第三話 可惜夜
第三資料室にまで来て得られた成果は決して芳しいものではなかった。
何冊か書物を紐解いてみたものの、新たに確認できた客人の帰還事例はほんの二件程度。
ここで得た情報を外部に持ち込むのは禁じられているため、ひとまずその二件を頭に叩き込むしかない。
過去にモンタギューから聞いた話との類似点として、客人自身が故郷の光景を目視してからその先へと進んで帰還している。
(つっても本当に帰れたのかは怪しいところだけど)
もちろん異世界から観測した限りでは客人が消失しているだけなので、真実それが帰還である保障などどこにもない。
事によっては幻に身を投げて死んでいる可能性も否定できまい。
そして現状それらの事象が人為的に再現されたケースは一つも無かった。
つまり念動力魔術で宇宙線を凝集し異世界転移を果たすという、以前エルランドから聞いた情報の裏付けが未だできていないのだ。
圭介にとって最も重大な事実は、少なくとも今回選んだ三冊の書籍から新しい事実を得られなかったという点である。
嫌々ながらも王城にまで赴き、第三資料室という一般人が入れない場所にまで潜り込んで未だ収穫がない。
もちろん本棚にはまだ手をつけていない資料が何冊も置かれている。随時それらにも手をつける必要があるだろう。
ただ、せめて念動力魔術との関連性くらいは見つけたかったというのが圭介の偽らざる本音だった。
(……もう夜だな)
時計を見れば既に二十時を過ぎている。
ケイティと側近の騎士二人は既にいない。王族は夕食の時間も厳密に定められているらしく、礼儀正しい挨拶を済ませてそそくさと移動してしまった。
圭介からしてみれば正直彼女がいないことで気楽に読書に専念できたのだが、そんな彼にとってもタイムリミットというものがある。
二十四時間いつでも出入りできると言えども、彼自身そろそろ食事と入浴を終えて寝たいところだった。
「……うっし」
立ち上がりつつ【テレキネシス】で本を元の場所に戻し、出入り口へと歩き出す。
戯れに見渡す中で黒いファイルをまとめた区画が目に入り、何となくそちらも覗いてみた。
少年犯罪者の名簿をよりわかりやすく図鑑のような形態に直したもの、騎士団が起こした不祥事の詳細な記録を種類別にまとめたもの、中には早くも[デクレアラーズ]に関する資料まである。
なるほどこれらを一般人の目につく場所に置くのは望ましくない。利用価値と信頼性の面で第三資料室は確かに有用と見えた。
(次は“大陸洗浄”とか[デクレアラーズ]関連の情報にも目を通してみるか)
何せ今後も圭介を殺しに来るであろう相手である。
記録の中に自分の名前も記載されていると思うと少しうんざりするものの、確かめるべき情報と言えた。
とは言え今日はもう遅い。
これ以上待たせるとアズマが不機嫌になる。
そそくさとエントランスまで戻ると受付には誰も立っておらず、代わりに魔術円がいくつか空中に展開されていた。
何らかの理由で無人となった場合でも防犯用のシステムが機能しているのだろう。
出口から先に進んで通路をしばらく進み、城門まで進んだところで小さな監視所が見えてくる。
悲しいかなアズマは荷物扱いとなり、ここに身を預けているのだ。
ひとまず小さな窓から中にいる騎士に声をかける。
「すみませーん」
「はーい……ああ、ケースケさん。お疲れ様です」
城の敷地でも端に位置するためか、勤めている騎士の態度もどこか柔らかい。
あるいはただそういう気質の相手と偶然当たっただけかもしれないが。
「うっす。待たせたね、アズマ」
『資料の確認はもうよろしいのですか』
「まだ今後も通う必要はありそうかな。ただ今日は時間も時間だからさ」
「良い子にして待ってたんですよぉ。ほらアズマくん、ご主人様だよ」
『どうも。では、帰りましょうか』
言いながらアズマが窓枠から飛び出し、圭介の頭に止まった。あまり待たされた事への不平不満はないらしい。
「意外と怒ってないね。もっと頭に止まりたがってるものだと思ってたのに」
『最近になって判明したのですが』
「ん?」
『私がこうして止まっていると、マスターの頭皮及び毛根にダメージが蓄積していく可能性があるようです』
「おい待てどけお前」
『どきません』
「……何してるの」
食い込む爪ごとアズマを【テレキネシス】で剥がそうとしていると、城門から出た先で見覚えのある顔と出くわした。
どういうわけか夕飯時も過ぎた夜にまだ制服を着ているコリンである。
「あ、コリンだ。もしかして今までずっと学校いた?」
