第六話 あの日以来の再会
「ちょい早かったかな」
圭介達が放課後訪れたのは、かつて圭介がエリカの深夜徘徊に付き合わされた高台の公園だ。
あの後一応テレサのパーティメンバー全員と連絡先を交換していたため、合流の約束はスムーズに取り付けられた。
時刻は十六時半と少し。
長い秋の途中だからか木々にはまだ赤茶けた葉が茂り、沈みゆく夕陽に照らされて公園全体が木の影に至るまで橙色に染まっている。
「あと半月くらいで秋休みだし、この時間帯の公園は混むね」
「なんでこっちの世界にはそんなもんがあるんだよズルいな。秋に休む必要ないだろ、四季で一番楽だろ秋なんて」
『急に荒れましたね』
「僕のいた国では秋なんて一瞬で終わるんだぞ。長い間満喫できるだけでも感謝すべきなのに微妙な長期休暇まで入れちゃってさあ、いくら異世界だからってそれはちょっとズルくない?」
「あー、ダアトでも大半の客人がこっちの世界の秋休みの存在知ると羨ましがってたっすよ」
幼い時分に異世界転移を果たしたレオには共感しづらい愚痴だったらしい。
ともあれ適当なベンチにでも腰かけようと五人が周囲に目を向けたところ、
「うわっ、何だこいつら」
「あ、多分来た」
魔術による索敵を常時展開している圭介とユーの声が被る。
二人が同時に視線を送った先には、眼下にメティスの街並みが広がる高台と手すり。
公園すらも見下ろすように浮かぶ巨大な浮遊島のみ。何者かがいるようには見えない。
と、他の三人が思っていたところに奇妙な塊が飛び出した。
「おー、楽でいいわねぇ」
「わざわざこんな目立つ真似しなくても普通に階段で良かっただろ……」
「それじゃ面白くないじゃん。あ、いたいた」
アイビーグリーンに輝く巨大な球体と、それを同じ色の紐で繋げた同じ色の土台らしき巨大な板。
徐々に上昇していく足場の上には見覚えのある四人組が立っている。
彼らが公園に飛び降りて着地すると同時、球体も紐も鉄板も全てが魔力に戻って宙に散った。
「久しぶりー! ラステンバーグのお偉いさんが目の前で殺されて以来、迎賓館がボコボコにやられて出来た瓦礫の山ぶりだね!」
「いきなり何つー物騒な再会の挨拶しやがる」
黒髪のポニーテールを揺らして明るい笑顔を振りまくのはテレサ・ウルバノ。
背後に並ぶ三人共々に、ハイドラ王国国防勲章受勲者の一人である。
かつて仲間を喪った戦いでの傷は心身ともに癒えたらしく、こうして自分から茶化せる程度には調子を取り戻しているようだ。
だとしても不謹慎な挨拶だったが、相手のパーティは誰もそれを気にしている素振りを見せない。
思い出すなら笑って語れるように、という彼らなりの弔い方なのだろう。
「何はともあれ久しぶり。相変わらず元気そうだけどさっきのアレ何?」
「ウチのヘラルドが死に物狂いで覚えた魔術! 便利なんだよ色々と」
「恥ずいから黙っとけ。……いやまあ、あの時はおたくらに何かと助けられたよ。特に回復役二人には、テレサの件で世話になった」
相変わらずセーターとコートを着合わせた厚着の姿にマフラーまで付け足したヘラルドが、懐かしむような笑顔で礼を述べた。
だがそこには静かながらも鬼気が宿る。
あれから思うところがあったのだと、隠し切れず滲み出る感情から読み取れた。
それでいて重ねた苦労を知られまいとするのは気高さか、はたまた羞恥か。
「こっちこそっすよ。お互いまた会えてよかったっす」
「あん時ゃ全員で囲んでしばきまくってようやく、ってところだったもんなぁ。あたしなんて魔力切れで気絶までしたんだぞ」
「あの時のエリカちゃんの顔、凄かったわよねぇ。……そ・れ・よ・り・も」
言いながらテレサとヘラルドの背後から長身痩躯の男が手を伸ばし、圭介の肩に置いた。
「聞いたわよぉ~ケースケちゃぁ~ん。あれから[十三絵札]を二人も倒したんですってねぇ!」
「ま、まあ、そっすね」
黒いアイシャドウとリップで飾った顔に満面の笑みを浮かべ、細長い手足を縦横無尽に動かして喜びを表現する怪人。
