第二十四話 一日之長
充分に警戒していた、と思っていた。
だが現実はこれだ。せっかく会得した【アロガントロビン】の高速移動は阻害され、高熱を伴う大規模な攻撃は全て自爆に繋がっている。
どころか他の魔術も魔力を吸収されるため意味を為さず、せめて体一つで逃げようにも酸素中毒で動かない。
フェルディナントと異なり蔣光清という客人は山を崩す必要などなく、ただ相手に合わせて植物を操るだけで勝利できる。
「めちゃくちゃ、じゃんかよ……!」
「…………ん?」
光清が反応を示したのは圭介の動きではなく、操る植物の変化。
魔力を喰らい成長する種が次々と蔓を伸ばしてはやがて枯れ落ちていく。
第零魔術位階【オールマイティドミネーター】。
大気中のマナを操ることで事実上無尽蔵の魔力を得られる。それがこれまでの使い道だった。
だが今の圭介は用途を変更し、周囲のマナをひたすら自分の体というフィルターに通して魔力に変換。
そうして変換した魔力を周辺にある種子にひたすら注入し、自分が酸素で喘いでいるように植物を魔力過多で衰弱させる。
結果、少しだが魔術を使いやすくなった。
「あ、まだ粘るおつもりですか」
「そりゃあ、そうだろ……誰が負けるかい」
強がってはみたものの、酸素に蝕まれた体の状態は深刻だ。
レオの【フリーリィバンテージ】から供給される回復魔術の効率も落ちてきている。
とはいえシプカブロガを襲撃しているのもまた[十三絵札]が一人、“ラハイアの座”。遠距離から無理をしてくれている彼を責めるつもりなど圭介にもない。
「随分と無理をされているようですけどね」
だから全身に纏った【コットンフィールド】を使って肉体をある程度持ち上げながら立ち上がったのだが、当然それは光清にも看破されていた。
周囲の酸素を【エアロキネシス】で拡散しても、それで体が負ったダメージは消えない。
状況は未だ圧倒的不利。
せめて互角にまで持ち込まなければ間違いなく殺される。
まだ普段より少し重い“アクチュアリティトレイター”の柄を持ち直したところで、索敵範囲を大幅に削られた【ベッドルーム】が何かの動きを背後に捉えた。
「っ、何――づぁっ!」
飛来するそれらのほとんどを回避できたのは、索敵の精度に加えてこれまで踏んできた場数の恩恵もあろう。
それでも全ては避けきれない。
圭介の左肩と左大腿にそれぞれ二枚ずつ刺さったそれは、刃のように鋭い葉だった。
しかも抜けにくいよう返しとなる鋸歯がついている。無策で抜けば傷口が拡がり、破傷風などの二次的被害にも繋がるだろう。
「あ、もしかして“アイン・ソフ・オウル”を振らなきゃ植物を操れないとでも思ってます? 既に出現しているものならある程度は勝手が利きますよ」
呆れた様子で光清が右手に持った扇、グリモアーツ“アイン・ソフ・オウル”を掲げる。
「それはそれとしてこっちも使いますがね」
光清の背後に展開された無数の魔術円から、今度は地下やここまでの道のりでも見た黒い根が何本も出現した。
ひたすら頑強にして燃やすにしても相当な威力を要する厄介な植物。
その先端が圭介たった一人に向けて突き進む。
先ほどまでの圭介であればどうにか対処できたそれらも、負傷した上に迂闊に炎を使えない今の圭介には難敵だった。
「くそっ、何で出来てんだその木!」
「樹皮に多くの炭素を含んでいるだけですよ。燃えにくいし硬くなるので戦闘以外の面でも大変至便です」
「説明ありがとう何してくれてんだコイツ!」
多少は取り戻した高速移動で次々と繰り出される刺突を避けるも、具体的な突破口が見えない。
試しに伸びてきた根の一本に【スパイラルピック】を当ててみた。
だがフェルディナントの体を破壊した一撃も黒い根が相手では、少しひしゃげさせる程度が関の山だ。
(考え方を変えろ……!)
同時に圭介は連撃を避ける中で、一つの解を得る。
植物はあくまでも光清の武器でしかない。
言い換えれば、勝つべき相手は植物ではなく光清なのだ。
(剣持ってる相手と戦うとして、まず相手の剣を折ろうとはならない! 植物は一旦無視して光清本体を叩く!)
