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足跡まみれの異世界で  作者: 馬込巣立@Vtuber
第十五章 樹海と人海の波濤編

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第二十二話 禍樹園

 アガルタ王国、ルンディア特異湖沼地帯の一画。

 第二次“大陸洗浄”が始まったのとほぼ同時期からオカルト現象が生じなくなったこの区域は現在、調査隊と国の判断により一般人の侵入を禁じていた。


 とはいえ様子見のために閉鎖しているだけであり、仮に侵入されたとしても事態の悪化には繋がらない。

 まず悪化すべき事態が存在しないためだ。


 当初こそごく一部の悪徳なインフルエンサーが内部の状況を配信で放送するなどしたが、世界に発信されたのはただ無機質な水辺と岩場ばかり。

 時折モンスターなども見受けられるものの変異種などではなく、一般にも広く知られるスライムやホネクイモグラが精々だった。


 そのため今この湖沼地帯に立ち入る者など、現地の調査隊含めて誰もいない。


 そう、大半の人間は思っていた。


「正直に言えば不安が完全に除かれたとは言い難い」


 湖沼地帯奥地、小さな岩山の頂に声が響き渡る。


 眼下には水面を薄く舞う霧がふらりと撫でる湖。さりとて恐れを抱くほどの高さは感じない高さにある場所。

 手頃な石を組んで作られた粗末な墓の前で、平峯無戒は背後のアイリス・アリシアに向けて呟いた。


 彼が地面に並べたのは分厚い葉に包まれた握り飯が三つと、ンジンカ団地商店街で購入した少女向けの文房具にノート類。

 それから別の場所で揃えた、小学校高学年向けの教材を基本五教科分。


 アイリスは彼がそれらを数ヶ月ほど経った頃に回収して破棄する事を知っている。

 が、それを非合理的と切り捨てるほど配慮に欠けているわけでもない。


 無戒が手を合わせて数十秒。

 彼が両手を解くまで待ってから、アイリスが先の発言に応じた。


「レオ・ボガートの遠隔回復魔術はシプカブロガの対応だけで魔力切れに届く予定だ。君の不安はわかるが支援を絶った上に対応するのが“ランスロットの座”ならば、東郷圭介相手に勝ちの目もあるだろう」


