第三十一話 光と闇と、光
気休め程度と侮れるものでもない、とセシリアは言っていた。
その言葉の意味を圭介は新たな“アクチュアリティトレイター”で十二分に実感する。明らかに先ほどまで使っていたものと比べ、形状と大きさからして違ったためだ。
正直に言ってここまで変わるものだとは思わなかった。
それに加えて性能面での変化も著しい。
まず広域索敵魔術【ベッドルーム】の精度が飛躍的に向上している。
縦横無尽に曲がりくねる黒い鞭の動きを正確に捉えるばかりか、力の伝達を感じ取ることで次にどう動くかまで大雑把に予測できるほどだ。
「【水よ来たれ】」
眼前で鞭の根元から中ほどにかけてが真上に振り上げられる形で伸びる一方、鞭の先端部分だけが圭介の後頭部へと垂れ下がるように振り下ろされる。
索敵手段が無ければ何もわからないまま昏倒していたであろう挙動だが、今の圭介には事前に手を打っておくことすら容易だった。
「【滞留せよ】!」
回転するクロネッカーから水の刃が伸びて鞭の先端を切り落とす。
それでも回転は止まらず、二度、三度と切断を繰り返して鞭を輪切りにしていく。
危機を脱するためか横から別の蛇が現れ、無数の髑髏の幻影を伴う毒霧が圭介に向けて噴射された。
同時に巨人の背で無数に展開された魔術円からは膨大な数の白い花が咲き誇り、周囲一帯の温度が急激に冷え込む。
今にも雪が降りそうなほどの寒さは団地一帯を包み込み、濁った川の水は表面に透明な膜を張る。
圭介がまだ知らないだけで、この世界には温度を下げる特殊な花が存在するのかもしれない。
あるいは光清が独自に作り上げたものか。いずれにしても狙いは念動力の弱点、低温環境を作り出して動きを阻害することだろう。
同時に繰り出されたのが着火性の毒霧なのは、【パイロキネシス】による温度の上昇を防ぐため。
低温環境を克服しようと炎を出せばそこから誘爆が起き、圭介に深刻な傷を負わせることができると見越しての動き。
知ったことではない。
逆に毒霧の効果を利用してしまえばいい。
「【焦熱を此処に】!」
爆風など今の圭介なら身に纏った【コットンフィールド】だけで防げる。
迷わず生じさせた炎で大爆発を起こし、爆炎と噴煙に隠れたまま“アクチュアリティトレイター”を毒霧の先に向けて突き出す。
重厚な打突を受けて蛇の口内にあった機械がぐしゃりとひしゃげて火花を散らした。
『まずは一つ目ですね』
「はいじゃあ次ィ!」
根元まで輪切りにされた鞭を再び伸ばす蛇は無視して、【テレキネシス】で手元にクロネッカーを引き戻す。
引き戻して、またすぐ結界を操る蛇に向けて投擲した。
「【滞留せよ】!」
常に展開されている結界はクロネッカーの触れたものを滞留させる術式に対して作用し、その効果を打ち消す。
打ち消したその瞬間、一時的に結界は効力を失う。
他の蛇が二度続けて魔術を発動できないことから、そうなると圭介は学んでいた。
「フッ」
薄れて消える結界に向けて、短い息とともに【サンダーボルト】を放つ。
防ぐためか既に刃が歪んでしまったチェーンソーの蛇が割って入るも、その蛇の頭部を刃ごと破壊しながら雷撃は結界の蛇へと届く。
結果的に一筋の光線が一度に二匹の蛇を爆砕し、無力化するに至った。
残る蛇は炎、鞭、魔力砲撃の三種類。
光清からしてみれば圭介から考える時間を奪うための装置だったのかもしれないが、それでもここまで断続的に破壊されて平然としていられるわけもない。
「そう、来るよなぁ!」
巨体の背に拡がる緑の双翼が左右同時に振るわれ、別々の方向から雨霰とばかり黒い種が降り注ぐ。
一粒一粒が銃弾の如き威力を有し、異なる角度から飛来しながら空中で互いに衝突し軌道を複雑な形へと変化させていく。
索敵の精度が上がったとしても不規則な動きを個別に掌握するなどできるはずもなく、だからとまとめて振り払えば念動力魔術に込めた魔力が吸い取られる。
恐らく今度は蛇の方が本命だ。
種子の弾幕を防いだ瞬間、薄くなった念動力魔術の防備を三種類の攻撃で突き破る。それが光清の策だろう。
「だったらこっちはこうするだけだ!」
だから圭介は巨人の顔面に向けて【アロガントロビン】で直進した。
左右の翼から放った種子の弾幕が最も薄いのは正面ド真ん中。
