第二十三話 樹海の主
圭介が扱う広域索敵魔術【ベッドルーム】にはいくつか弱点がある。
一つ、密閉空間の内部にあるものを外部から捉えられない。
二つ、地中や遮蔽物越しに対して索敵精度が僅かに落ちる。
三つ、敵味方入り混じる混戦では情報処理が間に合わない。
だが最も大きく致命的にして根本的な弱点は、扱うのがただの人間に過ぎないという点であろう。
「【炎の魔物の糧となれ】ッ!」
異様な硬さを有する黒い根を【フレイムタン】で焼き払う。
もう何度目になるか。
団地中から生える樹木全てが武器を有した戦士の如く圭介に根と枝を向け、襲い来るそれらを都度こうして対処してきた。
いかに魔力が事実上の無尽蔵であろうとも、削られていく体力と集中力には明確な限界がある。
『マスター、右斜め前方の屋上に一旦着地してください』
「えっ、何!? 右、なんて!?」
『私が単独で向かいますのでついてきてください』
そう言ってアズマが圭介の頭頂部から足を離し、付近にある団地の屋上へと誘導する。
とりあえず誘導されたらしいことは察して、圭介も目で追わず【コットンフィールド】の反応を頼りに続いた。
漆黒の大蛇にも似た樹々の猛攻をすり抜けた先、ブランコと滑り台が設置されている公園のようなスペースへと着地する。
同時、すぐさま全ての角度へ意識を向けた。
が、攻撃されない。
「あいつら、一応団地を攻撃しない程度の良識はあるっぽいね……」
『とはいえこの状況を楽観的に見るべきではないでしょう。むしろ私から見てもここしか手近な安全地帯が無かったと考えると』
敵もそれを踏まえて行動する。
アズマの懸念を裏付けるが如く、数メートル先にある屋上の出入り口に設置されたドアが開いた。
「あ、どうもしばらくぶりです」
最初、あまりにも場違いな声色に避難が遅れた住人に話しかけられたのかと錯覚すらしてしまう。
「……どうも、こっちこそなんか久しぶり。ついに元凶がお出ましってわけね」
日常の延長線上にあるような、どこか気楽にすら聞こえる声。
オーバーサイズの衣服で上半身を包む一方、細い脚にそのまま合わせたような長ズボンを履く奇妙な出で立ち。
[デクレアラーズ]最高幹部[十三絵札]が一人、“ランスロットの座”蔣光清。
中性的な相貌には未だ表情と呼べるものが宿らず、無気力なまま圭介を見つめていた。
「あ、はい。今この団地に生えている全ての樹木は僕がコントロールしています。だってこのままだと圭介さんがパワーアップしちゃうんで」
「だからグリモアーツの加工どころじゃない状態にしたってわけか。汚い真似しやがってさあ」
「あ、怒りました? 別に構いませんよ。今[デクレアラーズ]では圭介さんを排除すべきと判断しているメンバーの方が圧倒的に多いですし、殺しますね」
「……嫌な話聞いちゃったなオイ」
眉間に皺が寄るのを実感しつつ、相手の意図も掴めた。
現状を見ればこれから民間人に犠牲が出ないという保障も、ここで仕掛けない理由もない。
「なら急がせてもらう!」
跳躍、からの振り上げた“アクチュアリティトレイター”による上段唐竹割り。
巨大な金属板には【スパイラルピック】の要領で【サイコキネシス】が螺旋状に巻かれている。
避けられれば移動した先に念動力の鞭を飛ばし、防がれれば力の回転によって防御を削る二段構えの二段構え。
初見で見切れる者などほぼいないであろう二撃を踏まえた一撃が、姿だけは少年の[十三絵札]に襲いかかる。
「あ、わかりました」
だから。
圭介側に非があるとすれば、そもそも「まだ団地に手出しをしていない」という間違った前提を根底に置いて動いたことだろう。
屋上の床を割って現れた巨大な樹木が、圭介と“アクチュアリティトレイター”をまとめて上に押し上げた。
「うぐっぶえ!?」
索敵の盲点たる、遮蔽物の先から繰り出される不意打ち。
罪なき民間人には手出ししないだろうという先入観とともに、圭介はまんまと光清の一撃を受けてしまった。
一瞬にして天高く人を叩き上げる速度、建物を崩壊させる威力と規模、全てが第三魔術位階には匹敵しよう。
全身に皮膜よろしく纏った念動力の鎧【コットンフィールド】が無ければ、この時点で上半身は見るも無惨な姿に変えられていたに違いない。
