第二話 例えば綺麗で透明なガラス細工が親しげに話しかけてきたとして
明くる日の放課後、圭介はモンタギューに言われた通り王城の第三資料室に赴いていた。
今回アズマはいない。入城する際に守衛に注意を受け、嫌々ながらに引き取られていくアズマを宥めながら見送ってきたところだ。
どこか心細さを覚えながらも案内されるがまま通路を進み、扉の左右に立つ騎士に挨拶してから部屋へと入る。
入った先にあるのは、開けた空間と無数の本。
詩情を棄てて表現するなら全体的に焦げ茶色の風景である。
壁紙、カーペット、調度品の全てが似たり寄ったりな色合いであり、そこかしこに設置された魔力灯だけが浮かび上がるかのように白い。
本棚に並ぶ書物はいずれも軽い気持ちで手に取られまいとするかのように重厚な装丁が成されており、目につくタイトル全てが見覚えのない文字列だった。
(これが第三資料室か……)
出入り口から見える範囲だけでも三方向に昇り階段があり、本棚で形成された通路はより奥の方まで続いている。
受付が設置されているエントランスらしき空間はあれど、そこに座っている女性二人はどちらも微笑みを向けるばかりで圭介に声をかけない。
漫然と歩けない。漠然と進めない。
書物を目指して動く眼球の向き、指を運ぶ際に生じる全身の僅かな動き、それら全てを誰かに見られているような感覚が皮膚を包み肺腑と神経へ一瞬にして染み込む。
一国の重要器官に足を踏み入れた感触がそこにはあった。
(負けてられるか、何だこんなもん)
形容しがたい恐怖を振り払うように、圭介はズンズンと歩を進めて受付の前まで来た。
今日が初めての来訪である。それでも目の前に立つ受付嬢は、無言のままにこりと笑みを向けるばかり。
有名人や不慣れな客への好奇の視線などという、人間らしいものはそこに存在しない。
「あの」
「トーゴー・ケースケ様ですね? 第一王女殿下より紹介を承っております」
丁寧にして無機質な声だった。
「ようこそいらっしゃいました。こちらは王城第三資料室。国内で起きた様々な事件、事象、事故に関する記録が整理されている区画にございます」
有無を言わさずただ“聞かせる”という目的意識のみが、淡々とした声で紡がれる説明の中に内包されている。
彼女はこの場において一人の人間ではなく、巨大な機構の一部として振る舞っているらしい。
何せ職場が職場だ。
感情を表に出すような真似はできず、挙動も態度もどこか画一的なものとなってしまうのも無理からぬ事なのだろう。
「……えと、客人が関係しているオカルト現象について調べたいのですが」
「かしこまりました。専用のゴーレムに案内させますので、少々お待ちください」
言って彼女が手元にあるキーボードらしき機械を操作すると、天井からゆっくりと一体のゴーレムが下りてきた。
白い球体に目と思しき黒い点が二つ、かわいらしくつけられている。
粘りつくような視線を伴う窮屈な広場で、その愛くるしさは場違いと言えた。
『キーワード入力を受け付けました。客人、オカルト現象、計二点。検索結果が出るまで少々お待ちを――検索結果が出ました。六三九九号へご案内しますので、こちらへどうぞ』
「あ、はい。あの、どうもありがとうございました」
「いえ。ごゆっくりどうぞ」
通常の図書館では聞かない桁数のナンバリングが出て思わず逡巡するも、とりあえず受付嬢に会釈してからゴーレムに誘導されるまま移動する。
球状のゴーレムはコロコロと転がりながら移動しており、途中で昇り階段に差し掛かるも構わず斜め上へと前転しながら進んでいた。多少の凹凸は無視できるらしい。
案内役ゴーレムの落書きめいたデザインに癒されながら、それでも室内全体に漂う異様な空気ばかりはどうしようもなかった。
現在進行形で圭介を観測している権力者が、少なく見積もっても十人以上はいるだろう。
そこにどういった意図が含まれているのかは定かでない。
排斥派の怨念か、国防勲章受勲者としての利用価値か、あるいは単なる興味か。
一つ確かなのは、今ここで何を思ったところで何ら意味はないということだけだ。
『到着しました。こちらが六三九九号の本棚となります』
「ありがとう」
『資料の持ち出しとコピーは固く禁じられておりますのでご承知おきください。それでは失礼いたします』
