第三話 最初の敵は書類の山々
向かい合う形で席に座った圭介と少女達。
四人用のテーブルには後から来た少女二人が座る方に偏る形でプレートが置かれている。
その膳を目前とする少女らが食事に手をつける前に各々名乗りを上げ始めた。
「私はミア・ボウエン。客人にとっては珍しいみたいだけど、見ての通り獣人族だよ。エリカとはここに入学して割とすぐに友達になったから、あの子がまた変なこと始めたらいつでも相談していいからね」
そう言って猫耳の少女――ミアは人懐っこい笑みを向けた。ボーイッシュな印象の強い彼女はそれでいて騒がしくもない。ボーイッシュではない上にただ騒がしいエリカと比べると、見ていても鬱陶しさを覚えずにいられる。
「で、こっちがユーちゃん」
「”エルフの森”第七森林居住区より参りました、ユーフェミア・パートリッジです。気軽にユーと呼んでください」
銀髪のエルフ――ユーの恭しい挨拶と現世離れしたその美貌に、圭介は大和撫子の影を見たような気がした。
「えっと、東郷圭介……です。ついさっきこっちの世界に来たばっかでまだ色々と理解が追い付いてないような状態だけど、よろしく」
「よろしくー。いやあ災難だよねえ。客人って皆突然こっちに来るみたいでさ、中には今回の君みたいにとんでもない場所に出てきちゃうパターンもあるんだって」
とんでもない場所と言えば確かにとんでもない場所だったが、まだ笑い話の範疇だ。
少なくとも圭介が転移してきた際の状況を思い出すに「誰かに意図的に異世界へと招かれた」わけではなさそうだった。
仮にこの異世界転移が超自然的現象だった場合、運が悪ければ火山の噴火口や深海に転移していた可能性もあると考えると今更ながらぞっとする話である。
それでも女子更衣室での一件は尾を引いているらしく、同情的な態度のミアも少しだけ縮こまっているかのように見えた。ユーに至っては恥ずかしそうに俯いてしまっている。
「あの、やっぱりさっきの件って問題視されてたりとか……する、よね」
なるべく遠慮がちに聞き出そうとした圭介も、二人の申し訳なさそうな表情と少しずつ食堂に集まり始めた学生らから注がれる視線に、ある程度は察した。
中には恋人よりも先に見ず知らずの男に肌を晒してしまった女子もいるかもしれないと考えると、過失とはいえ罪悪感は拭えない。
「まあ、ね。気まずいだろうけどしょうがないよ」
苦笑しながら語るミアは、同時にそれでも圭介を一方的に責めきれない周囲の心境も語りだした。
「でも君が自主的にあの場に来たわけでもないっていうのはこの世界に住む人なら誰でも知ってるし、何より客人って“家に帰れないかわいそうな人達”って認識が強いの。言い方の善し悪しはこの際置いといてさ」
本人は望んでもいないのに異世界へと転移させられ、個人的な都合を問わず元の世界に戻れなくなってしまった迷子の隣人。
それがビーレフェルト大陸における客人への率直にして一般的な認識である、とミアは語る。
つまるところ圭介は他の学生達に情状酌量の余地を認められたのだ。
「だから皆、誰も悪くなかったってことにしてるんだよ」
「とはいえ見ちゃったもんは見ちゃったもんだし……申し訳ないって気はどうしてもするよ」
「役得ぐらいに考えとけよめんどくせーなぁ」
無遠慮な声は二人分のプレートを運んできたエリカのものだった。
彼女が持ってきた皿には両方とも燻製肉を数枚添えたガーリックライスが、そこそこの量盛られている。
どうにも口臭だのカロリーだのといった年頃の少女が懸念すべき事柄には無頓着なようである。
「エリカ……」
「ほい、これ食って元気出せよケースケ。髪の毛が黒い客人は飯が好きってウチの母ちゃんが言ってた」
言われてはっとする。ゲームと現実が混ぜ合わされたような異世界という多面的な意味合いで非現実的なシチュエーションに気を取られていたが、本当に中世ヨーロッパ的な世界観に転移したとなれば米など滅多に口に出来なかっただろう。
そう思うと先人達が遺した文化や文明、インフラ整備というものは偉大なのだと気付いた。
