プロローグ あれからの彼ら
ハイドラ王国ウルラ領に存在する老人介護施設。
その周辺にある住宅街は現在、炎に包まれていた。
並ぶ屋根にはパチパチと火の粉の爆ぜる音が鳴り響き、揺らめく炎がブロック塀を煌々と照らす。
そして介護施設の壁は複数箇所が陥没しており、窓ガラスも一部破れている。
割れた窓からパニックを起こした老人が一人飛び出しそうになり、それを建物の内部から介護職員らしき青年が慌てた様子で内部へと引っ張り込んだ。
「どうして庇うのですか? 耄碌に浸り糞尿を撒き散らす以外何もできぬ老いぼれ如きのために、若者が命を散らすなど非効率の極致でしょうに」
そう言ってフランベルジュ型グリモアーツ“アトロシティ”を構えるのは三十歳ほどと思しき美女。
身に纏う黒のロングドレスは体の輪郭を隠しているが、不健康そうな相貌とスカートから垣間見える脚部を見るに同年代の女性と比べて極端に痩せているだろう。
手入れされていない長い金髪と目の下にくっきりと浮かぶ隈は、彼女が相当くたびれていることを告げている。
「私達[デクレアラーズ]の理想社会に、生み出さず損害を振り撒くだけの人間など必要ありません。退いてください。妨げとなる者は例外なく除かねばならないのですから」
慈悲を滲ませる言葉に反し、上段に振り上げた剣は鬱金色の油を迸らせて周囲の炎を己に巻き込んでいく。
そうして振るう刃から放たれた粘度と高熱を伴う波が、目の前に立つ四人の敵をまとめて焼き払わんと迫った。
「皆、私の後ろに!」
対するは、テレサ・オルガノ率いるオルテガ・クルス国防勲章受章者パーティ。
リーダーたるテレサは他の誰よりも早く防御の姿勢を整えて他の三人に呼びかけた。
構えたスクトゥム型グリモアーツ“パラベラム”は表面に触れる空間を捻じ曲げ、襲い来る炎と油の奔流を直接防ぐことなく受け流す。
そのため盾を構えるテレサにも、その背後に回った他の仲間にも一切の負担がかからない。
「こんだけあちこち燃やしといて社会がどうだの語ってんじゃねえよクソッタレ!」
ヘラルドが悪態をつく。口には出さずとも全員が同じ気持ちだろう。
ここ一週間ほど[デクレアラーズ]の構成員と思しき客人が、ハイドラの老人介護施設を襲撃しているという話は聞いていた。
どうやら“大陸洗浄”の趣向が大きく変化し、老人や重篤な傷病者なども彼らの標的となったらしい。
生産性の有無を生存する価値の有無に置き換えて、今や[デクレアラーズ]は大量虐殺を繰り返すのみである。
斯くして彼らの論理に従い殺戮の限りを尽くした目の前の客人、世間が“咼焼”の名で呼ぶ殺人鬼は現在ハイドラ王国にまで足を運んでいた。
彼女を討伐するよう王国からの依頼を受けた彼ら国防勲章受勲者パーティは、目撃証言を辿りこの介護施設に到着したのである。
結果、想定以上の苦戦を強いられていた。
リーダーのテレサこそ未だ無傷ではあるものの、幼馴染のヘラルドは“双酷”の兄妹を庇う形で両脚に大火傷を負っている。
加えて兄弟の兄、ウーゴの方も近接戦闘で玄妙な剣術に惑わされ、左側の肋骨と右腕がそれぞれ折れてしまった。
四人の内二人が満足に動けない。
となれば必然、他のメンバーにかかる負担も大きくなる。
「エメリナ!」
「はい、兄さん」
テレサの声に短く応じたエメリナが、右手に握った刺突用の短剣――スティレット型グリモアーツ“マイナードライブ”を地面に突き立てる。
するとテレサの足元に灰白色の渦が生じ、そのまま彼女を飲み込んだ。
二つの座標を結び合わせる魔力の通路【カントリーロード】は、外部の高熱や酸素濃度を無視して味方を移動させることができる。
ここまで“咼焼”との戦闘を通し、彼女らが見出した勝機は接近戦での早期決着のみ。
それとて決して安全な策とは言えないが、それ以外の戦略は全て叩き潰されてきた。
剣を構えた“咼焼”が足元に生じた灰白色の光を確認し、炎と油を再度剣に纏わせたところで
「くたばれボケ!」
「っ!?」
巨大な結晶の塊がヘラルドによって作られた魔力のバネ仕掛けにより、砲弾の如く射出される。
急な遠距離攻撃にしかし“咼焼”は刹那ばかりの動揺を見せつつも、今までの戦いで見せてきたように結晶を炎と熱で溶かした。
が、咄嗟の判断だったせいか。
その質量を溶かすために必要な威力を発揮するべく、彼女は剣を振り切ってしまっている。
更に言えば充分な規模の炎を出すため、剣に纏わせていた油も使い果たしたらしい。
「しまっ」
「ぜりゃああああ!!」
結果、足元から飛び出したテレサの縦横無尽にして変幻自在な斬撃の嵐をその身に受ける。
ただ剣を振るうだけの相手なら“咼焼”は自前の剣術で対処できただろう。
しかし形状も射程も変化し続ける刀剣の連撃などという類を見ない攻撃手段に対し、体の動きが常識的な範囲に留まる彼女は対処しきれない。
「ぎゃあああああああ!!」
防御も迎撃もままならず、“咼焼”と呼ばれた[デクレアラーズ]構成員の女は全身をバラバラに切り裂かれて敗北した。
いくつかに分断された肉片は彼女自身によって生じた油と炎の中へ飛び散り、皮肉にも全てが己の油に燃え移った炎で焼却されていく。
「…………ひゅーっ」
肩で息をしながらテレサが細く長く息を吐く。
今まで戦ってきた敵の中でも十指に入る強敵であった。
油と炎が織り成す広範囲攻撃は通常の手段では回避も防御も難しく、ウーゴによる結晶の攻撃は焦熱により溶かされてしまう。
気化した状態で大気中に留められた油は見えざる罠となり、気づかず接近したヘラルドが危うく爆死しかけた。
おまけに彼女自身も剣術に秀で、一度は【カントリーロード】で接近したウーゴが想定外の技巧と怪力でこれまた殺されかけた。
テレサ達以外のパーティがこれまでに三組ほど敗北していると聞いたが、それも頷ける。
そんな、二度目があれば勝てるかどうかも怪しい相手を、彼らはやっと倒せたのである。
「消火活動は、騎士団に任せましょ……あーつっかれた」
さしものウーゴも普段の飄々とした態度を崩し、疲労をそのまま表に出していた。
両脚を負傷しているヘラルドは応急処置として回復用の霊符を自身の足に貼りつけ、地面に座り込んでる。
「これで王国からの依頼はどうにかこなせたな」
「半分だけね」
苦笑いしながら応じるテレサに、ヘラルドが露骨に嫌そうな表情を浮かべる。
「今は思い出させるなよ……。下手すりゃ今回よりキツい仕事になるかもしれないのは、俺だってわかってんだからさ……」
「しかしあちらの方がより困難なのは間違いない事実でしょう」
自身のスマートフォンで騎士団に討伐報告と消火活動の要請を兼ねたメールを送りながら、エメリナが後に控えている仕事について言及した。
語る彼女の表情も決して上機嫌とは言えない。
「トーゴー・ケースケ及びパーティメンバーらへの協力要請――それも内容が内容ですから」
四人のハイドラ人が向かう先。
それはアガルタ王国であった。