淡々としたやり取りを終え、ゴーレムが来た道をそのまま転がって戻っていく。
通された場所はテーブルと椅子が並ぶスペースと隣接した本棚で、確かに六三九九号とラベルが貼られていた。
「さて、と」
ひとまず異世界転移現象に関連しそうな書物を見繕ってみる。こればかりは自分の目と頭で探り当てるしかない。
見れば書店でも図書館でも取り扱っていないような書物ばかりだ。
バートラムの盟約録。
銀蠅する神。
チキン・カット・ナイフ。
試しに手に取ってページをめくってみると、確かに客人に関する法整備の歴史や異世界転移現象の考察、圭介の知らない客人が元の世界へ帰還した事例などが当然のように出てくる。
タイトルだけで判断していては求める情報を逃しかねない。そして当然、全てを読むだけの時間がどれほどあるものか。
足繁く通わなければ必要な情報が揃わないように出来ている。
(さては最初からそのつもりで入室許可出したな? 相変わらず王族ってやつは……)
とにかく法整備に関する書物だけ棚に戻し、残った二冊を持ってテーブルにつく。
ついたところで、意識を資料室の奥へと移した。
(近づいてくる)
グリモアーツを強化してから圭介の【ベッドルーム】は精度を増している。
王城に入った時点で既にその存在には気づいていた。当然城の中には多くの人間が出入りしているため、それだけなら特に警戒する理由はない。
圭介より早く第三資料室に来ていた何者かが、彼に向けて接近しつつあった。
圭介が注視した点は二つ。
一つ、反応が三人分あるという点。
こんな場所に来ている時点で只者ではないとわかっているが、その上でわざわざ人数を揃えているという異質さ。
何せ王城の中でも更に入れる人間が限られる場所だ。それでいて常に何者かの視線を感じるような環境でもある。
例えば宰相が単独で行動していたとしても身の安全自体は保障されるはずだ。
そんな場所で三人の人物が行動を共にしている。
まさかこんな所に貴族が友人を引き連れて来るような事もあるまい。
そのような愚者が入室許可を得られるほど、王城という場所は安全ではないのだから。
恐らく中心にいる一人が主体であり、残り二人はその護衛。
つまりこのような場においても身の安全を要する立場にある存在。
となれば考えられるのは、王族。
(だったらまだマシなんだけど)
王族とは別に警戒すべき対象がいる。
彼が引っかかった二つ目の点は、中心人物の体躯の小ささだった。
低いが絶対に捨てられない可能性。
――アイリス・アリシアが侵入してきた場合。
瞬間移動も難なくできる相手だ。彼女なら王城だろうと遠慮なく踏み込めるし、立場的に権力者をどれほど敵に回しても支障がない。
現状向かってくる何者かからは一切の敵意を感じないが、迎撃態勢は整えておくべきと判断し胸元にしまったグリモアーツに指を当てる。
緊張感に包まれること数秒、やがて相手が姿を見せた。
「ごきげんよう、トーゴー・ケースケさま」
「………………あ、どうも。お疲れ様です……?」
初めて見る少女だった。腰まで伸ばされた髪がピンク色である点と場所から察するに王族なのだろうが、フィオナと比べて明らかに小さい。
身を包む白いドレスはより清純を際立たせる形で彼女を飾り、表面から輝かしい光さえ放っているかのように思わせる。
年齢はおよそ五歳に届く程度だろうか。
あどけない橙色の瞳に裏はないようで、ただ無垢にして上品な笑顔を向けるのみ。
まるでこの世全ての邪悪から遠ざけられてここまで生きてきたかのような、事実そうなのだろうと思わせる空気を目の前の少女は纏っている。
愛でるべき花を護るかの如く、左右に立つ男女の騎士は城内でも構わず武装していた。
「おはつにお目にかかります。わたし、ケイティ・リリィ・マクシミリアン・アガルタともうします」
「……初めまして。東郷圭介です」
たどたどしい口調と初対面特有の緊張感。
こんな場所で王族と接しながら、こうも心を解きほぐされるとは圭介も思っていなかった。
気づけば周囲の何かを見定めようとする視線が消えている。
彼女の両隣にいる騎士が睨みを効かせた気配もない。単純にこの小さな王族を目に入れまいとするかのようだ。
「そのう、まさかお会いできるとは思っていませんでした。今日ここにいらしているときいて、ついおかおを見にきてしまいまして。へへ……」