「へへへ、さんざっぱらおねだりして肉を一枚多くもらってきたぜ。あたしと食堂のおばちゃんとの癒着を感じながら食べやがれ」
「あ、ああ、ありがとう。癒着ってか普通に仲良いだけだよねソレ」
「エリカ、あんたまた……まあ、いっか。そんじゃま、お話は後々に回してお昼ご飯にしよう。ユーちゃんもそろそろ待ちきれなくなってきたんじゃない?」
「ちょっと、ミアちゃん!」
気になることも、気にすべきことも山積みになっている。
それでも彼女らのような優しい異世界人に出会えて良かったと、圭介は心から思った。
それから十分後。
昼食を食べ終えた四人が食休みをしていると、エリカの胸ポケットにしまわれている携帯電話から音楽が流れる。
因みにまさかのシンフォニックメタルだった。
「あ、伯母ちゃんからだ」
「え? 食堂の?」
「……? ああ、多分校長先生だと思いますよ。我が校の校長先生はエリカちゃんのご親族ですから」
ユーが圭介の勘違いに向けて補足説明を行う。
今回同じテーブルで食事したことにより、多少なりとも彼女に気を許してもらえたようである。『同じ釜の飯を食う』という言葉は単純ながら確かな力を持つ言葉だった。
しかしその流れで少し気になるところもある。
(食堂の『おばちゃん』と身内の『おばちゃん』……。日本語なら同じ音だから勘違いもするけど、ここって日本語が共通言語ってことでいいのか? というか、そもそもどうして言葉が通じてるんだろう)
考えてみれば今更な疑問だ。
こちら側に転移してから早々に日本語で話しかけられたからか違和感を感じ忘れていたが、周囲の人間を観察するとヨーロッパ系の比率が多いように見える。
中にはアジア系の人種なども入り混じっているし、どういった経緯でそうなったのか肌が真っ青な人種や二足歩行の動物(獣人の類と思われる)などに至っては元の世界では見なかったために比較する意味がない。
それでも学校の食堂として機能するこの場において、多様な姿形を持つ彼らの会話は滞りなく進められていた。
「うん、そだよ。……あーはいはい、メンゴメンゴ。んじゃそうだな……ウチで。いやだから、そうそう。……あいよ。じゃあミアちゃんとユーちゃんも連れてくわ。……はいはい、はーい。はーい。はぁぁぁぁい。はぁぁぁぁぁぁぁい」
「どんな会話してんだろ」
「多分校長先生から『返事は伸ばすな』みたいなこと言われたんじゃないの」
「エリカちゃん、結構そういう性格だから……」
散々な言われようであった。
「よーし三人とも。昼休み終わったら校長室行くぞ」
「なんか言われたの?」
「ケースケの件で色々な。あとまず真っ先にこっち連れてこいって軽く怒られた」
ニマッ、と笑いながら言う。
身内とはいえ校長から直々に怒られた割に、随分と冷静な様子である。ここまでの流れを見る限りだと、圭介及び客人の扱いはかなり慎重に行うべき事項に思えるのだが。
「ついでにヴィンス先生も怒られてたらしくて笑えるわー」
「君絶対ロクでもない死に方するから覚悟しといたほうがいいよ」
あの厳しい物言いの割にどこか優しげな老人が目上の人間に怒られているところを想像して、圭介はいたたまれない気持ちになった。
* * * * * *
「コンコン」
「ノックは手でしなさい。どうぞ」
エリカの悪ふざけに対して校長室の扉の向こう側から応じた女性の声は、校長のもので間違いないだろう。唐突に始まった口ノックにも慣れた様子が窺える。
アーヴィング国立騎士団学校の校長室は職員室の隣にあった。というよりも、扉一枚で二つの空間はつながっているらしい。
こういう構造は世界共通なんだな、と圭介は以前自分が通っていた小中学校の職員室を追想していた。
若干の懐かしさに郷愁を覚えなかったでもないが、今は今だ。
「邪魔すんぜ!」
「お、お邪魔します」
「失礼しまーす」
「失礼します」
それぞれに挨拶しながら入室する。とりあえず本当に邪魔しかねないエリカの態度は今更言及する気にもなれなかった。
扉の先に広がる校長室の様子は、やはり現代日本の校長室とは微妙に異なる構造となっていた。
