第二十六話 殺す
「マジで? マジでこれでいけるのか?」
『決して無理な作戦ではないかと』
「言うて【シャドウナイツ】の柔軟性頼りなとこあるけどね」
「怖い……この非常事態で思ったより責任重大っぽいのが本当に怖い……」
圭介、ウォルト、アズマら二人と一羽は今、【シャドウナイツ】が形成する三段重ねの台の上に立っていた。
複数人で円陣を組み、それぞれの両肩や背中を足場として上に別の円陣を組ませる。
組体操においてタワーと呼ばれる陣形である。今はまだ全ての【シャドウナイツ】が体を折り曲げており、名称通りの外観にはなっていない。
圭介が提案したのは、空中を一定以上の速度で滑空しながら加工所に向かうというシンプル極まりないもの。
光清が作り出した【ウッドゴーレム】は巨躯と怪力こそ脅威的だが、速度に関して言えばそこまででもない。
だが地上で高速移動しようとしても黒い種子に魔力を吸われ、充分な動きができないことは先ほど証明済みだ。
なので妖精を使用している関係上魔力が吸収されにくい【シャドウナイツ】を足場として種が存在しない空中まで上がり、そのまま即座に加工所へと飛んで移動するのが最適と圭介は判断した。
しゃがみ込んだ状態から一気に全ての【シャドウナイツ】が立ち上がれば、最上段にいる圭介らは高く跳躍できるだろう。
ただし【ウッドゴーレム】が愚鈍とはいえ、数が多い上に囲まれている状態。しかも地上は植物に覆われてほとんど蔣の支配下にある。
極めて単純な作戦だからこそ不確定要素が介入する余地は大きく、それでいて失敗は許されない。
「つーわけでスピード勝負ですよ先輩。一度吹っ飛べば後は僕の【サイコキネシス】で補助できるんで、大船に乗ったつもりで……あ、いや先輩のお父さんの稼業がどうこうとかじゃなくてですね」
『確か造船業でしたね。頭に元がつきますが』
「変な気遣いやめろ余計に惨めだから! 若干余裕あるだろお前!」
圭介の発言に夢中で反応する中で、体力は消耗したものの精神的に落ち着くことができたらしい。
深呼吸をしつつもウォルトが仮面に指を這わせて加工所の方角に向き直った。
「はあ、もう……じゃあいくぞ」
「はい」
足場としている黒い人型の群れが、より地面に向けて体を縮ませるのがわかる。
次いで、地響き。
「んなッ……」
「大丈夫です、僕がどうにかします! でも長くは持たないんで!」
「わ、わかった!」
光清が操る植物の根が地中から【シャドウナイツ】の陣形を崩しにかかっているのだろう。
だが、崩させない。
黒い種子が遠ざかったことで多少は魔術を行使する余裕ができた。
圭介は普段より弱体化している【サイコキネシス】を薄っすらと地面に被せ、覆った領域を強引に抑え込む。
コンクリートに覆われた地面に亀裂が走るも、それ以上の動きはなかった。
そしてその隙に、ウォルトが仮面に漆黒の魔力を迸らせる。
「舌噛むなよ! 今度こそ行くぞ!」
合図の後は返事も待たず、全ての【シャドウナイツ】が斜め上へと全身を伸ばした。
人体と比較して硬いだけでなく柔軟性も備える影の人型は、二人と一羽の体を地上から二〇メートル近くまで飛ばす。
空中で今度こそ完全に魔力の吸収から免れた圭介が念動力で自身とウォルト、それから“アクチュアリティトレイター”とともに加工所目掛けて急降下する。
「うおおおおおおお!!」
さながら絶叫マシーンに乗ったかのような臓腑と肌を震わせる感覚。
死と隣り合わせとなるこの状況下、漏れ出た悲鳴は圭介とウォルトどちらのものか。
地上のあらゆる角度から細かな何かが飛来するも、【ベッドルーム】でそれらの動きを感知してからすぐさま回避に専念する形でやり過ごした。
下手に迎撃しても減速してしまう。今は目的地に辿り着く以外にすべき事などない。
「【焦熱を此処に】!」
地上に到達する数秒前、圭介が【トーチ】で生じさせた小さな火を【パイロキネシス】で増幅させる。
加工所の出入り口付近に炎の帯を躍らせて、周囲にある植物と魔力を吸う黒い種子の悉くを焼き払った。
