第十一話 シャワールームにて
「んんあ」
奇妙な声を上げながら、圭介は意識を取り戻した。
目を開けて最初に見えたのはターポリン製の白い天幕。
橙色に染まっていることから現在の時刻が夕方であると推察される。柔らかな印象を抱かせる壁が風を受けて揺れる様からテントの中だろうと予測がついたものの、どうにも現状に至るまでの記憶が前後揃って曖昧な状態だった。
(ここどこだよ……)
体を起こして周囲を見渡す。
中は予想していた以上に広く、圭介以外にも六人か七人は横になれそうなスペースが確保されている。実際に誰か寝ていたのか毛布も敷かれていた。
(えっと? 確かピエロ付属の蟹と戦おうとして……何だこの記憶)
一応は事実なのだが、理解不能な物体の記憶が追想を邪魔する。
それでも絞り出した映像の継ぎ接ぎを眺めている内に自分が倒れた瞬間を思い出した。
ゴブリンを使役する謎の蟹を“デンジャラスフリーフォール”で破壊し、圭介は倒れた。日本に生まれ育った身ながらも魔術に触れ続けてきた影響で、あの感覚こそが魔力切れによるものであると理解できる。
となればここは倒れた生徒を一時的に寝かせておく目的で設けられたスペースか、と察し始めた辺りでテントの中に誰かが入ってきた。
「おう、やっとこさ目ェ覚ましたかい。他の連中はとっくに起きてんぞ」
外から漏れる夕日の光を背にしているせいで顔は見えないが、特徴的なシルエットと声でモンタギューだとわかった。
「モンタ君。今何時?」
「夕方五時。あんた六時間は寝てたぜ。今夜は不眠症だな」
「うわマジか。明日バイトなのに体調大丈夫かな……」
具体的な時間を示されると同時に頭の中がすっきりとしていることに気付く。まるで散らかった脳内の部屋が整理整頓されたかのような快調ぶりであった。
「とりあえず皆は今どこにいんの? 僕もそっち行った方がいいよね」
「合同クエスト自体が中止になって今じゃほとんどの生徒が帰っちまったよ。残ってんのは常駐騎士団が編成した調査隊とあんたのお仲間、後は学校関係者とお姫様くらいなもんだ」
「うげ、なんで帰ってないのあの人。王族なんだから危険な場所からは離れるべきでしょ」
「王女相手にそのリアクション取れるのあんたくらいだろうな」
モンタギューは浅く溜息を吐くと、
「落ち着いてからでいいから話がしたいんだとさ。俺も正直帰りてェんだがよ、どうやら学年じゃ一番オカルトに詳しいってだけの理由で話し合いに組み込まれちまったらしい。ったく難儀なこった」
言いつつ腰に手を伸ばしてすぐに引っ込める。切なげな表情から察するに野菜スティックが底を尽きたのだろう。
「他のパーティメンバーは小等部のガキどもが作った飯でも食ってる頃合いだろうよ。俺らもとっとと行こうや、腹減ってかなわん」
「そだね。んで小等部の子達は何作ったの?」
「ベンガラライスだとさ」
「何それ聞いたことない食べ物なんですけど」
「客人の世界には存在しないらしいな、ベンガラライス。ってか食える弁柄がないらしいが」
「弁柄に食えるも食えないも……いやもしかしたら僕が知らないだけで食べられるのもあるのかな。自信なくなってきた」
顔料、あるいは研磨剤として用いられる弁柄が食用にも適しているという不思議に久しく異世界を感じた圭介だった。
「ああそれとケースケ、あんたが蟹を地面に叩きつけた時だけどな」
「うん」
「鋏に絡みつかせてた俺のグリモアーツがあの時の衝撃でイカれちまったんだわ。弁償しろたぁ言わねえから今度アレ奢れよ、あの高い野菜スティック」
「うーわマジで。ごめん、アレでしょあのミドリノサラを蜂蜜で固めたやつ。いいけど一度にたくさんはダメだよ、ウサギはあんま糖分摂取しちゃいけないんだから」
「わーってるよ、いいから奢れ」
雑談を交わしつつテントを出ると、適度な暗さに慣れた圭介の目を夕映えが射抜く。