多少は当たるか掠めるか。完全に全てを避けるには攻撃の密度が高すぎる。
が、それでも勝算はあった。
「ふんぬぉぉおおお!!」
全身に種子が当たってパチパチと音が鳴る。
それでも問題なく直進できた。当たる種子はこれまでと異なり魔力を吸収できておらず、蔓を吐き出すこともない。
幾度も魔力を吸収され、また時には意図的に魔力を吸わせる中で圭介は種子の吸収速度を把握している。
触れるか接近してから実際に魔力を吸収し始めるまでに、ほんの刹那ばかり空白の時間が生じるのだ。
ならばその空白の時間が終わる前に吸収できる範囲から脱するのみ。
それだけで種子は圭介のスピードに追い付けず、肌の表面を覆う【コットンフィールド】で弾かれる。
言うだけなら容易いが、実現にはこの新たな“アクチュアリティトレイター”が必要不可欠だ。
【コットンフィールド】の防御力も【アロガントロビン】のスピードも、さっきまでとは比べ物にならない。
そうして弾幕を一瞬で通過した先に、樹木を歪めて作られた顔面が迫る。
「っしゃあオラ!」
巨人の口に当たる部分が開いて何かしそうに見えたが、それより速く圭介の横薙ぎが相手の横っ面を殴り飛ばした。
「【水よ来たれ】!」
魔力の水を生成しつつ傾いた頭部と肩の合間をくぐり抜け、背中に回って片翼の付け根へと回り込む。
「【滞留せよ】!」
精度を上げた【ハイドロキネシス】はクロネッカーから伸びる刃の鋭さも増す。
かつてゴグマゴーグを両断した斬撃が、今では不安定な体勢から片手で繰り出せてしまう。
枝葉で構成された翼の片方が、その一振りで切断された。
『魔力反応それぞれ三方向からあり』
圭介の索敵範囲と精度の向上を見越してか、アズマの言葉は曖昧だが的確だ。
三匹の蛇がそれぞれ別々の方向から圭介に攻撃を向けている。
しかしここまで来るとそれらも大した脅威ではない。
魔力砲撃を放とうとしていた蛇の顎に一瞬で到達し、光り輝く魔力の塊にクロネッカーごと左手を突き入れた。
「【滞留せよ】」
周辺のマナを【オールマイティドミネーター】で魔力砲弾に集めつつ、これから外に向かおうとする動きを阻害する。
結果、魔力砲撃は外に向かわず蛇の口内で滞留し、暴発した。
頭部を失った残骸から急ぎ離脱。今度の狙いは口から既に炎を噴出している蛇。
ただ火を噴くだけの存在など、もはや接近する必要すらない。
「見様見真似の……」
遠距離から【テレキネシス】で刃の形に成形した【サイコキネシス】を飛ばす。
かつて見た、技と身体能力を伴う仲間の魔術。
「首刈り狐!」
見えざる刃は切れ味に不安もあったものの、問題なく溢れる炎ごと蛇の頭部を真っ二つに切り裂いた。
これで五匹目の蛇を片付けたと数を確かめる圭介の背後で、曲がりくねる凶器が躍る。
「残ったのはやっぱコイツか!」
振り切った“アクチュアリティトレイター”をそのまま体の回転に乗せて後方へと運び、背中を打とうとしてきた鞭を防ぐ。
思えばこの蛇が一番厄介だった。
挙動は読みづらく射程も自在、周囲にある物体を掴んで投げる上に威力も申し分ない。
しかし最後の一匹なら対処のしようはあるのだ。
「要するに動かさなきゃいいんだ、お前は!」
空中に薄く展開していた【サイコキネシス】を鞭に纏わせ、その場で押し留める。
長さを操れば容易に脱出できるだろうが、それまでの動きさえ止められれば今の圭介の敵ではない。
伸び縮みする前に止まった鞭をそのまま足場とし、先端部分が圭介に届くより速く駆け抜けた。
やがて到達した蛇の頭部に“アクチュアリティトレイター”を突きつけ、螺旋状の【サイコキネシス】を巻きつける。
「【スパイラルピック】!」
轟音が鳴り響き、蛇の頭が粉砕された。
木っ端が散る中で砕け散る機械も地面へと落ちていき、黒い鞭が消滅していく。
事実上の七対一もこれで終わりだ。再び六匹追加される可能性も無くはないが、それが圭介にとって大きく不利に働くわけでもあるまい。
樹木で出来た蛇を全て破壊してから振り向くと、同じく樹木の巨人が圭介に体を向けて鎮座していた。
失った片翼を徐々に再生させながら。
「……僕が蛇の相手してる間に壊れた部分直して、今度こそ一番デカい戦力ぶつけようってか。考えてることはわかるけどさ」