テレサのパーティメンバーが一人、ウーゴ・スビサレタである。
似ていない双子の妹たるエメリナ・スビサレタもまた、その背後で圭介を見つめていた。
「そう言えばあの憎たらしい“葬星の牽者”も[十三絵札]だったわよね! だったら話は早いわ、今度こそあの褐色ロングヘアのイケメンをギャフンと言わせてやりましょ!」
「いや、そう簡単な相手でも、ていうか多分そのせいで今回も変な仕事回ってきてるし」
「とりあえず座って話そうか。ここからちょっと歩いたところにカフェあるからさ」
ミアが気まずそうに誘導するも、既に人目が集まってしまっている。
中には集結した有名人らを不躾に無断で撮影しようとする者までおり、このままでは小規模ながら騒ぎになりかねまい。
「うわしまった、こうなるって想像できてなかった」
「ウチのリーダーがバカで申し訳ねえや」
「実行犯はヘラルドでしょ! 連帯責任だよ、連帯責任!」
どうしたものかと悩む面々の中、最初に声を上げたのはエリカだった。
「注目集めちまったのは仕方ねえから穏便にお帰りいただく方向で考えようぜ。とりまあたしが使える手段は二つのうちのどっちかだ」
『何と何を選ぶのですか』
「異臭とグロ画像だな。大半の連中はそれで逃げてく」
「皆さん今すぐ、なるべくお子さん連れてる方や高齢の方から優先的に散ってください! 今から異臭とグロ画像が周囲一帯にばら撒かれるそうです!」
圭介が必死の形相で訴えかけたのと集まったほとんどの聴衆がエリカを知る地元住人だったのも影響し、野次馬は早々に散っていった。
* * * * * *
「お待たせしました。ごゆっくりどうぞ」
「す!」
「省略し過ぎてもはや感謝か文句か区別つかないわよエリカちゃん」
「ゲームで負けた時に殺すって言う時も同じ略し方するもんね」
喫茶店の奥に位置する席で、九人と一羽という大所帯は二つのテーブルを繋げてどうにか全員で卓を囲む形を取れた。
やや無茶な席の取り方だが店員の方から申し出てくれたため、誰も後ろめたさを覚えず腰を落ち着けている。
「んじゃ、改めて再会を祝して、乾杯!」
「僕デカめのコーヒーカップなんだけど」
「俺は薄いワイングラスだからケースケと乾杯したら割れる」
「俺もエスプレッソでめちゃくちゃ小さいカップだから、乾杯した時の衝撃でこぼれそうっす」
「揃いも揃って乾杯一つ満足にできねー陰キャ野郎どもが。この時期でも安定して蚊に刺されるようになる第六魔術位階、テメェらの体で試してやろうか」
「せめて虫を遠ざける方に舵取れよ」
『何の意味があるのですかその魔術に』
エリカのせいで少し騒がしくなるも、しばらくして各々の声量は落ち着いてくる。
夕映えと店内の控えめな音楽が彼らの気分を鎮静化したのだろうか。
いずれにせよ、久しい出会いに浮足立っていた気分ではできない話をする時間だ。
「んじゃここいらで、事前に準備してきたコレを使わせてもらうっす」
言ってレオがポケットから取り出したのは一枚の霊符。
彼自身の血を塗料に含ませて作ったものらしく、表面に描かれた術式は葡萄色に輝いていた。
『何ですかそれは』
「ゾネでグリモアーツ強化のついでに作ってもらってた、まあ内緒話用の霊符っす。これを使えば一時間半くらい俺らの会話を聞き取れないようにできるっす」
「あら、ちょっとキケンな香り。合法なのぉ?」
「アガルタ国内での製造は違法だけど使用に関してはまだ規制されてないっす!」
『つまり製造が国外であれば合法ですね』
「キケンな香りで鼻やられるわ」
呆れた様子のミアだが、何せ顔ぶれが顔ぶれであり話題も話題だ。
そういった道具を使うことに否やを唱えるつもりもないらしい。
んじゃ早速、とレオが霊符に魔力を込めると同時。
海老色の細やかな粒子が塵のように周囲を舞い、術式の有効範囲がわかりやすく可視化された。
「範囲外からはこれも見えないんで」
「へー、便利だな。術式が禁術指定受けてなけりゃあたしも後で覚えようかな」
