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足跡まみれの異世界で  作者: 馬込巣立@Vtuber
第十五章 樹海と人海の波濤編

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第十七話 懐憶の毒

 最初に“ラハイアの座”が騎士団をすり抜けて挟撃の形を取った時。

 協力者一同、誰も判断を誤ったとは思わなかった。


 冒険者として数々の修羅場を越えてきたパトリシアやマーシー、その他にも何人か戦闘に慣れている者はいたが、あれこそ騎士団の防備を薄める最適解だと信じて疑わなかった。


 攻撃はマーシー、防御はパトリシアで充分に騎士団と拮抗できている。

 後は数に物を言わせて押し切れば勝てる戦いだったはずだ。


 後から来た二人の学生と客人も、優れた支援能力を有してはいるものの大局を動かすには人数が足りていない。


 そう、思っていたのに。


「ダメだ捕まえらんねえ! さっきから全部避けられてんぞ!」

「いや数発当たってんだよ! でも硬くて効いてないかすぐ回復しやがる!」

「私はもうダメ、動けない! 誰か止めて!」


 そのたった二人の不確定要素が今、次々と“ラハイアの座”に協力した一般人を捕縛していく。


 基本は客人の青年が伸ばす包帯によるものだ。縛られたが最後、相手を酩酊状態にする魔術【ドランク】で身動きを封じられてしまう。

 戦闘に不向きなグリモアーツしか持たない人員に持たせた武装も、高い身体能力を更に上昇させたミアの拳で破壊されていく。


 それでもまだ被害を抑えきれているのはパトリシアの尽力が大きい。


 第四魔術位階【ドリームヘイズ】。

 触れた物体に働く力を吸収し、またそれを放出する綿のような靄を具現化する魔術。

 伸縮する包帯の数々をこれで止め、ミアの掌打や蹴りを受け止めながら吸収した運動エネルギーを吐き出して二人に迎撃する。


 彼女はそうして周囲の仲間達を保護していた。

 しかし一人の人間に処理できる情報には限りがある。


 こうなってしまえば先ほどまでのように、マーシーの矢を加速・軌道修正するなどといった支援も難しいだろう。


「くそっ……!」


 マーシーの口から思わず悔しげな声が漏れる。


 わかっていた。

 自分達に騎士団を敵に回すなどという大それた真似ができたのは、言ってしまえば“ラハイアの座”に頼っていたからだと。

 そして彼ら彼女らが挟撃という選択を取らざるを得なくなった時点で、この戦いは負けていたのだと。


 マーシーも己のグリモアーツ“フォレストザッパー”で魔力の矢を広範囲にばら撒くが、ミアに当たっても通らずレオに当たっても傷はすぐに塞がる。


 瞳に静かな決意を燃やすミアとレオ。


 この二人だ。

 この二人が来たから“ラハイアの座”は騎士団の防備を薄めるため挟撃という苦肉の策に出なければならず、結果として自分達の陣営はこうして甚大な被害を受けているのだ。


「それでも! 私達は……私は!」


 だからと諦める気には到底なれなかった。

 やっと彼がパトリシアだけでなく、自分にもあの笑顔を向けてくれたのだから。


 一度は諦めた恋だった。


 叶わぬと知ってから新たな恋を知る機会もなく、ただ漫然とモンスターや犯罪者を狩りつつ時として人との繋がりを作り、しかし真に満たされることのないまま過ぎ行く日々だった。