その変化が圭介により強い警戒心を呼び起こさせた。
第三資料室などという生臭い場所に、ただそこに存在しているだけで清廉な空気を強制する幼い少女。
確実に尋常の相手ではない。
「ごめんなさい。おはなししたいこと、たくさんあったのですけれど、ふしぎですねえ。なぜだかことばが出てこないんです」
心からの発言だ。
目の前にいる少女は、体がそのまま彼女の心で構成されている。
無邪気と呼べば呼べるのだろう。
だが、圭介から見てその在り様はあまりにも――
「ふふ、もしかしたらきんちょーしてるのかもしれません」
――異常と言う他なかった。
人は通常であれば大なり小なり自分というものを偽る生き物だ。
虚言や見栄でなくとも、礼儀作法、服装の違い、ほんの小さな言葉選びに至るまで誰もが環境と心の帳尻を合わせる。
自分を偽る、と言えば聞こえは悪かろうが、その行為は環境ありきの自然な反応だ。
棘に触れて痛がり、蜜を舐めて甘さを語るようなもの。
つまりそれこそ心の在り方として正しい形と言えよう。
「ケースケさまのことはフィオナお姉さまから、よくきいております。とってもおつよいんですってね!」
だがケイティにはそれらしき気配がない。
恐らく細々としたマナーなどは学んでいるのだろう。使っている言葉も敬語ではある。
しかしきっと彼女はそれらを作法として会得したわけではなく、それ以外を知らずに育ったのだ。
そう思えてしまうほどに彼女はどこまでも彼女のまま、環境を無視してそこに咲いていた。
不自然が人間の形をして歩いている。
同じ生物でありながら生物として距離を感じるその振る舞いには、これまで数々の修羅場を超えてきた圭介も思わずたじろいでしまう。
「そ、の。僕もお会いできて光栄です。今日は僕、客人関係のオカルト現象について調べに来てまして」
「まあ! やはり元のせかいにおかえりになりたいのですか? 今日はもうならいごともありませんし、よければおてつだいしますよ!」
とても純粋で綺麗な善意だ。触れ難いほどに。
圭介はまだ客人に関するオカルト現象について調べに来たとしか言っていない。
だがケイティは瞬時に圭介の目的をあっさりと見抜き、それを誇示するでもなくスムーズに手伝おうと身を乗り出した。
ここでようやく圭介も、第三資料室に充満していた空気が一変した理由を悟る。
大半の人間は彼女の純粋さに耐えられないのだ。
数々の戦いを通して犯罪者や外道の類と触れ合ってきただけの圭介でさえこれである。
王城を出入りするような身分の者であれば、圭介への興味関心よりも生理的嫌悪感が勝ってしまうに違いない。
「あー、その、王族の方にお手伝いしてもらうわけには。お気持ちは大変ありがたいんですけど、今日は初めてここに来たのもあってゆっくり自分で調べてみたくて」
「そうですか……ざんねんです」
見るからにしょんぼりと落ち込むケイティに多少の罪悪感もあるが、圭介の言葉もまた全てが偽りというわけではなかった。
今後も通う可能性のある場所だ。本の配置やどこまで読んだかなど、全体的に自分で覚えた方が将来的には便利だろう。
それにケイティの身長では届かない高さから本を取る必要も出てくるため、実際手伝ってもらうこと自体そう多くはあるまい。
王族の善意を無下にしたと受け取られかねないやり取りで、しかし左右の騎士は特に圭介に敵意を抱いていないようだった。
というより、視線にはどちらかというと同情が滲み出ている。
(ああ、お二人もこの子のヤバさは認識してるのね。常識的な人達で良かった)
フィオナと異なり駆け引きめいたやり取りをする必要性はなく、恐らく当人も周辺に大きな波を起こす類の人物ではない。
ただ積極的に交流を持つにはやや抵抗がある、という一点において彼女ら姉妹は共通していた。
「ではせめて、ごいっしょしていてもよろしいですか? おじゃまはいたしませんので」
「ああはい、それは全然。僕も完全に一人でいるのは不安でしたし」
ただ一つ確かな事として、ケイティがいる分には煩わしい視線が途絶える。
どうせ付き合うなら無遠慮な権力者たちではなく、見ていて嫌になるほど純粋な少女の方が精神衛生上よろしい。
輝く瞳に見つめられているのを自覚しながら、圭介はひとまずページ数の少ない本から開くのだった。




