第七話 しがらみの空
王家から指定された日の朝方、圭介らアガルタの受勲者とハイドラの受勲者らは全員揃って浮遊島の駐車場でバスにも似た大型車両に搭乗していた。
今回は飛空艇ではなく飛行車両での移動となるらしい。
「各々シートベルトは締めたな? 発射するぞ」
運転席から有無を言わせない声が投げかけられた。
実際のところ今揃っている中にベルトを締め忘れて体を放り出されるような者などいないので、この対応でも問題はない。
内部が相当に広いため二組のパーティも余裕を持って乗車できているが、いざ空中に躍り出た際の浮遊感は飛空艇と比べてやや揺れる。
そして運転席に座る騎士は、以前別件で忙しいと言われていた相手だった。
「ゾネの方のゴタゴタはいいんですか?」
圭介の問いを受けて赤茶けたポニーテールが揺れる。
「その件は想像以上の早さで解決したから安心しろ。今はこちらの仕事の方が優先順位は高い」
今回彼らの送迎を担う王城騎士、セシリア・ローゼンベルガーである。
極めてセンシティブな外交問題に関わっていたらしい彼女は、聞けば昨晩には第一王女のフィオナ共々帰国していたらしい。
「というのも“ラハイアの座”に絆されて[十三絵札]の入国を許可したゾネの審査官がいたらしくてな。それも各国で大々的に報道されてしまったものだから、あちら側が頭を下げる形で今回の件は一旦収まった」
「へぇ。もっと複雑な事情があれこれ絡んでると思ってたけど、案外普通の終わり方したわねぇ」
ウーゴは普通と表現したが、感情的な要因が国防を揺るがした前例として今後語り草になりかねない大失態である。
ゾネ君主国の法務省はもちろんのこと、他にも軍や交通管理に携わる者達にとって地獄のような苦痛を伴う教訓となっただろう。
「両国とも無益な諍いに興じるだけの余裕などない。ただでさえ隣接している国というだけで緊張感が常にあるというのに、今は[デクレアラーズ]という共通の脅威が大陸各地で暴れている有り様だ」
「そ、そう」
「こんな状況でいちいち火種を生じさせても意味がない。それは向こうも同じだろう。やはり近い位置にある国同士、必然的に戦争への意識や作法も似通ったものになる。やるなら後でだ」
「……怖ぁ~いあの人ぉ」
自然と物々しい話が飛び出してきて怯んだのか、ウーゴは目をパチクリと開閉してから隣席のエメリナに身を寄せた。
「だからこそ、離れた位置にあるハイドラ王国には何かと不便や迷惑をかけたやもしれん。協力には心から感謝する」
「や、そんな言うほどの事じゃありませんよ。俺らとしては普段の仕事の延長みたいなもんでしたし」
「その仕事の延長で何度も死にかけたから必死で新しい魔術覚えまくってたわよね、ヘラルド」
「黙れアホ」
謙遜をテレサが茶化し、それにヘラルドが鋭く応じる。
ウーゴやエメリナの反応を見る限り、まだ交際には至っていないものの悪くない雰囲気に見えた。
あまり望ましくない交際を経験している圭介としては羨ましい限りである。
(何ならこのくらいの距離感でいるのが一番楽しいのかもな、男と女って)
ペットボトルの紅茶を一口飲んでから、窓の外を見る。
晴れ渡る空には雲一つない。仕事ではなく旅行ならどれほど嬉しかったか。
「ところでセシリアさんって飛空艇持ってたっすよね。どうして今回は車なんすか?」
「あー……それは、な……」
レオの素朴な疑問を受けて、セシリアが意外な反応を示す。
暫しの逡巡を経て彼女は「国防勲章受勲者が相手なら構わんか」と呟いた。
中身が一般人のままでいる圭介はそれで一気に聞きたくなくなった。
「理由としては二つある。まず一つ目に騎士が所持する飛空艇は最低限の武装を義務付けられているのだが、これを迂闊に使用した場合、経由する他国の領空に不要な圧力を与えかねないためだ」
『アガルタからハイドラまでの空路でいくつの国の領空を通り過ぎる予定ですか?』
「最短ルートで四ヶ国だな。一応事前に各国の空域管理局や国土交通省などに許可を取った上で、名目上は武装した飛空艇でも問題ないということになっている」
「それだったら別に飛空艇でも良かったんじゃないっすか?」
「そこで馬鹿正直に翼を広げるようでは国際社会でやっていけんよ」
ビーレフェルトという一つの大陸に全ての国家が集合していると、こういった面倒な問題が生じてしまうようだ。
圭介は政治や法律に関してあまり明るくない。
ただ上に行けば行くほど覚えるべき情報が増え、選択肢の数だけ制約が生じるものなのだと察した。
「ただこちらとしては三大国家であるアガルタが、同じく三大国家であるハイドラから救援要請を受ける形で動いている。内容も[デクレアラーズ]に関するものだから急務と言って差し支えない」
「えっと、それってつまり他の国に気を遣うのやめちゃっても最悪押し通せるって事ですか?」
「ああ」
ユーの確認に振り向かないままセシリアが頷く。
「故に作法を無視して速度と安定性が担保された飛空艇で移動しても構わなかった。しかし肝心の飛空艇が先日、ゾネからの帰りに襲撃を受け破損してな」
「襲撃っすか。あれ、ていうかゾネから帰ってくる時って……」
「フィオナ第一王女殿下もご同乗されていたさ。当然無傷で帰還頂けたが、起きた問題は深刻だった」