空中で巨人――第三魔術位階【フォレストキング】と睨み合いながら、圭介は身じろぎもしない。
「お前それ、何してるか自分でわかってんのか?」
ビキリ、と大きな音がどこかから聴こえた。
音は断続的に響き、徐々に大きさと数を増していく。
「自前の魔力だけじゃ間に合わないだろ、そのサイズ。どうしても地下水脈から水引っ張って、他から栄養吸い取るしかない」
ズシン、と一際大きな音を立てて巨体が沈む。
巨樹の真下にある地面が陥没したためだ。しかもその足元でまだ何かが割れるような音は鳴り止まない。
「僕の相手に必死でそもそもの土地柄忘れたわけじゃないだろうな。ここいらは地下通路が張り巡らされてる関係で、いくら補強されてるったって地面がスカスカなんだぞ」
また一段、更に一段と断続的に巨体が沈む。
後方の地面が崩れたせいで【フォレストキング】の上半身が斜めに傾き、仰向けに近い体勢で止まった。
「そこで土から水だの栄養だの引っこ抜いてそんなデカブツに羽根まで付け足したら、そりゃ地盤沈下に巻き込まれるに決まってるだろ」
言って、“アクチュアリティトレイター”を振りかざす。
陽が傾いて真昼と夕暮れの中間ほどとなった空を背景に、集合していく魔力が鶸色を越えて白く輝き始めた。
「何をどう考えてお前がそんな魔術使ってるのか知らないけど」
第二魔術位階【バニッシュメント】。
万物を消滅させる圭介最大の攻撃が今、その威力を遺憾なく発揮しようとしていた。
「食い過ぎの太り過ぎだ、バカ野郎」
* * * * * *
「くそ、チクショウ……チクショウ…………ッ!」
生身であれば年甲斐もなく泣いていただろう。
そう思えるほど光清の感情は乱れ、怨嗟の声が漏れ出る。
何たる屈辱、何たる無様、何たる末路。
まさか、この[十三絵札]が一人“ランスロットの座”たる蔣光清が。
ここまで念入りに準備を整え策を重ね鹵獲した魔動兵器さえ利用し、万全の姿勢で挑んでおきながら。
(同士討ちが精々とは、情けないにも程がある)
実のところ双翼を揃えて地中の水分と養分を吸い上げ、地盤沈下を起こしたのは計算した上での挙動であった。
魔動兵器クラヴィウスを搭載した六匹の蛇がああも容易く処理されてしまった以上、真っ向勝負で勝ち目はない。
残された手段は不意打ち。それも広域索敵魔術では即座に察知できない方法で、高速移動でも咄嗟に避けられない類のものが必要となる。
そのために使うべきもの。
これまで手のひらしか使ってこなかった【フォレストキング】の両腕、その関節部分。
それこそが蔣光清にとって最後の切り札であった。
左右の手首と肘にそれぞれ備わっている関節は、単なる可動域として存在しているわけではない。
外部を鎧として覆うものと異なり、内部にある柔らかな樹木が急激に成長することで両腕の長さを延長できるのだ。
ただし一度伸ばせば縮めることができず、不意打ちで使うとなれば単発の暗器として運用する形となる。
加えて大きさと重量の関係でそこまで速度も望めない。
【アロガントロビン】による高速移動ができる圭介なら、目視してからでも容易に避けられるだろう。
だからこそ、背中で両翼を揃える必要があった。
「【行く当ても定まらないまま 柵を跨いだ羊の群れよ 呆然と眺める私を置き去りに どうか自由を知って欲しい】」
現在無数の枝葉で展開している魔術円は植物操作魔術ではなく、誰でも使用できる第六魔術位階【アクセル】。
これから伸びる両腕の速度を、無数に重ねがけした加速術式で向上させる。
それを踏まえて、あたかも悪あがきのような体裁で両腕を圭介に向けてかざした。
ただ潰すために伸ばした手であれば届かない距離だが、相手は光清が地盤沈下の可能性すら考慮できないほど錯乱していると誤認しているはず。
ここからより狡猾な策を打っているなどとは予想もすまい。
フェルディナントほどの速度は出せないにしても、ここから弾丸の如き速さで巨大な両手が迫れば判断が一瞬ばかり遅れるはず。
(手の大きさと彼の反応速度及び移動可能な範囲は既に割り出している。この距離ならどれほど正確に避けようとしたところで、重要な臓器を肉と骨ごと圧砕するまでは可能なはず……!)
