第九話 餌
「……しばらくは晴れが続きそうか」
「秋晴れですねえ」
女子が集まる部屋のソファに座るセシリアが、個人用と思われるスマートフォンで天気予報を確認していた。
壁掛けのタブレットでルームサービスの概要やレストランのメニューを見ていたユーも、窓の外を見ながら話を合わせる。
空にドラゴンの気配は感じられない。竜都と言えどもそう毎日飛んでいるものではないのだろう。
見上げて視界に入るのは白い波状雲と太陽、後はひたすら青色ばかり。
「エリカさん、良ければ後でこのジャンボステーキ二人で食べてみませんか」
「いいけどそこは兄貴とじゃねえんだ」
「ウーゴは意外と少食だよ。背が高いからよく食べると思われがちだけど」
ロングウィットンは元々雨が少ない土地柄であるらしく、地下水脈を利用して作られた大規模な食品加工工場と農場がほとんどの食料品を生み出していた。
現在エリカらが見ている料理の一覧も、その多くは地下にあるバイオ研究施設で栽培された植物や飼育されている家畜を素材としている。
そういった話を聞いた多くのハイドラ国民は勝手に「身の安全を得るため食生活を犠牲にした」として富裕層を憐れむものだが、これはとんでもない勘違いだ。
金持ちの舌を満足させるだけの代物である。半端な品質の食材など許されない。
寧ろハイドラ王国内の高級ホテルなどでは内密にロングウィットンから食材を調達しているほどだ。
「どれもこれも値段ヤバ」
「ミアちゃん一応これ今夜食うもん探してるところだからさ、値段じゃなくて画像で選ぼうぜ。王国のオゴリってんだから派手に食っても文句言われねえって」
「どうせ後でユーちゃんに食い尽くされるでしょ」
「否定はできねえけどよ」
「食い尽くすよ、私は」
「私達の分は残しておいてくださいよ」
そんな金と権力と魔術と技術を十全に活用して作られし最高級の食材。
逆に言えばロングウィットンで食べる料理は全てがそういったもので構成されているため、貧乏人が口に運べるものは極端に少なかった。
「エリカさんエリカさん、これとか美味しそうですよ」
「んだよエメリナ。へー、ワニの肉とかあるんだここのレストラン。……お人形みてぇなツラしてさっきから肉肉しいやつばっか食べたがってんなお前」
会うのは迎賓館での戦い以来となるエメリナだが、儚げな外見に反してよく話しかける。ついでによく食べるらしい。
そしてどういうわけかエリカに懐いていた。
「おいテレサ、コイツなんであたしにばっかくっついてくんだ。お話したのなんて迎賓館で戦ってた時にちょっと協力してもらった時くらいなもんだぞ」
「お兄さんのウーゴがガーリーな男の人だから、真逆の存在のエリカは見てて面白いんじゃない?」
ガーリーと評して良いのかわからないが、確かにウーゴはエリカと比べてメイクやネイルに気を遣っている。
というよりエリカにそういった習慣も関心も無い。
中等部に上がった辺りで同学年の女子に何かと世話を見られたりもしてきたが、身だしなみに関わる諸々は他に多く持っている多様な趣味に埋没していった。
ただ、女としての自覚まで投げ捨てた覚えはないらしい。
「おいまさか今あたしが女らしくないっつったか? こう見えてもお前アレだからな、段ボールとか砂とか集めて滑り台作る時は細かい作業担当だったんだからな」
「すべり、何て?」
想定外の単語が飛び出してテレサが動揺しつつ話の続きを促す。
応じたのはエリカと同じアガルタの女子達だった。
「あー、ホームの出入り口近くにあるやつだよね。エリカちゃんが作るって言うからケースケ君も手伝ったって聞いたよ」
「アレの発案者アンタだったんかい。こないだ近所のちびっこが面白がって滑っててさ、こっちがドアの鍵開けようとしたらめっちゃ見てきて入りにくかったんだからね」
「ガキなんてパンツごとズボンなりスカートなりずり下ろせば泣いて逃げるだろ」
「すごい……こんなバカな女の子、同年代どころか年下でも見たことない……」
「頼むからハイドラでそういうのやめてね。外国の国防勲章受勲者が一般人相手にそんなんしたら国際問題だから」
