第十九話 人形どもと戯言を
咄嗟に双銃を交差させ、ディアナの蹴りを受け止めたエリカはその判断が正しかったのか真に理解できないまま真後ろへ吹き飛んだ。
接触した足から放たれる圧縮された空気の魔力弾。
一直線に突き進むそれは彼女の矮躯を背後のシャッターに叩きつけ、そのままぶち破る。
強烈な背中への衝撃に一瞬目が眩むも、すぐに意識を攻撃へと切り替えた。
無人の通路を滑空しながら銃口を母親の模造品に向けて引き金を引く。
「オラァ!」
物質の硬度を増強する【コーティング】と、極めて小規模な炸裂を起こす【クラップ】。
二つの第六魔術位階が込められたこの魔力弾は、エリカが開発した新型の魔力弾だ。
まず【コーティング】の作用で魔力を対象の表面からやや内部に食い込ませ、次いでそこに【クラップ】で生じる衝撃を流し込む。
元々の破裂する魔力弾と比べて破壊の規模は見劣りするものの、対象の防御力を無視して同じ損傷を与え得るという点では極めて有用である。
これに加えて魔力弾の形状を細めた上で回転まで加えると、より高い破壊力を見込めた。
増してや相手は精密な構造を求められる傀儡魔術専用の人形だ。
何発も受けていればそう長くない時間で機能不全に陥るだろう。
赤銅色の弾丸が四発、穴の先にいるディアナへと飛来する。
だがその弾道を阻む何かが破られたシャッターの向こう側から同じく飛来し、エリカの魔力弾を受け止めた。
「……ッ!」
大部分を金属で構成された、刀剣よりは短い円柱状の物体。
広場でイベントなどが催された際に使用されるベルトパーテーションだ。
特に強化されたわけでもないそれらは呆気なく破壊されるも、破壊の規模が大きくない今の攻撃は容易に防がれてしまった。
「父ちゃんか!」
「ご名答」
エリカが言い当てるのとほぼ同時。
信じ難い速度でエリカに追撃するべく目の前に現れたのは、アルジャーノンの姿を模した“ラハイアの座”だった。
首筋に向けて振るわれる短刀型グリモアーツ“グルーミーフィン”の一閃を、寸でのところで“ブルービアード”の銃身により受け止める。
しかし短刀の形をしている彼の武器はもう片方の手にも握られており、圧倒的な速度による連続攻撃はエリカの両足が着地してからも続いた。
彼が繰り出す両手での斬撃はまるで嵐の如くエリカを切り刻まんとし、それを二丁拳銃でいなしつづける中で意識は目の前の相手にどうしても集中してしまう。
このままではまずいと感じ、足の裏で魔力弾を炸裂させることで跳躍した。
敢えて、目の前に向かって。
「おっと!」
胸元を狙った頭突きは横に避けられたが、勢いをつけて前進したため少し距離が開く。
そこで欲張って攻撃に転じず、一旦通路の壁際に退避して状況を見た。
退避する先の壁にも注目しながら。
「っぶねー……。テメェら他人の魔術まで真似しやがんのかよ。厄介なんてレベルじゃねえな」
「まあそのくらいはできないと[十三絵札]なんて務まらないだろ。とは言っても、さっきジェリーが言ってたように適性までは引き継げないらしいな」
死んだ魚のような目まで再現されたアルジャーノンが、己の短剣を手で弄びつつ会話に応じる。
「生前の俺ならもっと速く動けただろうさ。それにそんな慰め程度の予防策なんて無視できてた」
「何となくわかるぜ。それに関しちゃ母ちゃんもそうなんだろうよ」
エリカは二人の魔術がどういうものかを知っている。
ディアナはアガルタ王国の騎士として会得した気流操作魔術に加え、魔力弾のスペシャリストだった。
対してアルジャーノンの使う魔術は、磁力操作。
種類にもよるだろうが先ほどのベルトパーテーションは金属部分を磁力で手元に引き寄せ、磁極を反転させることで撃ち放ったものだろう。
先ほどの高速移動も磁力によるものだ。
地下通路のそこかしこに設置された掲示板や照明器具に付属する鉄を自らの魔力で捉え、自分自身を次々と対象に引き寄せ続ける形であの高速移動を実現した。
それを知る身だからこそ何もない壁を選んで背後に回し、不意打ちを防ぐ。
今エリカの背後にある壁には、磁力を付与されるであろう金属が設置されていない。
しかし彼の言う通り生前であれば、そんな付け焼き刃の対策など壁の向こう側にある配管に干渉される形で無意味に終わっていたはずである。