 パトリシアが死んだはずの、そして最後に別れた数十年前と変わらぬ姿の時高を連れて自宅に訪れたのが二週間ほど前だ。

 王都メティスで開いていたたばこやなる店を閉め、マーシーの済むゾネ君主国まで引っ越してきたという彼女は言った。


――やっぱり私は、三人一緒がいい。


 あと二十年も若ければ、その提案を侮辱と受け取り激昂しただろう。

 だがあの日に密やかに抱いていた嫉妬や憎悪は長い年月を経て摩耗し、残るはともに過ごした楽しく美しい日々の宝石みたいに輝く思い出ばかり。


「偽物でも、本物じゃなくても、もう、私には」


 だから、受けたのだ。

 例え時高として振る舞うそれが、死んだ当人でないとしても。


 やっぱり自分も三人一緒が良かったから。

 そう在れる時間を何度も夢に見ていたから。


「私が二人と一緒にいるには、もうこれしかなかった!」


 隠匿魔術【シャットアウト】であらゆる情報を遮断した矢が五本、それぞれ別々の角度に放たれながらも空中で軌道を曲げてレオに迫る。


 術式ではなく魔力操作という技巧により実現される多角的な攻撃。

 狙うは右耳、鳩尾、左脇腹、股間、左膝の五ヶ所。


 戦場において戦闘員が使う回復魔術には弱点がある。

 物理的外傷を癒すことに注力すると心理的外傷を放置せざるを得ない。

 つまり傷を癒せたとしても、激痛による行動と判断の遅延は狙えるのだ。


(止まった瞬間、その体を叩き潰す。回復魔術なんて間に合わないほど)


 戦闘が始まる前から魔力の矢より優先して隠蔽し続けてきた存在。

 一見して空中に浮遊しているかのように見えるマーシーが今まで足場としてきたそれは、二階建てのバスだった。


 他の仲間が持ち寄った大型車両は本来なら騎士団に向けて特攻するくらいの利用価値しかないものと思われていたが、マーシーの【シャットアウト】があれば話が大きく変わる。

 既に運転席ではこれを持参した運転手がいつでも発進できるように準備していた。あとはマーシーからの合図一つで、彼は周囲の何もかもを巻き込んで敵陣に突っ込む。


 そしてレオを狙ったその瞬間、彼はバスの真正面にいた。


(仮に全ての矢に気付いたとしてもどれかは刺さる。そうなればバスを出させて……!)


 まだ甘さしか知らないあの少女に、思い知らせてやる。


 想い人が死んだ時、自分がどれほど聴くに堪えない声で泣くか。

 一生届かない場所に行ってしまった誰かが、いかに胸から離れないか。


(出させ、て……)


