第二十一話 アウト・イン・アウト
魔力にはまだ余裕があり、敵の行動基準と戦略もおおよその見当はつく。
この状況下でエリカが導き出した答えは一つ。しかしそこに辿り着くまでの道程は決して簡単なものではない。
「【インパルス】!」
「あっぶね!」
細かな金属片の集合に右足を拘束された瞬間、背後に回ったディアナが衝撃波を放つ。
小さな体を傾けて回避してから足に絡んだ金属片を魔力弾で撃ち抜き、地面と足との接続を断ち切ってから急ぎ走った。
頭を上下で二分割するように右から飛来する“グルーミーフィン”は左手に握りしめた“ブルービアード”で防ぐ。
「何か思いついたんじゃなかったのかよ!? さっきから随分と大人しいぜ!」
防いだ刃はアルジャーノンが持つ片割れの刃に向けて回転しながら戻り、空いた方の手で受け止められる。
同時、その足元でエリカの魔力弾が炸裂した。
「あぁ?」
射出から着弾までの流れを目視した上で、疑問符が声に滲む。
衝撃から逃れるべく後退したアルジャーノンに対し、エリカに【インパルス】を放ったディアナは変わらず至近距離にいるためだ。
相手から見ればエリカはディアナの接近を許しながら、一方でアルジャーノンを遠ざけようとしているように見えただろう。
事実、戦局を見ればエリカにとってもその方が多少有利ではある。
「……なるほど?」
ここに至って二人の動きが激しい猛攻から冷静な様子見に変化した。
絶妙とも言える状況判断能力は、歴戦の冒険者と優秀な騎士の記憶を引き継いだためか。
隘路という戦場の条件を見れば長い剣を持つディアナの方が動きづらいのは自明の理だ。
加えて彼女の魔力弾を撃つ動作は身体の動きに合わせる関係上、どうしても大きくなる。
対してアルジャーノンは両手に持つ短剣という狭い場所でこそ本領を発揮する類の武装である。
増してやここは市街地。彼にとって縦横無尽に動き回れる環境であることは疑うべくもない。
一方で“グルーミーフィン”による変則的な動きは、通路の狭さに阻まれて大きく制限されるだろう。
磁力を用いて操る対象も少ない。大型モニターと支柱しかないこの場所では、照明器具が精々といったところか。
そのため勝率を上げるためにもディアナには接近戦、アルジャーノンには遠距離戦を挑むのが常道ではある。
だがこの状況を作り上げた上で魔力弾を伴う掌打をいなし、飛び交うボルトやナットの弾幕に頬を掠めながらエリカは再確認した。
「このまま勝てるはずがない」と。
「しばらく見ない間にお利口さんになったもんね。でもその目、長くは持たないんじゃなかった?」
言いながらディアナが柄と刀身を掴んで、鍔の部分に付属した突起部分でエリカの側頭部を殴りつける。
案の定、騎士団に所属していた彼女は狭隘を厭わず戦う術を身につけていた。
「うぎっ!」
暗転する視界に一瞬星が散るも気合いですぐさま意識を取り戻し、敢えて目の前に“レッドラム”を放り捨てる。
「は?」
瞠目するディアナの目の前で“レッドラム”の銃口からエリカの魔力が噴射し、勢いをつけて飛び出したグリップ部分はそのまま鉄槌として彼女の顎を殴りつけた。
「がっ……!」
「心配するか殺しに来るかどっちかにしてくれや」
怯んだところへ間髪入れずに“ブルービアード”といくつかの魔術円で魔力弾を何発も叩き込み、強烈な魔力の炸裂によって彼女を吹き飛ばす。
最初に放ったものと同様、【コーティング】と【クラップ】を組み合わせた防御力を無視する弾丸だ。
それを何発も、防ぐ余裕すらない状態で叩き込んだ。相当なダメージが入っただろう。
しかし愛妻たるディアナが負傷しても、アルジャーノンは変わらず無表情のままエリカを見ていた。
娘として知っている。それが不仲ではなく信頼からなる振る舞いであると。