王族を乗せた飛空艇ともなれば、回避性能や搭載された防衛システムも最新鋭の技術によるものだろう。
それが防御を貫かれて破損した。
この事実が意味するところは、今後全ての国家にとって権力者の外出が多大なるリスクを孕むという事実である。
少なくとも技術大国であるアガルタで、王族も使用している最新式の飛空艇が破損したのだ。
旧型の機体しか持たない発展途上国などでは絶望的な状況と言えよう。
「こんな話を大っぴらにできるはずもない。外部に漏れないよう報道機関に規制をかけ、目撃者によるネット上の投稿も常時監視しながら可能な限り削除させている。……先進国として恥ずべき有り様だ」
ハァ、と大きな溜息が漏れ出た。
となるとセシリアの飛空艇は恐らく修理中であり、それと同時にいたずらに外で乗り回せない状況なのだろう。
少しでも民衆の記憶を薄れさせるため、攻撃を受けた機体は極力隠し続けなければならない。
「……ん? すると何すか? もしかしてここ最近ミアさんが推してた芸能人の結婚がやたら全部のチャンネルで盛り上がってるのって」
「え?」
「わかるか、レオ。お察しの通り国による印象操作だ」
「うっわ聞きたくない話聞いちゃった! 素直に祝う気持ちでいたのに!」
本気で嫌がるミアをレオがどうどうと宥めるも、確かに民間人として聞きたくない部類の話題ではある。
メディアの力を利用して芸能人の婚姻を大々的に祝福し、国民の意識をそちらに集中させる。
確かにいくらか有用な手段ではあるのだろうが、手口が少々生臭い。
「アガルタ王国ってそんなんするの……?」
「おい、勝手に私達の印象だけ悪くするんじゃない。大なり小なりどこの国でも似たような事はしているだろう」
「ごめんなさい。そこ強く否定するとハイドラの嫌な話も出てきそうだから黙るね私」
流石にテレサも引き気味だった。
「あーっと、それで襲撃犯の身元とかはわかってないんですか?」
『後手に回っているのを見るに特定できていないようですね』
圭介の質問とアズマの鋭い考察を受けて、セシリアが少し両肩を回してから応じる。
「魔力反応で一応は特定済みだ。後で顔写真付きの手配書も配る。……ただ拘束しようにも本人が行方不明でな」
「てこたぁよっぽど逃げ足が速いのか」
「相手は超長距離からの光線による狙撃で飛空艇を撃ち抜いた後、こちらが位置を特定する前に逃亡した。逃げ足の問題というよりは射程が長いんだ」
狙撃手は以前圭介も排斥派との決戦で少し撃たれかけた経験がある。
確かに厄介な相手だ。姿が見えないだけでなく、長距離を経ても殺傷能力を維持できるほどの攻撃力も無視できない。
最終的にエリカが何かしら非人道的な手段で勝利したらしいが、もしも当時の圭介が戦っていたとして果たして勝てる相手だったかどうか。
「相当に魔力操作の手際が良い。結界に小さな穴だけを開けて機体を貫通していたからな」
そして、と彼女は繋げた。
「それを加味してもここまで居場所がわからないのなら、恐らく[デクレアラーズ]の一員と見て間違いあるまい」
「なんでそう言い切れるんすか?」
「他に構成員の居場所を隠蔽できるだけの力を持った犯罪組織がもう残っていないからだ。軒並み奴らに叩き潰されている」
理想社会を実現するべく反社会的勢力を取り除き続けた結果、自分達の行いを隠せなくなっている。
皮肉で間抜けな話にも思えるが、果たしてどこまで織り込み済みであるものかわからない。[デクレアラーズ]とはそういう存在だ。
そして同時に、第二次“大陸洗浄”が始まってからほんの数ヶ月でそれだけ多くの組織を壊滅させているのが圭介にとっては恐ろしかった。
――やはりドラゴンと手を組む必要があるのではないか。
一度はユーの計らいで払拭した失敗へのプレッシャーが、徐々に胸中で膨らんでいく。
「こうした事情もあってハイドラとアガルタ、両国の間でドラゴンとの協力が必要不可欠と見ているわけだが」
その場にいる全員の心を見透かしたかのようなタイミングで、セシリアが本題に触れた。
「先に言っておく。連中の達観した物言いや態度に誤魔化されるな」
「……というと?」
「奴らは確かに強い。生態系においては頂点に君臨すると言っても過言ではあるまい。協力を得られれば[デクレアラーズ]との戦いも間違いなく有利に傾くし、事前に数々の品を受け取りながらその誘いを断れるだけの立場も胆力もある」
王城騎士として何かを見てきたのかもしれない。
紡がれる言葉からは、ドラゴンと対峙した経験が滲み出ている。
「誰もが逆らえない。種族として最強。それは確かにそうだろうとも。だが奴らには種族単位で全員に共通する、無視し難い大きな欠点がある」
「何すかそれ。今の話を聞いただけじゃ欠点なんて無さそうっすけど」
「最強であるが故にドラゴンは恐怖を知らん」
そこで続く言葉を全員が察した。
ここまで散々、オブラートに包まず言葉を発してきたセシリアだ。
ならば次に出てくる言葉も同様だろうと容易に想像がつく。
結果、本当に無遠慮な言葉が吐き出された。
「だからこそ、奴らにそれを教える暴力が必要なのだ」
ちらりと運転席から向けられた視線は、明らかに圭介を見ていた。