エメリナは目を輝かせながら、テレサは普通に引きながらエリカを盛大にコケにした。
「ていうかガキの下半身はどうでもいいんだよ」
「別に最初から誰も興味示してないんだわ。エリカ起点の下ネタなんだからそっちで処理しなさいよ」
「メシも後回しでいい。どうせ逐一ルームサービスなんて使ってたらユーちゃんがホテルマン何百往復もさせるんだから、あたしらにはレストラン以外の選択肢なんざ最初からねーんだ」
「えへへ、面目ない。あんまり迷惑かけても悪いし、後で私だけ他のお店何軒か回ってから合流するね」
「改めてアガルタの冒険者ってどっかイカれてるなぁ」
とにかく、とエリカが話を遮る。
「セシリアさん、何か隠してんだろ」
それまで会話に参加していなかった王城騎士に、五人分の視線が突き刺さった。
エリカの鋭い声に対し、セシリアはタブレット端末から手と目を離して顔を向ける。
その表情はどこまでも日常の域を出ず、何を思っているのかが見えない。
だが国防勲章を持つ者として、その場にいる誰もが「その程度の演技ならそつなくこなす相手だ」と認識していた。
「何か、とは? 断定的な物言いの割に肝心な部分が曖昧だな」
「もうちょい絞るとケースケの件だ。車ン中での話そのまんまならアイツをドラゴンにぶつけて言う事聞かせるって流れに思えるが、本当にそんな単純な話で済むのか?」
年頃の娘ばかり集まっていると若干自覚も薄れるものの、今回の仕事は極めて規模の大きな話だ。
二つの大国の代表たる面々がドラゴンとの交渉を目的として協力している。
加えて言えば片方のパーティには[十三絵札]を二人討伐した実績のある客人までおり、物騒な雰囲気を隠しきれていない。
諸外国からしてみればどのように映るか。
それを無視して考えても、双方の国内情勢にどう影響するか。
「ついでに言うと今回の話をあたしらに持ち込んできた時の伯母ちゃん、ちょっと様子がおかしかったぞ」
「レイチェル校長殿か。彼女が何か言っていたのか?」
「口には出しちゃいなかったが、随分と不安そうにしてるのは長年の付き合いでわかるさ。まるで今回、確実に大きなトラブルが起きると確信してるみてーでな」
エリカとレイチェルの付き合いは長い。少なくともこの場において、ユーとミアの二人はその関係の片鱗を幾度となく見てきた。
だからこそわかる。
エリカは何らかの危険信号を伯母たるレイチェルから受け取り、その正体を掴むべく今このタイミングでセシリアを問い詰めているのだと。
「もちろんオタクらも伯母ちゃんに仕事の話だけ持ちかけて本当のところは言わずにいるんだろうが、こっちは家族にいらねー心配かけてここまで来てる。だから今のうちに聞いておきたい」
「何をだ」
「あんたもしこのまま順当に行ったらどうなると見てる? 頭の中で描いてる図画をこっちにも共有してくれ」
想定以上に的確な聞き出し方だったらしく、セシリアが数秒沈黙する。
その短い間隔を経てエリカが言葉を付け足した。
「こちとら命がけだ、なるべく具体的に頼む」
頭ごなしにセシリアを、延いてはアガルタとハイドラの王家を敵視しようとまではエリカも考えていない。
ただ既に大きな実績を上げて実力も示している圭介は、アガルタ王国にとって大きな影響力を有するワイルドカードだ。
となれば任される仕事の大きさも相応のものとなり、同時に大いなる責任ものしかかる。
そんな中で不安要素を放置して事に当たるなど御免だった。
何か隠しているのか、あるいは勝手に伝える必要もないと見なしている懸念事項があるなら今のうちに吐き出させておきたい。
そう思って真正面からぶつかっているのを汲み取ったのか、セシリアもエリカに目を合わせたまま観念したように肩をすくめた。
「……確定事項は何もない。国王陛下や姫様からも直接何かを言われたわけではない。全ては私個人の見解だが、それでも構わんか」
「何でも聞けるもんは聞いておきてえ」
「わかった。では明日の予定だが、まずブロンズパイル山脈を構成するチョコレート山から入山する」
「美味しそうな名前の山だね」
張り詰めた空気を嫌がってかテレサが茶化すように言うも、全員がこれを無視した。