「……で?」
彼の右手に短剣は握られていない。
それは先ほど投擲され、高速回転で周辺の金属片と砂鉄を巻き込みながら既にエリカの背後で方向転換している。
触れたものを歪に刻む刃。ささくれ立つ傷口は回復魔術による治療を困難なものとし、破傷風すら誘発する。
そんな極めて凶暴な攻撃手段が、エリカに向かって容赦なく迫っていた。
「お前ソレどうすんの」
「こうすんの!」
ディアナに向けていた魔術円を全て後方に回し、今度は先ほどと異なる魔力弾で黒く丸い円盤状の刃を撃つ。
右目に【マッピング】を三段重ねで展開している今のエリカなら、振り向く必要もなく背後の脅威に魔術円を向けて対処できる。
集中砲火を受けた“グルーミーフィン”の片割れは一瞬の間に重なる炸裂で巻き込んでいた諸々を散らされ、剥き出しになった刃は天井へと弾かれた。
深々と突き刺さった刃は、もはや弱体化した今のアルジャーノンでは取り戻せまい。
「確かにそれじゃあ手元に戻すのは難しいが――逆ならどうだよ?」
左手に持つもう片方の“グルーミーフィン”でアルジャーノンは自らを天井に刺さった短剣へと引き寄せる。
本人の跳躍も手伝い、エリカが足止めとばかり彼に向けて放った数発の魔力弾は空を切った。
いとも容易く天井に到達したアルジャーノンが短剣を引き抜き着地、そこからすぐに回し蹴りでエリカを蹴り飛ばす。
「がァッ! ぇほっ、げほっ!」
人形とはいえ屈強な男の脚力による蹴りだ。軽々と蹴り飛ばされたエリカの矮躯は電源を切られたモニターに衝突し、床に落ちてからもすぐに立ち上がれず咳き込んでしまう。
そうしている間にディアナも立ち上がり、一度引き離した二人はここに再度の合流を果たす。
「“シルバーソード”を振り回しにくい場所に誘い込んだ上で俺ら二人を分断しようって判断は悪くなかったがなぁ」
「ま、そうは言ってもエリカって今確か騎士団学校の高等部一年でしょ? 狭い場所で剣を振る訓練は三年の頭からだし知らなくても無理はないけどね」
剣は静かに風を帯び、周辺の金属は磁力に引かれて集合する。
それぞれ必殺の魔術を準備しているのだろう。威力は生前のそれより劣るだろうが、二つまとめて受ければ生存できる可能性は低い。
そんな両親もどきの人形二体を見ながら、咳が落ち着いたところでエリカは問う。
「……なあ、本気でわからねーから質問するんだが」
「おう、どした?」
「あんたらどういう気持ちでいるんだ、今」
その問いかけを受けても二人の表情は特に動かない。
別段答えなど用意してないのかもしれない。
「あたしからすれば二人とも偽物だよ。“ラハイアの座”が作りやがった人形だ、割り切るのも難しくねえ。でもそっちからしてみりゃ死ぬ予定もないのに死んで、遺した娘とたまたま会えた状態なわけだろ」
不思議と両親を模した人形を見てもエリカは冷静でいられた。
事前に人形だと聞かされていれば、家族の死を乗り越えた者は動揺せずにいられるものなのだろう。
あるいは“ラハイアの座”の存在を言い訳に、二人を努めて人形扱いしているだけか。
生き返った父親と母親として扱えば、二度と戻れなくなりそうな気がするから。
「それをお前、殺そうとしてんじゃねえかよ。まさか“ラハイアの座”がいればあたしも生き返るとか本気で思ってんのか? いや、あるいは本気で思ってるのかもしれないけどさ」
震える両脚に気合いを込めて、どうにか立ち上がる。
変わらず目の前の両親は顔色一つ変えていない。
「本当にそんなもんなのかよ? あんたらにとって、あたしの命ってのは」
「……ぷっ」
対する返答は、アルジャーノンの吹き出す声。
ただ真面目な問いへの嘲笑というわけではないらしい。彼がこういった真剣な場で他人を貶めて笑う人間ではないと、エリカは知っている。