 先の戦いで東郷圭介を仕留めきれなかった要因は、主に規格外の射程を誇るレオの回復魔術だというのが彼ら[デクレアラーズ]全員の共通認識だ。

 フェルディナント本人の純粋な戦闘能力だけを見れば、苦戦こそすれども勝てるはずの戦闘だった。


 そう受け止めたからこそ都市一つを混乱に陥れ、大勢の怪我人を出せる“ラハイアの座”に足止めを任せている。

 無戒も作戦の方針を受け入れているが、懸念を完全には払拭できていない。


「それで充分と見なせるほど楽観的になれんさ。そもそもフェルディナントの時も勝利ではなく撤退に重点を置いていたはずだが、結局奴は逃がさなかった」

「カレン・アヴァロンによるボクの観測妨害もあったからね。その上で[十三絵札]最速の札を切ったんだが、思えば無理にでも“妃の札”に後方支援させるべきだったよ」


 事実、あれから[デクレアラーズ]全体の機動力が大きく削がれた。


 人員及び物資の輸送という点でフェルディナントほど頼りになる存在もそう多くない。

 他の[十三絵札]ならまだしも数字を割り当てられた、言ってしまえば一般戦闘員となる者達は簡単に遠征できなくなっている。


 今回の戦いも東郷圭介を殺すためなら、躊躇せず他の人員を導入すべきところだ。

 無戒とて()()()()()()()アイリスの指示すら無視して援護に回っただろう。


「さて、行くか」

「もういいのかい? 普段はもう少し時間をかけているだろう」

「知っているのならわざわざここに来るな」


 これから無戒にはいくつもの仕事が待っている。


 非人道的な人体実験をしている施設の破壊工作、及び被験体として他国から拉致された民間人の救出作戦。

 正規軍が帯状都市を軍事支配する、暴走した独裁国家における大規模な殲滅を目的とした電撃戦。

 地下に眠っていた七体の超大型モンスターが覚醒した事により滅亡に瀕している小国の、主にモンスター全討伐を前提とした救済。


 彼ならば移動時間も含めて一日はかかるであろう仕事の数々。

 弔いに耽る暇もない。慌ただしいが、今の機械化された体には食事も休眠も不要だ。


 他の[十三絵札]も同様だろう。

 きっと東郷圭介とは異なる問題を、それこそ一個人を相手に集中していられないほど重大な案件を、それぞれが処理しながら動いている。


「……行ってきます」


 ただ墓石にかけられた言葉だけが、人間らしい優しげな声で紡がれた。



   *     *     *     *     *     *



 その日の朝。

 ウォルト・ジェレマイアはいつも通り午前六時に起床した。


 加工所の朝礼はいつも九時から始まる。それまでに歯を磨いて顔を洗い、母親を起こしてから食事を終えなければならない。

 朝はいつも缶詰とトーストで済ませる。上等な食事など求めていなかった。

 食べ終えて食器を洗ってから籠に並べ、天気予報と荷物の確認を済ませる頃にはもう七時だ。


 団地から近い位置にある加工所で働いている身としては、通勤時間など数分で済むため到着までの猶予がある。

 それでも八時には後から来た他の作業者で更衣室が満員となってしまう。

 混み合う中で怪我の痕跡が残る足を露出させるのは感情面で避けたい。


 だから彼はその日も時間に余裕を持って、自分以外の人影が見当たらない時間帯に玄関の戸を開けた。


「えっ」


 結果、比較的早い段階で異常な現実を叩きつけられた。


 視界に入る全ての建物に木の根が張り巡らされ、地面からはそこかしこから樹木が生えている。

 枝葉から発せられているのか薄い霧のようなものが視界全体に漂い、ほのかに甘い香りが漂う。


 急に団地が森になっているという、不可思議。


「なん、え、うわ何だこりゃ!?」

「うるっさいわねぇ、どうしたの……うわ何だこりゃ!?」


 背後から息子の叫びを聞いてグダグダと歩いてきた未だ下着姿の母親が、息子と全く同じ反応を示す。


「ちょっ、母さん玄関なんだから服着ろ! ていうか何かヤバいぞ、一応いつでも避難できるように貴重品も持っといた方がいい!」

「ああああわ、わかった!」


 慌てて部屋の隅に置かれたクローゼット、及びそこに置かれた鞄の中身を母親が確認する。

 それとほぼ同時にウォルトもスマートフォンで加工所に連絡を入れた。


 が、繋がらない。


「ちくしょう、ってか加工所にかけてる場合じゃねえわ」


 アラーム音だけが無慈悲に響くだけの通話を切って、今度は騎士団へ通話を繋げる。

 こちらは騎士団の自動音声が案内を始めるも、そこから先にいるであろう生きている人間に辿り着けないままだ。


 苛立ちのまま乱暴にスマートフォンをポケットへ突っ込み、周辺を見渡す。


 ウォルト以外にも数名ほどドアを開けたまま慌てている者、呆然としている者、窓から身を乗り出して騒ぐ者、とりあえず下まで降りて樹木の様子を見ている者などが数名いた。

 決して多い人数ではない。大半の住人はまだ家から出ていないのだろう。


「えーと確か緊急避難場所は……」


 玄関に備え付けられた靴箱の上には団地のマニュアルが置かれている。

 付属する地図を見ながら周辺の様子も観察したところ、突如現れた森以外は何も変わりない。

 異常事態ではあるがモンスターなどのわかりやすい危険が無いのならば、一応避難する際も安全に移動できそうだった。


「ウォルト、とりあえず貴重品とか色々まとめておいたよ」

「荷物まとめてくれたのはありがとうなんだけど服着ろ。……しかしどうなってんだマジで」


 言われた通り着替えた母親とともにまとめた荷物を持って外に出る。


 避難所に向かう途中で何人か顔馴染みと合流もしたものの、やはり誰も事の原因を把握できていない。

 確かなのは団地であまり評判のよろしくない集団が、今日に限って一人も姿を見せていないという点のみ。

 そうして何人かで勝手な憶測や愚痴などを呑気に語り合いながら集団で進む。


 ウォルトらが目指すのは団地に隣接する形で建てられた簡素な体育館。