空中に打ち上げられたままでは二撃目が来る。
即座に【アロガントロビン】で加速し、崩壊していく建造物から離脱する。
一旦相手の動きを見るため屋上と同じ高さの中空まで降下した結果、少し遠ざかったところで光清がズボンのポケットから一枚のカードを取り出すのが見えた。
描かれているのは♣のJ、ランスロット。
『【解放】されます』
「あいよ!」
倒壊する瓦礫からいくつか大きいものを見繕い、【テレキネシス】で光清に向けて飛ばす。
常人であればグリモアーツで防御用の結界を展開したとしても結界ごと破られて肉体を潰される質量だが、[十三絵札]はそうもいかない。
止まらず伸び続ける樹木の枝葉が更に光清を包み込み、圭介の攻撃を驚異の頑強さで受け止め遮った。
「ちくしょっ!」
「【解放】」
瞬間、枝が織り成す帳の先に若苗色の光が溢れ出す。
一切の躊躇も慈悲も、そして圭介が覚悟するに充分な時間もない。
「【“アイン・ソフ・オウル”】」
光が弾けたその時、圭介は見た。
光清の手に握られているもの。フェルディナントと比べて彼のグリモアーツはひどく小さい。
同時に体積からは測り切れないほどの強大な力を宿しているのがわかる、圧倒的な存在感も認識する。
それは一見して鉄扇と呼ばれる、金属製の親骨を有する扇に見えた。
連なる十の黒い中骨を紫色の紐が付属した要で留め、赤をベースとした扇面には金色の雲が模様として無数に描かれている。
中骨の一本一本には若苗色の術式が帯状に細かく展開されており、まるで植物の蔓にも似た形で光清の袖へと潜り込んでいた。
「あ、普通に【解放】できちゃったんで僕の勝ちですね」
言うが早いか、光清が空中に躍り出てから“アイン・ソフ・オウル”と呼ばれた扇を振るう。
すると空中に魔術円が四つほど展開され、そこから何らかの種子と思しき黒い粒が無数に放たれた。
「んだ、そりゃ……!」
攻撃範囲の広さから回避は絶望的。となれば【サイコキネシス】で振り払うのが最も適した防衛手段だろう。
当たり前とばかり圭介は“アクチュアリティトレイター”を振るって念動力の障壁を作り、種の弾幕を受け止めた。
魔術同士が接触し、すぐに望ましくない結果が叩きつけられる。
種を内部から炸裂させたかのように薄い緑色の蔓が一瞬で全方向に伸び、触れた念動力はそれと同時に霧散した。
「は?」
『――第三魔術位階相当防衛術式、展開』
魔術が消失する。
そんな信じ難い事象を前に刹那ばかり硬直した圭介の前に、アズマがすぐさま飛び出して結界を展開した。
しかしその結界さえも断続的に降り注ぐ種子とそこから伸びる蔓に触れれば、徐々に削られていってしまう。
『マスター、この植物は他者の魔力を吸収する形で成長しています』
「マジか! いや、ってことは……!」
当然、圭介の体を空中に留めている魔力も近くを通り過ぎる種に吸われている。
意識した途端、圭介は己の体が少しずつ高度を下げている事実に気付いた。
このままでは空中に浮き続けるための魔力すら貪り食われ、落下は免れない。
それに防具の代わりとして身を包む防御用術式【コットンフィールド】も、魔術である以上は魔力で構成されているのだ。
アズマの結界が消えてしまえば種を直接撃ち込まれてしまう。生身のまま銃弾で撃たれれば至極当然、致命傷である。
落ちて死ぬか撃たれて死ぬか。
蔣光清という客人は、未だかつてないほどの凄まじい速度で圭介の命に爪を突き立てた。
「くそっ、アズマ一旦逃げろ!」
樹海と化した地上に戻るのには相当な抵抗があったものの、いつまでも空中にいれば的になる。
圭介は返事を待たずアズマを遠くに投げ飛ばしてから、大急ぎで下に降りた。
まだ残っている分の魔力でどうにか無事に地上へと舞い戻る。
ひとまず落下死は回避したものの、状況は何ら好転していない。
見上げれば光清もゆっくりと降りてきていた。
大きく長い葉をプロペラのように回転させながら浮遊している円盤状の植物から、ベルトのような形で巻きつく帯に体を固定している。
彼が地上に到達すると、それらは新しく展開された魔術円に飲まれて消えた。
「あ、もう飛ぶのはよろしいので?」
「【焦熱を此処に】!」