 確実に刺さる、と思った矢が。


 レオの服の下から溢れ出た、山吹色に輝く花弁で防がれた。


「なんっ、で……!」

「うおおおおおおお!」


 伸びる包帯は隠蔽されたバスごとマーシーを螺旋状に取り囲み、一気に縮小する形で彼女とバスをまとめて縛る。


 こうなっては【シャットアウト】など意味を為さない。

 包帯が作り出す輪郭で、彼女の策は全て露呈した。


 もはや敗北が確定した彼女に、聞き慣れた声とその主が向かう。


「マーシー!」

「来ないで!」


 惨めにしないで。


 などとは言えず、意思を見抜かれないよう顔を伏せて親友に告げる。


「もう貴女がやるしかない!」

「……っ、わかったわ!」


 言われてすぐに切り替えられるのは、経験と絆が成す(わざ)か。


 言われてパトリシアはグリモアーツ“アブセンスケージ”の鎖を振るって回転させ、その回転の中央に魔力の靄【ドリームヘイズ】で巨大な球体を形成した。


 内部で力の吸収と放出を幾度も繰り返す濃密な靄の集合体。

 触れれば一瞬で内部に引きずり込まれ、バラバラになった状態で吐き出される。


 そして最も恐ろしいのは、この状態を維持したまま鎖に繋げて振り回せるという点。


「本物じゃなければ幸せになれないなんて、そんなはずない」


 最も硬く最も速いミアにこそ、縦横無尽に動き回りながら対象の硬さを無視できる一撃必殺は突き刺さる。

 だからパトリシアがその球状にまとまった【ドリームヘイズ】の対象に彼女を選んだのは、必然と言えた。


「だってこの短い間、私達は確かに幸せだった!」


 投擲される球状の靄に向け、ミアが疾駆する。


 同時に彼女の左手で輝く指貫きグローブ型魔道具、バベッジ。

 本来なら詠唱が必要となる第四魔術位階【ロケッティア】の発動準備に入り、ミアの体から発される光がその輝きを増した。


 回避は困難、防御も不可能。

 それを感じ取ったらしいミアの手は攻撃という第三の選択肢。


 一見して無謀に見えるその動きに、それでもパトリシアは油断しない。


(何をするつもりでいるのか知らないけど、少なくともミアちゃんの事は知っている)


 身体能力と魔術の出力で強引に【ドリームヘイズ】を貫き、強烈な一撃を入れるつもりか。

 だとするならば無謀であり勉強不足であり、傲慢な勘違いだ。


 この内部と外部に運動エネルギーが出入りする絶望の塊は、純粋な破壊力だけ見れば第三魔術位階にも匹敵する。

 第四魔術位階で突っ込んだとして、放出される魔力ごと吸収してそのまま彼女の体に叩きつけるのみとなる。


 だからと簡単に勝利を確信できるほど、彼女も若くはない。


(あの子はそんな判断をしない。絶対に何かがある)


 そんな強い警戒心から、一瞬の攻防を通して可能な限り彼女を観察した。

 瞬間的に相手の動きを読み取るのはマーシーの矢で慣れている。よほどの事が無ければ見落としなど発生しない。


(何かある、はず……)


 バベッジの効果は一日に一回のみ。それはもう使っている。

 グリモアーツ“イントレランスグローリー”は右手についていて、【パーマネントペタル】で腕から離脱する様子も見受けられない。

 あるいは受けるダメージを最小限に抑えるため衣服の下に恋人の“フリーリィバンテージ”を巻いているのかとも思ったが、そういうわけでもなかった。


(……何も、ない?)


 どう見ても、いかなる可能性を考慮しても、彼女はただ【ロケッティア】で突っ込んでくるだけにしか見えない。


 あるいは。

 いざ殺すとなれば手を緩めると、パトリシアの情に全てを賭けたのか。


(だとしたらミアちゃん。貴女は信頼と願望を履き違えている)


