がない。
だが圭介が横転しながら狙ったのは顔付近ではなく、隙だらけとなったアーマミャーフの双翼。
突き出された水の槍は皮膜の表面に細かな傷をつけながら四散、同時に電気も水とともに散る。
それだけの結果だが、それによって事態が大きく変わった。
「うぅっ……!」
最強の種族と名高いドラゴンの中でも長として君臨するアーマミャーフが、苦悶の表情を浮かべて地面に体を擦りつけながら無様な姿で着地する。
一見してあまり通用していないように見えた一撃のもたらした結果を受け、側近のロッキンズンとイクルビが唖然としたかのように大きく口を開いて固まっていた。
『意外と感電するものですね』
「さっきの砂で少しでも表面削れてたからだよ。それでも一発でこうなるとは思ってなかったけ、ど!」
圭介が言って“アクチュアリティトレイター”の先端を真下に打ちつけると同時、想定外だったらしい痛みと痺れに動きが鈍ったアーマミャーフの足元、平らだった地面がめくれ上がった。
「ぐお、っおおぉぉおおおお!」
「第四魔術位階――」
ガラガラと音を立てて無数の瓦礫に変わっていく地面は、アーマミャーフを中心として巨大な球体へと変化していく。
人間相手に使うなと言われた魔術だが、相手は人間と対等に扱われたくないらしい。
なので遠慮せず使うことにした。
「――【デンジャラスフリーフォール】!」
「しゃらくさいわ!!」
言って球体を空中へと持ち上げた、瞬間。
全身の関節を細かな瓦礫で固定されていたアーマミャーフが、全身から炎を噴き出して己を拘束する岩を全て吹き飛ばした。
圭介としては想定内の事態である。
というより、ここまで油断してもらえたのが意外なほどだ。
相手はこの異世界において最強の種族と名高い、ドラゴンなのだから。
「木っ端風情が調子に乗るなよ……!」
わずかに砂で汚れた鱗を輝かせ、ドラゴンの長が憤激を形にする。
噴出した黒緑の炎がそのまま無数の刃となって圭介に飛来した。
圭介にとっても馴染み深い第四魔術位階【フレイムタン】だ。
ただし数と威力が尋常のものでなく、もはや別系統の魔術と化している。魔術位階で言えば第三に匹敵するだろう。
それに合わせて右上、左上からそれぞれ炎を纏って突進してくるのは側近のドラゴンが二人。
威力こそ先の一撃より劣るものの、アーマミャーフが先に見せた第三魔術位階【アトロシティコメット】。
片方だけでもまともに受け止めれば砲に撃たれた果実よろしく弾け飛ぶに違いない。
なるほど数さえ揃えれば[十三絵札]に匹敵すると謳われるだけの頑強さ、攻撃力、そして的確な連携である。
しかし圭介とて黙って彼らに蹂躙されるつもりなどなかった。
「第四魔術位階【クラウンボール】」
だから圭介も全身に【サイコキネシス】を纏わせ、体表を巡るように回転させながら【アロガントロビン】による高速移動で突進する。
ほぼ球体となった念動力の塊はそれ一つが大樹を断つほどの斬撃であろう刃を受け流し、上から迫るドラゴン二体の一撃も前方に跳んで回避した。
「あ!?」
刹那、目前で業火とともにアーマミャーフの爪が突き出される。
先の激怒と大振りから繰り出される派手な魔術は、冷静さを欠き大きな隙を生みだしたと相手に誤認させるための罠だったらしい。
それなりに修羅場を経験してきた圭介ですら引っかける狡猾さ、それ以上に圧倒的な力を持ちながら躊躇なく騙し討ちを選択できる柔軟性。
種族として優れているから、という油断など一切感じない。あるのはただ貪欲に勝利へと向かう最適解のみ。
考えを改める。どうやら相手は王族と同類の、第一印象から答えを得てはならない相手のようだ。