まずいかにも高級そうな真っ赤なカーペットが床に敷かれている。これはファンタジーな異世界における権力者の個室を象徴する要素として想像していたので、圭介はあまり気にしなかった。
次いで壁に立てかけられているラウンドシールドと、その盾の前に交差する形で固定されている二本の短剣。こちらもカーペット同様、実にファンタジー的な色合いを含む。
ただよくわからないのが、室内のそこかしこにいる謎の生命体である。
「ププポポポプ」
「うわっ、何これ」
饅頭のような形状とつぶらな瞳が特徴的な黄色の生命体。翼も持たずに空中をぷかぷかと、まるでシャボン玉のごとく浮遊する姿は少なくとも日本では見られないものだ。
それらの内の一体が圭介にすり寄ってきた。触れると温かみと柔らかさを感じ、少しだけ癒された気分になる。
「ポポポイ!」
「何、何これ。ちょっとなんていうか、良いね。これ良いね、うん」
愛くるしい饅頭モドキに癒される圭介を、ユーがクスクスと笑いながら見ていた。
「その子達は校長先生が飼われている妖精の一種ですよ。メンタルケアに最適な形態として品種改良を重ねた専用種だそうです。名前は、確か……」
「ケサランパサラン。来たばかりの客人は心が不安定なことが多いからね。転移率が上昇し続ける昨今、コイツらの力は何かと入用なのよ」
不意に、怜悧な声が響く。
声の聞こえた方、つまり校長室の業務用机に座るのは肩口で揃えられた金髪と底が抜けてしまったかのような深い青の瞳を持つ妙齢の女性。世間で流行なのか当人の好みなのか、現代日本人にとっても馴染み深いグレーのスーツを身に纏っている。
こちら側の世界での学校教育法がどうなっているかなど圭介が知る由もないが、校長を務めるにしては若く見えるのは年齢の割に幼く見えるエリカと同じ家系だからだろうか。
しかし彼女との明確な違いは、親しみやすさの有無である。もしも異世界に来て最初に遭遇した相手が彼女だったら、圭介は今頃借りてきた猫のような状態になってしまっていたに違いない。
「よっす伯母ちゃん。相変わらずおっかねえなぁ、そんなんだからその歳でまだ独身なんだよ」
バカ犬がいることを失念していた。
「るっさいわね小娘が。ちょっと睨み利かせたぐらいで逃げてく腑抜けなんざこちとら最初から興味ねーわよ。アンタもいつまでもバカやってると友達に置いてかれるからね」
「そんときゃあたしらで同性婚できる国に移住しよう。そんで二人で幸せになろう」
「こんだけ歳離れてる姪っ子と同性婚とか酒入ってても引くわ」
しかし意外にも雷は落ちなかった。どことなく鋭い空気が弛緩したように思えるのは身内贔屓だからか愛犬家だからか。
エリカにデコピンをした校長は改めて圭介に向き直る。
「初めまして、客人さん。アーヴィング国立騎士団学校校長にして、エリカの伯母のレイチェル・オルグレンです」
「あ、どうも。東郷圭介です」
互いに会釈を交わした後、校長――レイチェルが口を開く。
「早速本題に入りましょう。まず客人たる貴方には、こちらの世界での戸籍を取得してもらいます」
言いつつ彼女が机の上に出したのが、数枚……と表現するには枚数の嵩む紙束。
異世界での戸籍を得るための各種手続きに必要となる、書類の数々だった。
「えっ、戸籍……?」
「戸籍がなければ社会においては存在しないも同義。それは貴方が元々いた世界でも同様だったはずでしょう。はいこれ、どうぞ」
渡されるのはボールペン。異世界ファンタジーなどで見かけるような羽根ペンではなく、ボールペンである。
「因みにこの書類のこことここにはこちらの針で血印を捺してください。住所の欄は空欄で結構、後で私が書き足します。氏名や以前住んでいた国の名前や住所はそちらの言語で記入していただきますが、こちらの書類にはアガルタ文字を使用しますので後で簡単に勉強する時間を設けましょう。それから……」
いつでも米を食べられるほどにインフラ整備された異世界で、圭介は面倒極まる手続きの数々に舌を巻く羽目となった。