 大きさが中途半端で普段は使われておらず、本来なら避難所としても優先的に向かうべき施設ではない。


 ただ、通常であれば優先的に避難所として使うべき緑地が樹海に飲まれている。

 異常事態の発生源だか中心地だかわからない場所だ。流石に彼らもそんなところに足を踏み入れるのは憚られた。


 体育館の中には既にウォルトらより多くの人々が避難していた。


「あらー、結構私らより早起きしてる人って多かったのねえ」

「言ってる場合かっつの」


 周囲を見渡してウォルトがやや呆れたような顔つきになる。

 どうにもここに集まった者達には、起きた事象の規模に対して緊張感が足りていない。


 恐らく特別な理由があるわけでもないのだろう。

 危機感や当事者意識が欠如しているからこそ、このンジンカ団地商店街に来た者も多いのだから。


 ひとまず落ち着いたところでもう一度、騎士団に連絡を入れてみる。


「……やっぱ出ないな。それだけ忙しいってことか?」

「シプカブロガの方も繋がらないね。でもネットが繋がらないわけじゃないみたい」

「へ? そうなん?」


 母親の口から飛び出た思わぬ事実を受けて、自分のスマートフォンでも加工所の公式サイトにアクセスすると確かに繋がった。


 ウォルトが試しに外の状況を撮影してSNSに掲載したところ、すぐにコメントがつく。

 検索機能を使ってみるとやはり他の住人も二人ほど、写真を投稿しているようだった。


 そうなれば逆に解せない。

 騎士団に連絡が取れないのはどういった理屈によるものか。


「もうわけわっかんね……うお!」


 疑問が増えて軽く混乱し始めたところに、またも事態の変化が訪れる。

 体育館、のみならず団地全体の地面が大きく揺れたのだ。


 何事かと全員が身構えたところで、外から眩い光が差し込む。


「うっ……」

「うわ何まぶしっ」


 閃光が玄関口から溢れた直後、断続的な破砕音が周辺一帯に轟いた。


 こればかりは他人事とばかり雑談等に興じていた他の住人らも一斉に不安げな表情となり、急ぎ外に出て状況を確認する。

 当然その中にはウォルトもいた。


 だから、最初にそれを見て彼だけは心のどこかで納得したのだ。


「……ケースケ?」


 かつて訓練を重ねたウォルトすら目視するのも困難な速度で滑空しながら、地面から伸びる無数の黒い木の根を焼き払っている少年が一人。

 手に握る巨大にして重厚な金属板と、頭頂部にしがみつく機械仕掛けの猛禽類は他にあり得ない。


 つい最近になって再会した客人の少年、東郷圭介が何かと戦っている。

 恐らくは、この異常事態の元凶となる何かと。


「え? ケースケ? って確かアンタんとこのお客さんがそんな名前じゃなかったっけ」

「そう、そうだよ。昨日も加工所にグリモアーツの強化しに来ててさ」

「ていうかあのめちゃくちゃ速く動き回ってるの、人なんだ」


 まだ暮らしに余裕があった頃からあまり積極的に情報を取り入れていなかった母親は、東郷圭介という客人がこれまで積み上げた功績など知らない。

 加えて冒険者などの荒事とも無縁な人生を送ってきた人物である。ウォルトと異なり目の前で繰り広げられているのが、どれほど激しい戦いなのかどうかさえ定かではないだろう。


 それでも彼女に限らずそれを見た全ての者が、目視可能な距離にいるだけで危機感を覚えるのに充分な殺意と敵意を散りばめている。

 戦いの余波に戦慄しただけで動きを止めてしまう者までいるほどだ。

 至近距離で無数の根を打ち払い、あるいは焼き払う圭介とその敵との間に漂う空気は尋常のものではあるまい。


 その上で彼の戦いはどこか消極的だった。

 理由は何となく察せられる。ほぼ間違いなく、この場にいる全員が彼の力を抑えているのだから。


「あいつ、もしかしてこの団地を巻き込まないようにしてるのか……?」


 人と住居に攻撃を当てまいと気遣っているのが遠目で見てもわかる。


 だとしても出せる力の限りを絞り出しているらしい。

 誰もいない広場に向けて炎の柱が立ったのを見て、ウォルトは自分達が明確に邪魔になっていることを実感した。


「…………母さん。悪いけど俺、ちょっと出てくる」

「は? いやちょっと、なんで避難所着いたのに!」

「すぐ戻る!」


 今、圭介が何と戦っているのか具体的なことは何一つわからなかった。

 それでもウォルトの足が加工所に向かっているのは、敵の強大さが未だ見えていないのも大きい。


 加工所にある彼のグリモアーツを、一刻も早く強化した上で届けなければ。

 その一心で、彼はどれほど危険かもわからない森の中へと迷わず飛び込む。


「母さん達はすぐ中に戻れ! 俺らが外に出てると余計にアイツが全力出せないから!」


 ウォルト・ジェレマイアは確かに以前と異なる価値観を得た。

 排斥派などというコミュニティから脱して一時期敵視していた相手と和解するに至ったのは、相応に自分を変えるべく重ねた努力が影響している。


 しかし、果たしてそれだけだろうか。


 彼は造船業を生業とする家に生まれ育ちながらも騎士団学校に入学した。

 騎士団は確かに国防を担う組織であり、少年少女の憧れではある。幼少期の夢想が抜けないまま入学した者も毎年多い。


 だが花形であると同時に、死亡率が明確に高い職業でもあるのだ。

 小等部から入学した彼はそこで多くの現実を知り、同時に夢を打ち砕かれて転校していく同級生やクエスト中に死んでしまったクラスメイトを何人か見てきた。


 それでも高等部三年生になって不祥事を起こすまでの間、迷わず騎士を目指し続けられる学生は多くない。


 端的に言えば、彼は命を賭して誰かを護ることへの忌避感が薄い。

 父親とヴィンス・アスクウィスに歪められなければ、きっと立派な騎士になっていたであろうほどに。


「ウォルト!」


 止まらないと知りながらそれでもかけずにいられない母の声が、彼の背中に降りかかる。

 彼の足は止まらなかった。

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