『こんばんは』
「こんばんは。普通に帰ろうとしたけど途中で知り合いの騎士に捕まって事務所に連れ込まれて、さっきまで排斥派のゴタゴタについて資料まとめてたの」
相変わらずの多忙さだった。
圭介らがゾネ君主国にいる間、王都では排斥派が活発に動いていたとは以前も聞いた。
だがその事後処理がまだ終わっていないとまでは想定しておらず、つい圭介も憐れみの視線をコリンに向けてしまう。
「そんな目で私を見るんじゃねぇの」
軽くキレられた。
「ただまあ、皮肉な話だけど排斥派側も[デクレアラーズ]を怖がって派手に動けないのか逮捕するのは簡単だったみたいなの。文化祭の時みたいにそこかしこで放火するようなのは、多分もうメティスどころかアガルタにいないの」
「そりゃあ何よりだ」
「代わりに郊外の方で山賊が増えたらしいの。都心と比べてコソコソ悪さできるとでも思ってるみたいだけど」
「……そっか」
圭介も以前、山賊のアジトを襲撃した事がある。
その時の経験から察するものも、当然あった。
なりたくて犯罪者になった者など全体で見れば少数派だろう。
それが強さであれ弱さであれ、自分をおかしくする何かに狂わされた人間が他者に危害を及ぼすのだ。
かつてフェルディナントに漏らした己の言葉が圭介の中に反響する。
――それはさあ。かわいそうじゃん。
「結局そこいらの連中も発見された中で八割ちょっとが騎士団に捕縛されたの」
『残りの二割弱はどうなったのですか?』
「未だ逃走中。……と言いたいけど、ケースケ君から聞いた話も合わせると十中八九[デクレアラーズ]にやられてると思うの」
先の戦いでも三つ、ゾネ君主国に巣食う反社会的勢力が潰されている。
それも相当な規模の組織が、たった二人の客人によって。
以前圭介が騎士団に身柄を引き渡したような連中など、“騎士の札”が出るまでもなく蹂躙されてしまうだろう。
「じゃあ、捜索とかは」
「しばらくやるだけやって、結局途中で断念したみたいなの。見つからないものは見つからないんだから実際どうしようもないの」
行方の知れなくなった山賊はきっと、もう。
『[デクレアラーズ]によって殺害されている、と?』
「いっそ死ねてれば楽な方かもしれないの。あいつらが社会に不要と断じた相手をどうするか、私は自分なりに調べてちょっとくらいなら知ってるの」
「……学校だけでも中等部の生徒が体の一部だけ日用品に加工されて戻ってきたり、退学処分を受けた先輩が殺された上で死体を人形に改造されてたりしたね」
おぞましい話だが、彼らからしてみればそれは生存すべきではない人材の有効活用なのだ。
勝手に入ってくる情報を受け取っているだけの圭介でさえそれなのだから、諜報活動に専念しているコリンなどはより凄惨な実例を見聞きしていてもおかしくない。
「大体その手の凶悪な殺し方するのは♥の札と相場が決まってるみたいなの」
『確かトランプの模様で言うと愛情を司るカード群でしたね』
「の割にトチ狂ったのが多いように思えるけどね」
言いつつ圭介が思い起こすのは、財津藤野の柔らかな笑顔。
次いで中学生を拷問の果てに殺害した馮軍輝、人間に己が血で作ったぬいぐるみを縫合して操っていたというシャーロット・グレイ、無数の人形に分裂して死者を模倣しながら一人芝居に興じる“ラハイアの座”。
いずれも正気とは思えない敵ばかりだ。圭介が一般人であれば関わり合いにすらなりたくない面々である。
「藤野でも上から二番目かぁ……。♥のKなんてどんなド変態なのやら」
数少ない情報としては、ヨーゼフとピナルのコンビが二人して嫌っていた事くらいか。
身内にも嫌われるとなると相当極端な性格をしているに違いない。やはり関わり合いにはなりたくない相手であった。
「フジノっていうのは、確かケースケ君の彼女だったの」
「もう次会ったら別れるつもりでいるけどね。流石に[デクレアラーズ]で暴れてるようなのとこれ以上は付き合えないや」
『以前聞いた限り相当な危険人物のようでしたので、先方からどのように想われていようと関係を断ち切る必要はあるでしょうね』
「うーわ、そんなのと付き合ってるとかちょいケースケ君も女の好み極悪そうで怖く思えてきたの。どんな神経してんの?」
「語尾を忘れず維持できたから許してあげよう」
犯罪組織に命を狙われる少年と、国家に与する諜報員の少女。
二人はしばらく互いの帰り道が交差する地点まで、一旦何もかもを忘れて雑談に興じながら歩いていった。