代わりに防御と回避は完全に捨てる形となるが、もはやそれで構わなかった。
東郷圭介は手強い。今後[デクレアラーズ]が進める、ありとあらゆる計画を阻害するであろうほどに。
そんな存在をこの場で自身と引き換えに抹殺できるのなら、理想社会の実現に向けて心血を注いできた身としては本望だ。
(攻撃する瞬間を狙えば、振り下ろした体勢からすぐに回避には移れない)
死ぬと決めてしまえば確実な一手を打つため冷静にもなれる。
先ほどまでの激情は自分でも驚くほど鎮まり、相手の動きを観察することに集中できた。
いかにグリモアーツが強化されたと言えども、体に回る毒で弱っている。
早期決着を望んでいる彼は今すぐにでも“アクチュアリティトレイター”を振り下ろすだろう。
即ち、どちらも残された時間が多くないということ。
それは己の死を受け入れて相打ちへと向かう光清にとって、事実上の勝利を意味していた。
(わかりますよ。いかに魔力の運用効率と循環効率が上がったとしても、肉体は既に限界でしょう)
圭介が振りかざした両腕を動かしたのと、十重二十重に関節へと伝達していく【アクセル】の術式が手首に到達したのはほぼ同時。
今だ。
そう確信し、十本の指を限界まで伸ばした両手を合わせる。
(我らが道化。ヘイスさん。皆さんが作り上げる理想社会にご一緒できず、誠に申し訳なく思います)
だがこれで東郷圭介の快進撃はここまでだ。
残された人員の配置と役割はアイリスが改めて決定するはず。
これこそがあの日救われた自分の役目なのだと信じ、
目を焼く白い輝きの先に樹木で出来た両手を伸ばし、
敗北と勝利と自身の終焉を同時に確信したところで、
伸ばそうとした関節に何かが詰まっているのを感じた。
「あ?」
それが念動力魔術であるはずはない。
圭介はその部位が伸びると知らない上に、念動力による索敵と干渉を遮断するべく内部を外殻で覆い隠してきたのだから。
ただそれは逆に言えば、覆っている部分が完全に闇に包み込まれているということ。
そしてこの戦場には極めて微弱ながらも、闇でこそ本領を発揮する魔術を使う者がいた。
「あ?」
植物を伸ばそうとする動きを阻害していたのは、関節の隙間から溢れ出る無数の【シャドウナイツ】だった。
マナを栄養素として生きる妖精の一種、スペクターが術式の根幹にいるせいか魔力を吸収して消滅させることができない。
そのせいで無数に溢れる漆黒の人型が植物同士の僅かな隙間を埋め尽くし、加速など関係なくなるほどに可動域を抑え込んでいる。
それでも馬力が違うのだから結局腕は伸びるのだが、生じたほんの少しの遅れはこの状況において致命的と言わざるを得なかった。
「あ?」
一瞬だけ視線を移す。
まだ残っている、かろうじて崩れずにいる建物の屋上。
仮面を被った男が光清に、【フォレストキング】に向けて震える手を伸ばしている。
かつてアガルタ王国のアーヴィング国立騎士団学校に通っていて、今はこのンジンカで加工所の作業員として雇われている少年。
世界の改革を成し、理想社会を実現すべく動く[デクレアラーズ]が最高幹部[十三絵札]の一人たる光清からしてみればあまりにも矮小な存在。
ウォルト・ジェレマイアが、この最終局面で動いた。
「あ」
そうして今度こそ本当に確信する。
己の死を。
己の敗北を。
この戦いの終わりを。
やがて無数の植物が絡み合う空間に太陽ならざる光が溢れ出しそして――