だからこそ違和感はあったが、見ればディアナまで口元を手で押さえて笑いをこらえているようだった。
「オイオイ、まさか、いやそっかそうもならぁな!」
「あァ……?」
「いや悪い、バカにしてるわけじゃねーんだ。何なら逆さ」
ひとしきり笑うだけ笑った後、今度は優しく微笑みながらディアナが口を開く。
「本心からエリカを殺したいなんて思っちゃいないわよ。ただ“ラハイアの座”の人形だから仕方なく戦わされてるだけで、そこに本来の私達の意志なんてない」
「……そうかよ。だったら」
「でも手を緩めなかったのには別の理由がある」
そう、二人とも弱体化こそしていたものの決してエリカに手加減しようなどとは考えてさえいなかった。
それがわかったからこそエリカの中に疑念が生じたのだが、彼らにとっては笑い飛ばせる程度の理由があるらしい。
「だってお前、こんなところで死ぬようなタマじゃないじゃん」
「短い間だったけど私とコイツで育てた以上、そう簡単に追い詰められるはずがないんだから」
それは、とても単純な理由。
「どうせまだ何か企んでるんでしょ? 昔っからイタズラ好きだったもんね、あんた」
「タダでそこまでボロボロになるわけねぇもんな。期待してるんだぜ、これでも」
言われて今度こそエリカは呆気に取られた。
見抜かれている。
何せ二人を分断しようとした先ほどまでの動きは全て、
「「だからわざわざこうしてここにいる」」
今まさにそうなっているように。
エリカ自身は離れた状態で、二人を一ヶ所に集めるためのものだったのだから。
「……性格、わっりぃ~。全部お見通しの上で自分から作戦にハマったんかよ」
「当たり前だろお前の親だぞ。ふざけてんのがデフォだ」
「は? 私は至極真面目でしょうが」
「いやそれは……俺みたいなのと結婚しちゃった時点でどうだろ……」
「母ちゃん、真面目な騎士はその若さで城壁送りにならねンだわ」
「なんだあんたら。こっちは二対一でもやれるぞ」
ハッ、と笑い声が漏れる。
どこまでもおぞましい敵だ。
これでは怒りなど吹き飛んでしまう。嫌いになれない。
その怒りを生み出したのは他でもない“ラハイアの座”だというのに。
だからこそ。
だからこそ、殺すべき相手なのである。
「――【もう一つ上へ】!」
迷いを捨てたエリカの魔力が、魔道具ルサージュを起動する。
起動するのは詠唱すら必要としない第六魔術位階【コネクト:メタル】。
アルジャーノンがこれまで好き放題に使ってきた金属とその破片、そして砂鉄が彼とディアナの足元に集合していく。
「ぐっ、お前やるじゃんかよ……!」
磁力に引かれて今まで操る側だったアルジャーノンの両手が地面に引っ張られた。
即座に術式を解除して自由の身となるも、一瞬動きを止めた時点で手遅れである。
二人の周囲を、三十門の魔術円が取り囲む。
「来なさい!」
応じるはこれまでエリカの魔力弾を【トルネード】で受け流してきたディアナ。
既に彼女を中心として風が巻き起こっており、いつ魔力弾を放っても受け流されるのが見て取れる。
だが、既にエリカは全く異なる下準備を済ませていた。
「【チェーンバインド】!」
「っ、【トルネード】!」
予想と異なる動きを見せたエリカの魔術に一瞬遅れるも、ディアナを中心とした小規模な竜巻が二人を包む。
赤銅色の鎖は魔術円同士を連結こそしたが、風に阻まれ相手に触れることなくガタガタと揺れるばかり。
それでも構わない。
これで二人は夥しい量の鎖が織り成す牢獄の中に閉じ込められた。
縛ったわけではないため、体を小鳥に分散させて逃げるという選択肢もない。
「金属集めて風起こさせて、まさかそれで終わりってわけじゃねえよなァ!?」
「聞いたわよ、ダアトで鍛えてもらったんでしょ!? だったらここから勝ってみなさい!」