二人の体を【サイコキネシス】のクッションが受け止め、無事に建物の出入り口前で着地する。
当然これで無事に、とはならない。
『急いでください。施設が破壊されればその時点で勝ち目がなくなります』
「あいよ!」
最悪の場合、加工所ごと【ウッドゴーレム】などによって破壊される未来もあり得る。
何度か見てきた建物の外観は、今のところどこも破壊されていない。ただし内部まで無事とも限らないのだ。
圭介らが緊急時だからとドアを破砕して中に入り、下り階段を目指す。
地下へと向かって走る中、最初に覚えたのは強烈な違和感。
「なんか静かですね……」
「お、おう。言われてみれば……」
エントランスを抜けて廊下を駆け抜ける中、加工所の設備は空調一つ動いていないことに気付いた。
加えて人の声も動きもない。いくら早朝と言えども話し声、どころか足音の一つすら聞こえないのは不気味極まりない。
「普段このくらいの時間になれば、何人か着替えに来てたりするもんなんだけどな。所長とか誰よりも早く来てる、し……」
言いながら不安になってきたらしく、徐々に声は小さくなる。
圭介も状況が状況なだけに、普段と異なるという事実の重みは理解できた。
考えてみれば一晩で団地全体を樹海に変えてしまえる相手だ。
既に加工所を襲撃し、圭介らを誘導するため外観だけ無傷の状態で残している可能性も充分にあり得る。
だが、立ち止まるのも罠にかけられるのと同様に危険と言えた。
どちらにしても圭介らは、グリモアーツの強化を実行すべく進み続ける以外にない。
資料室や会議室がある通路を走り、オリハルコンの貯蔵庫を通り過ぎたところで二人の足が止まる。
作業着を着ている誰かが一人、地下へと続く階段の前で背を向けたまま立っていた。
「……所長?」
ウォルトが声をかけて、初めて圭介はそれが作業着を着ている状態の所長であると認識した。
それを所長と断定できなかったのは、より精密な索敵を実行できるようになったから。
目の前にいる人間のような背中からは、人間にあって当然の、呼吸による振動が感じられない。
「え、でも何か……」
「いやあの黄色い線が入ってる作業着は所長のだよ。あの、大丈夫っすか!? ていうか外の騒ぎ知ってます!?」
声をかけながらウォルトが早歩きで所長へと近づく。
そんな彼と異なり圭介は、今まで隣りに浮かせていた“アクチュアリティトレイター”の柄を握った。
「[デクレアラーズ]ですよ! あそこの[十三絵札]とかいうヤバい客人が団地壊したりしてて今外ヤバいことに……」
「ウォルト先輩、下がって!」
「うぇっ」
背後からの【サイコキネシス】で引っ張られ、ウォルトの体が圭介の方へと引き寄せられる。
一瞬を経て、近づいていた彼のいた空間が帯状に揺らめく三本の刃で切り裂かれた。
圭介がいなければウォルトは今頃複数の肉塊に姿を変えていただろう。
「は……?」
躍る刃の正体は、彼が所長と呼んだそれが振り返ったことで判明した。
衣服を着た人骨に纏わりつく黄緑色の蔓。その中で左目、右手、腹部からそれぞれ伸びる赤黒く鋭い葉が刃として変幻自在に動いている。
人間に寄生して得た水分と養分を活発な動きに変え、次なる栄養となる人間を求める怪物。
寄生樹と呼ばれるそれが、かつてンジンカ加工所の所長、ダニー・ムーニーと呼ばれた体を操縦して二人の前に立ちはだかった。
「所、長…………」
「あの野郎!」
逡巡より速く振り下ろされた“アクチュアリティトレイター”が、眼前の寄生樹を床面に激しく殴りつける。
「クソどもが、ついにここまで堕ちたか!」
轟音を伴う衝撃で床が罅割れ窪み、攻撃をまともに受けたダニーの頭部が砕かれた。
が、寄生樹は頭脳で動いているわけではない。
頭部とは異なる部位、右手から伸びる鋭い葉が圭介に向かって伸びる。
伸縮自在というわけでもあるまい。だが圭介は既にその攻撃の範囲内まで踏み込んでいた。
「人間」
その葉を【テレキネシス】によって抜いたクロネッカーの刃で真っ向から裂き、
「舐めるなァ!」
螺旋状に渦巻く念動力【スパイラルピック】で胴体を叩き潰す。