やはり“ラハイアの座”は完全に死者を再現できているわけではない。
「ま、だからこそ私ら二人でようやく今のあんたを相手取れるってことよ」
言いながら風の足場【エアリフト】に乗ったディアナがアルジャーノンの隣りに並び立った。
彼女がここに来たということは、ジェリーとアイザックの二人がユーの相手をするのだろう。
どこまでもおぞましい相手と言えた。何が何でも親類縁者同士で殺し合わせるつもりらしい。
「挙動だけ見ればちゃんと冷静に動けてるし、成長はしてるみたいね。後はメンタルかなー。怒る時も静かに怒れるようになればかなり違うんだけど」
「母ちゃん面すんなクソダボ。……だが冷静になるべきなのは認めてやらぁ」
ダアトでの訓練と個人的な鍛錬を経て。
三十門に増えた魔術円を展開してから、エリカは両親の偽物にそれぞれ赤と青の銃口を向ける。
「要するにアレだろ? テメェら本物より弱いわけだ」
言葉や動きに迷いがないのは、意図的に心中のそれを宿らせないよう細心の注意を払っているから。
「じゃあとっとと片付けてユーちゃん助けに行かせてもらうぞ」
確かに“ラハイアの座”は死者を完全に再現できていない。
だがそれはあくまでも能力面での話だ。
よりにもよって最も再現してほしくない、人格や記憶といった部分は嫌になるほど緻密に再現されていた。
「こんなクソしんどい戦い、長引かせるわけにゃあいかねえもんでな」
つまりこれは死者を模倣する最低最悪な敵との戦いであると同時に。
親しい人の面影を殺さなければならない、自分との戦いでもある。
* * * * * *
「【首刈り狐・双牙】!」
蜜柑色の斬撃がユーを前方と右側に分かれる形で放たれた。
自身に向かう殺意の二撃を【漣】により帯の形状として捉え、ユーは左斜め前方へと疾駆する。
だが死に直結する攻撃を避ける方ばかり優先した代償として、斬撃を飛ばすジェリーとは真逆の方向から金属の突起が鎖を引き連れながら飛来した。
「くっ!」
「やはり戸惑っているね」
突起は鳥の嘴よろしく二つに割れ、ユーの右手首を挟み込む。
アイザックが操るクアドリガ型グリモアーツ“オブシディアンカルテット”の車輪から伸びるそれは、武器を持っている方の手を絡め取った。
「本来のユーフェミアなら、こんな誘導に引っかからなかったはずだ」
封じられた動きの幅自体は大した問題ではない。
問題なのは、その僅かに阻害された動きに全力で刃を通さんとする女がいることである。
「ハッハァ! 見事だアイザック!」
かざした刃が再度、蜜柑色に輝いた。
「【弦月】!」
「【砂利道渡り】!」
美しく弧を描く剣閃を、足元から大量に溢れ出した丸い魔力の粒による加速で回避する。
タイルの床を滑りながら今度は腕に食いつく“オブシディアンカルテット”の突起部分を、伸びる鎖ごと強引に引っ張った。
「う、お」
自身に向かって引き寄せられるクアドリガの本体と亡き父親の模造品に向け、ユーは躊躇なく飛び込む。
斬るためではない。
だが情に付け込まれたわけでもない。
ジェリー・ジンデルの攻撃は生前の彼女と比べて威力と苛烈さに欠ける。
その再現できていない攻撃では、“オブシディアンカルテット”の籠を完全に破壊できまい。
加えてアイザックも籠の中に攻撃する手段など持っていないはずだ。
「考えたね、ユーフェミア」
大きな籠ごと叩きつけられる直前、彼女を優しく褒める言葉が聞こえた気がした。
そんなまやかしを意図的に聞かなかったこととする。
努めて冷静に口にするは、返答ではなく必要な魔術の名。
「【鉄地蔵】」
落下した“オブシディアンカルテット”は派手に壊れこそしなかったものの、衝撃により鎖がところどころ千切れて全てのバイクが籠から離れてしまった。
加えて籠は縦に立ってしまっている。
車輪が地面から離脱してしまっており、もはやこのままでは走行もできまい。
「やるじゃあないかユーフェミア」
二度目の賞賛はジェリーから。
それを向けた先は戦車を己に向けて引き込む胆力でもなく、実際に引き込めてしまう怪力でもなく、即座にそうやって対応できる冷静さでも判断力でもない。
「【阨黯暝澱】」
短い言葉とともに、“オブシディアンカルテット”の籠が内部から迸る群青色の魔力で爆砕した。
当然、中にいる父親を巻き込んで。