「蚊に刺されなくなる魔術でも覚えてろ。……で、ここからが本題なんだけどさ」
テーブルの下でエリカに脛を蹴られながら、圭介はテレサと視線を交わす。
「まずはお礼言わなきゃね。僕らがゾネ君主国に行ってる間、こっちで[デクレアラーズ]を止めてくれてたって聞いた。ありがとう」
「いやいや、そんなんケースケ君に言われても恐縮しちゃうって。流石に私達も[十三絵札]相手はビバイ迎賓館での一回こっきりだし、普通の[デクレアラーズ]相手でもまあまあ苦戦しちゃう時はあるし」
気恥ずかしそうな反応だが、そもこれまで[デクレアラーズ]の恐ろしさを味わってきた圭介からしてみれば無用の謙遜である。
念動力魔術などという規格外の力を得ても、そこから更に魔術の腕を磨いても、グリモアーツを強化しても圭介一人では勝てない相手ばかりだった。
だがテレサらは仲間の客人を喪った後も戦い続け、何人かを討伐までしてみせた。その腕は疑う余地もなく本物だ。
だからこそ。
「んで、今回マジでドラゴンとこ行くわけ?」
「……質問に質問で返しちゃってゴメンだけど。不安に感じる?」
だからこそ、[デクレアラーズ]と無関係な場所で彼女らを失うわけにはいかない。
「不安なのはそうだよ。でも君達の実力を軽く見てるわけじゃない。ドラゴンってのがどの程度の強さなのか直接知らない以上、不安が消えるわけないんだから」
「ついでに言うと」
圭介一人の意見で終わらないよう配慮してか、ミアが間髪入れずに言葉を挟む。
「私らアガルタのパーティも誰も本物のドラゴンと会ったことはない。レオ君もだよね?」
「見たこともねっす」
「仮に戦うとなったとして、単体相手なら倒せる……と思うけどねえ」
「ぶっちゃけ群れ相手だとどうにもならねーよな」
他のパーティメンバーも圭介同様、ドラゴンの巣窟なる場所がいかに危険か想像もできていない。
想像できない以上、考え得る最悪を想定すべきというのが全員に共通する意見だ。
そしてどうやらそれはハイドラ側も同じ意見であったらしい。
「いやうん、言っちゃうと私らも今回の件については頭抱えてるんだ」
言ってテレサがクリームソーダの余ったアイス部分をまとめて頬張る。
代理とばかりジンジャーエールを一口飲んで、ヘラルドが繋いだ。
「今後[デクレアラーズ]との戦いが激化していくのを想定するなら、ドラゴンの助力を得るのは国家単位で見れば悪い判断じゃない」
「でも動くのは僕ら個人だ」
「だから難しいんだって。お偉いさん方はトーゴー・ケースケがいればどうにかなると考えてるらしいが、そもそも協力を要請しに行くのにドラゴンと戦えるような人員連れてくのは逆効果な気もするしよ」
「……でも私達だけで行っても、逆に侮られて断られる可能性もあります。ドラゴンとの交渉は常に不利と見て動かなければ」
呟くように言ってからエメリナがミルクティーを口に運ぶ。
その隣りではウーゴがジョッキに注がれた小麦ビールをグビグビと飲んで、彼にしては珍しく無言を貫いていた。
妹以上に今回の件で思うところがあるらしい。表情からは先ほどまでの友好的な笑みが消えている。
「別に成功する必要もないんじゃないでしょうか」
漂い始めた微妙な空気を切り裂いたのは、意外にもユーだった。
「ちょっと店員さんに料理注文してくるから、テーブルもう一つ追加して持ってくるね」
「置き場所なくなるレベルで頼もうとしてる……」
「エルフならそんなもんだろ。ていうか何だ、今の」
ヘラルドが驚きを隠さずにユーの背中を見つめる。
やがて店員に注文を入れたらしいユーが追加のテーブルを持ち寄ってきて、真顔で言った。
「失敗しても大丈夫。……というか、失敗した方がまだ被害が出なくて済むかもしれません」
どうやらドラゴンへの協力要請について言っているらしい、と気づくのに全員が数秒を要した。
それほどまでに彼女の態度は軽い。
「これは別に四人に対して批判するとかではなくてですね。今まで[デクレアラーズ]の件で直接的な被害が出るまで大して動かなかったのは、ハイドラ王国も同じなわけでしょう?」