頭部と腹部から伸びる葉はこれで死に、残るは伸びてすぐに先端から根本まで縦に裂かれた右手の葉のみ。
『マスター、そこまでで結構です』
ならば最後は右手にも一撃を、と目線を移動させた圭介にアズマが語りかけた。
「え……?」
『寄生樹は宿主の肉体を支配下に置く過程で、その宿主が持つ栄養の大部分を消耗します。先の局所的な急成長、そしてこれだけの損傷を受けた時点で戦う余力など残されていないでしょう』
言葉を肯定するかのように、先ほどまで動き回っていた寄生樹が動きを完全に止めている。
結果として目の前に残されたのは、敵ではなく知人の亡骸。
攻撃などする理由もない。
「そう、か」
抜き放ってからそのまま宙に浮いていたクロネッカーを【テレキネシス】で腰から提げた鞘へと戻し、構えを解く。
「……なんで?」
ウォルトがようやく声を出せたのもそれと同時だった。
「だって[デクレアラーズ]って、そりゃ大陸中で暴れ回っちゃいるけどよ。悪人しか殺さないんじゃ、なかったのか……?」
「あいつらが殺すのは悪人じゃありません。あいつらの物差しで社会にいらないと思った相手全員です」
戦いが終わっても柄を強く握り続ける。
努めて冷静になろうとすればするほど、怒りと悲しみは手に加わる力へと変換されていくようだった。
「だから奴らは計画を邪魔する誰かがいれば善人だろうと殺しますよ。そんで見てもらった通り、手段は選ばない」
「反吐が出る」
「僕もです。ある程度は連中のやらかしに慣れたって言っても、ここまでなりふり構わないのは初めて見た」
仮面の先でウォルトがどのような顔をしているのかは見えない。
見えないが、きっと見えても表情から何かを読み取れるような、そんな単純な顔つきはしていないだろうと察せられた。
「何もこの人を殺さなくても良かっただろうに。殺すにしてもこの人は勘弁してほしかった」
ただ声色に滲む。
業務上の不都合とは別の何か、彼がダニー・ムーニーという人物に抱いていた感情が。
「……俺、退学してこっち来て仕事探してた頃にさ。俺を落とすと最初から決めてやがったクソ面接官に、そんなに仕事欲しけりゃンジンカにでも行けって言われてよ」
しゃがみ込み、所長の作業着にそっと触れる。その行為に意味などないと知りながらも。
「ほとんど妥協でここの面接受けに行ったんだ。つってもこの業界は万年人手不足で、面接はこの人が直接やってくれた。俺の身の上を聞いてもその場で雇ってもらえたのはホッとしたなぁ」
漆黒の魔力がウォルトを中心にゆらりと立ち上り、数体の【シャドウナイツ】へと姿を変える。
それらは植物に侵された死体を仰向けに起こし、通路の端まで運ぶとゆっくり下ろした。
「それで俺、ケースケに言うのは情けない話だけどさ、所長に許されてから初めてお前に悪いことしたって思ったんだ」
『所長との出逢いが貴方にとって大変な経験となったわけですね』
「ああ。普通は怒られて反省するもんなのかもしれないけどな」
あれほどまでに圭介に対する態度が軟化していた理由は、他者から許容された経験にあったのだとウォルトは言う。
圭介から見ても決してわからない話ではない。
実の父親からは暴力を振るわれ、優しい先生として知られていたヴィンスには足を潰された。
そんな彼にとって全てを知った上で働き口を用意してくれた所長は、人生で最初に彼を救ってくれた恩人とでも言うべき存在だったのだろう。
もちろんヴィンスに裏切られた経験を持つ彼が所長を信頼するまでにも、それ相応の積み重ねがあったはずだ。
言い換えれば心を開くまでずっと、今の信頼に繋がるほどのやり取りが交わされたのだ。
それを彼は今日、あまりにも唐突に奪われた。
「ケースケ」
「はい」
「地下、行こう。設備が無事だといいんだけどな」
「……っすね」
圭介にとってそれは、極めて珍しいことだった。
何となれば初めてかもしれないほどに。
極めて冷静な状態で。
迷いなど微塵も無く。
平常心を保ったまま。
殺す。
そう、心から決めたのは。