彼女の覚悟を見届けたジェリーの足元に、長い髪が一部短く切られたアイザックの頭部が転がってくる。
「ハハハ、いやあ容赦のない娘に育ったものだ。でもこの先の戦いも生きて勝ち抜くつもりなら、これくらい当たり前にできなくては」
「実際それくらいはやってもらわないと困るね。何せアタイを殺したんだから」
相応に格というものを見せつけてもらいたい。
ジェリーが口にするならそれは偽りなき言葉なのだろう。
だから受け止めた上で、ユーは群青色の鎧を具現化しながら敵に目を向ける。
「次はそっちの人形が斬られる番ですよ、“ラハイアの座”」
「その歳でうまく割り切るもんだ。死後も弟子の成長を見届けられるとは嬉しい限りさ」
ジェリーの外観は“ラハイアの座”の魔力で再現されたものに過ぎない。
着ているゴグマゴーグの鎧も見せかけだけで、実際にはあれほどの防御力も持っていないはずである。
加えて剣技においては互角以上の実力を持つジェリーとて、魔術の出力や“ウィールドセイバー”の切れ味までは完全に再現できていない。
「生前のアタイじゃなければ勝てる、ってのがアンタの考えなんだろう? だが肝心な部分を忘れてるねえ」
無言で直進しようとするユーの脇腹に、何かが衝突した。
「っ、ぁ?」
見ればそれは、先ほどまでジェリーが斬撃を幾度も繰り出す中で生じた瓦礫の一つ。
棺桶ほどの大きさはあろうそれがぶつかり、脇からの衝撃で動きが大きく狂わされた。
軌道を修正しようともがくもそのまま進む体はジェリーの真横を通過してしまい、高速の刺突は見当違いの方向へ進み虚空を貫く。
「アタイもアイザックも、そしてアタイらのグリモアーツでさえ“ラハイアの座”が再現したものだ」
ここでの遅れは致命的だ。
何が起きたのか【漣】から伝わる情報だけでは納得できず、背後の景色に目を向ける。
振り向けばそこには壊したはずの“オブシディアンカルテット”、その車輪から伸びる鎖が突起を突き刺した瓦礫を遠心力も加えて振り回した痕跡が見えた。
そして鎖から解放された四台のバイクが、ジェリーに向かって走り始めるのも目視できる。
「生前と同じじゃあない。だからアンタ相手でも充分な勝算があるのさ」
「まずい……!」
何らかの危険を感じ取り再度突進を試みるユーに向けて、ジェリーが何かを蹴り飛ばす。
それはアイザックの頭部だった。
意識の外に追いやった戸惑いが、想定外の行動と懐かしい優しげな笑みによって引きずり出される。
「ユーフェミア」
微笑みの内側から、蜜柑色の光が漏れて溢れる。
「すまなかったね」
謝罪の言葉を聞き届けた瞬間、父親の頭部は彼女の目の前で爆発した。
それなりに大きな爆発ではあるのだろうが、【阨黯暝澱】の防御を貫くほどの威力ではない。
ただ、結果的に感情を揺さぶられたユーの体は一瞬の弛緩を経て動きを阻害されてしまう。
「う、うぅ……!」
「修行不足だ、間抜け」
停止を余儀なくされながら、それでも急ぎ直進する彼女が爆発の煙を振り払い滑走したその先。
そこにジェリーはいなかった。
「!?」
「本当ならアンタはこの状況を楽しめてたはずなんだ。死んじまった父親と師匠を同時に相手取れるなんて、普通ならあり得ないことなんだから」
声が聞こえる。
聞こえは、する。
ただ空間全体に響き渡るその声がどこから発されているものなのか、ユーは最初わからなかった。
「だがアンタ、どうにも本調子じゃないね。アレかい? たばこやのババアに裏切られたのがそんなにしんどかったのかい?」
やがて彼女も真実に辿り着く。
極めてシンプルな真実へと。
だから未だ熱が抜けていない脳をそれでも回転させ、この状況下での最適解を自分なりに導き出した。
「【雪崩】ぇッ!!」
「おっと」
ユーを中心として全方位に放出される、細かな刃の怒濤。
第三魔術位階【雪崩】は空間内にある全てを無数の小さな斬撃で、擦りおろすように破壊し続けていく。
ただ一つ、蜜柑色の燐光を全身に帯びる存在を除いて。
「そうだよそう来なくっちゃあ!」
魔術ではなく回転運動によって【雪崩】を受け流しながらユーに向けて飛来する一つの影。
そこから振るわれた刃を回避し、一旦魔力の放出を止めてから改めて“レギンレイヴ”を構えた。
目線の先にいるのはジェリー・ジンデル……なのだが、その姿は異様の一言に尽きる。