余裕ある光清とは対照的に、圭介はすぐさま“アクチュアリティトレイター”に炎を纏わせる。
「こんな低い場所で火ィ出したくなかったけど、もう建物も壊されてるなら遠慮はしない!」
手段を選んで勝てる相手ではない。
あの無数に撃ち放たれた種子は、魔力を喰らって急成長する植物だとアズマは言っていた。
それに対抗する手段もないまま場所だけを変えたが、果たしてどこまで意味があるものか。
見晴らしのいい空中から光清の操る樹木が無数に存在する地上へ移ったところで、敵の攻撃範囲からは逃れられていないのだから。
戦慄しながら炎を巻き上げる圭介に対し、光清は感情を表に出さないまま激しく熱を振り撒く炎を見つめる。
「火で植物は燃やせると判断し【パイロキネシス】で仕留めにかかる。まあ、それも想定済みです」
言ってまた光清が“アイン・ソフ・オウル”を振るうと、今度は彼の背後に一つの巨大な魔術円が現れた。
「またか……!」
警戒心を剥き出しにしてどう防ぐかに意識を向けた圭介は、半ば反射的に“アクチュアリティトレイター”を地面に垂直となるよう立てかける。
極めて単純な防御だった。が、種子の弾丸を防ぐとなれば魔術を用いない物理的手段が有効となるはず。
本当に次の一手が先ほどと同じであれば、圭介の判断は決して間違ってはいなかったかもしれない。
そして当たり前の話として、光清が圭介の予想に付き合う義理などないのである。
「あ、種じゃないです」
「へ」
間の抜けた声を出す圭介の手に、ほんの小さな感触が伝わる。
それは“アクチュアリティトレイター”の表面に、柔らかく丸い何かが優しく当たったためだった。
その柔らかな何かがパチンと弾けて、直後。
圭介の制御下にあったはずの炎が肥大化し、大爆発を生じさせた。
「どわあああああああああ!?」
地面に置いていた“アクチュアリティトレイター”をその場に残し、圭介の体が付近にあった団地の二階ベランダ部分まで吹き飛ぶ。
背中に割れた窓ガラスがいくつか突き刺さる。急いで【テレキネシス】で全て引き抜いた。
傷口に入った細かなガラスの粒まで完全に除去できたかなどわからないが、それを気にしていられるような場面でもない。
「あ、まだその程度のダメージで済んでるんですか。なかなか侮れませんね」
遠くなる意識を強引に維持し、とにかく追撃を受けまいと一度手放した己のグリモアーツを【テレキネシス】で引き寄せた。
「あ、ご自分に何が起きたのかご理解いただけてますかね? 先ほど僕が魔術円から召喚した実はこの異世界にのみ存在する植物でして、アエギカゼと呼ばれる桃の一種です」
レオから受け取った“フリーリィバンテージ”の一片が、肌の火傷や強打した背中の切り傷と打撲を癒してくれる。
ただ、いくら傷が癒えても未だ相手に一撃すら入れられていない。
どころかここまで防戦一方だというのに、相手の動きが一切本気に見えないのが恐ろしかった。
「光合成の効率が激しい植物でしてね。風船にも似た皮の表面で二酸化炭素を吸収し、内部で大量の酸素を生成する果実をつけるんです。これを火のある場所に放り投げると凄まじい爆発を起こしまして」
――“ランスロットの座”は遊んでいる。
そうとしか思えないのに活路すら見出せないこの状況に、圭介の焦燥感が増していく。
「つまり炎で何でも燃やせばいい、ってものでもなくなりました。今。この場で」
「舐めやがって!」
ベランダの柵に足をかけ、すぐさま【アロガントロビン】で加速を試みた。
が、加速し始めた途端に減速する。
「……ッ!」
その原因が何であるか、ベランダの端で伸びる緑の蔓を見て確信した。
先ほどの魔力を吸って成長する植物の種は、既に団地全域にばら撒かれていたのだ。
つまり魔術で加速しようとしても、加速するために用いる魔力を即座に植物に吸われてしまう。
否、加速に限らない。魔術であれば何であろうと、魔力を吸われて威力を大幅に弱体化させられる。
炎を出せばまた爆発に巻き込まれるため、種を焼却するわけにもいかない。
そして相手はまだ手札を無数に残している。水も風も電気も魔力を吸われて弱体化した上に、既に対策までされていたとすれば。
圭介が有する全ての攻撃手段は、目の前の相手に一切通用しない可能性すらあった。