一斉に根が圭介を突き刺さんと伸びた瞬間、体を地面に接するかどうかという低い位置まで下げて【エアロキネシス】で滑空する。
土から生える雑草すら前進する体に細かな傷をつけたが、それに構ってもいられなかった。
まずは相手にも負傷してもらう。
それでも環境全体が敵の支配下にある以上不利には変わりないが、少しでも互角に近づけるのが最優先課題だ。
伸びきった木の根は即座に向きを変えられない。炎を伴わない物理攻撃ならアエギカゼの実も関係ない。
魔術云々を別として“アクチュアリティトレイター”は巨大な金属板という質量が強みだ。
それを思いきり叩きつければ、無傷で済むはずもないのだから。
そんな妥当な判断を、視覚情報が払った。
(表情、が)
猛攻を潜り抜けられ懐に入られた時の顔ではない。
光清はどこまでも静かに、退屈そうな無表情を崩さず目前に迫る脅威を見据えている。
培った経験が全身を震わせて叫ぶ。
(危険だ)
加速。
前方ではなく光清から見て左側に向けて。
それに一瞬だけ遅れ、ズドンと大きな音が響いた。
彼の右手から“アイン・ソフ・オウル”ではない何かが、若苗色の砲撃を放ったのである。
着弾地点は大きく抉れ、穴の縁から外に向けて亀裂を走らせている。
「あ、まだ冷静ですね。手間取るなあ今回の仕事」
硝煙のような魔力の残滓を上げるのは、“アイン・ソフ・オウル”を持つ右手側の袖。
やけにサイズの大きな上着を着ていると思ったが、どうやら何かを仕込んでいたらしい。
「あ、ちなみにこれは最近[色無き御旗]から鹵獲したデデキントという単発式砲撃用魔道具です。周囲から無差別に魔力を吸収して内蔵された機構で砲弾を生成するんですが、何分使えるのが一つにつき一回限りと残念な性能でしてね」
興味なさげに袖から引き抜いた無機質な銀色の筒を投げ捨て、また右腕を揺らしながら何らかの調整を済ませる。
単発と言えど魔動兵器に匹敵する威力の魔道具を、彼は衣服に暗器として隠し持っていたのだ。
この時点で近距離戦闘まで簡単に仕掛けられなくなってしまった。
「それっ」
「ぐ、ああああ!!」
次にどう動くべきか咄嗟に判断できない圭介に、光清が再度黒い種子の弾幕をぶつける。
今度はろくに防御態勢も整えられていなかったため、体を【コットンフィールド】で覆っているとはいえまともに攻撃を受けてしまった。
それだけではない。
また、あの魔力を吸収する種子が圭介の周りにばら撒かれている。
「あ、さっき魔力喰らいの種子を無力化するためにわざわざ魔力を周囲に放出したでしょう? その調子でどんどん同じことをしてください。都度これを撃てるようになるので助かります」
デデキントなる魔道具が残りいくつあるのかまではわからない。
それでもわかるのは、黒い種子への対策として魔力を放出すればまた撃たれるという残酷な現実だった。
「……当たり前だけど、強いな」
「強さに関して言えば貴方も他人をとやかく言えませんでしょう。ただ我々[十三絵札]はその多くが人間の寿命を越えて活動している都合上、どうしても老獪です。例えば」
言いながら今度は左手側の袖から銀色の筒を取り出す。
二つ目のデデキントが内部に若苗色の光を宿しながら、圭介に砲門を向けた。
「既に一発分の魔力が装填されたものを別個に用意しているなど」
「――ッ」
それに加えて蔣の背後には方向転換を終えた木の根が黒光りしながら先端を向け、右手の“アイン・ソフ・オウル”が展開した魔術円からはまたもアエギカゼの実がゴロゴロと転がり出ている。
絶望の条件が揃った。
砲撃自体は直線的で一発までなら素の身体能力でも避けられる。
だが魔術を用いず動いた場合、今度は根の動きに対応できない。
そして根に対処するべく魔術を使えば、種に魔力を吸われて結局死ぬ。
だからと種を無効化する動きをすれば第二第三の砲撃が連射される。
ならば二度目はもっと深く懐に飛び込めば、ともならない。
足元に転がるアエギカゼの実が二度目の酸素中毒をもたらすためだ。
つまり圭介は今、死に方を選ぶ段階にまで追い詰められているということ。
「勝てないじゃん」