異世界でも変わらず美しい景色を見ている間、少しだけ空腹と疲労を忘れることができた。
* * * * * *
アドラステア山の敷地内には享楽を目的としたキャンプ場も存在する。
バーベキュー用の鉄板や網、トングといった道具に屋根付きの調理場。事前に予約する事で宿泊できるバンガローは虫の多さから女性客には不人気だが、水を大量に使うシャワー室とトイレに限っては防虫の術式を建材にかけて衛生管理を徹底していた。
「くぁあーっ、ようやっと人心地ついたって感じだな!」
「アンタは姫様の膝枕で寝てただけでしょうが」
「うぅ、お腹空いた……お腹空いた……オナカスイタナァ……」
「やっぱさっきその辺で拾ったよくわからん茸だけじゃ食い足りなかったか」
「友達に何つーもん食わせてんの!」
そのシャワー室内にエリカ達の声が反響する。
合同クエストによる戦闘によって多量の汗をかき、泥にまみれることを前もって見越したレイチェルが山の管理者から使用許可を得たのだ。
“オーサカ・クラブ”の被害者や森林地帯を踏破した上級生なども既に帰宅してしまった今では、彼女ら以外に使う者もいない。
「しっかしまあ、ケースケ君の知名度って思ってた以上に高かったんだね。姫様だけじゃなくて犯罪者にまで知られてるなんて、ちょっと怖いよ」
「少なくとも排斥派のヤベェ組織には名前通ってんだろ。【解放】覚えたその場でヴィンス先生殺しかけるとかありゃ普通じゃねえぜ。おまけに念動力なんつーレアな術式に適性あんだから色んな勢力から引っ張りだこになるかもな」
「最初に転移した場所もそうだけど不運だなあ」
事実、彼女らが話している以上に東郷圭介という名前はアガルタ王国の裏社会全体に広まっていた。
生徒という身近な立場からでは自覚しづらいものの、彼女らが通っているのは国立騎士団学校という名門校に分類される有名な教育機関である。
そんな枠組みの中に特定の生徒を対象とした暗殺を目的として侵入したヴィンス・アスクウィスは、知名度は低く組織からの信頼は厚い凄腕の殺し屋だった。下手に名を広めず上部からの信頼だけを勝ち取っていることこそ、凄腕としての何よりの証左である。
同時にそんな彼が所属しているという過激派組織もまた、それだけで指折りの巨大組織であることは想像に難くない。
結果としてあらゆる暗部組織がアーヴィング国立騎士団学校への手出しを抑制されていたのは皮肉な話である。
だがヴィンスは敗れた。それも【解放】を会得して間もない客人の少年に。
世間の表側も有名校の不祥事と尖った才覚を有する客人の誕生に多少騒いだが、闇の世界はそれ以上にしっちゃかめっちゃかな混沌に見舞われた。
客人が【解放】を覚えると同時に何らかの大規模な偉業ないし暴挙に及ぶ例は過去にも存在した。問題はその事例に該当する客人が例外なく他の客人と比較しても強力無比な能力を有しているという統計結果にある。
ただでさえ『大陸洗浄』の恐怖を想起させられた彼らを更に絶望させたのが、圭介の扱う【テレキネシス】の存在だった。
二千万分の三十。0.0000015%の脅威。
とある一人の客人を思い起こさせるその適性に『大陸洗浄』での最前線経験者は大いに狼狽し使い物にならず、その脅威を知らない者達はあまりの希少性に対策を練ることも儘ならず立ち尽くす。
ヴィンスのように優れた殺し屋が敗北したとあっては下手に優秀な人材を差し向けても貴重な人材を失う悪手に繋がりかねないため、迂闊に暗殺も計画できない。
今回彼女らの前に現れたマティアスなどはまだ堂々と犯罪行為をやってのけるだけ余裕がある方である。大半の犯罪組織や排斥派は遠巻きに圭介の動向を見つめるのがやっとという惨状だった。
「リアルな話、どうよ? ミアちゃんだったらアイツに勝てそうか?」