 仮に【ドリームヘイズ】の球体をやり過ごせたとしても、その次には“アブセンスケージ”の鳥籠部分が確かな重量を持って彼女を出迎えるだろう。

 体を強化している術式ごとズタズタに引き裂かれて機能不全に陥ったところでその一撃を受ければ、間違いなく戦闘不能は免れない。


 ミアさえ倒せばレオ一人くらいは自分だけでも対処できる。

 本当に何も無いのなら、これでこの戦いも終わる。


 そんな風に考えているパトリシアの()()は二つ。


 まず一つ目はグリモアーツの形状にあった。


 長い鎖の両端に鳥籠を備えた特殊な鎖分銅型グリモアーツ“アブセンスケージ”。

 高い攻撃力を支えているのは鳥籠そのものの重みに加えてもう一つ、鎖を振り回すことで生じる遠心力である。


 今回も彼女は【ドリームヘイズ】との多段攻撃でより高い威力を発揮するため、いつも通り鎖を振り回してから鳥籠を投擲した。


 遠心力の恩恵を受ける以上、末端部分の鳥籠はただ投げつけられるだけではない。

 力を伝達させるための通路として、鎖の存在が必要不可欠となる。


 そうして伸びた鎖に真横から伸びて絡まる一筋の包帯。

 それに彼女が気づいた時には全てが手遅れだった。


「あっ」


 巻きついて、引っ張る。


 瞬き一つの間にその二つの動作を遂げたレオの“フリーリィバンテージ”は鎖の動きをくりんと捻じ曲げ、ミアに向かう靄の球と鳥籠を両方とも彼女の真横へとずらした。


 これこそ二つ目の敗因。

 ミア一人に注意を向けたせいで、後回しにしたレオが今どう動くかを見過ごしてしまったのだ。


「おりゃああああ!」


 結果的にミアとパトリシアの間には空白が生じ、そこに向けて渾身の【ロケッティア】を発動する。

 ミアの体はより強く眩く魔力の光を放ちながら直進した。


「くっ!」


 致命的な一撃を受ける覚悟とともに両腕を交差させてしゃがむパトリシアは、直後に奇妙な音を聴く。


 ベキリ、と何かを破壊する音。


「え……?」


 既に通り過ぎて遥か後ろまで進んだミアが何をしたのか悟ったのは、両手に伝わる感触の変化を感じてからだった。


 左手側が妙に軽い。

 と思ったら、両手から鎖の感触が徐々に消えていくのがわかった。


「ミア、ちゃん……」


 振り向けば彼女の手にあるのは“アブセンスケージ”が持つ鳥籠の片方と、そこから伸びる千切られた鎖の一部。


 パトリシアに直接的な攻撃をせず、グリモアーツの奪取と破壊に徹した結果だ。

 彼女はあの一瞬でグリモアーツの鎖を引き千切ってみせた。埒外の馬鹿力だが、獣人が身体強化術式を重ねればこうもなろう。


 ゼニスブルーの燐光を散らしながら消える鎖と鳥籠を投げ捨てて、ミアが悲しげな表情で歩み寄る。


「……パトリシアさんもマーシーさんも、[デクレアラーズ]の戦いに巻き込まれただけなんです」


 戦闘の音が遠い。

 それは騎士団と“ラハイアの座”の乱闘が離れた場所で行われているからか。


 あるいは、あちらも決着がつきつつあるのか。


 ミアとレオが背後を一瞥しただけですぐ自分に視線を戻した時点で、どちらが勝つのかパトリシアにもわかってしまった。


「もちろん犯罪は犯罪なわけですし、罰も受けると思います。でも私は二人が悪いわけじゃないって知ってる」

「…………何よ、それ」


 知らぬ間に【ブラッドメイク】は解除され、パトリシアは若く美しい姿から元の老婆に戻っていた。


「これだけの騒ぎを起こして、大勢の人に怪我までさせて。悪くないわけないでしょう」

「だとしてもそれは押しつけられた悪さでしょ。“ラハイアの座”さえいなければ、今もメティスで平和に過ごしていたはずです」

「それだとマーシーはどうなるの? 彼女は」

「わかってます。わかってますけど、でも」


 言葉と価値観で正当性を示す。

 この点においてパトリシアを説得するには、ミアはあまりにも若すぎた。


 だから説得ではなく、意思表示を主目的とする。


「ごめんなさい。私は、パトリシアさんの方が大事なんです」

「そう。うん、そうよね。そして私はみんなより、トキタカさんとマーシーの方が大事だったのでしょうね」


 言いながら二階建てバスの上で包帯に縛られ、【ドランク】の効果で眠っているマーシーを見上げた。


「楽しかったのよ。あの頃も、あの頃を取り戻せた気になれていたここ最近も」

「……はい」

「きっと私もマーシーも過去を振り切れるほど強くなくて、三人一緒だなんて言いながらその実二人で戦ってた。だから私達より強い二人に負けた」


 立つだけの余力もないのか、パトリシアが座り込んだまま顔を伏せる。


 そして、意地でも顔は隠しきる。

 いかに未熟と無力を認めたとて、年配者が若者に見せるわけにもいかない顔というものがあった。


 だが耐えられない。


 とことん痛感した自分の不足と目を逸らし続けていた喪失の大きさ。

 己の年齢が叩きつけてくる、人として成長するには短すぎる時間に。


「死にた、い」


 弱々しい泣き声を聞き届けて、ミアは自分でも自覚のないままに目の前の老婆を優しく抱いていた。

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