「あ、はい。時間かかりましたがご理解いただけて助かります」
老獪、と自分で言うだけの実力が相手にはある。
あらゆる自然現象を再現し、自在に操る念動力魔術。
同系統の魔術を圭介以上に使いこなすカレンの修行を経て、より強力な形へと昇華できたはずだった。
だがここへ来て至極当然の理屈に衝突する。
同じく応用の幅が広い魔術を使い、圭介より遥かに長い期間その魔術を研鑽し続けてきた相手には勝てないのだと。
「ご納得できたようなので」
会話は終わり、蹂躙が始まる。
振るわれる“アイン・ソフ・オウル”と展開された魔術円を前に、次の行動が咄嗟に思い浮かばない。
「さようなら」
魔術円から出現した巨大な紫色の花と、そこから噴出する霧状の魔力。
思わず鼻と口を押さえて後ろに下がろうとするも、いつもの癖で引っ張った“アクチュアリティトレイター”の重みに膂力が追いつかず止まってしまった。
「クソ、が」
続けていつもの癖が出る。
手で持ち上げられない重さの金属板を持ち上げるべく【テレキネシス】を発動しようとした結果、周囲の種に魔力を吸われた。
勢いよく伸びる蔓が圭介の迂闊な判断を嘲るようにゆらゆらと揺れる。
蓄積した疲労のせいで、明らかに冷静な判断ができていない。
ただでさえ数多ある選択肢を根こそぎ奪われている状態だというのに、無駄にしてはならない時間を見事に空費してしまう。
やがて意識が混濁し始めた。
(なん、で。吸って、ないの、に……)
今の圭介には、毒物が網膜から体内に侵入した可能性について考慮するだけの余裕などない。
動きの鈍った体に向けて、何本もの黒く輝く根が伸びる。
城壁すら貫通するであろう威力を持つ無数の棘が、無防備な圭介の体を穿つ。
その、直前。
「おや?」
光清の意外そうな声。
それよりわずかばかり早く、圭介の体を何者かが突き飛ばした。
「えっ……」
飛ばされた先で圭介の代わりに全身を貫かれ、バラバラに弾け飛んでいくそれには、強い既視感がある。
いつぞや見たことがあった。
大雑把な人の輪郭を有する、黒い影のような存在。
第五魔術位階【シャドウナイツ】。
ウォルト・ジェレマイアが得意とする、影を媒体として行使される妖精魔術だ。
「ま、間に合った……!」
呆気に取られる圭介の体を二体目の【シャドウナイツ】が掴み取り、そのまま背負って走り出す。
並走するのは予想通り、ウォルトであった。
「え、な、何」
「話は後だ! あのガキヤバそうだからとっととずらかるぞ!」
「うぁ、はい」
話す時間すら惜しいとばかりその場から遁走する闖入者と影の人型。
その背中を光清は特に追いかけもせず、周囲を静かに見渡すのみ。
「あ、一人相手に少々意識を割き過ぎましたね。これは失態だ」
呑気そうな声に反し、眼光は鋭く二人の背中を射抜く。
「とは言っても逃げられる状況ではありませんが」
植物を操る彼にとって、制御下にある森の中は己の臓腑も同じこと。
彼らは逃げたつもりでいながら、未だ光清と接触しているも同然の状態から脱していない。
だがウォルトの乱入により、光清から見て楽観もできなくなってしまった。
圭介ほどの実力を持つ相手となれば入念な準備は必要不可欠。
一方でそれだけの準備をした上で彼に意識を集中させれば、今回のように第三者の介入を許してしまう結果となりかねない。
「“ラハイアの座”の時間稼ぎも確実とは言えませんでしょうし、いやはや困ったものです」
一人でブツブツと言葉を紡ぐ中、光清の周辺にある草花や樹木が徐々に枯れ始める。
養分、水分、魔力。
吸収された何もかもが光清の両足へと伝わり、脚部から胴、胴から上半身全体へと術式を通して供給されていった。
「致し方ない。小細工はやめて、正面突破といきましょう」
言って、右手の“アイン・ソフ・オウル”をまたも振るう。
すると若苗色の魔術円が地面にいくつも展開され、斑模様にも似た様を描く。
外見だけが少年のまま老獪なる策を巡らせてきた彼が次の一手に選んだのは、事態のシンプルな解決方法。
「数と質量で押し通す。それがこの状況における最適解です」
そんな、原始的とさえ言えるような戦略だった。