四肢に接続された分厚い刃。
一部が鎧と一体化している黒い装甲。
地面に接していなくとも回転し続けるタイヤ。
本来であれば籠に繋がれているべき“オブシディアンカルテット”のバイクが四台、全てジェリーの両腕両脚と合体していた。
「どこまでも死者を愚弄して……!」
「やっとお喋りできたと思ったら、そんなつまらない話されてもねえ。ま、怒ってるなら構わないか」
言ってしまえば彼女もアイザックも二人のグリモアーツも、畢竟“ラハイアの座”が用意した人形という名の機構である。
変形と合体をいつでもどこでもできてしまうなら、こうして異なる要素を柔軟に掛け合わせることも容易なのだ。
何より効果は絶大と言えよう。
ジェリーの剣技にバイクの加速と回転運動による防御力が加わったせいで、安易に第三魔術位階を放てば勝てるという状況でもなくなってしまった。
特に速さは厄介極まる。
先ほどジェリーを見失ったユーが彼女の位置を捕捉しかねたのも、その目視困難な速度によるものなのだから。
「怒りながらも剣は冷静に振りな。でなければアンタ――」
言って、直進。
構えから即座に防御へと移行するも間に合わない。
雑な横薙ぎの一撃でユーの体はガラス張りの壁をぶち破り、無人の喫茶店内部へと文字通り転がり込んだ。
「――アタイらの仲間になっちまうよ?」
レジカウンターに背中を預けて座る形となったユーは、どこか遠い場所から聞いているような気分でジェリーの声を感じ取る。
不思議な感覚だった。
自嘲も慈愛も込められたその声色は、いかにも師たる彼女らしくない。
だというのに、偽物とわかっていても心のどこかで納得してしまっている。
(ああ、きっとジェリー先生なら実際にこう言うなぁ)
大陸全土で指名手配までされた戦闘狂の殺人鬼。
己の欲を満たさないと知れば、愛弟子すら殺しにかかる女。
だが、それでも信じてしまう。
他ならぬ、恐らくそんな彼女と最も長く時を共有したユーだからこそわかってしまう。
(本当に、本物を再現するんだ)
だから先ほど、父たるアイザックの微笑みに動きが止まった。
彼とてこんな状態でなければ、娘と戦いたくなどなかっただろう。
本当なら一緒に食事でもしたかったに違いあるまい。
それを感じ取っていたからこそ、ユーは彼に話しかけなかった。
自分の覚悟を揺るぎなきものとせんがため。
そして同時に、父の悲しみを深めることのないように。
(……許せない、な)
命は一つだ。通常はそうだし、そうであるべきだ。
遺される悼みを同じ人物相手に二度も味わうなど、普通は耐えられない。
そしてそんな苦痛を、“ラハイアの座”は大勢の人々に振り撒いている。
「……………………今、そっち行きますね」
「あ?」
立ち上がり、身を屈める。
使うのは極めてシンプルなアポミナリア一刀流の魔術。
「【穿】」
言うと同時。
ユーが全身に纏う鎧、【阨黯暝澱】全体が前方へと突き出される刺突としてジェリー目掛けて体ごと突き進んだ。
傍から見れば途轍もない速度による体当たりである。
「おっとぉ!?」
鎧まで丸ごと刃の延長とする刺突、言い換えれば突進としか言いようのない単純な一撃は予想できていなかったのか、防御態勢に入ったジェリーをバイクも剣もまとめて吹き飛ばす。
広い空間に戻ったユーは即座に剣を構え直し、ジェリーに向き合った。
「不便なものですね、“ラハイアの座”」
「あァん?」
「本物の再現を求めるあまり、本物が言いたいと思ったことを口にしてしまう。それは時として今のような状況にも繋がるんです」
「まだるっこしいね。何が言いたい?」
愛する弟子の途切れぬ戦意とくだらない悲劇に浸らず戦える事実。
それらに対する隠し切れない期待、歓喜、そしてわずかな悲しみ。
その再現を見つめながらユーは応じる。
「貴方は、貴方に対する私の怒りを引き出してしまった。その上でジェリー先生が本心では求めていない類の戦いも始めてしまった」
群青色に輝く燐光を散らし、魔力の鎧【阨黯暝澱】は内部に力を蓄積していく。
「結果としてジェリー先生の動きは鈍り、こちらは振るう腕により強い力が加わってしまう」
だが、鎧以上に。
ユーの瞳に宿る殺意が、何よりも強く輝いていた。
「楽しめませんよ。お互いにね」