「急に身も蓋もねぇなユーちゃん。どした?」
さしものエリカも舌を巻いた様子だったが、彼女は本当にハイドラ人である四人を批判する気などなさそうに見える。
ただ淡々と事実を述べているだけだ。
「でも動いたのは迎賓館での一件で[デクレアラーズ]を放っておけないと判断したからで、そのきっかけは私達でもラステンバーグの人達でもなく[十三絵札]の襲撃だった」
言われて、そこで圭介の中にあった小さな疑問が解消された。
校長室でレイチェルが言葉にしないままでいた、圭介が今回の件で選ばれた理由。
「それで今回その[十三絵札]を二人も倒してるケースケ君が一緒に行くんだよね。これってつまり――」
「――まさか」
ヘラルドもそこで何か察したらしい。
驚愕と同情が入り混じった目で圭介に視線を向ける。
「僕を釣り餌にして[十三絵札]呼び込んで、暴れるそいつら見せつけることでドラゴンに危機感でも覚えさせようってのか」
無論、成功するとは限らない。そう簡単に[十三絵札]が動くなどと、増してや都合よく利用できるなどと普通であれば考えない。
普通であれば。
しかし王族は普通ではないのだ。
「だからもし今回の交渉がうまくいったとして、それは[十三絵札]及びそれによる被害ありきの話かもしれません。なので失敗するならその方がいいと私は思います」
当然、これはユー個人の考えであり念頭に置くべき考え方とは到底言えまい。
寧ろ成功させるために交渉に向かう身なれば、頭から排除すべき理屈である。
だが、考えに至った以上完全に無視するのは危険だ。
何せドラゴンと同様に[十三絵札]もまた、この場にいる全員にとって多大な脅威なのだから。
頭の片隅に置いておくべき最悪のケースが、よりにもよって助力を求めた他国にこそある。
しかも上の判断はそれによる被害を念頭に置いているかもしれない。
「そう考え始めたら、本当に僕が行っていいものやらわかんないぞ」
「でもこっちの国の王様がそっちを指名しちゃってるんだよね……」
「まああくまでも可能性、可能性の話っすから」
「問題はその可能性を完全に無視できないってところよねぇ」
あり得るかどうかもわからない、可能性の話。
しかしそれはある意味で、ユーの言った通りの希望にも繋がる。
「まあでも、そういう話になるんだとしたら……行くには行くけど最悪失敗しちゃってもいいか」
圭介のあっけらかんとした発言に、ハイドラのパーティが揃って瞠目した。
「少なくとも余計な被害を出すくらいなら、僕は交渉決裂のがいくらかマシだよ。最悪鍛えて皆で協力すれば[十三絵札]を倒せるってのは経験でわかってるし」
敢えて冗談めかして言う。
本来ならここは怒声を浴びるべき場面だ。
国防を担う勲章受勲者が集う場で、国防に繋がる交渉を投げ捨てるような発言をしたのだから。
だが、誰も責めなかった。
「……うん、そうかも。私も変に気負っちゃってたかな」
「考えてみれば食べ物とかマナタイトとか献上した上で話し合いするんすから、俺らがしくじっても悪いのはドラゴンっすよね」
「最悪こっちにゃ無敵のケースケ様がいらっしゃるわけだしな」
「こいつを様付けすンじゃねえよ気持ちわりい」
緊張感が霧散して緩んだ空気の中、圭介は無意識にホッと息を吐き出していた。
実際に[十三絵札]が攻め込んでくるかどうかは問題ではない。
無理難題に対して周囲が「人員がこれだけ揃っているんだから」と勝手に期待している中、失敗しても構わないと思えるだけの身勝手さがこの場には必要だったのだ。
戦闘ではなく交渉が主軸となる仕事だというのに、肩に無駄な力が入っていては成功するものも失敗しかねない。
ようやくそれを誰もが自覚したのか、プレッシャーを払拭するように軽口を叩き合う。
そんな中、ユーがテーブルの下でこっそりと圭介の脛を優しく蹴る。
顔を向けると本当に一瞬だけだが、可愛らしいウィンクが飛んできた。