「ったりめぇだバカヤロー見とけ!!」
喜色を隠せず振り絞る声とともに、エリカが両手で双銃の引き金を同時に引く。
瞬間、全ての鎖から迸る魔力の光が通路を照らした。
「これは……!」
膨れ上がる鎖の檻。
そこには二つの第六魔術位階が仕組まれている。
これまで幾度も組み合わせてきた【ヒート】と【クール】。
急激な高熱と低温双方への変化に術式が反作用を引き起こし、強烈な炸裂を生じさせる。
だから、やっている事そのものは今までと同じなのだ。
純粋な魔力の炸裂。ただそれだけと言ってしまえばそれまでな、しかし単純であるが故に強力無比なる一手。
極まった破壊の力が、地下通路の一画ごと爆砕した。
「どわあああああああ!!」
強すぎる衝撃により、発動したエリカ自身まで吹き飛んだ。
支柱は折れ、モニターなど壁の先にある機器ごと砕けて機能を失う。
――【チェーンバインド】を魔力弾と同じように炸裂させる。
巧妙な誘導と大胆な発想により実現された馬鹿馬鹿しいまでの威力は、当然内部に閉じ込めた相手も無傷で済ませない。
「あっだだだだ。おい偽物夫婦、無事かー?」
「…………とんでもねえ奴だな、お前……」
見れば元々二人が立っていた場所には両脚と思われる機械人形の部位のみが残され、そこから少し離れた場所でアルジャーノンの頭部と胴体がかろうじて繋がったまま落ちていた。
右腕は完全に喪失しており、左腕も肘から先が無い。どうやら攻撃を防ごうとした結果、爆発四散だけは避けたようだ。
「何かしてくる、とは思っててもねえ……ここまでとは思わないじゃない」
そんな彼の左脇付近には、ディアナも上半身のみで転がっている。
ただこちらは両腕が原形を留めていた。位置関係を見るに、アルジャーノンが彼女を必死に守ろうとした結果がこれなのだろう。
それを見て少し悲しい気分になる。
抱いた感情すら“ラハイアの座”が引き出したものとこの場では受け流し、もうすぐ二度目の死を迎えつつある父と母に笑顔を向けた。
「見ての通りだ。これまでもこれからも、あたしは元気にやってるぜ」
「絶対周りに迷惑かけてるよ、お前……」
「なんかこの後もう一回生き返って関係者全員に謝りたい気分になってきた」
「ンだとコラ。ざけんなよ」
次は鼻息荒く怒りを表に出しつつ、忠告する。
「二人は死んだんだ。次またこんな真似してみろテメェ、今回より面白い勝ち方してやるからな」
「微妙に生き返るモチベーション上げるなよ」
「何その面白い勝ち方って」
「うるせーうるせー。とにかくここは大人しく寝とけ」
最後は、寂しさを隠しきれずに。
「……さっきとは別の意味で感謝するぜ。何せあの時はお別れなんて言えなかったからな。少しだけ、救われた気分だ」
「自分のガキ相手に殺し合いかました身としちゃあ複雑だけどな。俺もエリカの成長した姿を……あれ、うん? 成長……? まあ元気そうで安心した」
「おうコラクソ父」
「私は図太くても何でも生きてくれてるならそれでいいわよ。例えあんたがこれから先の人生、貧乳のまま生きていく羽目になったとしても」
「おうテメクソ母」
思い残すところなど何もないのだと、言葉ではなく声色で告げられて。
エリカは踵を返す。
「んじゃ、ユーちゃんも死んだ親父さんと師匠に挟まれて大変だろうし。……ちょっくら手助けしてくるわ」
「そうしてやってくれ。多分しんどいだろうから」
「案外あっちの方が先に決着ついてるかもね」
「それならそれで別にいいさ」
互いに顔はもう見えない。
それで良かったと思えた。
「じゃあな」
「おう、じゃあな」
「さようなら」
そんな短い言葉を交わして、最後。
親子のようで親子ではない三人のやり取りは、それで終わった。