「あ、じゃあ僕の勝ちなので大人しく死んでくれませんかね」
「結論出すの早いなオイ」
「あ、それは逆に貴方の計算速度が僕に大きく劣っているだけかと」
「さっきから何だコイツ腹立つなぁ! あと喋る度にいちいちあ、ってつけるのやめろ! 余計にイライラする!」
「あ、申し訳ない。体を機械化する前は吃音があったもので、その頃の記憶に音声が引っ張られてしまうんですよ」
多少会話を重ねて時間稼ぎするも、確かに光清の言う通り明快な打開策が出てこない。
植物を操るという彼の魔術を調べていた時、圭介は自分が知る範囲での植物しか相手取る想像をしていなかった。
それは光清も踏まえていたのだろう。近づくまで樹木にそのまま襲わせるような単純な攻撃手段しか使わなかったのは、手の内を極力晒さずにいるため。
強大な力を有しながら油断も慢心もなく、どころか手段を選ばず慎重に確実に殺しに来る。
初めてぶつかるタイプの敵だった。そしてこれほどまでに恐ろしい相手もこの世に多くはいないだろう。
「あ、さてはフェルディナントに勝てたから僕にも勝てると思ったんでしょう?」
手遅れになるまで自覚できなかった慢心と油断の根本を突かれ、圭介が硬直する。
「死んだ同胞にこのような言葉を向けるのも憚られますがね、彼は[十三絵札]の中でも戦闘能力に関しては最弱の客人でした」
「……現実に四天王最弱みたいな言葉聞ける日が来るとは思わなかったよ」
「あ、でも組織に対する貢献の度合いは僕より上だったなあ」
思い出したかのような言葉とともに、グリモアーツ“アイン・ソフ・オウル”を開いたまま扇面に指を這わせる。
触れた先から若苗色に輝く帯状の術式が引かれ、模様として描かれた雲一つ一つを繋げていく。
圭介にはそれが何を意味するのかわかった。
ダアトでの修行を通して自身も手にし、ここまで振るってきた力。
複合術式。
「実際何度か彼の“ヨルムンガンド”に乗せてもらったりもしましてね。あ、考えてみればあの車窓から見える景色も二度と取り戻せないわけですか」
何かが来る。
そう感じ取ってすぐ、圭介は“アクチュアリティトレイター”を上段に振りかざして光清へと飛びかかった。
「そう思うと、僕にも多少」
周辺から蔓が無数に伸びる。
加速したはずの体はすぐに停止も同然の減速を受け、両腕には“アクチュアリティトレイター”の本来あるべき重みが加わり始めた。
構わない。
それでも強引に、この少年を殴りつけなければ。
「怒りが芽生えてきました」
魔術による恩恵を受けていない圭介などより遥かに速く、光清の手が振るわれた。
彼と圭介の間、地面に若苗色の魔術円が展開する。
その丸い印から、無数の風船にも似た黄色い果実が飛び出した。
「あ、ご安心ください」
言って瞬時に閉じた鉄扇の先端で、“アクチュアリティトレイター”の柄を押さえられる。
機械化した肉体は生身より遥かに強い膂力を持つらしい。
後方に重心を押し出された圭介は巨大な金属板ごと後ろに倒れ込んだ。
「まだアエギカゼの表皮は破れていませんので、火花で着火することもありません」
すぐさま体を起こすも、光清はその場から動かず再度広げた鉄扇で口元を隠すのみ。
「ただ、これだけの数の実が一度に弾ければどうなるか」
すっ、と。
彼の目が細く鋭くなったように見えた。
「試してみましょうか」
パチン、とまたも扇子が閉じられる。
それと同時、地面から生えた無数の黒い根が鋭利な先端部分でアエギカゼの実をいくつも貫いていく。
先の説明が事実ならば、一つの実に大爆発を起こすほどの酸素が含まれているはずだ。
まずい、と思った時には手遅れだった。
「かはぁっ……」
体の奥にある肉と臓腑が全て動いて、胃の内容物を吐き出させる。
視界が揺らいで焦点は定まらず、徐々に暗くなっていくように感じた。
四肢の末端から感覚が薄れていき、立つことすらままならず倒れてしまう。
意識を保っていられるのはレオの遠隔回復魔術があってこそだ。
圭介一人であればきっとこの時点で死んでいる。
「酸素中毒。人が呼吸をする上で必要不可欠となる酸素も、吸収する量が過ぎれば猛毒となるわけです」
ざわ、と木々の枝葉が風に揺れた。
主の敵が地面に伏して死にかけているのを、喜んでいるかのように。