「っ、【水よ来たれ】!」
咄嗟に作り出した分厚い水の障壁で炎を消しつつ、爪による斬撃と怪力で繰り出される掌底の威力を削る。
事前に発動してあった【クラウンボール】と肌を覆う【コットンフィールド】の防御も手伝い、圭介は大きな衝撃を受け流してどうにか無傷のまま着地した。
即座に三体いずれかから繰り出されるであろう次の攻撃に備えると同時、迅速に大気中の水分を拡散して空気を熱する事により電気伝導率を上げる。
第二魔術位階【バニッシュメント】の準備である。
直接当てる必要はない。山の一つでも消し飛ばしてみせれば、憤怒に支配されたドラゴンも一度落ち着いて話せるようになるだろう。
そう判断した矢先。
アーマミャーフ、続けて側近たるドラゴン二体に明確な変化が起きた。
肉体に、ではない。
態度に、である。
「まさかっ……いやしかし、そんな…………!」
「族長、これは」
「私も信じられません。ですが目の前で今、実際に……」
彼らは明らかに動揺していた。
何故かは当の圭介にもわからない。
圭介としては今までと同じように、可能な範囲で念動力魔術の応用を重ねて応戦してきたに過ぎなかった。
脳を揺さぶるために有効な部位である顎を狙って叩く。
細かな砂で相手の炎を振り払いつつ全身を削り続ける。
比較的柔らかい翼の皮膜に水を通して電撃を浴びせる。
いずれも様子見程度の攻撃でしかなく、これから撃つつもりでいた【バニッシュメント】と比べれば児戯に等しいはずなのだ。
だが目の前のドラゴンはどういうわけか三体揃って戦意を喪失しており、戸惑いながらも圭介の前で横一列に並び始める。
「あ、あの……」
「えぁ、はい?」
今までとは打って変わって気弱な様子のアーマミャーフに圭介も動揺を隠せず、構えながらも間抜けな声で応じてしまった。
その声を嘲る様子もなく、彼らは全員申し訳なさそうに土下座にも似た四つん這いの姿勢へと移る。
「キノ様……! キノ様でいらっしゃいましたか! こ、これは大変な失礼をば」
「は?」
『何ですか急に』
唐突に知らない名前で呼ばれ、今度こそ圭介の気が抜ける。
それと同時に“アクチュアリティトレイター”が纏っていた熱と光は霧散し、【テレキネシス】の支えも消えて先端部分が土にめり込んだ。
「貴方様からのご厚意より賜りました花束を当方の下賤な矜持を護るべく愚かにも燃やしました件、誠に申し訳ございませんでした。側近二名共々心よりお詫び申し上げますとともに、今後全身全霊を捧げて皆様にご協力致します所存であります故どうかご慈悲のほどお願いしたく……」
「いや、まあそれはその……いきなり何がどうなってるんですか?」
長々と詫びを入れるアーマミャーフを遮り、態度を急変させた理由について問う。
燃えてしまったものは取り返しがつかないものの、当初の目的であるドラゴンからの協力をこうもあっさり得られるのならひとまずは戦うよりも話を聞きたい。
「ご自覚がない? ああいえ、そういうものなのでしょう。我々も伝承を完全に引き継いでいるとは限りませんので」
「伝承? それはどういう……」
「このような場所では何なので、詳しいお話は私の住居で致します。まずはそちらへお連れ様もご一緒にどうぞ」
明らかに普通でないアーマミャーフの態度からは焦燥、恐怖、何よりも畏敬が滲み出ていた。
まるで少しでも圭介に逆らえば、この場で一族全員が殺されるとでも思っているかのようだ。
ただここまでの流れで確かな事が一つ。
長たるアーマミャーフが露骨なまでに媚びへつらっている。
つまるところこの竜棲領において、ドラゴンは圭介に逆らわない。
そんな奇妙な現実だけが圭介を取り巻いていた。