「ケースケ君自身は経験も浅いし、今なら格闘技術でゴリ押せば余裕だと思う。でもヴィンス先生みたいに動きを制限された状態で拘束されちゃうとどうかなあ。そうならないように立ち回る必要があるよね」
「私なら片っ端から動かそうとした物を斬っちゃうから、後は泥臭く白兵戦かな。あの重そうな武器を爪楊枝みたいに振り回す相手と鍔迫り合いはしたくないけど。ただ振り回すだけなら【鉄地蔵】でちょっとは防げるから避けるまでもないね」
「あたしはどうだろ。手数じゃこっちは二十八発までの有数、あっちは集中力さえ維持できりゃあ無制限。おまけに弾の動きを制限された日には素手で相手するようなもんだし」
「あーアンタは勝てないわ確かに。相性悪すぎ」
逆に近い距離にいる三人は圭介を然程危険視していない。
友好的な関係を築いたことによる油断ではなく、ヴィンスとの戦闘で圭介が見せた小細工めいて厄介なセンスとスタイルから対抗策を推測する機会を得たのが大きい。圭介は彼女らの認識として『少なくとも三人がかりなら勝てる相手』だった。
これは敵対した際のシミュレーションというわけではなく、日頃からクエストなどを通してモンスターと戦いつつ学校では戦闘における知識を学び続けてきた結果として獲得した思考癖である。
ある意味でモンスターという脅威が日常に存在するこの異世界特有の、職業病ならぬ異世界病と言えるかもしれない。
「んで、結局アンタ私達が倒れてる間に何かやってたの? 片付けの邪魔とかしてないでしょうね」
「森ん中でゴブリンの生き残りを探してたぜ。……それでな、これまたえげつねぇ発見があったんだわ」
「何それ、聞きたいような聞きたくないような」
神妙な表情になったエリカがようやく洗い終えた長い金髪を絞って水気を抜きつつ語り始める。
「森の中にも数匹だけゴブリンの死体が残ってたんだが、ウチの生徒に殺られたって死に方じゃなかった。一緒に来てた解剖学に詳しい騎士団の人が言ってたけど、アイツら揃って栄養失調で衰弱してる状態で死んでたみてぇでよ」
「栄養失調? あれだけたくさんいたなら何かしら都合の良い餌場があると思うんだけど……ってまさか」
一度は首を傾げたミアが、嫌な確信の感触を得た。
「おう、あのマティアスって野郎がゴブリンの頭に機械仕込んでラジコンみてーに操ってたらしくてな。不眠不休で最低限の餌だけで食いつながせて、さんざっぱら使い倒した挙句にあの蟹っぽい機械がぶっ壊れたら制御下にあるゴブリンの脳味噌も一緒に焼き切れるように細工してたらしいんだわ」
「……それでか。いくらモンスター相手とはいえ、ちょっとね」
「流石に騎士団長のおっちゃんもドン引きしてたな。あたしも引いた」
ビーレフェルト全体に言える一つの共通事項として、各国が定める倫理規定はモンスターを対象としていない。
元より倫理規定によって護るべき国民が、モンスターの存在を脅威としているので当然と言えば当然ではある。
しかしそれによって『モンスター相手に何をしても咎められない』という野蛮な発想が、一部の冒険者や異常性癖の持ち主の間で横行しているのも悩ましい現状なのだ。
特にゴブリンはあらゆるモンスターの中でも繁殖力が高い代わりに全体の中では弱い部類に入る為、戯れに拷問したり残虐な殺害方法を試す狼藉者が後を絶たない。
そして今回のマティアスの行いは、そういった蛮行の中でも『機械の部品として扱う』という特に悪質なものだった。
「ま、後は騎士団が片付けるさ。結局例のオカルトにもあの変態野郎が一枚噛んでるってわかったし、あたしらがやるべきこたやった。後は姫様に事後報告して飯食って帰って寝ちまおうぜ」
「……ん、そだね」
「お腹空いたっつってんでしょどうして二人ともぐずぐずしてんの斬られたいの」
「落ち着けサイコエルフ」
ともあれクエストは終了。必要な情報は得たのだから、これ以上フィオナともマティアスとも関わる必要性はあるまい。
この時は誰もが、そう思っていた。