「そのチョコレート山の中腹から山頂にかけての道だが」
「ドラゴンの生息地近くですね」
「高確率でドラゴンゾンビに遭遇するものと思われる。それも複数、な」
あまりにも急な話の展開に、一同揃って思わず硬直してしまう。
ドラゴンゾンビとは、ドラゴンの亡骸にブラッディスライムやレッドキャップといった死霊術を操るモンスターが寄生する形で生まれる存在だ。
ドラゴンという種族に埋葬や葬儀といった文化はない。死んだ者の死体は野ざらしにして「山に返す」というのが通例である。
「は? ドラゴンゾンビ?」
その通例によって生じる厄介者の名を、テレサが忌々しそうに口にした。
厳密にはドラゴンゾンビという分類のモンスターなど存在しない。
あくまでもドラゴンの遺骨や腐乱した肉、臓器などを利用する形で他のモンスターが動いているだけの状態である。
が、亡骸と言えどドラゴンはドラゴン。
残存する臓器の種類によっては炎や電撃といった何らかの現象を伴うブレスを吐き、鋼より頑強な骨が振るわれれば騎士の鎧とて大きくひしゃげてしまう。
大きさこそ中型から大型モンスターといった風情だが、超大型モンスターと同様に制圧するまで多大な時間と労力を消費しなければならない強敵だ。
「何だって急にそんな話に」
「今も山脈全体の状態を調べていたが、それらしき目撃情報や痕跡が散見されている。加えてここ最近また一時期数を減らしていたはずの中型、大型モンスターが増えてきているそうだ」
「あー、ってなるとブラッディスライムとかは動きやすいでしょうね。素材に困らないわけですし……」
遠方訪問でブラッディスライムと戦った経験があると以前語っていたユーが、遠い目をしながら言葉を漏らした。
死霊術を使うモンスターの類は、強力なモンスターの死骸があればあるほど強く育っていく。
ドラゴンの死体ともなれば偽竜術式もかくやといった性能を発揮できるに違いない。
「それでも遭遇する可能性が高い程度ならまだマシだ。しかし[デクレアラーズ]、それも私の飛空艇を狙撃した狙撃手は我々の動きを追っている可能性が高い。そうなれば衝突は避けられないだろうよ」
「わかるものなんですか、そういうのって」
「憶測でしかないさ。だが仮に今後の動きを本番とするなら、思えば先日の一件は試し撃ちだったのやもしれん。既に[十三絵札]を二人倒しているケースケを確実に始末するためにな」
超長距離からの狙撃による一撃必殺。
成功率は高くあるまい。圭介とて魔術を練り上げてここまで来ている上に、今は他のメンバーも同時に行動している。
それでも理屈は通っているように思えた。
少なくとも直接圭介と対峙するよりは可能性がある方だろう。索敵圏内で狙撃を試みた場合、【アロガントロビン】で急接近されてそのまま制圧されるだけだ。
「そして彼の仲間たる三人にとっては許容し難い話だろうが」
ここで初めてセシリアの表情に、若干の気まずさが滲み出る。
「実際にケースケと[デクレアラーズ]の衝突に巻き込まれでもしなければ、ドラゴンは第二次“大陸洗浄”という事態の重要性を真に理解できないだろう」
そこでようやくエリカは、暫定的にだが双方の王家の狙いに当たりをつけることができた。
「ってこたぁ何だ。あたしらは……」
ただ圭介を戦力としてぶつけて交渉材料とするのではない。
竜の棲まう場所へ[デクレアラーズ]までおびき寄せ、その上で大陸全土を巻き込む戦いがどれほど過酷なものであり、どれほどドラゴンにとっても有害なものであるかを知らしめる。
つまるところ、国防勲章受勲者パーティの面々は。
「……ドラゴンに事の深刻さを知らせるための、言っちまえば撒き餌として今回の仕事に呼ばれたのか?」
「あくまでもそういった形で機能する事があるかもしれない、程度の話だ。あまり決めつけるな」
屈辱、という話でもない。
ただ王家に対する認識が改まっただけ。
そこまでするか、と。
「そろそろ夕食の時間だ。レストランに行くのだろう? 来ないなら私だけ先に行ってるぞ」
国の奢りなのだから遠慮するな、と。
まるで謝るような声色で、顔見知りの王城騎士は呟いた。




